ドッペルくん

Part2

45 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2017/08/22(火) 03:37:19 ID:0dep3B6g0

 諸本の死体を埋め終えた俺は山を下り、
 ガソリンを満タンまで補給した。

 多分、この車で給油するのもこれで最後だろう。
 根拠は無いが、そう思った。

一応、一週間分の着替えを買い込んだ。
 その他諸々の生活必需品も揃えて、残金は約二万円。

 通帳の残高は三桁。正真正銘、俺の全財産だ。

 いくら買い込んだとはいえ、車の中の俺の荷物は、
 少し大きめのキャリーバッグならばすっぽり収まってしまうのだろう。

46 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2017/08/22(火) 03:38:56 ID:0dep3B6g0

 誰もがかけがえのない体験。
 唯一無二の経験を踏んで、死ぬまでを生きる。
 
 いいとこ育ちのボンボンも、
 汚らしいヨイトマケも、
 六畳一間に引きこもるアウトランダーも。

 誰もが、かけがえのない人生を、生きる。

 その中で人としての価値を定めるものといえば、死に際の荷物の重さだろう。

 恋人もいない。職も無い。
 今更になって思い浮かぶ顔といえば、中学時代俺を玩具にしやがった面々の、下卑た笑み。

 キャリーバックに収まる人生が、俺のような人間にはちょうどいい。

47 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2017/08/22(火) 03:40:45 ID:0dep3B6g0

 ファミレスで肉を食べた。
 肉という無骨な表現がぴったりな、塊のヒレステーキだ。

 肉を食べるたびに、思うことがある。

 昔から、スプラッター映画を見て肉が食えなくなったと宣う手合の気持ちは理解出来なかった。
 内藤が確か、そんなクチだ。
 あいつの気持ちがさっぱり解らない俺は、
 その時冗談交じりにしつこくからかった(その時観ていた映画は確か、フレディVSジェイソン)。

 俺はあの時、こんな陳腐なゴア演出を真に受けるなんてどうかしてると思っていたが、問題はそこではなかったらしい。

 俺が映画を観た後でも平気で肉を食えるのは、
 フレディ・クルーガーの鉤爪が安っぽかったからでも、
 ジェイソン・ボーヒーズの殺し方が味気なかったからでもなく、

 単に、共感性に欠けていただけなのだ。

48 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2017/08/22(火) 03:42:03 ID:0dep3B6g0

 諸本の頬に突き立てたナイフを、肉の中ででたらめにかき回す。

 その感触を思い出しながら食うヒレステーキの味は、
 いつも食う海外産牛肉と何ら変わらなかった。

 怒りを自分勝手に吐き出した後には、こんな取り留めのないことを考えてしまう程度に、虚無感に襲われる。

 ぽっかりと空いたものを埋めるように、俺はビールを二杯飲んだ。

 酒なんて、一度も美味いと感じたこともないのに。

49 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2017/08/22(火) 03:42:47 ID:0dep3B6g0

 少し、気が大きくなっているのが自分でも解った。

 この後白昼堂々飲酒運転をすること。そしてこれから自分がやろうとしていることを考えれば、
 独りよがりな全能感すら湧いてくる。

 一人を殺してしまって、吹っ切れた。

 俺は当時の虐めの主犯格三人を、全員殺す。

 それが俺の使命だとすら思えた。

 塵芥のような人生の中、僅かに差した光だった。

53 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2017/08/26(土) 22:19:15 ID:7oeOYwLk0

 体調が優れない。
 ツンが家にいるうちはそうでもなかったけれど、一人になってしまうと、
 どうしても頭の隅のほうで、黒ずんだナイフがちらつく。
 
 夏バテ、寝不足、その他諸々のせいにするのは簡単だけれど、根本的な解決には至らない。
 やはり、警察に通報するべきだったのか。ツンに相談するべきだったのか。

 今ぼくを苛むものが、社会的禁忌を見過ごしているがゆえの罪悪感だったとして――

 ぼくが独男の罪業を白日の下に晒した時、同じようにぼくを苛むものは、友を切り捨てた罪悪感なのだろう。
 どのみち、ぼくがこのように思い悩むことは、彼がぼくの家を訪ねた時点で、決定事項だったのだ。
 ツンに買ってきてもらったジュースが空になるまで、ぼくは何をするでもなく玄関を眺めていた。

