あの――遠い日の春風 のようです

255 名前:名無しさん 投稿日:2016/04/02(土) 19:19:09 ID:p7kzx33Y0
          ―― (´<_` ) ――





待っていた。

待ち続けていた。

あの時以来。

こんな日が来ることを。

俺はずっと、待ち続けていた。

そんな、気がする。

(´<_` )「よう、アニジャ」

( ´_ゝ`)「……」

アニジャは応えない。
それにしても、何て格好だ。ぼろぼろじゃないか。
あんたのそんな姿、初めて見たぞ。クーにでもやられたのか。

知ってるか。あの子な、この十年、
あんたの代わりを務めようとしていたんだぜ。
あの落ち着きがなくて、そそっかしい、
いつまでも子供だと思っていた、あの子がさ。信じられないよな。

256 名前:名無しさん 投稿日:2016/04/02(土) 19:19:41 ID:p7kzx33Y0
(´<_` )「立ち話も野暮ってもんだ。座れよ」

アニジャを座らせ俺は、棚の中から酒を選ぶ。
ワイン。ブランデー。ウィスキーに、バーボン。
この宮殿には、年代物の酒がいくつも貯蔵されていた。
チチジャの遺産だ。民を絞って集めた贅の証なのだろうが、いまだけは、あの男の悪行に感謝する。

ウォッカをつかむ。

(´<_` )「呑めよ」

瓶のまま、アニジャが口をつける。受け取る。
俺もまた、アニジャ同様直接口にする。

灼熱感が、胃に溜まる。

(´<_` )「やっぱり」

高級な酒瓶を、脇に置く。

(´<_` )「あの時のウォッカには、敵わないな」

人生で初めて口にした、あの安物のウォッカ。
泥のような味のしたあの酒が、いまは懐かしい。

257 名前:名無しさん 投稿日:2016/04/02(土) 19:20:30 ID:p7kzx33Y0
(´<_` )「……皮肉だな」

チチジャはここで死んだ。
この宮殿で。俺たち”ソウサク解放戦線”の手によって。

凶悪な圧制者。地獄の独裁者。
ソウサク人民を虐げ横暴の限りを尽くす者にして――俺たちの、血の起源。
俺は期待していた。この宮殿へ乗り込み、チチジャの下へ辿り着くまでの間。
やつがどんなに強大で、邪悪で、偉大な存在なのか、期待していたんだ。

