最期に与えられた1秒間達のようです

7月14日11:10:17 渡辺珊瑚

93 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/08/22(火) 19:51:00 ID:YMTol5tc0
  
7月14日11:10:17  渡辺珊瑚




布藍高校は自主性と自由を謳う、
ありふれた公立高校の一つだ。

別段、偏差値が高いわけでもなく、
部活動が盛んなわけでもない。
極普通の子供達が、
何となく学び、遊び、卒業していく。

从'ー'从「来週からはテストかぁ」

友人達と食事をしていた渡辺は、
悲しげな顔をしてため息をついた。

(゚、゚トソン「早く帰れるからいいじゃないですか」

(*゚ー゚)「そりゃ、頭の良いトソちゃんからしたらそうかもだけどねぇ」

多くの学生にとって、テストというのは憂鬱なものだ。
ある者はお小遣いの額が左右され、
またある者は親からのお説教を受けるはめになる。

常に平均値辺りをウロウロしている渡辺もそれは同様で、
一応はテスト勉強もしているのだけれど、
結果が奮ったことは数えるほどしかない。

94 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/08/22(火) 19:51:37 ID:YMTol5tc0
  
从'д'从「あー、せめて、テストの点が悪くても慰めてくれる彼氏がほしいー」

(*゚ー゚)「アタシが慰めてあげようか?」

从'ー'从「カッコイー、イケメン彼氏がいいー」

(゚、-トソン「そんなことを言っているうちは、
     彼氏なんてできませんよ」

(*゚ー゚)「あー、彼氏持ちの余裕ってやつですかぁ?」

からかうようにして尋ねれば、
仄かに顔を赤めた表情が返ってくる。
そんなつもりではなかったようだが、
彼氏の存在を揶揄されると照れくさいようだ。

定期的に繰り返されるお決まりの流れに、
渡辺も未来の憂鬱を少しだけ忘れ、笑みを浮かべていた。

そんな時だ。
突如として、周囲が騒然としだしたのは。

人が消え、誰かが声をあげ、見知らぬ者が現れる。
瞬きのうちにそれらが繰り返されていく。

从;'ー'从「な、何が起こってるの?」

(゚、゚;トソン「そんなの、私にだって――」

从;'ー'从「……トソちゃん?」

95 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/08/22(火) 19:52:51 ID:YMTol5tc0
  
言葉が途切れる。
トソンの言葉だけではない。
周囲の、全ての人間、生き物、人工物の音が消えた。

从;'ー'从「え……っと、なに、これ?」

渡辺は席を立ち、ゆっくりと後ずさる。
何が起こっているのか、
全くもって理解できない。

不明、ということほど恐ろしいものはなく、
彼女は本能的にそれから逃れるため、
距離を置こうとした。

从;'ー'从「しぃちゃん! トソちゃん!
      ねえ! 返事、してよ!」

悲鳴のような声をあげるが、
それに対する応えはない。
二人とも、驚愕の色を顔に貼り付けたまま、
ぴたりと静止している。

从;'д'从「説明してよ、トソちゃん。
      私、馬鹿だからさぁ、わかんないよぉ」

友人の方を掴み、優しく揺さぶってみるが、
やはり反応はなく、彼女は口を開いたまま、
瞳一つ動かない。

96 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/08/22(火) 19:53:29 ID:YMTol5tc0
  
どうして、何で、と、
涙目で訴えかけるが、
世界は止まってしまっている。
彼女の声を聞く者もいない。

从;'д'从「誰かぁ!」

食べかけのお弁当を置いて、
教室を飛び出した。
廊下には休み時間を楽しんでいる生徒達の姿があるが、
その中の誰一人として、声を出すことも、指先一つ動かすこともしない。

从;д;从「う、そ、だよねぇ?」

手を伸ばし、
がむしゃらに縋りついて回る。
誰でも良かった。

男でも、女でも、
この不安を分かち合ってくれる人間がいれば、
それでよかったのだ。

けれども、現実は残酷なもので、
渡辺を優しく抱きとめてくれるものは誰一人としていない。

从;д;从「死んじゃうなんて、
      嘘だって言ってよぉ!」

97 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/08/22(火) 19:54:04 ID:YMTol5tc0
  
