-
1 名前: ◆HGKEhRG.GA[sage] 投稿日:2017/08/22(火) 02:33:23 ID:0dep3B6g0
-
微妙に閲覧注意
紅白作品
-
2 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2017/08/22(火) 02:36:00 ID:0dep3B6g0
-
深夜一時、眠れない夜のことだった。
茹だるような夏の暑さ。ろくすっぽ効きやしない空調。
小箱に詰められたような閉塞的な闇の中、着信が鳴った。
高校卒業以来まったく連絡を取らなくなった友人からだった。
名前は、独男という。
久しぶりに聴いた電話越しの彼の声は、ほんの少し上擦っていた。
「今から会えるか?」彼がそう言うから、ぼくは二つ返事。
このアパートの住所を伝えると、電話はあっさりと切れた。
彼の声が聞こえなくなって、再び部屋に静寂が訪れて、ぼくは寒くもないのに身震いした。
要件も伝えない独男。彼の上擦った声。
今振り返ってみると、不審な点はいくつかあった。
それでもぼくは何も聞かずに、彼と会う約束をした。
-
3 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2017/08/22(火) 02:37:25 ID:0dep3B6g0
-
二年間、一切連絡を取っていなかった友人と会う理由など、この蒸し暑い小箱の中から抜け出したいから。
それだけで良かったのだろう。
彼が今どこにいるのかは分からなかったけれど、それほど時間はかからない気がした。
シャワーでさっと汗だけ流す。ここ暫く課題に追われ、徹夜続きだった。
食事もろくに食べていなかった気がする。立ち眩みをぐっと堪えながら、ハーフパンツとポロシャツに着替えたところで、再び着信。
「着いたぞ」
ちょうど、ぼくの予想とぴったりな時間に彼は到着した。
-
4 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2017/08/22(火) 02:38:47 ID:0dep3B6g0
-
午前一時半。
部屋の窓を開けて外を覗き込むと、ヘッドライトを点けっぱなしにしたセダン車が唸り声を上げて、駐車場に停まっていた。
ライトに照らされる人型の針金のようなシルエット。
その後ろ姿は、高校の時の独男そのままだった。
「よう」
玄関に立ち尽くしたまま靴も脱がずに、独男は低い天井をぼんやりと見上げていた。
小柄な彼から見れば、少しはこの天井もましに見えるのかもしれない。
「久しぶりだおね」
「ああ」浅く息を吐き、そして深く吸う。「忙しかったからな」
-
5 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2017/08/22(火) 02:40:21 ID:0dep3B6g0
-
その所作にどのような意味が込められているのかは解らなかったけれど、妙に引っかかった。
六畳一間のワンルーム。独男を百均の座布団に座らせ、グラスに麦茶を注ぐ。
自分の分になみなみと注いで、一気に半分ほど飲み干して注ぎ足す。
口の中に、饐えたような酸味が広がった。
昔から、疲れているときに何か口にするとこのような妙な酸味がする。
取り敢えず、とろみも無いしお茶が腐っているということはなさそうだ。
「今までなにしてたんだお?」
独男も、差し出したお茶を一息に半分ほど飲み干した。
煮出してそのまま冷蔵庫に入れてあったやかんを取りに戻るうちに、そのままお茶を飲み干して深い溜息を吐く音が聞こえた。
-
6 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2017/08/22(火) 02:41:51 ID:0dep3B6g0
-
ぼくが知らない独男の二年間。語りたくはないようで、彼はだんまりを決め込んだまま。
軽薄だった、とぼくは自分自身を恥じた。
卒業を控えた、ちょうど二年前の今くらいの時期、彼は唐突に学校を去った。
そして今再びぼくの元に現れた彼の身なりを見るに、順風満帆とはいかないことなど、容易に想像はつく。
後ろ姿はそのままに、伸ばしっぱなしの長髪に、よれよれの和柄シャツ。
開いた胸元。ぼくにはそれが何を表しているのか解らないけれど、入れ墨が彫られていた。
そして、右の目尻に痛々しく真っ赤に腫れた傷。
-
7 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2017/08/22(火) 02:43:05 ID:0dep3B6g0
-
己の軽率な行動を恥じると同時に、ぼくは友人との話し方を忘れてしまった。
大学では、それなりに上手くやっていると思う。
それなのにこうして彼を前にすると、被虐者としての自分を再認識させられているような気がして、ぼく程度の存在が、人様と口をきくことなど許されるのだろうか、と、そんな仰々しい自虐ばかりが脳裏を過る。
「特に用があったわけじゃないんだ」
ようやく独男は口を開いた。
中学の時とは正反対で、高校の時とまったく同じな、低くもはきはきとした調子
-
8 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2017/08/22(火) 02:44:35 ID:0dep3B6g0
-
「別に用が無くてもいいお。元気そう……? でなにより」
「ふん、自分でも幾分か男前になったと思うよ」
不遜に鼻を鳴らしながら、独男は目尻の傷を指でなぞった。
ぼくは思わず噴き出してしまった。独男も、同じように笑った。
空調の利かない六畳一間はあまりに蒸し暑いから、ぼくは網戸もせずに窓を開けた。
大学まで少し遠いこのアパートは、家賃が安い代わりに、周りには本当に何も無い。
一本入ると田んぼが広がっていて、こうやって窓を開けると、蛙の鳴き声が喧しい。
「タバコ吸ってたおね? 窓際なら吸ってもいいお」
「あ、ああ、悪いな」