 今にも独男がずかずかと上がり込んできそうだ。

54 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/08/26(土) 22:20:44 ID:7oeOYwLk0
 思えば、中学の時もそうだった。

 母子家庭のぼくの家に、母親がいることは稀だった。
 独男の家にはいつも祖母がいたため、二人で遊ぶとなると決まってぼくの家だった。

 家にぼくしかいないと決めつけているので、彼に遠慮はない。たまに母親がいる日に、
 彼がノックもせずに家に上がり込むと、互いにぎょっとした顔をして見合わせたものだ。

 二人揃って、特別なことは何もしない。

 部屋で漫画を読むか、映画を観るか。
 独男は自分で買った雑誌類もぼくの部屋に置いていくので、今でも実家の自室には漫画本が溢れかえっている。
 毎晩渡される夕食代を浮かせて、たまに二人で深夜のコンビニに行き、
 缶チューハイやビール、安いウイスキー。そして濃味の菓子を買い込む。

 悪いことをしたかったというよりは、憧れだった。

55 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/08/26(土) 22:21:47 ID:7oeOYwLk0

 中学は、背伸びをして悪いことをするのがかっこいい場所だったから。

 あの時のぼく達は、自身が胸に抱いたエキサイティングな大人というアイドル的偶像ではなく、
 それらを模倣し悦に入ることで同級生の評価を獲得する大人のなり損ない達に、憧れていたのだ。

 今にして思えば、一種の変身願望のようなもの。

 それでも何者にもなれないぼく達にとってあの時の酒の味はただの苦水だった。


 グラスに湛えた琥珀色が、窓から差し込む朝焼けの光に溶け込む頃。
 酔い潰れた独男の傍らで、ぼくは膝に顔を埋めて、泣いた。

56 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/08/26(土) 22:23:00 ID:7oeOYwLk0

 独男と連絡を取らなくなってから、ぼくは酒を飲まなくなった。
 その代わりに、タバコを覚えた。

 マルメンという銘柄のセンスも、いかにも背伸びをした大学生。
 あの頃と何も変わってない。

 ただ、虐められなくなっただけだ。

 周りだけが大人になっていった。

 化粧っ気の無かったツンは毎日濃いめの化粧をして、
 量産型大学生a.k.a.哲学的ゾンビ達に上手く溶け込んだ。

57 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/08/26(土) 22:24:28 ID:7oeOYwLk0
 
 知っているかい、独男。
 
 ぼくらを虐めていた埴谷は、実家の板金屋に就職をしたらしい。

 今日日大学四年生なんて額面二十万とちょっとで買い叩かれる時代だ。

 そんな中、愛した女とその子供二人を食わせて、
 趣味の釣りを楽しむ充実した人生を謳歌しているんだ。

 ぼくらを殴った拳の痣も薄くなって、若さゆえの過ちの延長に出来た子供を抱いて、
 本物の愛を知った気でいるんだろう。

 ちょうど今頃熱に浮かされた不良時代の真っ只中にいる後輩諸々を指して、
 昔は自分もああだった、こうだったとか。
 最近の奴等は根性がねじ曲がってる。
 俺の時はそうじゃなかったとか。

 四十度の酒をかっ喰らいながら自慢げに語るんだ。

58 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/08/26(土) 22:26:15 ID:7oeOYwLk0

 ぼくらを虐めていた高岡は、サッカーが得意だっただろう? 