現状に対する問いかけに対し、
空気を伝い、鼓膜を奮わせる形での返答はなかった。

しかしながら、答えは確かに渡辺へ贈られていたのだ。
体が、直感が、空気が、
長い1秒と終わる世界について教えてくれている。

从;д;从「やだよぉ……」

渡辺は廊下にうずくまり、
小さな嗚咽を漏らす。

从;д;从「ま、まだ生きていたい」

些細過ぎて、現代の日本では当たり前のように叶えられていた想い。
それが、今になって、とても重大で、難しいものになってしまった。

明日がやってこない、など、
何処か遠くの紛争地帯か、
何百万人に一人の病気をわずらった人間にだけ与えられた、
悲しいハズレくじのようなものだと渡辺は心のどこかで考えていた。

从;д;从「だって、わたし、まだ、やりたいこと、たくさん」

続きが気になる本。
録画していたテレビ番組。
海へ行く予定。

楽しいことが未来にはあるはずだった。

98 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/08/22(火) 19:55:03 ID:YMTol5tc0
  
从;д;从「どうして、せかいがおわっちゃうの?」

理不尽な現実に対する答えはない。
あるのは、無常な終わりという結末だけ。

从;д;从「たすけて、よ、だれか」

これがフィクションであったなら、
正義のヒーローの登場だとか、
人々の団結だとかによって世界の終わりは防がれたことだろう。

渡辺は硬く目を閉じ、
夢のような終わりを思い浮かべる。
人の気持ちが世界を救うのだ、と、
どこぞのキャラクターが言っていた。

想いによってこの現実を覆すことができるというのならば、
いくらでも願い、祈りを捧げよう。

从;д;从「神様……」

高校生にもなれば、
人間という存在が罪深いことくらい、理解しているものだ。

争い、汚染し、破壊する。
歴史を学び、とんでもないと顔をしかめることもあれば、
仕方のないことだ、と受け入れてしまうこともあった。
そこに、強い罪の意識というものは存在していない。

99 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/08/22(火) 19:55:43 ID:YMTol5tc0
  
過去のことだから。
発展のためには必要なのだから。
いずれは変わるだろう。

そんな言葉を重ね、
人は今も昔も罪と言い訳を続けてきた。

从;д;从「反省します。
      私も、きっと、みんなも」

神がお怒りになるのももっともな話だ。
渡辺は罪を認め、神に懺悔の言葉を送る。
願わくば、世界の終わりを先延ばしにしてくれはしないか、と。

从;д;从「お願いします、お願いします。
      わたしにできることでしたら、なん、なんでも、しますから」

天上へ祈りが届くよう、
少しでも早く、自分の声が神の元へ送られるよう、
彼女は両腕を伸ばし、天に近づこうとする。

从;д;从「ころさないで」

慈悲があるのならば。
猶予をくれてもいいではないか。

零れる涙を拭うことなく、
賢明に、全身全霊をもって懇願する。

100 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/08/22(火) 19:56:33 ID:YMTol5tc0
  
从;д;从「――返事、してよぉ」

十分はそうしていただろう。
伸ばした手が震えても、
涙で目の端がひりひりと痛みを訴え始めても、
渡辺は祈ることをやめなかった。

止めてしまえば、絶望と対峙しなければならない。
平和な国に生まれた十六、七の少女に、
その恐怖を真正面から受け止めろ、というのは、
あまりにも過酷な要求といえる。

だが、神とやらは答えを返してはくれない。
是とも否ともとれる沈黙のみが渡辺に与えられた。

希望的観測を抱き、沈黙は肯定である、とするべきか。
とるに足らぬ訴えなど、そもそも神は聞いていないととるべきか。

从;д;从「聞いてよ! 私の! 話を!」

喉がすり切れてしまうような叫び。
彼女は神の意志を、脳とも心とも違う部分で理解していた。

つまるところ、救いの手など、ありはしないのだ。

101 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/08/22(火) 19:57:22 ID:YMTol5tc0
  
