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784 名前:語り部 ◆B9UIodRsAE[] 投稿日:2017/07/23(日) 12:44:02 ID:MmNHjORA0
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【第18話 靴履く幻】
"川 ゚ -゚)"
――始めよう。
人が猿から進化して、二足歩行を始めたときから、その"足"と言うものは、自身の体重を一身に支える義務を負った。
しかし、その重みに足の裏の皮膚は耐えきれなかった。
石を踏み、棘を踏み、骨を踏む。その時に出来る傷口から、彼らを"死"至らしむる毒が、這入ってくる。
だから人は"靴"を履き始めた。
その"歩み"のために。一歩でも前へ進むために、道具を生み、使用する。
それが人間のいいところだろう?
でも、"肉体"にとっての"靴"って何に当たるんだろうな?
地縛霊には足が無いという。それはその魂が、歩くことから切り離された存在だからだろう。
延々とそこに縛り付けられる運命を背負わされ、そして不必要な部分を"退化"させていく。
だからこそ、気をつけ給え。
"靴"を履いた魂は、その存在を、君に寄せることができるのだから。
今からする私の話は、そんな"靴"を履いた幽霊の話だ。
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785 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/07/23(日) 12:44:35 ID:MmNHjORA0
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――中学2年生の秋口。
その日は日曜日で、学校は休みだった。
私は、切れてしまっていた文房具類を買いに行こうと、駅前のデパートへと向かっていたんだ。
あいにくの曇天だったが、雨が降るまでには帰れるだろうと思い、カバンひとつで家を出た。
私の家から15分くらい歩いたところに、"魔の交差点"と呼ばれる場所がある。
その交差点は、信号もあり、見通しも良いはずなのに、何故か悲惨な事故が多発する場所として、地元民には少し有名だったんだ。
ξ゚听)ξ「あぁ、あのケーキ屋のある?」
(´・ω・`)「駅と拝高の丁度中間地点くらいだね」
そうだ。おそらく皆が考えている交差点だろう。
その交差点には、目立つように献花やお菓子なんかがガードレールの下に置いてあって、
しかもそのお供え物の"年齢層"が幅広いので、この場所で亡くなったのが一人ではないことを暗に示唆している。
そのため、事故が起こるという事以外にも、地元民は避けて通りたがる場所でもあった。
私はその当時、そういうオカルトというか、非科学的と言うか、そういう話は好きではあったが信じてはいなかったので、
普通にその交差点を通行しようとしていたんだ。
その時、丁度私が横断歩道を渡ろうとすると、赤信号に変わってしまった。
向かいには親子連れがおり、今から左方向へ青信号の歩道を横断しようとしていたんだ。
若い母親と、幼稚園生か、小学校低学年の女の子。ピンク色のサンダルが曇天の空模様との対比で、妙に目を引いたのを覚えている。
楽しそうに会話をしながら、手を繋いで、女の子の方は、その腕を目いっぱいに天に伸ばしながら、
自身が交通ルールを守る良い子であることを、母親に向けてアピールしているようだった。
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786 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/07/23(日) 12:45:08 ID:MmNHjORA0
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そんな微笑ましい光景が、無慈悲にも、一台の軽トラックに寄って破壊された。
進行方向の信号が赤なのにも関わらず、停止せずに、その親子連れに突っ込んだんだ。
母親の方が、とっさに娘の手を引く。
二人の体は、元いた場所に戻るように、歩道の方へと倒れ込んだ。
車はそのまま左にカーブして、私の目の前を通り過ぎて、ガードレールを突き破り、
民家の外壁にぶつかってやっとその巨体を停止させた。
私は、間一髪、親子はその車を避けたと思った。
ぱっと見、二人に大きな傷や出血などは無いように見えた。
しかし、二人はそこから立ち上がろうとしない。
こういう場合は二次被害を避けるために、動けるならもっと歩道の奥に動くべきなのだが、
母親はオロオロしながら、頭を抱えたり、訳の分からない言葉を喚いたりしている。
私は信号が青になったのを確認して、その親子連れに駆け寄った。
『あぁ、どうしよぅ……しぃちゃん……』
母親は、呆然としており、うわ言のように同じ言葉を繰り返している。
私は母親に声をかけようと、その後姿の肩を叩こうとした。
すると、丁度彼女の背中で隠れていた位置、倒れ伏す少女の下半身が目に入った。
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787 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/07/23(日) 12:45:44 ID:MmNHjORA0
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――左足の大腿から下が、明らかに修復不可能な損壊を受けていた。
折れている、とか、捻れている、とかではなく、単純に"取れかかっている"
もう八割太ももから外れていて、残り二割の肉と皮膚で、辛うじて断面に接着していると言った感じだ。
それに気づいた私は、母親に話しかけるよりも早く、自身のズボンのポケットに入っていたハンカチを取り出した。
太ももの内側には太い動脈があって、そこに傷が付き出血すると、
あっという間に失血死してしまう。実際女の子の下半身は、すでに血の水溜りが出来つつあり、
すでに多くの血液が流出してしまったのが分かる。
私は、痛みからか気絶している女の子の太ももの付け根にソレを巻きつけて、強く縛った。
また低学年である女の子の足の周径に、ギリギリ、ハンカチのサイズで間に合ったのは幸運だった。
そして叫ぶ。
「お母さん、救急車ですッ! 場所は、拝成市設楽場町2-12-1――」
母親は、私の大声に一瞬ビクッと肩を震わせたかと思うと、青い顔で鞄から携帯を取り出して、119番通報をしだした。