よく、覚えている。

そこにいたのは、小柄な、ただの中年だった。
背中は折れ、頭は禿げかけていた。
怯えた態度を隠そうともしないその姿には、偉大さなど微塵もなかった。

だが、それでも――。

(´<_` )「あの男も、命乞いはしなかった」

懐から拳銃を取り出す。マカロフPM。
オオカミにいた時代から携帯していた、
年季だけならアニジャよりも付き合いの長い、相棒。そいつを――。

(´<_` )「こいつは、あの女を撃った時に使った銃だ。アニジャ――」

アニジャの前に、置く。

(´<_` )「高科椎唯の復讐を果たせ」

258 名前:名無しさん 投稿日:2016/04/02(土) 19:21:03 ID:p7kzx33Y0
今ならわかる。

あの男――チチジャは、チチジャなりに、
この国を存続させようとしていたのだと。
あの時代において、あれがチチジャにとっての最善だったのだと。

だが、チチジャには力がなかった。俺も同じだ。
力がないために、国を満たし、治めることができなかった。
国にとって、俺たちは有用な存在ではなかった。

だから、捨てられる。

アニジャ、あんたにとってもそうなんだろう。

だからあんたはここに来た。

俺を捨てるために。

俺たちの過去を捨て去るために。

もういい。

もういいんだ。

十年間。

長かった。

あんたの手で。

終わらせてくれ――。



アニジャが、マカロフを握った。

259 名前:名無しさん 投稿日:2016/04/02(土) 19:21:52 ID:p7kzx33Y0



どさり、と、人が倒れる音が聴こえた。

アニジャの持ったマカロフが、正確に、
二人の男の脳天を撃ち貫いていた。
男たちの手元には、フルオート式のライフル――AK−47が転がっている。

血を流して倒れる二人の男の遺体。
その後ろから、倒れた二人と同じ装備を携行する男たちがぞろぞろと現れてきた。

男たちに躊躇う様子はない。
AKの銃口を、俺に――そして、アニジャにも向けていた。
トカゲの尻尾きり。そういうことか。あんたも難儀だな、アニジャ。

飛ぶようにして、柱の陰に身を隠す。
ほぼ同時に、一斉放火が始まった。
柱に隠した身体のそのすぐ傍を、銃弾がいくつも通過していく。

( ´_ゝ`)「オトジャ!」

アニジャの下から、マカロフが地面をスライドして返ってきた。
つかむ。アニジャが走りだした。援護のために、発砲。
アニジャのように正確な射撃はできないが、威嚇になれば十分だ。

AKをつかんだアニジャが、反撃に移る。
侵入者たちが次々と倒れていく。だが、アニジャも無傷では済まない。
撃たれている。一発、二発ではない。なぜ動けているのか、不思議なほどに撃たれている。

260 名前:名無しさん 投稿日:2016/04/02(土) 19:22:29 ID:p7kzx33Y0
アニジャ、あんたはなぜ戦っている。

あんた一人なら、逃げられたはずだろう。

なぜだ。

(´<_`;)「……くそっ」

身を乗り出して、アニジャを援護する。
一人、二人、三人。当てていく。
だが、四人目を狙った、その時だった。

( <_ ;)「う、ぐっ!」

慌てて柱の陰に隠れる。右腕を抑えながら。
上腕の筋肉を撃ちぬかれた。痛み以外の感覚がない。
指先が震え、力を込めることができない。アニジャは戦っているというのに。

敵は弾幕を張りながら、後退していた。
退却するつもりなのか。アニジャ一人で、撃退してしまったのか。

いや、違う。何だこの音は。

それは、窓の外から聞こえてきた。
空気を裂くその音。それが、徐々に、徐々に近づいてきている。
浮上してきている。そして、大気を震わせる振動とともに、それが、姿を現した。


戦闘ヘリ。

261 名前:名無しさん 投稿日:2016/04/02(土) 19:23:07 ID:p7kzx33Y0
機銃の掃射が、部屋中を蹂躙した。
目につくすべてのものが、チチジャの遺産が、砕け散っていく。
俺の築いてきた何もかもが、跡形もなく砕け散っていく。

その中で。

「ぉぉぉぉおおおおおお――」

唯一。

「おおおおおおおおおお――」

砕けないものが。

「おおおおおおおおおお――」

あった。

「おおおおおおおおおお――」

アニジャが。

「おおおおおおおおおお――」

あのアニジャが。

「おおおおおおおおおお――」

吠えていた。

「おおおおおおおおおお――」

あの。

「――おおおおおおおおおお!!」

アニジャが。

262 名前:名無しさん 投稿日:2016/04/02(土) 19:23:47 ID:p7kzx33Y0



「行くぞ、オトジャ」

アニジャの声が、すぐ近くで聞こえた。
無茶言うなよ。いまさらどこへ行こうっていうんだ。
何も見えないし、ほとんど聞こえもしないんだ。
それに、俺の身体――半分くらい、失くなってるんだろ?