 高校三年間を女子の黄色い声援の中で過ごしたあいつはそのまま推薦でそこそこの大学に入学したらしい。

 今ではクラブで毎夜派手に遊んでいると聞く。
 長期休みにはサークルの同類と共に学生旅行だ。

 あいつの家は金持ちだったから、
 親の脛を齧った盛大な夜遊びもとい大学生のうちにしか出来ないことをやり尽くすには困らないのだろう。

 有り余った体力をアルバイトなんかに注ぎ込んで、あいつはきっとしたり顔で言うんだ。

「金が無いなんて甘え。俺は学費も遊ぶ金も全部自分で賄っている。
 人間、やろうと思えばなんだって出来るし、
 その可能性の芽を潰すのは環境なんかではなく、他でもない自分自身だ」

 なんてね。
 絶対に言うさ。なんならぼくは、彼がそんな世迷い言を吐くであろう時期まで完璧に予測出来る。
 就活が始まる手前、誰もがこぞって就活のセミナーなんかを受け始める頃に。

59 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/08/26(土) 22:27:36 ID:7oeOYwLk0

 ぼくらを虐めていた諸本は、指定校推薦であのW大に進学したよ。

 軽音楽のサークルでは高岡や埴谷との交流なんかもちらつかせて、
 夜遊びに明け暮れて、好き勝手やってるらしい。

 ぼくは断言するが、大学の軽音サークルなんかで小動物みたいな優男の皮を被って、
 下半身の赴くままに過ごす奴は例外なくクズだ。

 それに靡く女も女だ。
 ろくに弾けもしないくせに、重いレスポールなんかを片手に、したり顔でインスタグラム用の写真撮影。
 どうせスタジオなんてあいつらの乱交場所だ。
 下半身お化け達が寄り集まって、楽器を弾けない連中に、背負ったギターを見せつけて、
 真剣にやってる連中を余所に言うんだ。

「いやぁ、僕らはエンジョイ勢なんでw」

60 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/08/26(土) 22:29:42 ID:7oeOYwLk0

 そんな流行の最先端。
 世間の風潮の扇動者。
 学歴と似非コミュニケーション能力のパワープレイで乗り切る就活。
 頭空っぽな女子大生相手に、社員証を見せつけてこじ開ける股ぐらの観音様。

 そんな世間のヒーロー様の卵に、諸本はなったんだ。

 バイブルは太宰か? 寺山修司か? 
 SNSに載せる希釈度千倍の言葉。さながら言葉のペテン師。
 いつの間にかメインストリームになった自称マイノリティの代弁者。

 なぁ独男、ぼくは解ったよ。
 どうしてぼくがこんなにも吐きそうなのか。
 ぼくは今、きっと君に負い目を感じている。

 中学三年間の傷がぶり返しているんだ。心が叫びたがってるんだ。

61 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/08/26(土) 22:31:07 ID:7oeOYwLk0

 ぼくにとってヒーローは、代弁者は……
 坊屋春道でもない、青井葦人でもない、立花瀧でもない。

 ふざけんな! 
 あんなキラキラしたご都合主義の権化達を使って、ぼく達の中に切り込んだ気でいるんじゃねぇよ!
 自分勝手に傷をぶり返して、抱いたルサンチマンに突き動かされて、
 トチ狂ってしまった君こそが、ぼくにとってのヒーローだったんだ!

 ぼくにほんの少しでもトチ狂った勇気があったなら、ヒーローになれたのかもしれない。

 野放しにされた犬畜生に独りよがりな天誅を。
 それが出来たのはぼくと独男だけ。
 独男がその罪業を被ったから、ぼくはこうしてまっさらな経歴のまま、
 のうのうと生きることが出来るのだ。

62 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/08/26(土) 22:32:04 ID:7oeOYwLk0

 だってそうだろう。
 じくじくと痛み続ける傷が、彼らの死によって癒えるのだから、
 ぼくは、彼のように人を殺さずに済む。

 なぁ今世紀最大のヒーロー。
 ぼくの唯一無二の友人よ。

 君から見てぼくは一体なんなのだろう。
 解らないけど、予想は出来る。

 そっくりそのまま自分に置き換えてみればいいだけだから。
 そのようにして、何もしなかった独男を夢想する。それは、過去の自分の残滓に見えた。

63 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/08/26(土) 22:33:18 ID:7oeOYwLk0

 ああ、なるほど……

 だから君は、殺したという事実だけを残してぼくの元を去ったんだ。

 これはきっと、過去の傷をかなぐり捨てる為の儀式だ。
 そんな自分勝手な通過儀礼の最中、過去の被虐者としての自分を見つめつづけるなんて、
 到底不可能な話だろう。

 だったらぼくに出来ること、ヒーローとしてのお株を奪われた凡人に残された道は一つだろう。

 ぼくは独男に電話をかけた。数度の呼び出し音の後、メッセージを促された。

 「もしもし、内藤だけど……」

64 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/08/26(土) 22:34:51 ID:7oeOYwLk0