しかし、その手が震えているのか、一向に"119番"が押せていないようだった。
その頃には、周囲のお店から人が出てきて、すわ何事と此方に集まり始めていたので、
私は慌てふためく母親ではなく、周りの人間に助けを求めることにした。
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788 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/07/23(日) 12:46:20 ID:MmNHjORA0
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「すいませんッ! この中に、免許を持っている方はいらっしゃいますかッ!?」
車の免許を取るときには、必ず人命救助の手順を習うので、
こういう交通事故の場合は、基本的に免許を持つ人間に頼むほうがスムーズなのだ。
すると、数名が挙手したので、私はその人達に救急車の手配と、
それから向こうでガードレールを突き破って停止している軽トラの運転手の救助を分担した。
私は、女の子の応急処置を続けながら、救急車を待った。
母親は未だに我を失っており、医者ではない私に、『助かりますか? 助かりますか?』と聞いてくる。
私は、ソレに対して、「まず旦那さんか、他のご家族に連絡を繋げてください」と諭したが、
それでもなお、『あぁ……しぃちゃんが……』と動こうとしない。
若い母親ということもあるのだろうが、自分の愛娘が"損壊"されると、人はここまで状況判断能力を失うのか、と驚いた。
むしろ、その判断の一瞬の遅れが、この足の取れかかった女児の命の有無を左右するというのに。
交差点の方を見やると、軽トラのひしゃげた運転席から、男が一人、引きずり出されていた。
男の方は外傷が無く、意識もしっかりしているのか、自分の足で立ってはいたが、
表情は母親とどっこいどっこいの精神喪失の状態にあるように虚ろな目をしていた。
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789 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/07/23(日) 12:46:45 ID:MmNHjORA0
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すると、その男を引きずり出した男性が、此方に走り寄ってくる。
『コッチは大丈夫みたいだけど、君は平気? 凄くしっかりしてるけど……』
どうやら、自分の衣類まで血に染めながら応急処置を施す私に、不信感というか、畏怖というか、そういうものを感じているようだ。
見れば、周りの人間も、奇異の目で此方を見ている。
大人を動かす子供というのは、人の目に存外不気味に映るらしい。
「私の父が医者です」
私がそう言うと、途端に周りの空気が"納得"のものに変わる。
たとえ今ここで私が医者の娘であることが分かったとして、この子の生存率にはなんらかわりはないのに、
急にそんな安心したようなふうを見せてくる、大人の単純さと愚鈍さに、当時の私は、深い部分で傷ついたものだ。
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790 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/07/23(日) 12:47:22 ID:MmNHjORA0
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やがて救急車が到着し、同時にパトカーもやってきた。
ストレッチャーに、女の子が乗せられ、母親も乗り込んだが、その動きが緩慢すぎて救急隊員もやきもきしているようだった。
男の方には外傷らしきものは無かったが、念のためにとパトカーで病院まで運び、検査を受ける事になった。
そうやって救急車とパトカー一台が視界から消え去ったが、私はもう一台のパトカーに乗せられて、警察署に向かった。
事故の目撃者として調書を取るわけだ。
特に断る理由もないので、同行し、その日は2時間程度調書づくりに協力すると、母親に迎えに来てもらった。
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791 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/07/23(日) 12:47:50 ID:MmNHjORA0
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その日の夜、思った通り叔父から連絡があった。
きっとあの救急車は、叔父が医院長を務める拝成総合病院に運ばれると思ったのだ。
あのレベルの損傷は、繋げるにしても切断するにしても早急な処置が求められるし、
それだけの設備があるのも、このあたりでは拝成病院だけだったからだ。
『もしもし、クーちゃん?』
「あの子は、無事?」
『あ、やっぱりクーちゃんだったんだ。救急隊員がさ、やけに冷静な中学生くらいの女の子が応急処置をしてくれたって言ってたから。
ありえないほど丁寧で、多分彼女じゃなかったら、あの子、救急車の中で失血死して亡くなってたかもってさ』
「ってことは、生きてるんだね」
『左足は残念ながら、繋ぐことは出来なかったけどね』
――そうか、ダメだったのか。
なんでも、もげかかってた大腿から下の部分も、内部組織はめちゃくちゃになっていたらしくて、
とても繋ぐという代物ではなくなっていたという。
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792 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/07/23(日) 12:48:26 ID:MmNHjORA0
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『警察にはもう行ったの?』
「連れて行かれたよ」
『お母さんの方とはまだだよね。今も病室にいるしね』
「あの母親大丈夫なのか?」
『婦長にビンタされて、それでやっとって感じだったね』
あの病院の婦長とも知り合いだが、かなりガタイのいい40代後半の肝っ玉母さん系の女性だ。
あの人の気付けビンタはさぞ効いただろうな、と私は自分の右頬を思わずさすった。
そしてこの後の事を考えると少し憂鬱になる。
おそらく今度は刑事裁判に向けて、私の証言が重要になってくるはずだ。