从;д;从「どうしてなのよぉ!」

問いかけ。
理由など、わかったところで、どうにもならないというのに。

祈りも懺悔も届かないというのであれば、
せめて、理不尽な終わりではなく、
納得のいく最期が欲しい。

从;д;从「返事! してよぉ!
      もう、もう何でも、いいから!」

床を叩き、窓ガラス越しに空を見る。
輝く太陽がこれほど恨めしく思えたのは初めてだった。

从;д;从「嫌よ! わた、し、絶対、いや。
      助けてよぉ。だれでも、良いから。
      大丈夫、って、言ってよぉ!」

何度も何度も床を叩き、
柔らかな彼女の手は真っ赤に色づく。
傍から見れば痛々しいことこの上ないのだが、
幸か不幸か、目撃者はいない。

从;д;从「いやぁあ! し、死ぬなんて!
      私、彼氏も、誰かと、キスしたことも、ないのに!」

102 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/08/22(火) 19:58:12 ID:YMTol5tc0
  
渡辺は涙を床に零しながらヒステリックに喚き散らす。
胸の中にある不安と恐怖、わずかな虚無が彼女を突き動かしていた。

誰かのせいにして、何かにあたって、
そうして自分を傷つけて、
痛みと空しさで心を満たすことでしか、
平静を取り戻せない。

从;д;从「かえして! わたしの! 明日を!
      だれかを好きになって、け、けっこん、とか、して、
      奥さんに、なって、こどもと、いっしょに、おでかっけ、し、って」

どれだけ醜かろうと、みっともなかろうと、
自身のため、彼女は散々に泣き、床と壁を叩く。
窓ガラスを割ろうとしなかったのは、
心の片隅に残った理性がそうさせたのだろう。

从;д;从「うぅ……と、らないでよぉ。
      わた、しの、未来を……」

冷たい廊下に四肢をつけ、
弱い獣のように丸くなる。
心と身体をナニカから守るかのように。

从 д 从「なんでぇ、こん、な」

何度目かの問いかけを口にするが、
やはり答えは帰ってこなかった。

103 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/08/22(火) 19:59:12 ID:YMTol5tc0
  
从;д;从「ひどい、ひどいよ……」

赤く腫れた手をさする彼女の声は、
一時に比べれば落ち着いたものとなっている。

未だに涙は零れているが、
気持ちは幾分かすっきりしたらしく、
嗚咽の激しさはなりを潜めていた。

从うд;从「だれかぁ」

渡辺は緩慢と立ち上がり、
体力が尽き果てそうになっている足でどうにか前へ進む。

求めるのは助けてくれる誰かであり、
自らの横で支えてくれる誰かだ。

从うд;从「ほんとに、私しか、いないの?」

教室の扉を開け、
誰も動いていないことを確認しては、
次の部屋へと向かう。

静まり返った部屋の中、
人の声どころか、物音一つしない。
何て孤独な世界なのだろうか。

たった一人、取り残されてしまったような気持ちになり、
彼女は再び喚き散らしたい気分になった。

104 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/08/22(火) 20:00:24 ID:YMTol5tc0
  
从うд'从「……あ」

一つ一つ、しらみ潰しに覗いてまわっていた渡辺は、
普段は使われていない教室で足を止めた。

様々な資料や道具が雑多に詰め込まれたそこは、
すっかり倉庫然としており、
かつては普通の教室として使用されていたとは思えない有様だった。

少子化さえなければ、
今もここで授業を受けている人間がいただろうに。

从'ー'从「誰か、いるの?」

だが、渡辺の興味関心を惹いたのは、
見慣れない教室の風景ではない。

机と椅子、姿見に雑品、資料の向こう側、
黒板に描かれた文字に彼女は目を奪われていた。

【世界が滅ぶらしいので、
 最期に何かどうぞ】

白いチョークで書かれた文字は、
おそらく女子生徒が書いたのだろう。
丸くて可愛いだけではなく、
周囲に花や蝶といったイラストまで付け足されている。

105 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/08/22(火) 20:01:07 ID:YMTol5tc0
  
从'ー'从「中学の卒業式のとき、
     こういうの見たなぁ」

クラスの中心にいる女子生徒が黒板を使い、
寄せ書きのようなものを作る。
女子も男子もなく、皆が思い思いの文字と絵を使い、
中学校生活最後の日を楽しく彩ったあの時。