 ぼくさ、色々考えてみたんだけれど、やっぱり通報しないよ。

 それがぼくにとっても世間にとっても、お前にとっても良くないことだとしても。

 だって、今更になって警察なんかに頼って裁定者を気取ってなんになるってんだ。
 今更になって偉そうに社会倫理なんかを説いて、お前に自首を促してなんになるってんだ。

 ぐずついて、怖気づいて、躊躇って、尻込みして、
 結局どこまで行ってもあの時のままだったぼくに代わって、
 石を投げてくれたお前を、裏切ることなんて出来る筈がないんだ。

 でもさ独男――

 ぼくはお前と対立しようと思う。

 あの時だってそうさ。
 ぼくら、虐められたはみ出し者同士だったけれど、
 ぼく達はおんなじじゃない、他人同士だったじゃないか。

 ぼくはやっぱり、お前がやったこと、これからやろうとしていることは間違ってると思う。

 だから止めるんだ。誰の力も借りずに、誰にも邪魔されずに。

 どこで飲んだくれてるのかも分からないお前を見つけ出して、引っ叩いてやる。

 だって、お前はぼくの――

65 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/08/26(土) 22:36:20 ID:7oeOYwLk0

 内藤からのメッセージは途中で途切れていた。

 俺はそこから先の言葉を知っているから、当然折り返して電話を掛け直すこともしなかった。

 運転しながらツイッターを開き「ハイン」というアカウントの直近のツイートを確認する。
 ハインというのは、高岡のあだ名だ。
 字は忘れたが、はいねという変わった読みの名前だったから、そこからついたものだろう。

 ネットリテラシーもクソもない公開アカウントで、ご丁寧に日常のツイートを垂れ流してくれているから、
 このアカウントをチェックしておけば、奴の動向はほぼほぼ手に取るように分かる。

 高岡がこれから向かうのは、Y市の飲み屋街から一本入ったところにある会員制のナイトクラブ。

 このまま車で飛ばせば三十分ほどで先回り出来るだろう。

66 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/08/26(土) 22:37:34 ID:7oeOYwLk0



 用済みになったスマートフォンを窓から放り投げる。

 乾いた破砕音が風を切る音に掻き消されて、
 後ろから喧しいクラクションの音が響く。

 アクセルを踏み込むと嘶くエンジン。

 前を走る軽自動車を追い越すと、
 クラクションの音が二つ重なった。




.

67 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/08/26(土) 22:38:54 ID:7oeOYwLk0

 Y市の会員制ナイトクラブといえば、夜遊び盛んな若者ならば思い浮かべる場所は一つ。
 通いつめて、もう常連客の顔は殆ど覚えている。
客として訪れたことは、一度も無いが……


 最寄りのコンビニに車を停めて、トランクに積んだ服の中からパーカーを選ぶ。
 フードが深いので、顔を隠すにはちょうどいい。
 この期に及んで足がつかないように、などとは考えていない。

 ただ、直前まで顔を隠しておいた方が、接触に際しては都合がいいだろう。

 和柄シャツの上から羽織ったパーカーはちぐはぐだが、
これでも通行人にとって俺は、この街の夜の背景の一部らしい。

68 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/08/26(土) 22:41:14 ID:7oeOYwLk0

 道すがら漂う酒の臭い。不愉快だ。

 道を塞ぐように立ち話をしていた集団を押しのけると、
 その中の一人が怒号を上げながら胸ぐらを掴んできた。

 威勢のいい金髪の小僧だ。
 虚栄心が透けて見える。
 きっといい「客」になるだろう。

 小僧は自分で掴んだ俺の胸元に視線を落とすなり、舌打ちをしながら後ずさった。
 初めて役に立ったな、と独りごちて胸の鳳凰を撫でる。

 その筋の者が見れば後ろ指を指すのだろう。だがそれすらどうでもいい。
 どうせ何の覚悟も無く彫った刺青だ。
 厄除けになるのならば、喜んでそのように使わせてもらうさ。