警察はまだ私に話を聞きに来るだろうし、下手したら相手側の弁護士も此方に来るかもしれない。
母親とも折衝しなくてはならないだろうし、思いつく限りでも両手をはみ出す今後のイベントに、
私は第一発見者という立場を少し呪ったりもした。
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793 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/07/23(日) 12:48:54 ID:MmNHjORA0
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『娘さんの方はまだ意識が回復してないんだけど、明日には戻ると思うよ。クーちゃんも、もしよかったらお見舞いとか来れば?』
「医院長がそういうこと言って良いの? あまり私の立場で、その子に接触するのは良くないと思うのだが」
『年齢が年齢だしね。まぁその子が君に会いたがっているのであれば、また連絡するよ。多分ここから彼女には辛い生活が待っているだろうから、
少しでも心の支えが多いほうがいいんじゃないかっていう、医者の長年の勘さね』
「私は別に、その子の"救世主"になりたかった訳じゃない」
『クーちゃんがどう思おうとさ。少なくとも母親の方はすでに君のことをそう認識してたみたいだったよ。
そして遠からず目覚めた少女にもそれを語るだろう。
そして必ず、彼女は、なにか強い存在にすがりたくなる日が来る。母親でも、父親でもなく、絶対的な何かにね』
叔父の言わんとしていることは分かる。
四肢切断の後に、どのような事が待ち受けているのか、叔父から聞かされていた。
そして、その四肢切断のなかで、最も精神的な折り合いをつけるのが難しいのが、"大腿下切断"なのだ。
特に子供の場合は――。
私は叔父に聞こえるように、わざと大きな舌打ちをすると、通話を切った。
その時の私は、誰かの命は救えても、誰かの心まで救うのは、重荷だと、そんなことを考えていたんだ。
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794 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/07/23(日) 12:49:27 ID:MmNHjORA0
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――それから数週間後。
私は彼女――"しぃちゃん"という小学2年生だった――の病室にいた。
結局叔父の言うとおり、お礼がどうしても言いたいという旨を、
その後二度目の調書づくりのために出向いた警察署内で母親から伝えられたのだ。
勿論しぃちゃんの母親と父親からは、号泣の上、ひれ伏すようなお礼まで述べられたのだが、
娘も是非お礼を言いたいと言っているので、一度病室まで足を運んでほしいと懇願されてしまった。
私の想像通り、急に左足を失ったしぃちゃんは、まだまだ心に折り合いが付いておらず、
時折不安定な様子を見せるのだという。
そして、"私を助けてくれたお姉さんにお礼が言いたい"と漏らすのだそうだ。
その話は、叔父から何度か聴いていた。今ではリハビリ医以外にも、メンタルケアの医師も付けて
体と心両方立て直していかなければ、再起できないくらいに弱っているらしい。
下手したら、そのまま精神的な喪失から死に至る可能性さえあるくらいだというのだ。
そんな、守秘義務なんのそのの叔父から、その話を聞かされていた私は、
子供のメシアのふりをすることに気乗りはしなかったが、それをおくびにも出さずに、快諾したように見せた。
そしてこの日、私はしぃちゃんの病室を訪れたのだ。
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795 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/07/23(日) 12:50:05 ID:MmNHjORA0
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彼女は病室の一番奥、カーテンで仕切られた窓際のベッドに腰掛けていた。
あの時には状況が状況で、あまり容姿について細かく見てはいなかったのだが、
改めて見ると、可愛いらしい子だと思った。
ショートボブの栗色の髪は、窓から差し込んでくる太陽の光で淡く透けていて、
その大きな瞳は、柔らかな黒をしていて、ふんわりと光っているように見えた。
顔のパーツが整っているが攻撃的な要素はなく、おそらく心根の優しい子供であることが分かる。
ただ、今はどこか悲痛な面持ちで窓の外を眺めていた。
それと、シーツで隠された、彼女の下半身に左足の膨らみが無いことが、その悲痛さに拍車をかけている。
その側には母親もおり、私があの時に彼女を介抱した人間であることを少女に告げた。
少女は窓に向けていた顔をくるりと翻し、私の顔を見た。
脆い笑みではあったが、私を見留た時に、ふんわりと笑ってくれた。
その後は、お決まりのように彼女から感謝を述べられる。
小学2年生にしてはしっかりとした受け答えで、私もその言葉に素直な気持ちで返すことが出来た。
今は自身の左足が失われた悲しみを、努めて表に出さないようにしているらしい。
まだ自我形成が十分でない幼少期に人体の一部を失うことは、
その精神に多大なストレスを与える。
特に大きいのが、"醜形恐怖症"のように、自身の欠損した四肢に対する憎悪、嫌悪。
未完成な身体が、今後も未完成のまま一生を終えていくことに対する恐怖のようなものがつきまとい続ける。
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796 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/07/23(日) 12:50:33 ID:MmNHjORA0
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だからだろうか、こうして彼女が私と普通に会話できることでさえ、まるで奇跡のように思えた。
きっと足を失う前から、寛大な精神を持ち合わせていたのだろう。
だからこそ気になった。叔父が言っていた"不安定"な状態というのが、今の彼女とは無縁に思えたからだ。
「君は、強い子なんだな」
私は彼女の柔らかな栗毛を撫でながらそう言う。
彼女はくすぐったそうに目を細めながら、『そんなことないよ』と笑って返してきた。
途端、彼女の表情が少し苦しそうに変わる。