「オトジャ」

身体が浮いた。なんとなくわかった。
あれ、なんだこれ。動いてるのか。
ああ、そうか。おぶられてるのか、俺。

昔を思い出すよ。懐かしいな。あの雪と星の日。
あの時の俺は、何の力も持たない、ただのガキだった。
力もないくせに、人に認められたくて仕方のないガキだった。

結局のところ、俺はあの時からまったく成長していないんだろうな。
自分の器も知らずに周りを巻き込んで、最後はこのざまだ。
捨てられて当然の男さ。

だから、なあ、アニジャ。

何であんたは、見捨てない。

俺を、助けようとする。

263 名前:名無しさん 投稿日:2016/04/02(土) 19:24:30 ID:p7kzx33Y0
「俺は、お前を騙していた」

何だよ、改まって。

「偶然じゃないんだ」

何のことだよ。

「お前と出会ったのは、偶然じゃないんだ」

……。

「あの辺りに兄弟がいると、知っていたんだ。
 だから会いに行った。寂しくて。仲間が欲しくて」

……。

「お前の家に押しかけたのも、偶然じゃない。志願したんだ。
 お前のことを知っていたから。それだけの理由で。誰でもよかったんだ」

……。

「この孤独感を埋めてくれるなら、誰でもいい。
 たまたまお前のことを知っていたから、近づいた。それだけだ――
 それだけだったんだ、初めは。……でも、いまはそうじゃない」

……。



「オトジャ、お前はすごいやつだ。俺の自慢の家族だよ」


.

264 名前:名無しさん 投稿日:2016/04/02(土) 19:25:08 ID:p7kzx33Y0
……。

……。

……。

……ははっ。

「はははっ」

格好悪いな、あんた。

「そうだ、俺は格好悪いんだ」

マジックも下手だしな。

「上達したんだ。練習してな」

そういうところが格好悪いんだよ。

「そうか。そうかもな」

265 名前:名無しさん 投稿日:2016/04/02(土) 19:25:42 ID:p7kzx33Y0
だから、しょうがないから。

認めてやるさ。

格好悪い者同士。

あんたが、家族だって。

「そうか」

そうだよ。

「家族か」

家族だ。

「ああ、そうだ」

俺達は。

「俺達は」

家族だ――。




.

266 名前:名無しさん 投稿日:2016/04/02(土) 19:26:28 ID:p7kzx33Y0
          ―― ( ・∀・) ――





『お前は』

こぼれ落ちた。

『こんなものに頼るな』

拳銃が。

『こんなものに頼っても』

女の手から。

『失うばかりだって』

離れていった。

『クーは、そう思うよ……』

女は、消えていた。

267 名前:名無しさん 投稿日:2016/04/02(土) 19:27:06 ID:p7kzx33Y0
(*゚ -゚)「……」

シイが立ち上がった。
そして、歩き出した。
このあばら家の、外へと。

(; ∀ )「待って……シイ、ちゃ……」

四足で這いずりながら、彼女を追う。
ドクオの死体を越えて、女の拳銃を越えて。

その時、気がついた。
シイのスケッチブックが放り出されていた。開かれたままの状態で。
そこには、アニジャが描いてあった。アニジャの似顔絵があった。
そしてその似顔絵には、何発もの弾痕が刻まれていた。

268 名前:名無しさん 投稿日:2016/04/02(土) 19:27:59 ID:p7kzx33Y0



朝陽が昇りだしていた。

熱く、灼けた、真夏のような朝焼け。

シイを追って、ぼくは歩いた。

まだ頭は揺れているが。

歩けるほどには、回復していた。

シイは、どこだ。

視界の先で、ちらり、ちらりと見える彼女。

その姿が、突然、消えた。

なんだ。

歩を早める。

と、身体が、宙に浮いた。

と思ったら、落下していた。

急斜面を、転がり落ちる。

丸めた身体が、ごつごつ跳ねる。

――止まった。

顔を、上げた。

そして、ぼくは見た。

269 名前:名無しさん 投稿日:2016/04/02(土) 19:28:37 ID:p7kzx33Y0
死体。
死体と、死体。
死体と、死体と、死体と、死体。
死体と、死体と、死体と、死体と――。

ソウサク人も、シベリア人も。
国軍も、テロリストも。
そこには、なかった。

ただ、死体だけが。
山のような死体だけが。
積み、重なっていた。



ぼくは――


.

270 名前:名無しさん 投稿日:2016/04/02(土) 19:29:13 ID:p7kzx33Y0
(#  ∀ )「うぁぁぁぁああああああああああああ!!」

叫んだ。

なんだよ。

なんだよこれ。

ふざけんな。

ふざけんなよ。

バカにすんなよ。

なんの意味があるんだよ。

こんなことに、何の意味があるっていうんだよ!