69 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/08/26(土) 22:42:35 ID:7oeOYwLk0

 五分ほど歩くと、目的のクラブに着いた。
 入り口の黒人スタッフが片言の日本語でIDチェックを促してくる。
 パーカーのフードを少し捲くって目元を見せると、黒人はゴミを見るような目で見下してきた。

 「ありがとよ」

 俺とあいつの間での会話は、これが最初で最後だった。

 都合のいいように使われているあいつらでも、
 俺のようなプッシャーが何をしているのかくらいは解るらしい。

 あいつは、こういう汚れ仕事に甘んじる自分を許せないタチなのだろう。
 俺を見下す態度が、そういった良心の残滓によるものなのだとすれば、まだ更生の余地があるだろう。

 明日以降顔を合わせることはない。
 
 ないが、どうか、達者で。

70 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/08/26(土) 22:44:48 ID:7oeOYwLk0

 腹に響くダブステップ。薄暗い照明。
 フロアーの熱気に比例して、二階の賑やかしの声も大きくなる。

 バーカウンターの一番隅の席が俺の特等席だ。
 冷たい壁に背を預けて、茹だるような熱気を遠巻きに眺める時間は、嫌いじゃなかった。

 この空間が、自分がクズであることを再認識させてくれるからだ。
 俺はクズだが、下で乱痴気騒ぎを起こしている外人共と比べれば幾分かましだ。

 そんな風に腕を組んで見下している連中が一番たちが悪いのだ。

 つまり、俺のような人間のことである。

71 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/08/26(土) 22:45:45 ID:7oeOYwLk0

 どの層に属していようが、自身の立ち位置に甘んじていながら同族を貶す輩は、
 そうすることでしか自己を保つことが出来ない。

 俺がそうだからよく解る。
 ここは、そういう連中が集まる場所だ。

 本物の馬鹿が、馬鹿のふりをしている風を装って、
 結局やることと言えばセックスだの、クスリだの。

 踊ってストレスを発散したいのなら、家の庭で好きなだけ踊っていればいい。

 刹那的な快楽に酔いしれる、そんな自分に酔いしれてる。

72 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/08/26(土) 22:47:22 ID:7oeOYwLk0

 マトリョーシカだなんて聞こえは良いが、
 俺たちは所詮けつに火がついていることにも気付けない、
 どこぞのお山の愚鈍大食な中年のおっさんのようなものだ。

 常連の客が俺を見るなりにやつきながら近づいてくるが、
 身振りでクスリは持っていないことを伝えると、態とらしく中指を立てる者。
 唾を吐き捨てる者。
 様々。

 粗悪な混ぜもののクスリ如きに、ここまで本気になれるこいつらがある意味羨ましかった。

73 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/08/26(土) 22:48:34 ID:7oeOYwLk0

 フロアーで一際大きな怒号。
 外人のものなので何を言ってるかは分からないが、あいつらが激昂して吐き出すことなど「クソッタレ」以外に無いだろう。
 見下ろすと複数人の若い客。その中の一人、いや、二人には見覚えがある。

 刈り上げた頭に被さるかつらみたいな白髪後ろから見るとすっきりしているように見えるが、長い前髪は表情の半分を覆っている。
 一昔前に流行った髪型だ。
 ツイッターやインスタグラムに公開されている写真のまま。

 高岡だ――

 遠巻きに見たところ、あいつの取り巻きの中の一人が外人のツレに手を出そうとしたらしい。
 血気盛んな取り巻きは今にも食ってかかりそうな雰囲気で、高岡の横顔はにやついて、同じ目線でそれを見下していた。

74 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/08/26(土) 22:49:30 ID:7oeOYwLk0

 細い腕が、不安げに震える肩を抱いている。
 抱かれている女にも見覚えがあった。

 名前は、津出。
 よく覚えている。

 中学校という名の地獄は、文字通り全てが俺と内藤の敵だった。
 その中でただ一人、三年間徹頭徹尾無関心を貫き通した女。

 そして、同じ高校に進学した俺たちに、なんでもないような顔をして声をかけてきた女だ。

 津出は高岡に腕を回されながらも、際どく胸元に這い寄る指先をさり気なく躱している。
 潔癖ではないが、そういうことに多少の抵抗がある。
 その程度。

75 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/08/26(土) 22:50:45 ID:7oeOYwLk0