幸せだった思い出に胸が癒され、
小さな微笑を浮かべた渡辺は、
引き寄せられるようにして黒板へ近づいていく。

【テストがなくなって良かった! 長岡】
【↑バーカ。死ぬんだぞ】
【田中先生は大嫌い。マジでクソ】
【みんなだーいすきだよっ! 素直キュート】
【杉浦先輩、好きでした。 莉々】

从'ー'从「みんな、私と同じような状況にあったんだね」

何も書かれていない場所をそっと指でなぞる。
良くも悪くも、ここに書かれている言葉は、
嘘偽りないものなのだろう。

もう世界が終わるというのに、
いちいち取り繕うことに意味はない。

106 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/08/22(火) 20:02:02 ID:YMTol5tc0
  
从'ー'从「ふふ、キュートさんって、
     ぶりっ子であんなこと言ってるんだと思ってたけど、
     あれが素だったんだ〜」

仮にこれが嘘だとしても、
最後の1秒だというこの場面でぶりっ子を演じれるというのであれば、
それはそれで大したものだ。
本物である、と認めていいだろう。

从'ー'从「ジョルジュ君はお馬鹿だし」

知っている名前、知らない名前。
全て、終わる名前。

从'ー'从「……せっかくだし、私も何か書こうかな」

白と黄色、赤、青、緑。
五色のチョークが置かれており、
先人達も各々、好みの色で思いを綴っている。

渡辺は少し指を彷徨わせ、
最終的に赤い色を選んだ。

从'ー'从「そうだなぁ」

間接的にではあるが、
自分以外の誰かも同じ思いをしている、
あるいはしていたのだと知り、
彼女の心はわずかに穏やかさを取り戻していた。

107 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/08/22(火) 20:02:53 ID:YMTol5tc0
  
【素敵な彼氏が欲しかったよぉ〜 渡辺珊瑚】

从*'ー'从「……ちょ、ちょっと本音過ぎたかな?」

死を間際にして書くことではないか、と思いつつも、
先立って書かれているものも、
大差ないようなことばかりが書かれている。

何だかんだ言い、思ったとしても、
世界の終わりというのをどこか非現実的にとらえているのだろう。

第一、まだ子供である彼ら、彼女らは、
純粋な部分を多く残しているものだ。

すれているだとか、悟っているだとか世間に言われていたとしても、
追い詰められて出てくる本性というのも大したものではなく、
ちょっとした愚痴や好意が目立つ結果となっていた。

从*'ー'从「や、ややややっぱり、恥ずかしいし、違うことを」

自身の言葉を訂正すべく、
黒板消しを手に取った彼女は、
そこに文字が足されていることに気づいた。

从'ー'从「あれれぇ〜?」

108 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/08/22(火) 20:03:53 ID:YMTol5tc0
  
【←渡辺さんのこと、ずっとずっと好きでした。】

赤いチョークで足されたそれは、
確かに先ほどまでは存在していなかった言葉。

从'ー'从「……んっとぉ」

数度、文字を読み返す。
黒板に触れ、なぞるようにして、
書かれた意味を咀嚼する。

从*'ー'从「ふ、えぇ〜?」

渡辺は黒板消しを落とし、
両手で顔を押さえた。
体中の血液が顔に集まってくるようだ。

从*'ー'从「好き? 私のことが?
      えっと、誰?」

突如として浮かび上がってきた文字に、
普通ならば怯えるところだろう。
しかし、世界の終わりを前に、
幽霊や超常現象に恐れ戦く彼女ではなかった。

黄色い声をあげ、くるくるとその場で回り、
どうにか興奮を落ち着けてから再び赤いチョークを手に取る。

109 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/08/22(火) 20:04:44 ID:YMTol5tc0
   
【あなたはどなたですか? 渡辺】

高鳴る鼓動を抑えることができず、
期待に目を潤ませて返事をじっと待つ。

今の彼女の頭の中に、
世界の終わりだとか、神への怒りだとかいうものは、
一切存在しえない。

【ないしょ】

一分も待たなかっただろう。
返事が書き足される。

从*'ー'从「どーして!」

【どうしてですか?
 私は、あなたのことを知りたいです 渡辺】

思いの丈を、できる限り丁寧な言葉遣いを心がけて記す。
せっかく自分を好きだと言ってくれている人がいるのだ。
悪い印象を与えたくはない。

【本当のワタシをキミは好きになってくれないでしょうから】

今までのやり取りが一度全て消され、
新しい文字が浮かび上がる。

110 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/08/22(火) 20:05:25 ID:YMTol5tc0
  