271 名前:名無しさん 投稿日:2016/04/02(土) 19:29:52 ID:p7kzx33Y0
ぼくは、ぼくは――

カメラを、構えた。

こんなもの、撮りたくない。

こんなもの、知りたくない。

でも、知らなきゃいけない。

これは現実だって。

ぼくたちの世界で起こっていることなんだって。

ぼくたちの世界と地続きなんだって。

ぼくたちは、知らなきゃいけない。

だから、ぼくは。

撮る。

死体を。

死体と死体を。

死体と死体と死体を。

何枚も。

何枚も何枚も。

何枚も何枚も何枚も!

272 名前:名無しさん 投稿日:2016/04/02(土) 19:30:26 ID:p7kzx33Y0



轟音が、響き渡った。

山岳から、鳴っていた。

そして、ぼくは見た。



宮殿が。

あの宮殿が。

跡形もなく、崩れ去っていくところを。

山を削る爆発が。

何もかもを、吹き飛ばすところを。

彼女も、見ていた。

シイも、見ていた。

何かが失われるその決定的な瞬間を、シイも見ていた。

彼女は泣いていた。

泣いて、嘆いて、悲しみ、苦しみ――そして、笑った。

291 名前:名無しさん 投稿日:2016/04/02(土) 19:48:24 ID:p7kzx33Y0















               『ありがとう』














.

274 名前:名無しさん 投稿日:2016/04/02(土) 19:31:46 ID:p7kzx33Y0
          ―― (  _ゝ ) ――








      そうか。




         思い出した。











                  きみは――――――――






.

275 名前:名無しさん 投稿日:2016/04/02(土) 19:32:19 ID:p7kzx33Y0
          ―― ( ・∀・) ――





『戦地の微笑み』が初の個展を開く。
この報はソウサク国内を越えて、世界各国へと広がった。
西側からも東側からも取材陣は殺到し、
ホテルが足りず公共施設を貸し出す程になったそうだ。

個展の開催を祝う開会式では、
ナイトウ・ホライゾン大統領自らが祝辞を述べ、
『戦地の微笑み』と堅い握手を交わした。

ソウサクの明るい未来を予感させるその絵は、
写真となり記事となり、再び世界各国へと広まっていく。

ぼくには、一枚も撮れなかった。

あの内戦から、四年の月日が経過していた。
このソウサクにて一年近く続いた内戦は、
新大統領、ナイトウ・ホライゾンの下で締結した。

ナイトウは国連に協力を求め、西欧諸国の助力もあり、
復興は当初の予定以上の速度で進んでいた。
そしてその復興の要となったのが、『戦地の微笑み』。

撮影者不明の写真に写った少女。
死体の山に囲まれ、涙を流しながらも、やさしげに微笑んだその少女。
その写真。その奇跡の一枚は、国際社会にセンセーションを巻き起こした。

276 名前:名無しさん 投稿日:2016/04/02(土) 19:32:57 ID:p7kzx33Y0
彼女はだれなのか。何者なのか。みな、知りたがった。
そして彼女が絵を描いていることが知られると、
その絵は高値で取引されるようになった。

彼女が泣かずに住む世界を。
そのスローガンの下、個人や企業が、多額の援助金をソウサクに寄付した。
それらはすべて、この国の復興にあてがわれた。
彼女は平和のシンボルとなっていた。

そしてそのシンボルを高々と掲げ、
復興を先導するナイトウ・ホライゾン大統領。
差別の撤廃を主張している所も含め、その手腕を、
国際社会は高く評価していた。
彼によって、ソウサクは正しい方向へ進むだろうと。

そうなのかもしれない。
そう、彼が優秀な大統領だということは、間違いないのだろう。
けれど、と、ぼくは思ってしまう。それはきっと、彼だけの力ではないと。
元々この国にあった、この国に育っていた力が、
その土台となっているだろうということを。