そして、呻くような声を漏らすと、その失われた左足のあたりに手をやった。
『また、痛むの?』
そう言いながら、母親はベッド備え付けのナースコールを押した。
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797 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/07/23(日) 12:51:22 ID:MmNHjORA0
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――幻肢痛か。
私は彼女のその今は無い左足を擦るような動きと、母親の痛みという単語で、その考えに至る。
幻肢痛。
四肢欠損した後も、その失われたはずの四肢に痒みを感じたり、痛みが出たりする病。
四肢欠損者の七割以上が罹患するとされていて、実は特段珍しい症状ではない。
しかし、痛み止めなど、物理的にその患部や脳に作用するクスリでは痛みが引かず、
向精神剤などを使って一時的に痛みを遠ざけることしか出来ないのだという。
特に子供の場合には、その完治に大人の三倍以上の時間がかかるとされており、
かつ再発の可能性も高い。
その痛みも、大人よりも大きくなる傾向が高く、やはり自分の現状と精神との折り合いがつかないことによる
精神的要因の病だとされているんだ。
やがて、看護師が一人病室に入ってくる。
その腕の中には、大きな2つの立方体が抱えられていた。
「あら、クーちゃんじゃない」
顔見知りの看護師だった。
看護師は、しぃちゃんの下半身を覆っているシーツをめくると、病院服から伸びる足の先に、その箱を置いた。
どちらの立方体も、脚が挿入できるような穴が空いており、
しぃちゃんは看護婦の指示の下、健康な右足と、それから先の無い左大腿をその穴に挿入した。
無事な足の入っている方の右の立方体は上面がなく、そこから入れられた足を見ることが出来る。
更にその左側面は鏡になっており、挿入した右足が映し出されることで、まるで"左足もあるように見える"んだ。
"ミラー療法"というのだと、看護婦は私にも説明した。
失われた四肢が、存在しているように、脳に錯覚させることで幻肢痛による疼痛を緩和する事ができるのだそうだ。
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798 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/07/23(日) 12:51:54 ID:MmNHjORA0
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『ほーら、しぃちゃん。右足をグーパーしてみて』
看護婦がそう言うと、しぃちゃんは、右のつま先を曲げたり伸ばしたりする。
そうしながら鏡を覗き込むことによって、本当に左足が存在するように見えるんだ。
でも、何かがおかしい。
しぃちゃんも、母親も、看護婦も、誰も何も言わないが、
確かな違和感がそこに存在している。
まるで間違い探しでもしているような気分だ。右足と、それから鏡に映る"左足"がどこか違うのだ。
私はその鏡像の方をじっと見つめる。そして少しだけしぃちゃんの頭の方に体を移動させると、
その位置から見える"鏡の国"には、その違和感の正体がはっきりと映っていた。
――靴を、履いてるのだ。
当然病院のベッドに寝ているしぃちゃんの右足は何も履いていない。
しかし、鏡に映る彼女の"左足"には、あの日、あの事故の日に彼女が履いていた、ピンクのサンダルがあった。
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799 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/07/23(日) 12:52:24 ID:MmNHjORA0
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急にすぅと自分の服と背中の間に、冷たい風が吹いたような気がする。
その鏡の中の幻は、あの日のまま、その痛みを繰り返しているとでも言うのだろうか。
私は、その"靴"の件を、皆に告げるべきか一瞬迷った。
でも、彼女らの位置から考えても、あの鏡の中のピンクサンダルが見えていないとおかしい。
それでも彼女らがその異常な状況に何の反応も示さないのを見ると、どうやら私にしか見えていないのだと気づいた。
そして、それを伝えることで、無駄に不安を煽るべきではないということも。
私は昔から"鏡"というものに何かと縁があり、今回も、それに関するものなのかもしれないと
無理にこの状況を割り切って理解することにした。
やがて痛みが引いたのか、しぃちゃんは、看護婦さんのもう平気なの、という言葉に
『大丈夫です』と弱々しい笑顔で返した。
看護婦は、二つの立方体を来たときのように抱え直すと、
またいつでも呼ぶのよ、と箱を抱えたまま、器用にしぃちゃんの頭を撫でてから、病室を後にした。
私も、その看護婦の後を追うように御暇しようと思ったのだが、
母親が、『今日来てくれたお詫びに、ジュースをご馳走させて』と私よりも先に部屋を飛び出していったので、
私はしぃちゃんを一人にすることも出来ず、近くの丸いすに腰を下ろす事になった。
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800 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/07/23(日) 12:53:10 ID:MmNHjORA0
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私は沈黙は気まずかったので、当たり障りのない話題を提供しながら、
母親の到着を待って帰ってしまおうと思っていた。
みんなはこんな私を薄情だと思うだろうか。
もっと勇気付けたり、慰めたり、やれることがあるだろうと。
しかし、みんなが思うほど、精神的な傷というのは簡単に癒えるものではない。
裏を返せば、何がきっかけになってより深く傷つけてしまうか分からないんだ。
だからこそ、彼女にはプロのカウンセラがついている訳だし、藪を突いてうんぬんよりは
早々に退散したほうが、後々の彼女のためになることを、私は理解していたんだ。
でも、そんな私の考えをよそに、しぃちゃんは、ある相談を私にしてきたんだ。
『お姉ちゃん、あのね……』
なにか言いにくいことを言おうとしている時の、少し張りつめたような空気を彼女は漂わせる。
それは、愛の告白をする時のような"言いたいけど、言えない"というものではなく、むしろその逆。