 このままいけば酒とこの場の雰囲気に飲まれて、いくところまでいってしまうのだろうと思った。
 忙しなく動く彼女の視線が、ここからはっきりと分かった。
 その目が俺を捉えるところまで見えていたのに、俺は顔を伏せることが出来なかった。

 「……」

 フードを目深に被ったまま、その目を見つめる。
 どうせお前は、俺のことなんて覚えていないだろう。

 高岡を殺しに来た筈なのに、俺の頭の中から奴の存在は消し飛んでしまっていた。
 一瞬、ほんの一瞬だが、それを自覚した途端、腸が煮えくり返った。
 動悸が激しい。
 うなじが焼けそうで、ひどく喉が乾く。

 懐に忍ばせたナイフを握りしめて、慎重に息を吐く。

76 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/08/26(土) 22:51:36 ID:7oeOYwLk0

 気を静めようとしているにもかかわらず、脳裏をよぎるのは苦い記憶ばかりだ。
 まるで自分に言い聞かせているみたいだ。

 そうでもしないと憎しみが風化してしまうと、
 他ならぬ俺自身が認めてしまっているようで、ますます腹が立つ。

 ポケットの中で握りしめた殺意は、
 息を潜めて目を光らせている。

 俺自身すら、捕食の対象となっているような気がした。

77 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/08/26(土) 22:52:34 ID:7oeOYwLk0

 音に乗れるほど器用な性格でもないが、こういう場所で仕事をしているので、
 最低限の身のこなしは弁えている。

 地に足をつけて踊っていればどこをどう移動しようと不自然ではない。
 そういう場所だから、高岡に近づくのは容易だった。

 俺と高岡の背中合わせ。

 中学時代を思うと、今の状況は異様だ。
 まさかこの陰湿を絵に描いたような男の後ろで自分が踊るとは思わなかった。

 一人、また一人、取り巻きが減ってゆく。

 それぞれ今夜の枕を見つけては浮き足立って、おめでたい連中だ。

78 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/08/26(土) 22:53:32 ID:7oeOYwLk0

 何度か津出にそういう雰囲気を持ち込んでも響かなかったのか、
 高岡は彼女が自分の腕から離れてバーカンに移るのを引き止めなかった。

 やるなら、今がちょうどいい。

 足元を見て高岡の踵の位置を確認し、思い切り踏みつけてやる。
 ぐらついた高岡の上体に肩をぶつけると、露骨な舌打ちが耳元に。

 「気ぃつけろやチビ」

 めぼしい枕がいないのが気に入らないらしく、予想通り突っかかってきた。

 「ああ?」

 フードを更に深く被り、高岡の顎の下から威圧を返してやると、肩を強く掴まれた。

 「ちょっと来いや」

79 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/08/26(土) 22:54:38 ID:7oeOYwLk0

 少しでも俺や内藤への仕打ちを自省する気持ちがあるなら、
 この距離で俺だということに気づきそうだが、それらしい素振りはない。

 尤も、最初から期待はしてない。

 肩を掴む手を振りほどき、逃げる気などないことを手振りで表す。
 高岡は今にも殴りかかってきそうだが、
 こいつ自体は自ら遊び場で悪目立ちする気はなさそうだ。

 その方が、俺にとっても都合がいい。

80 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/08/26(土) 22:56:46 ID:7oeOYwLk0

フロアーから出て、細い通路を進む。
 照明が頼りない。

 フロアーに金をかけているわりには、
 こういうところの管理は杜撰らしい。

 時折途切れる明かりの隙間に差し込む憎悪が、げろを吐くように零れてしまいそうだ。

 「んだよ、こんなところでやろうってのか」

 「見窄らしいお前にゃお似合いだろ」

 トイレのドアが開く。
 俺はパーカーのポケットに手を突っ込み、高岡の背中にぴったり張り付く。
 一歩踏み込む。

 俺たち以外に、利用者はいない。

 それを確認すると同時に、こめかみに衝撃。

81 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/08/26(土) 22:58:17 ID:7oeOYwLk0