ぼくは覚えている。
オトジャが、この国の教育に、学力の発展に力を入れていたことを。

277 名前:名無しさん 投稿日:2016/04/02(土) 19:33:32 ID:p7kzx33Y0
いま、この国では、オトジャという単語はタブーとなっている。
すべての悪しき事象、内戦の原因から諸問題の何もかもを背負わされたまま、
オトジャという名は封印された。

世界大戦の原因を造り出したあの国が、
当時の政府を生け贄とすることで、自分たちの責任を回避したように。

それが善いことなのか悪いことなのか、ぼくには判断できない。
オトジャを悪と断じることで、この国に一応の平穏が
訪れているのは間違いのない事実なのだから。

だから、声高に叫ぶことはしない。
ただ自分の中で、消化できないものを抱える。それだけのことだ。

ぼくはゴラクへ帰国した後、すぐに退社願を出した。
入社して一年も経たずに辞めようとするぼくへの視線は冷たいものだったが、
ただシャキンさんだけが、悲しんで泣いてくれた。

一晩中付き合わされて、説教をされて、それで、
俺みたいにはなるなよと、言われた。
ぼくは果たして、シャキンさんのその言葉を守れているのかどうか。
自信はない。

278 名前:名無しさん 投稿日:2016/04/02(土) 19:34:12 ID:p7kzx33Y0
ぼくはフリーのジャーナリストになった。
あの光景を、あの地獄のような光景を撮ることができない世界が来るように、
そういった各地の紛争を周っては写真に収め、世界中に晒していった。

これが、ぼくの戦い方だと信じて。
ぼくのやるべきことだと信じて。
だけど――。

結局のところ、ぼくは自分を信じきれていなかったんだと思う。

だから四年間、この国へ来なかった。

だから四年間、情報を遮断した。

だから四年間、彼女に会わなかった。

けれど、いま、ぼくはここにいる。
廃墟の世界。当時のままの、あのビルの前へ。
『戦地の微笑み』――シイのいる、アトリエへ。


.

279 名前:名無しさん 投稿日:2016/04/02(土) 19:34:43 ID:p7kzx33Y0



(*゚ー゚)「お久しぶりですね、モララーさん」

四年という歳月は、やはり大きなものだった。
少女だった彼女の面影は薄れ、身体も大人になりつつあった。
きっともう、ハインよりも背は高いだろう。

( ・∀・)「きみに訊きたいことがあるんだ」

(*゚ー゚)「なんでしょう」

( ・∀・)「きみは……きみは、ぼくを恨んでるんじゃないのか。
       ぼくの撮った写真のせいで、
       この国のシンボルだなんだと祭り上げられてしまった。

       それにぼくやきみを陥れようとした――なによりアニジャを殺した、
       あのナイトウの言いなりにさせられてしまっている。
       ぼくが、あんな写真を撮ってしまったばかりに……」

シイのことだけではない。
シイを始めとした国際社会の注目という防壁により、
ソウサクはロビイの侵略を防いでいた。

そのため不必要になったテンゴクとソウサクの同盟計画は立ち消えとなり、
テンゴクは独力でロビイに対抗しなければならなくなってしまった。

280 名前:名無しさん 投稿日:2016/04/02(土) 19:35:17 ID:p7kzx33Y0
テンゴクは、自国を守り切ることができなかった。
国名こそテンゴクのままであるものの、実態はロビイの属領であり、
AA教でもシタラバ派の信仰しか許されず、
他にも統治という名の不平等が横行しているらしい。

すべての原因があの写真にある。
そんなことが言えるほど、ぼくは傲岸じゃない。
けれど責任がまったくないと言えるほど、厚顔になることもできなかった。

ぼくの写真が、不幸な人を生み出した。
それは疑いようのない事実だった。
かつて、シャキンさんがそうであったように。

(*゚ー゚)「アニジャがね、言っていたんです。最後に会った時に。『生きろ』って」

シイは、昔を懐かしむように目を細めていた。
頬についた絵具が、やわらかに形を曲げる。

281 名前:名無しさん 投稿日:2016/04/02(土) 19:35:57 ID:p7kzx33Y0
(*゚ー゚)「モララーさんは勘違いしています。
     私、言いなりになんてなっていません。
     私は生きています。私は私を生きています。