"言いたくないけど、言わないともっと酷いことになる"という不安のニュアンスのほうが強かったと思う。
あるいは、自身の中で曖昧に保留していた考えが、言葉にすることで顕在化することを恐れているような気さえした。
もちろん幼い彼女が、自身の心情をそこまで具体的に明言化出来ていたとは思わないが、
少なくとも、それを言葉にすることに酷く怯えていることだけは分かった。
だからかな、私はさっきまでの自分の考えに反するように、彼女の手を両のてのひらで包むと、
「なんでも言ってくれて構わない」と返した。
あいにく私に"笑顔"は厳禁なので、酷く無表情での受け答えになってしまったが、
それでも彼女はその中に、私の込めた"優しさ"のようなものを感じてくれたのだと思う。
そして、彼女はゆっくりと語りだした。
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802 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/07/23(日) 12:53:39 ID:MmNHjORA0
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『あのね、私、怖い夢を見るの』
「夢」
『うん。あのね、私の……"左足"が、あの怖いところにあるの』
「怖いところっていうのは……事故のあった場所か?」
『うん……ケーキ屋さんの前の……。でね、私の足がね、ずっと一人ぼっちで立ってるの』
「それを君は見てるのか」
『ううん。そうじゃなくてね……あのね、私は、その足に"くっついちゃう"の』
「くっつく……」
『それでね、私の足が、右も左もあるようになると、横断歩道を渡ろうとするの』
『でも、私は、横断歩道を渡りたくなくて、いつもやだやだって思って、そこで目が覚めるの』
そこまで言って、彼女は黙りこくってしまった。
彼女はきっと、その恐怖を、私と共有したかったわけでも、まして解消してもらおうと思ってたわけじゃないと思う。
なんていうのか、多分、それは少しだけ、宿題の答え合わせに似た行為で。
きっと私の反応を見て、この話を他の誰にしたらいいかを測っているようでもあった。
そして、私のリアクションは、多分"失敗"だったのだろうと今では思う。
きっとそこで何か気の利いた一言でも言えたら、彼女は他の大人にもその夢の件を相談し、
例えばカウンセラなどが、彼女の精神状態を上手くコントロールしたのかもしれない。
でも私は、彼女の沈黙に合わせて、自分も考え込んでしまったのだ
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803 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/07/23(日) 12:54:13 ID:MmNHjORA0
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今の彼女の話は、小学生低学年にふさわしく、要領を得ない、たどたどしい内容だった。
でも、そこから気になるポイントを解きほぐすようにして、自分の中に落とし込んでいく。
彼女の"左足"は、未だにあの"魔の交差点"に囚われているという。
そして、彼女は、その左足に"くっついてしまう"のだと。
私は反射的に、さっきの"ミラー療法"を思い出す。
あの鏡の中の、"靴"を履いた左足。
あの左足にとって、あの状況は、彼女に"くっついた"という事になるのだろうか。
つまり、彼女はあの"ミラー療法"を通して、自身の"左足"を呼んだのだとしたら。
彼女が失ってしまった左足の痛みを感じるように。その幻を知覚したように。
"左足"もまた、彼女の全身を、幻視しているとしたら。
そんなありえもしない、それこそ"幻惑"とも言うべき思考が、
いやな現実感を持って私の脳内を揺蕩う。
そして、その彼女と接続した、"幻の左足"は、"既死の左足"は、一体どこへ向かうというのだろう。
その自身の主の魂を繋げたままで。
お互いの沈黙が耳に痛くなってきたところで、両手にジュースを持った母親が病室に戻る。
私たちは一瞬顔を見合わせると、先程までの話は無かったかのような風を装って。
私は母親からジュースを受け取ると、「なんとかしてみるから、安心してほしい」とだけ彼女に耳打ちし、
病室を後にした。
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804 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/07/23(日) 12:54:53 ID:MmNHjORA0
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「―という訳なんだけど、どう思う?」
その晩、私は叔父の書斎にいた。
今日のしぃちゃんの話を、そのまま叔父に伝えたんだ。
別に叔父は霊能力者とか、除霊師とかそういう力があるわけではなかったけど、
そういう話を蒐集するするのが趣味の一つでもあり、医者にしては案外柔軟にそういう話に対応する面がある。
それから、叔父の経営する病院の患者の話でもあったので、思い切って話してみることにしたんだ。
「やっぱり医者って立場からすると、不安定な精神状態が産んだ妄想だと思う?」
『そんなことはないよ。医者って仕事をしているとね、どうしても医学や科学じゃ説明できない事に出会うことも多くなる。
絶対に復活することのない患者の心拍が正常に戻ったり、逆に身体には何の異常も無いのに、"魂"といわれるものが戻ってこなかったり。
心臓移植によって、移植された側に、ドナー側の記憶の一部が蘇ったりした記録だってある。
そういうものを"オカルト"と断じてしまうのは簡単だけど、それだと、進歩も発展もないからねぇ』
そう言いながら、叔父は本棚から一冊の本を取り出して、机の上に開いてみせた。
『1890年代の医学書に、幻肢痛の記録がある。この本によると、当時の幻肢痛は、その体の中に遍く混在する生命の残滓が、
その空間を満たしている架空の物質"エーテル"を媒介にその場に焼き付いて、その場に残り続け、何らかの要因を通じて、
本人とその失われた四肢の痛みの情報が接続されて起こるものとされていたらしいんだよね。
だから、その失った原因となるものによって、痛みの種類が違うとされていた。切り落とされたのか、砕かれたのか、焼かれたのか。
そういった"幻想の手足"が感じている痛みを、人間側も追体験しているとね』