【そんなことありません。
 私、あなたのことを何も知りませんけど、
 きっと、私も好きになると思います 渡辺】

姿も名前も知らぬ相手ではあるが、
余程のことがなければ、
好きと言われて悪い気はしない。

長い1秒間の中で、
唯一やり取りができるというのならばなおさらに運命を感じてしまう。

【ワタシのことはいいんです。
 でも、良ければ、少しお話がしたいのです。
 最期の思い出を、キミと作ることができたら、
 これ以上の幸せはありませんから。】

現れた文字を何度も読み返し、
渡辺はうっとりとした表情をする。
最期の思い出。悲しい言葉ではあるが、
何とロマンチックなのだろう。

从*'ー'从「私もあなたと話したい」

【喜んで! 渡辺】

チョークが何度も黒板を撫で、
カツカツと音をたてながら文字を記してゆく。

111 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/08/22(火) 20:05:57 ID:YMTol5tc0
  
【よくお友達とケーキの話をしていましたが、
 甘いものがお好きなんですか?】

【とても! 特に、イチゴのショートケーキが。
 あなたは何が好きですか? 渡辺】

【ワタシは甘いものが苦手なのですが、
 創咲堂のチーズケーキは甘さがひかえめで、
 とても美味しく思いました。】

他愛もない話だ。
まだ距離感のつかめていない友人同士のような。

从*'ー'从「あー、あのケーキ屋さん知ってるんだ!
      美味しいよね!」

【私もあのケーキ屋さん大好きです。
 もしかしたらすれ違ってるかもしれませんね! ワタナベ】

日常風景のような会話が、
今の渡辺には何よりも染み込んでくる。
黒板越しにやりとりをしている間は、
世界の終わりだとか、無くなってしまった未来だとかを忘れることができた。

【実は何度かお見かけしています。】

【うっそ! 教えて欲しかった〜 ワタナベ】

112 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/08/22(火) 20:06:52 ID:YMTol5tc0
  
相手の正体を知りたい、という気持ちも、
依然として残ってはいるのだけれど、
問いかけて答えが返ってくるとは思えない。

ならば、この短いようで長い1秒をより楽しむのが正解というものだろう。
踏み込み過ぎた結果、さようならを告げられてしまえば、
渡辺に相手を見つける術はないのだから。

【いつも楽しそうにケーキを見てましたね。】

【ちょっと恥ずかしいです…… ワタナベ】

【美味しくご飯を食べられる人は、
 良いと思いますよ。】

【でも、太っちゃうので ワタナベ】

【渡辺さんは細いので、
 少しくらいふっくらするのがちょうど良いですよ。】

【あなたはその方が好みなんですか? ワタナベ】

ここで少し間が空いた。
軽快に進んでいた会話に、
謎の沈黙が降りたときと似た焦りが渡辺の中に生まれる。

从;'ー'从「面倒な子って思われちゃったかな」

113 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/08/22(火) 20:07:30 ID:YMTol5tc0
  
慌てて言い訳を書こうとチョークを握るが、
彼女が文字を書くよりもわずか数拍前に相手からの返信が浮かぶ。

【どちらでも。
 キミがキミであれば。】

从*'ー'从「も、もう! この、王子様じゃないんだからさぁ!」

王道少女マンガにでも出てきそうな台詞に、
渡辺のテンションは最高値を容易に振り切ってゆく。
生まれてこのかた、こんな台詞は言われたことも、聞いたこともなかった。

てっきり、お話の中だけに出てくるのだと思っていたが、
どうやら現実でも聞きうる可能性があるものだったらしい。

【恥ずかしいよぉ! ワタナベ】

【真実ですから。】

【話変えよ! えっと、
 お休みの日は何をしてますか! ワタナベ】

【ワタシは家で音楽をきいたり、
 動画を見たり、後は、ちょっと買い物に出かけたり、ですかね。】

【インドア派なんですね。
 私もそうなので、ちょっと嬉しいです ワタナベ】

114 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/08/22(火) 20:08:15 ID:YMTol5tc0
  