 低く威圧する怒号。
 前のめりになるも、鳩尾を何度も殴られる。

 「おうこら。面見せろや」

 パーカーのフード越しに髪を捕まれ、そのまま持ち上げられる。
 腹に鉛を詰め込まれたように苦しい。
 顔面に吐いてやれたら、さぞ愉快だろう。

 痛みはある。
 思い切り殴られたのだから、本来ならば身悶えするほど苦しい筈だ。
 感情が、自覚し得る領域に留まったまま昂っている。

 「お前……宇津田か?」

 目を見開いた高岡を見つめる。
 なぜか笑みが零れた。
 さぞ不気味だろう。少なくとも俺にはそう見える。

82 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/08/26(土) 22:59:08 ID:7oeOYwLk0

 明らかな焦燥を貼り付けた高岡の顔に唾を吐きつけてやった。

 「おせぇんだよ。気付くのが」

 ポケットの中で握りしめたナイフを、真っ直ぐ。
 ちょうど高岡の股間目掛けて突き刺す。

 柄に伝わる感触からは、睾丸を刺したのか陰茎を刺したのかは判然としない。

 「うわああああああああ!?」

 だが少なくとも戦意を喪失させるだけの痛みは与えられただろう。
 間を置かずに抜いたナイフから血が尾を引く。

 左手を力いっぱい握り、目の奥に抉りこませるくらいに――

83 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/08/26(土) 22:59:59 ID:7oeOYwLk0

 思い切り振り抜いた。
 殴打音が小気味良い。

 拳は痛いが、綺麗に眼底まで殴打が届くのは痛快だ。

 「嘘だろ……」

 「嘘じゃねえよ。俺だって何度も現実を疑ったさ。三階から飛び降りるよう強いられた時も、女子の前でズリセンこかされた時もな」

 「ふざけんなよ……うぜぇ……いかれてやがる……」

 「ああ、いかれてやがるな。今本当に胸糞悪いよ。何が楽しいんだこんなことして。お前ら全員イカれてるよ」

 苦痛に悶ながら便所の床を這う高岡を見下しても、優越感は微塵も沸かなかった。
 同時に罪悪感に苛まれることもない。

84 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/08/26(土) 23:01:04 ID:7oeOYwLk0

 ただ、ひたすらに虚無だ。
 何も感じない自分が逆に薄ら寒い。
 胸糞悪い。

 諸本を殺した時にはあった焦燥も、二人目となればすっかり消え失せてしまって、
 もうどうんなものだったのかすら思い出せない。

 楽に殺すつもりなどないが、それも嗜虐心からくるものではなく、
 自分が受けた痛みを一括で返してやるという使命感に近い。

 「これからお前を痛めつけるけど、俺は全く悪いと思ってないから、手を止めるつもりもない。
 そうだな……ちょうど野菜の下拵えをするような感覚だ。そんな調子で、淡々とお前を殺そうと思う。
 だから、そのつもりでいてくれ」

85 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/08/26(土) 23:01:55 ID:7oeOYwLk0

 絶望と苦悶が入り混じった表情。
 何か言いかけていたが、声を発する前にナイフの柄を喉に叩きつけてしまったので、高岡の主張を聞き届けることは出来なかった。

 声にならない声と荒い吐息。嗚咽。
 全て耳障りだ。
 馬乗りになり、二の腕を思い切り突き刺す。二回。

 両腕から流れる血がたちまち便所の床を染めた。
 胴体だけの抵抗で俺の身体を引きはがせるだけのウエイトの差は無い。

 ここからは正真正銘、一方的な虐殺だ。
 オイルライターを着火し、高岡にも分かるように、ゆっくりその火を目に近づける。
 咳き込み、血を吐きながら何か訴えているが、どうでもいい。
 固く閉じた右瞼ごと、火で炙ってやる。

86 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/08/26(土) 23:02:38 ID:7oeOYwLk0