     私は絵を描くことしか能のない女です。
     でも、それでいいって思ってます。
     私にとって、生きることは描くことですから。
     だから、ナイトウは私を利用しているかもしれないけれど、
     私だってナイトウを利用しているんです。

     私はずるい人間です。私が描くことで、
     苦しんだり、辛い思いをする人がいると、
     知っています。知っていて、描くんです。

     誰か一人でも、私の絵で幸せになれたのなら、
     それだけで私は私を許せてしまう。そんなずるい人間が、私なんです。

     私はいつか殺されてしまうかもしれません。
     描くことで、誰かの恨みを買って。それでも私は描き続けます。
     だって、私は生きているから。生きることは、描くことですから」

当たり前のように、彼女はそう言った。嘘や偽りはない。
そんなものが介在する余地のない、純真な本心の表れ。
そう、ぼくには感じられた。

282 名前:名無しさん 投稿日:2016/04/02(土) 19:36:53 ID:p7kzx33Y0
(*゚ー゚)「モララーさん、これを」

シイが、紙束を手渡してきた。
何かが書かれた紙。プリントアウトされたものではない。
すべて手書きの、年季の入った原稿の束。これは?

(*゚ー゚)「高科椎唯という人が書いたものだそうです。
     アニジャが保管していました」

( ・∀・)「アニジャが?」

(*゚ー゚)「はい。でも、私は文字が読めません。
     ですからモララーさんに持っていて欲しいんです」

( ・∀・)「でもこれは、アニジャの形見……」

(*゚ー゚)「モララーさんが持っていてくれたほうが、
     アニジャも喜ぶと思うんです」

原稿を受け取る。高科椎唯が書いた原稿。
”高科レポート”の原本。ぼくは、シャキンさんにあれだけ言われたにも関わらず、
まだ”高科レポート”を読んだことがなかった。

怖かったのだ。明確にこうだと理由を述べることは難しいけれど、
強いていうなら、引きずり込まれそうな気がしたから。
多くの人の人生を書き換えたこの本に、ぼく自身も、
書き換えられてしまうのではないかと。

けれどいま、その”高科レポート”の原本が、ぼくの目の前にある。
……ハインなら、これも『神の思し召し』と言っただろうか。
偶然じゃない。あるべき時に、あるべきものが来たのだと。

283 名前:名無しさん 投稿日:2016/04/02(土) 19:37:45 ID:p7kzx33Y0
( ・∀・)「……やっぱり、もらえない。これは君が持っているべきだ」

(*゚ー゚)「でも……」

( ・∀・)「その代わり、ここで読ませてもらってもいいかな。
       少し時間かかると思うけど」

(*゚ー゚)「……喜んで!」

絵具の香りが漂うアトリエで、ぼくは原稿をめくる。
なれないソウサクの言語で書かれたそれは読むのに難儀したけれども、
平易な文章で書かれていたおかげで詰まることはなかった。

そして、ぼくは惹きこまれていった。
彼女の文章、彼女の価値観、彼女の世界へと。

彼女は政権の批判者ではなかった。
テロリズムの煽動者などでもない。ここに書かれているのは、
絶対的で、愚直なまでの生の肯定。危ういほどの、生そのものへの愛情だった。

確かにこれは、為政者にとって危険極まる代物かもしれない。
否定と規制からなる統治を、根本から揺るがす力を秘めている。
また、これを読んだ者が自己を肥大化し、
集団となって暴走するであろうことも容易に想像できた。

この書には、力があった。
それは恐ろしいことなのかもしれない。
現にこの”高科レポート”によって幾多の騒乱が起こり、
その騒乱に倍する以上の人命が失われたのだから。

284 名前:名無しさん 投稿日:2016/04/02(土) 19:38:40 ID:p7kzx33Y0
書くとは危険なことだ。
伝えるとは危ういことだ。
表現するとは恐ろしいことだ。