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805 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/07/23(日) 12:55:26 ID:MmNHjORA0
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叔父は、私の読めない言語で書かれた本の一小節を指でなぞると、私を見ずにそう告げる。
叔父の、というか、その本の内容に即して考えると、彼女の足も、あの交差点に残り続ける事になるのだろうか。
でも、その"左足"にも主体が生じて、あまつさえ本体であるしぃちゃんの人格そのものを呼び出してしまうことなど、
それこそ荒唐無稽な気がする。
『僕はね、こういう自体に対して、迷ったら必ずこうしようっていう明確なルールを持ってるんだよね』
年齢に不相応な、楽しそうな笑みを浮かべると、叔父は指先で何かをくるくる回し始めた。
それはどうやら、車のキーのようだった。
『行ってみようか、その交差点』
そういって、おもむろに椅子から立ち上がった。
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806 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/07/23(日) 12:55:58 ID:MmNHjORA0
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――時間は12時を回った頃合いになった。
叔父の車は、交差点が見渡せる、少し手前の地点に停車している。
この時間帯にこの交差点を通行する車は殆ど無く、30分に一台程度しか無い。
彼女が左足を潰された場所には、やはりあの日と同じように献花がされてあって、
そこで幾人かが死亡事故に合った事を示していた。
よく、事故が多発する場所では、そこで最初に死亡した人間の魂が、
その寂しさを埋めるために、他の犠牲者を呼んでいると聴いたことがある。
しぃちゃんの"左足"もまた、そういう死者たちの大きなうねりの中に取り残されているのだろうか。
そして、奪いそこねた彼女の魂を、今度こそ奈落に落とすために、その"左足"を贄に、もう一度彼女をこの場所に呼んでいる。
『んー、なんにも見えないね』
叔父は車の中で大きく伸びをすると、そう私に言った。
確かに、私にもそこに"左足"は見えていない。
やはり、いくら不思議な話を頭から否定しないからと言って、必ずしも本当にそういう出来事に遭遇するかはまた別の話なんだ。
結局この検証ごっこも、結局は私達のある種捩じ曲がった知的好奇心を満たすための行為に過ぎず、
本質的に誰かを救いたいという気持ちとは少し離れたところにあるように思う。
ただその延長線上に、患者を救うなんていう大儀名文が用意されているので、本来だったら異常とも言えるような
事象に、真正面から挑んでみているのだ。
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807 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/07/23(日) 12:56:29 ID:MmNHjORA0
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私は一つ思い当たる節があったので、叔父にそれを伝えてみる。
彼女は、夢の中で、自身がこの交差点にいるのだと言っていた。
ならば、彼女が眠って夢を見ていないといけないのでは無いだろうかと思い至ったんだ。
その旨を叔父に伝えると、叔父は病院に携帯から連絡した。
夜勤の看護師に、しぃちゃんが今寝ているかどうかを確かめてもらうらしい。
数分ほど電話の向こうと会話をすると、その通話を切った後に私の方に向き直って、今の会話の内容を私に伝える。
『どうやら、夜は眠れないらしいね。眠りたくないようにも見えると。
今は、田所さんにお願いして、眠るまで側にいて安心させてほしいと言っておいた。
それから、眠りについてから一時間ほどしたら僕の携帯に連絡が入れてほしいとも。
だからそれまでここで待機だね』
そう言いながら叔父は、予め買っていたブラックコーヒーの缶を開けると、ちびりと飲み始めた。
私はコーヒーがそんなに好きではないので、女子中学生には似つかわしくないだろうが、
所謂エナジードリンクを開けて、それから数時間の間の眠気を吹き飛ばすことにした。
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808 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/07/23(日) 12:56:57 ID:MmNHjORA0
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深夜二時を回ったあたりで、先程の看護師から、叔父の携帯に連絡があった。
しかし、交差点には未だ何も現れていない。
私は明日も学校だったし、叔父も普通に勤務出会ったので、今日のところは諦めて帰ろうか、となった。
まぁ、ある意味では順当で、当然な、当たり障りのない結果だけ残ったわけだ。
叔父はエンジンを掛けなおして、車を発車させる。
そしてゆっくりとエンジンを踏み込むと、交差点を通って、帰路を行こうとした。
その瞬間だった。
私は、車のバックミラーに、それを見た。
少女の足が一本だけ、横断歩道の前に置かれているのを。
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809 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/07/23(日) 12:57:37 ID:MmNHjORA0
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「止めてッ!」
思わずそう叫んでしまう。
叔父は慌ててブレーキを踏み、軽く音を立てながら停車する。
その間も私はバックミラーから目を離せないでいた。
その足は、あの日のしぃちゃんと同じように、ピンクのサンダルを履いていた。
外傷などは見当たらず、ただ彼女が切断した場所から下が、キレイにそこに存在しているようだ。
「叔父さん、見える?」
私はバックミラーを指差して、私に見えているものの存在を告げる。
しかし叔父は首を捻りながら、『そこになにかあるの?』と聞き返してきた。
どうやら、あの日の"ミラー療法"のときと同じように、私にしか見えていないようだ。