 身体が痙攣する。
 刺された両腕で俺を引き剥がそうとするが、
 左腕をもう一度刺してやると一度大きく跳ね上がって大人しくなった。

 肉と髪が焦げる臭いが便所に充満し、吐き気がこみ上げてくる。
 顔の半分を覆っていた前髪は粗方燃え尽き、もうその右目が開くことはない。

 焼け焦げた睫毛がぴったりと、糊のように爛れた瞼に張り付いている。

 脇腹を掠めるように三回突き刺す。

 次第に弱まる抵抗。反応は少ないが、むしろ都合がいい。

87 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/08/26(土) 23:03:50 ID:7oeOYwLk0

 明らかな衰弱を見せる高岡を拘束する意味もないので、高岡の左腕を掴んで床に座り込む。

 「なぁ高岡……返事はしなくていい。というか出来ないだろうからそのまま聞いてくれ。
 俺な、今からお前を剥こうと思う。全裸にひん剥くとか、そういうんじゃねえ。
 文字通り、お前をこれで剥くんだ」

 振りほどこうとした手を強く握り、跳ねる胴体を思い切り蹴り上げる。

 何度も、何度も、肋骨がへし折れるまで。
 ちょうど林檎の皮を剥くように刃を入れてやろうと思ったが、抵抗が思ったよりも激しい。

 ごぼうの笹切りの要領で薄く刃を入れてやると、
 潰れた喉の僅かな隙間から漏れた声が、笛のような音色を上げる。

88 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/08/26(土) 23:04:46 ID:7oeOYwLk0

 何度も刃を入れるうちに誤って自分の指も切ってしまったが、不思議と痛みは感じなかった。
 俺は人体模型のような、筋繊維を露出した肉が覗くものだと思っていたが、
 当然手元は血に染まっていて、それを確認することは敵わなかった。

 やがて、抵抗が止んだ。

 死んだのではない。恐らく痛みで気を失ったのだろう。

 「塩水でも持ってきておけばよかったな」

 血まみれになった自分の服を見て、俺の中で何かが急速に萎えてゆくのが分かった。

 煙草が吸いたい。そう思った。
 既に人としての形相を保てていない高岡の顔を見下ろし、唾を吐き捨てる。

89 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/08/26(土) 23:06:49 ID:7oeOYwLk0

 このまま放っておけば確実に死ぬだろう。
 俺はとどめを刺す前から、高岡の命が終わる瞬間はあっけなく、
 それを見て自分が萎えてしまうのを鮮明にイメージすることが出来た。

 だが俺は、高岡の細い首の付け根にナイフの刃をそっと刺し込んだ。
 ここなら幾分か刃が通りやすい。諸本を殺した時に学んだ
 突き立てたナイフをそのまま胸に。

 すぐに骨で刃が止まったので、そのまま深く刺し込んで柄を回すと、大量の血が噴きこぼれてきた。
 パーカーを脱ぎ捨て、ナイフをそれで丸めて高岡の亡骸の胸に放り投げた。

 洗面台に水を張り、シャツとジーンズについた血を濯ぐ。
 完全には取れなかったが、暗い中これに気付けるものはそういないだろう。

 いたとしても、その場を離れられれば問題ない。

90 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/08/26(土) 23:07:45 ID:7oeOYwLk0

 諸本を殺した時点で、今後の生活の全てを諦めている。
 ずぶ濡れになった衣類を絞って着直したと同時にドアが開いた。

 それだけを警戒していたので、反応が遅れることは無かった。
 俺はドアを開けた男の顔も見ずに身を屈め、ドアの隙間を潜り抜けた。

 全速力で通路を走る。
 後ろから悲鳴が聞こえた。
 何がどうなったのかなんて、この世界の誰よりも知っているのだ。

 振り返る理由など、ない。

91 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/08/26(土) 23:08:35 ID:7oeOYwLk0

 フロアーの前を突っ切ったところで、曲がり角から出てきた女とぶつかった。

 「あっ、あんた」

 顔を見ずとも誰か分かった。津出だ。

 自然と舌打ちが漏れた。振り払うように首を振りながら、
 走るスピードを高める。

 よく通る声が後ろから聞こえる。

 何を言っているのかまでは解らなかった。

 宇津田、と俺の名を呼んでいることだけは、はっきりと分かった。

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