一度放出した意志はすでに己を離れ、
それを受けた者と同一化し化学反応を起こす。

その結果、何が起こるか。
それを予測することはきっと、限りなく不可能に近い。
それを回避したいのならば、誰にも頼らず、誰とも関わらず、
身を隠して、一人で、孤独に、何も話さず、何も発せず、
毎日を消化する以外に方法はないのだろう。

それもきっと、認められて然るべきひとつの方法なのだと思う。
けれど、それは生きていると言えるのだろうか。
死んでいない、それだけではないのだろうか。

恐ろしくとも、危うくとも、それでもぼくは――

俺は俺を生きているだろうか。

私は私を生きているだろうか。

ぼくはぼくを生きているだろうか。



あなたはあなたを――生きていますか。

285 名前:名無しさん 投稿日:2016/04/02(土) 19:39:20 ID:p7kzx33Y0



――アニジャ。あなたは律儀な人だ。
お礼の約束、ちゃんと守ってくれたんですね。
ぼくの方こそ、助けてもらってばかりだったのに。

何かを返したい。そう、思った。

シイは絵を描いていた。
淡い色をした木、花の下を、男女が寄り添って歩いている。
この国の情景じゃない。どこか浮世離れした、その光景。

( ・∀・)「シイちゃん、その絵は?」

ぼくがそう尋ねると、シイはなぜか恥ずかしそうにうつむいてしまった。

286 名前:名無しさん 投稿日:2016/04/02(土) 19:40:00 ID:p7kzx33Y0
(*゚ー゚)「……私、お父さんのために絵を描き始めたんです。
     疲れて、元気のないお父さん。どうしたら元気になってもらえるか考えて、
     思いついたのが、似顔絵でした。

     とっても拙い絵だったと思います。でも、お父さんはそれを見て、
     すごく喜んでくれました。それがうれしかった。不思議です。
     お父さんを喜ばそうと思って描いたのに、うれしくなったのは私だった。

     それから私は、いろんな絵を描きました。お父さんが喜ぶんじゃないかと思って。
     お父さんがいなくなってからも、描き続けました。

     アニジャにも、同じことをしようと思ったんです。
     私を助けてくれたアニジャに、お返しがしたい。アニジャの喜ぶ絵が描きたいって。
     でも、何を描けば喜ぶのか、私にはわからなかったんです。

     だから私は、アニジャ自身に描いてもらおうとしました。
     今から思えばおかしな話なんですけどね。でもあの時は真剣に、
     それでアニジャの好きなものを、教えてもらうつもりでいたんです。

     アニジャは、描けませんでした。でも、教えてくれました。
     アニジャの大切なもの。大切な人。大切な、約束――。
     これは、アニジャのための絵なんです。私が救われるための、アニジャの絵」

シイは恥ずかしそうにしていた。
けれど、晴れやかだった。
彼女が未来だ。そう言っていたハインの言葉を、いま、本当の意味で理解した気がした。

だったら、そう、ぼくのやることは、ひとつだ。

287 名前:名無しさん 投稿日:2016/04/02(土) 19:40:34 ID:p7kzx33Y0
( ・∀・)「シイちゃん、写真を撮ってもいいかな」

(*゚ー゚)「この絵のですか?」

( ・∀・)「この絵と……きみが、一緒に写ったものを」

(*゚ー゚)「……構いませんよ」

はにかみながら、シイはうなずいた。
彼女と絵とが一緒に写るよう移動してもらい、そしてぼくは、カメラを構える。

( ・∀・)「ねえ、聞いてもいいかな」

(*゚ー゚)「なんですか?」

( ・∀・)「この絵のタイトル。何ていうのかな」

(*゚ー゚)「タイトル、タイトルですか……まだ、決めてないんです」

( ・∀・)「この場で決められる?」

(*゚ー゚)「そうですね、それじゃあ……あの――」

( ・∀・)「あの?」

あの――



.

288 名前:名無しさん 投稿日:2016/04/02(土) 19:41:06 ID:p7kzx33Y0
















               あの――遠い日の春風














                                    ―― 完 ――

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