やはり、私は"鏡"というものと切っても切れない縁があるらしい。
私は自分の鞄の中から手鏡を取り出すと、車を降りた。
叔父さんには、「ちょっと今から、足を拾ってくる」と言っておいた。
一瞬困ったような顔されたが、それは私の言ってることを信じていないというよりも、
むしろ私ばかりそういうものが見れてずるいという子供じみたニュアンスが含まれた表情だった。
私は手鏡に、その"左足"を映しながら、後ろ歩きで、その横断歩道手前の歩道まで近づいていった。
そして、うっすらと歩道のタイルに染み込んだ血液の赤黒い染みの上に立つと、改めて手鏡をかざした。
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810 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/07/23(日) 12:58:20 ID:MmNHjORA0
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そこに確かに、彼女の、しぃちゃんの"左足"があった。
切断面を上に向けて、一本だけで自立している。
あの日のピンクのサンダルも、その先に履かれていて、
本当にあの事故直前の風景を左足分だけ切り取って置いているように見える。
私は、恐る恐る、鏡の中に見える、彼女の足があるであろう位置に手を伸ばしてみた。
ゆっくりと、少しずつ、そろそろと。
すると、指先に確かに何か柔らかい物体が触れているのを感じた。
しかしそれに温度はなく、まるで小学生の図工の時に使用した"油粘土"でも触っているかのようだ。
不愉快なぬめりが、指の先にこびりついたような気がする。
そして、鏡を見ると、たしかに私の指先は、その"左足"に触れていた。
私は思い切ってその足を、掴んでみる。
先程のぬめりが、てのひら全体に広がる。
でも、それだけで。それ以上は、動かしたり、浮かしたりは出来なかった。
私が数分そうして、鏡の中の足と格闘していると、不意に、"現実世界の方に"異変が起き始めた。
丁度鏡の中の左足のある辺りの上に、透明だが、たしかに塊とも言うべきもやもやという陽炎のようなものが生まれたんだ。
私は思わず後ずさりをしてしまう。
そして、その靄が、徐々に人の形を成していくのを黙ってみていた。
まるでその"左足"のある場所に、乗るように、じんわりと、人に近づいていくんだ。
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811 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/07/23(日) 12:59:04 ID:MmNHjORA0
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これが、しぃちゃんのいう"くっつく"なのだろうか。
そして、"くっついた"後には――
彼女は、"完成"した。
実体の伴わない、人型のもやは、その左足だけを欠いて、完全に少女の姿を写し取っていた。
そして、私の手鏡の中には、たしかにその欠けた左足が存在している。
ゆっくりと、今まで動かすことの叶わなかった、彼女の左足が動き出す。
一歩踏み出すと、その足に履かれたサンダルが、きゅっ、と鳴いた。
その後、現実世界のもやの右足も踏み出される。こっちは音が鳴らない。
一歩、また一歩と、鏡の中の"左足"と、現実の靄の右足が、前に、体を、しぃちゃんの魂を、運んでいく。
どこに?
私はその進行方向に顔を向けた。
その横断歩道の先、丁度、向こうの歩道に、"それ"はあった。
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812 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/07/23(日) 12:59:38 ID:MmNHjORA0
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真っ黒い穴。無数の影の塊が、平になって道にへばり付いているのだ。
その中から、老若男女の腕や足が突き出していて、虚空を掴むように、はためいている。
まるでその穴の中に、少女のその魂を引きずり込もうとしているように。
今から彼女の魂は、あの穴の中に、その身を投じようとしているのか。
いや、そうではない。
彼女の体は、進むのを拒否するように、身じろぎし、苦しんでいるように見える。
それから、その靄の右足は、既に引きずるようにして、歩みを止めている。
つまり、今彼女は、その"左足"によって前進していて、その左足が、本体の意思を破却して、闇の亡者の元に近づいていくのだ。
私は"左足"の明確な意思を感じていた。
どす黒い、殺意にも似た感情。
切り離され、この忌むべき場所に残された左足の無念、怨念。
それは再度、彼女に戻ることを望み、しかし、自身がこの場から動けないのであれば、
いっそ彼女本体の魂をここに幻視することで、また一つに戻ろうとしているのだ。
そして、それは、あの黒い渦の中に飲み込まれることによって真に完遂されるのだろう。
鏡の世界と、現実世界に分かたれたパーツ同士が、あの無数の妄念のうねりの中で、ひとつになるのだ。
それから、そのまま、きっと、その闇の中に沈んでいくのだろう。
それはつまり、彼女の命を代償にした、人体の、魂の"修復"
あの黒渦に飲み込まれたら、現実の彼女は死んでしまう。
これは、根拠のない、妄想であり、でも、それでも、確実に起こるであろう予言でもあった。
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813 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/07/23(日) 13:00:32 ID:MmNHjORA0
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私は彼女の左足のあたりに飛びついた。
その前進を止めるように、縋り付く。
しかし、その左足は歩みを止めてくれない。私ごと、ずりずりと亡者のうねりに飛び込もうとする。
どうすればいい。一体どうすれば。
その時、叔父の車が目に入った。
車は何故進むんだろうか。
それはタイヤが付いているからだ。
それが車という存在にとっての前進の概念そのものであって、タイヤを外してしまえば、車は動かなくなる。
じゃあ、人間にとっての前進の概念は何だ?
足か? 本当に足なのだろうか?