それからも、二人は日常風景のような会話を続けた。
昨日見たテレビの話。
好きな科目、嫌いな科目。
最近、気に入っている音楽。

チョークが短くなっていくごとに相手への理解が深まっていくというのに、
どれだけ時間があったとしても、
相手を知るためにはまだまだ足りないのだ、と思う。

【最近、いざか屋でバイトを始めました。
 小さな店で、接客だけではなく、
 調理をすることもあります。】

【一度だけでいいから食べてみたいです! ワタナベ】

【それはできませんので、
 どうかこの辺り一帯のいざか屋をせいはしてください。】

ありもしない未来の話までするようになった。
夢幻と成りつつあるそれらの話に胸を痛めることはない。

もっと知りたい。
まだ知りたい。
その気持ちでいっぱいだった。

从'ー'从「これが、もしかすると」

恋、というやつなのだろうか。

【あなたは、どうして私のことを好きになってくれたんですか? ワタナベ】

115 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/08/22(火) 20:09:20 ID:YMTol5tc0
  
やや控えめな大きさで書かれたそれは、
押さえきれなくなり、零れた渡辺の気持ちだ。

聞くまいと、幸せな夢だけを見ていたいと。
確かに思っていたはずなのに、
文字を通して相手を知れば知るほど、
もっと近づきたくなってしまった。

胸の奥から渡辺を突き動かす強い想いは、
最早、彼女本人でさえ止めることはできない。

【だって、私、心あたりないです。
 あなたみたいな、すてきな人に好かれる、理由 ワタナベ】

返ってこない解答に焦れた渡辺は追加で文字を書く。
いつ、何処で出会ったのかさえわからない相手ではあるが、
文字の端々から優しさと心配りが感じられる素敵な人に、
好意を寄せてもらえる気が全くしなかったのだ。

人違いか、とも思ったが、
幸いにして布藍高校にいる「渡辺」は彼女一人。
苗字を名乗っているのだから、間違いということはないはず。

从'−'从「大切なこの1秒の中で、
     こんなに一緒に時間を浪費して。
     それを、嬉しいと思ってくれるような人が、
     私にいるなんて、信じられないよ」

116 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/08/22(火) 20:09:56 ID:YMTol5tc0
  
そこまで愛してくれているというのならば、
今日に至るまでに告白の一つでもしてくれればいいものを。
この時間とて、偶然手に入っただけで、
本来ならば、たった一人で悲しく過ごさねばならない時間だったはずだ。

从'−'从「疑いたいわけじゃないの」

黒板に額をつけ、
渡辺はそっと目を閉じる。

相手が嘘をついていると考えているわけではない。
神から与えられた大切な1秒だ。
誰かをからかうために使う馬鹿はいないだろう。

きっと、文字の向こう側にいる誰かは、
本心から渡辺を愛してくれている。
無限のようであり、有限であるこの1秒を幸せに思ってくれているのだろう。

わかっている。
だが、渡辺の自信だけが、どうしても足りない。

从-д-从「お願い。
      ほんの少し、教えて」

胸を張って、最期の時を迎えられるように。
何もないと思っていた自分でも、
両親以外にも愛してくれた者がいるんだぞ、と。

117 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/08/22(火) 20:10:51 ID:YMTol5tc0
  
从'ー'从「――あ」

息を数回、吸って吐いてを繰り替えし、目を開ける。

【きっと、キミは覚えていないだろうけど。】

小さく書かれた文字。
迷いながらもチョークを動かしてくれたのか、
わずかに歪な形をしていた。

【キミはワタシを助けてくれたんだ。】

渡辺の返事を待つことなく、
誰かの言葉が次々黒板に浮かび上がってゆく。

【前はのんびり屋のキミを、あまり好きになれなかった。】

どのような顔をして、
この、ラブレターのような言葉を紡いでくれるのだろう。
体育館裏で、あるいは屋上で、こんな風に愛を告げられることを夢見ていた。

【でも、気づけたんだ。
 キミはとても優しくて、おだやかで、すてきな人なんだって。】

从'ー'从「あなたはだぁれ?」

人を助けた覚えなんてない。
あったとして、落し物を拾ってあげたり、
ノートを貸してあげたりといった程度のことだ。

118 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/08/22(火) 20:11:25 ID:YMTol5tc0
  
【キミに恋をしてしまったと、気づくのに、
 受け入れるのに、少し時間がかかってしまったけど。】

言葉が消えてはまた新しく変わっていく。
渡辺はその様子をただじっと見ていることしかできない。

从'ー'从「ねぇ、もっと早く、教えてほしかったよ」

そうしたら、一緒に映画を見て、ランチを食べて、
ショッピングに付き合ったりしてもらって、
ゆっくり愛を育むこともできたのに。

愛の言葉を、飽きるほどねだることだってしたかった。
自分も、その気持ちを返してみたかった。

【目は、どうしたってキミを追いかけたし、
 キミの周りはやけにキラキラしていた。
 胸がドキドキして、どうしようもない毎日だった。】

気が急いているのか、
感情が昂ぶってきたのか、
文字はどんどん乱雑になり始めている。

【かわいい、丸っこい声を聞くたび、
 もっと聞きたいと思ったよ。
 笑う顔を見るたび、もっと笑ってほしいと思った。】

119 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/08/22(火) 20:12:03 ID:YMTol5tc0
  
泣いているのかもしれない。
何故だか、渡辺はそんなことを思った。

【泣かないで ワタナベ】

黒板の端、相手の言葉の邪魔にならぬよう、
小さく文字を書く。

同じだけの愛をそのまま返すことはできないかもしれないけれど、
今、確かに渡辺は黒板越しの相手を愛し始めていた。
愛おしい者が悲しみや苦痛で涙を流すというのならば、
傍に寄り添い、落ちる雫を拭ってやりたい。

【かわいい口にキスできたら、なんてことも思ってた。
 サイテイだ。ワタシは、サイテイなんだ。】

从;'ー'从「そんなことないよ。
      人を好きになるって、綺麗なことばかりじゃないもの」

【ぎゅっと抱きしめて、やわらかい身体を包みたかった。
 ほほを合わせ、じっとしていたいと思った。】

从//ー/从「そ、それも、仕方ない、ことだよ!」

自己嫌悪に陥っているらしい相手へ、
否定の言葉を向けるべく、渡辺はチョークを黒板につけた。
しかし、彼女が文字を書く、その一歩手前。

【キミとおしゃべりができた日は、
 とても嬉しくて幸せだった。】

120 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/08/22(火) 20:12:42 ID:YMTol5tc0
  
从'ー'从「……え?」

渡辺はチョークを持ったまま硬直する。
その間も、黒板には絶え間なく文字が浮かび上がり、消えてゆく。

【ワタシの言葉に笑ってくれたから、
 もっともっと好きになってしまった。】

相手の姿が見えないうえに、自身に心当たりもなかったため、
彼女は無意識のうちに、黒板越しの誰かを見知らぬ男だと思っていた。

【去年、同じクラスだったんだ。
 文化祭の出し物の相談をみんなでして、
 成功したときは全員でハイタッチをしたよね。
 あたたかなキミの温もりをずっと覚えていたかったよ。】

だが、おそらく、違うのだ。

【打ち上げだ、ってみんなでファミレスに行って、
 夜遅くになっちゃって、先生に怒られた。
 あれも、大切な思い出だよ。】

相手はすれ違っただとか、同じクラスだった、というだけではなく、
もっと渡辺と親密な仲になっていた誰かだ。

【ごめんね。】

そして、彼女の知る限り、
打ち上げに参加していた男子で、先生に怒られるまで残っていたのは、
全員が彼女持ちだったはず。

121 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/08/22(火) 20:13:14 ID:YMTol5tc0
  
【さよなら。
 良い思い出を、ありがとう。】

从;'ー'从「待って!」

思わず振り返る。
見えぬ誰かは、きっと黒板を離れてしまっただろう、と思ったから。

从;'ー'从「――あ」

渡辺は目を見開く。
そして、わずかに逡巡する。
知ることは、必ずしも善ではない。

彼女にとってだけの話しではなく、
洗いざらいを打ち明けてしまったであろう相手にとっても。

迷った末、彼女は今一度、
黒板を振り返り、残された文字に触れる。

从- -从「私のこと、そんなに好きになってくれてたんだね」

気づかなかったなぁ、と呟く。
驚きはした。
しかし、嫌な気持ちにはなれない。

震えた文字は、
書き記されていた言葉が何一つ嘘でなかったことの証明だ。

122 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/08/22(火) 20:13:43 ID:YMTol5tc0
  