足はあくまでも、立つという行為を象徴するものであり、自己の確立を表すものだ。
人間の生き物としてのアイデンティティである"二足歩行"。その概念が足なのだ。
人はどこか遠くに旅立とうとする時に、必ず"靴"を履く。
ならば、前進を象徴するものは、きっと"靴"なのだ。
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814 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/07/23(日) 13:01:11 ID:MmNHjORA0
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私はもう一度強く、彼女の左足に縋り付くと、
その足先に履かれた、ピンクのサンダルを、引き剥がした。
足のときとは違い、それはすんなりと足の先から離れた。
そうして、鏡の中の私の手のひらに握られたその見えないサンダルを、
その黒い渦の中に投げ込んだんだ。
すると、その渦から伸ばされていた腕が、幾重にも、その見えないサンダルに巻き付いて、
すっかりそれが覆われたかと思うと、カエルが舌を戻すみたいに、素早く穴の中に消えていった。
そうして、その穴も消滅し、やがて、彼女の形のもやも消えてしまった。
しかし、鏡の中の"左足"は未だに交差点の真ん中にあって、
私はそれにまだ縋り付いていた。
でも、今度は、それは重さ無くそこから持ち上がって、たしかに私の腕の中にすっぽりと収まっている。
コレが、彼女の幻肢なのだろう。
私はそれを抱えたまま、叔父の車内に戻った。
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815 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/07/23(日) 13:01:33 ID:MmNHjORA0
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叔父に今あった出来事を話すと、『僕からはクーちゃんが道のど真ん中でコケて慌ててたようにしか見えなかったけどなぁ』
と言いながら、再度エンジンを掛け直した。
そうして私たちは、拝成総合病院に向かった。
理由は言わなくても分かるだろう?
私達は、その抱えた幻の左足を、彼女の大腿の断面に接続した。
叔父には見えていないようだったが、鏡の中で、それは確かに彼女にくっついて、そして消えてしまった。
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816 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/07/23(日) 13:01:53 ID:MmNHjORA0
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その日以降、彼女に幻肢痛が起こることはなくなったと、叔父から聞いた。
あの交差点で轢き潰された左足は、たしかに彼女に戻って、そして未練を解消し、成仏したのだろう。
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817 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/07/23(日) 13:02:28 ID:MmNHjORA0
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――ある日、クラスの生徒たちが、こぞってTVの話をしていた。
友人に尋ねてみると、昨日放映されたテレビ番組に、この拝成市が出たのだという。
しかも、あの"魔の交差点"が特集されていたらしい。
そこに、高名な霊能力者を連れて行って、そこに渦巻く怨念を霊視してもらうという構成だったらしい。
その交差点に差し掛かると、霊能力者は大仰に慄いて、ここはとんでもない数の霊が渦を巻いていますなんて言ったそうだ。
それがあまりに胡散臭く、みんなそれを笑い話の種にしているようだ。
『でね、ホントに胡散臭かったのはその後でね』
彼女はさもおかしいと言った風に口元に手を当てながら続ける。
霊能力者は、その歩道に差し掛かると、急に自分の靴を何者かに掴まれているような演技をし始めた。
それが迫真というかなんていうか、馬鹿みたいに怖がりながら、パントマイムをしているみたいだったのだという。
そうして、息を切らせながらその場から飛び退いた霊能力者に、
一緒に同行していたお笑い芸人が、今何があったのかを訪ねた。
すると、その霊能力者は、今何者かが私の足をあの世に引きずり込もうとしたのです、と答える。
この交差点で事故にあった地縛霊達が一つの塊になって、この場に留まり続けているのだと。
芸人が半笑いで、どんな幽霊なんですか、と追加で尋ねると、その霊能力者は、少しむっとしながらこう返した。
もう、あれは霊ではありません、もっと恐ろしい、呪われた、そういうものです、と。
芸人はそれではあまりに漠然としているので、視えているものをちょっとだけでも教えて下さいよ、と食い下がる。
そして、霊能力者は、横断歩道の手前を指差して、こう言ったのだ。
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818 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/07/23(日) 13:03:09 ID:MmNHjORA0
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無数の顔が、ピンクのサンダルにしゃぶりついています――。
【靴履く幻 了】
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819 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/07/23(日) 13:04:01 ID:MmNHjORA0
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【幕間】
川 ゚ -゚)「なかなか観念的な話になってしまったな」
ξ゚听)ξ「まぁクーの話ってどこかそういう雰囲気があるから良いんじゃないの?」
( ^ω^)「ちょっと詩的な部分あるおね」
(´・ω・`)「幻肢痛は知っていたけど、足の方が本体を夢見るってなんか不思議だったよ」
('A`) 「なんか悲しい話に聞こえたな」
ξ゚听)ξ「そのあとしぃちゃんってどうなったの?」
川 ゚ -゚)「無事に退院して、今義足の短距離走選手になるんだって頑張ってるらしい」
( ^ω^)「それはなんか救いがあってよかったお」
ξ゚听)ξ「もしクーさんと叔父さんが行動していなかったと思うとゾッとしないね」
('A`) 「うっし、じゃあ次行くか」
(´・ω・`)「じゃあ、僕が話そうかなぁ」
( ^ω^)「"題"は>>825でいいかお?」
(´・ω・`)「いいよ」
ξ゚听)ξ「それじゃ、次の"解"を求めましょう」
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825 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2017/07/23(日) 13:52:03 ID:T/wlj9Yg0
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クー乙
そして次ショボならきついの来るな
安価なら「裁判」