从'ー'从「決めたっ!」

顔を上げた渡辺は、
すぐさま振り返り、教室を出る。

相変わらず時が止まったままの廊下は、
人影はあれども走るのには不便はない。

从;'ー'从「急げっ、急げっ」

呼吸を乱しながら、彼女はひた走る。
のんびりとした性格の渡辺は、
普段、遅刻をしそうになっていたとしても歩いて登校してくるタイプの人間で、
こんな風に走る、というのは、体育の時間を除けば殆どないも同然だった。

从;'ー'从「時間が、きちゃう」

慣れぬ行為に足がもつれそうになるが、
賢明に自分の身体を律し、前へ進む。
残された時間はわずかなのだ。

1秒が終わる前に。
世界が終わる前に。

たどり着かなければならない場所がある。

123 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/08/22(火) 20:14:20 ID:YMTol5tc0
  

――そして、秒針が1つ、進む――



从;'ー'从「み、みーつけ、た」

肩で息をしながら、彼女は言う。
校門の隅、花壇のレンガに腰掛けている相手は、
驚きに目を見開いていた。

その顔を見れただけでも、
走ってきたかいがあるというものだろう。

从;'ー'从「じ、かんないから、
      話し、聞いて」

呼吸を整える時間ですら惜しい。
こうしている間も、周囲の様子は変化を続け、
着実に世界の終わりが近づいてきている。

从;'ー'从「私、ふ、つうに、告白、されてたら、
      困ったと、思う、の」

相手は顔を俯けた。
きっと、泣きそうな顔をしているはずだ。

从;'ー'从「でも! 嫌じゃ、なかったよ!
      ハインちゃん!」

124 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/08/22(火) 20:15:30 ID:YMTol5tc0
  
从 ;∀从「……な、んで」

从'ー'从「びっくりしたし、付き合うとは言えなかっただろうけど、
     好きになってもらえたのは、嬉しかったの」

从 ;∀从「気持ち、悪く」

从'ー'从「ないよ。だって、人が人を好きになるのに、
     理由はないんだから」

高校一年生のとき、ここで渡辺はハインと出会った。
遅刻寸前、という中でものんびりと歩いていた渡辺の前で、
彼女は盛大に足をつまずき、地面とお友達になっていた。

从'ー'从「ここ、思い出の場所だよね」

ハインのスカートから伸びる足には真っ赤な血が流れており、
痛々しいそれに、渡辺は持っていたハンカチを手渡したのだ。

从 ;∀从「うん……」

从'ー'从「私ね、ハインちゃんの思うような良い子じゃないからさ」

从 ;∀从「そんなこと」

从'ー'从「あるよ。だって、私、同じ思いを返せないってわかってるのに、
     最期は寂しいから、愛してくれる人と一緒にいたいな、って思ってるもん」

125 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/08/22(火) 20:16:03 ID:YMTol5tc0
  
从 ;∀从「う、ぇ?」

从'ー'从「このまま未来が続いたとして、
     私、ハインちゃんのことは恋人とは思えない」

从 ;∀从「……だよ、な」

从'ー'从「でも、私、彼氏ができたこともないし、
     このまま寂しく死ぬのは嫌なの」

握っていたハインの手をそっと持ち上げ、
胸の高さでより強く握る。

从'ー'从「だから、ハインちゃんの気持ちを利用しようとしてるの」

从 ゚∀从「それは」

从;'ー'从「嫌いになっちゃった?」

从 ゚∀从「ううん」

ハインは首を横に振る。

从*゚∀从「そんな、夢見たいな、特権、いいのか?」

愛する人が最期に見る人になれる。
最期に触れた人になれる。
特権といわずして、何とするのだ。

从^ー^从「ハインちゃんが良ければ!」

二人は両手を強く握り、
幸せそうに笑いあった。

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