-
9 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2017/08/22(火) 02:45:57 ID:0dep3B6g0
-
シャツの胸ポケットから取り出したくしゃくしゃのハイライト。
中身も当然、シケモクのごとくくしゃくしゃだ。オイルライターで火をつけるその手つきは辿々しい。
ぼくも彼に倣ってタバコを取る。マルボロのメンソール。
独男は一瞬目を丸くして、少しだけ悲しげな顔。
「タバコ、辞めろよ」
「色々忙しくてストレスが溜まるんだお」
半分くらいの長さになったタバコを、捩じ切るように灰皿に押し付けて、独男は深い溜息。
うっすらと混じった煙は、壁まで届くんじゃないかってくらい。
-
10 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2017/08/22(火) 02:46:55 ID:0dep3B6g0
-
「ストレス、か」
長い髪を掻き上げながら、独男は座るでもなく、部屋の中をうろうろと歩く。
「あの時以上にストレスのかかる日なんてなかっただろうよ」
自虐を含んだような笑み。
そうやって、色んなものを堪えながら、苦し紛れに笑えるようになるまで、一体ぼくたちはどれだけの時間を要しただろうか。
「……」
ぼくは何も言えなかった。
-
11 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2017/08/22(火) 02:48:16 ID:0dep3B6g0
-
あの頃のことを忘れた日なんて、地獄から解放されてから今に至るまで、一日だって無かった。
気を抜けば脳裏を過る、罵声、身体の痛み。
あの時ぼくたちは、二人揃ってこの世界にひとりぼっちだった。
孤立無援の教室。周りを見渡せば、舌舐めずりする獣の群れ。
三年間の地獄は永遠のように長かった。
駆け抜けるような青春なんか、存在しなかった。
「お前はまともに生きてるみたいで安心したよ。もう、すっかり忘れちまったか? 中学の頃のこと」
「……」
何も、答えられない。答えられるはずがなかった
-
12 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2017/08/22(火) 02:50:57 ID:0dep3B6g0
-
「悪いな」
独男は力なく笑った。今際の際のような顔をして。
ぼくには、彼とこの部屋を分かつ、存在というはっきりとした境界線が見えなかった。
希薄化した独男の顔が、身体が、朧げだ。
六畳一間を照らす白熱灯に掻き消されてしまいそうな独男は、目と鼻の先にいるのにずっと遠い。
「忘れられるなら、忘れちまったほうがいい。なんでもないような顔をして、わたくしの人生には何の汚点もありませんでしたって、我が物顔で生きていけるならその方がいいよな」
「一度だって、忘れたことないお」
「そりゃそうだ」
-
13 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2017/08/22(火) 02:53:08 ID:0dep3B6g0
-
このまま放っておいたら、次の日には首を括ってしまいそうな独男。
ぼくは、彼が抱えているものの大半を共有している。
だからこそ、彼が何に対して蟠りを抱えているのかがよく解ったし、同時に理不尽だと思った。
光り輝く、茹だるような青春。あるいは順風満帆な人生の栄光。
それと等しく、もしくはそれ以上に胸の中に溜まるどす黒い感情は、抱えれば抱えるほど、持ち主の想いは霞んでゆき、やがて無いものとして扱われる。
社会不適合者。傷だらけのアウトランダー。
-
14 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2017/08/22(火) 02:54:10 ID:0dep3B6g0
-
誰からも見向きもされない彼らは路傍の小石、にすらなれない。
黒い感情を抱えれば抱えるほど、社会その他諸々の群衆団からは乖離してゆく。
長い前髪を掻きながら顔を上げた独男は、今にも泣き出してしまいそうな顔をしていた。
「わりぃ、内藤」
どうして、ぼくに謝るのか、ぼくは彼のその先の言葉を聞いた後でも、まったく理解出来なかった。
「俺、人殺しちまった」
.
-
15 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2017/08/22(火) 02:56:14 ID:0dep3B6g0
-
目が覚めたのは昼前。
なかなか寝付けなくて、最後の時計を確認した時点で午前八時を回っていたから、睡眠時間は決して充分とは言えない。
目の周りが痛い。瞼は重くて、鉛みたいだ。
起き上がると目眩がした。喉がひどく乾く。口の中が粘度の高い唾液のせいで気持ち悪い。
気を紛らわせようと歯を磨くけれど、歯ブラシを持つ腕すら怠いのだからもうどうしようもない。
-
16 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2017/08/22(火) 02:57:33 ID:0dep3B6g0
-
口を濯いで、スマートフォンの通知を流し見る。
ネットニュースの通知を無視して着信履歴を確認するが、そこには当然、昨夜のあの時間に、独男からの着信の履歴が残っていた。
それを見るなり、酷い吐き気がこみ上げてきた。
磨いたばかりの歯を、こみ上げてきた胃液が容赦なく汚す。
俺、人殺しちまった――
彼はそう言って、血がついた小ぶりなナイフを、ズボンのポケットから取り出した。
彼が殺した男の名は、諸本という。中学の同級生だ。
-
17 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2017/08/22(火) 02:59:10 ID:0dep3B6g0
-
ぼくは彼の震える手の中で存在感を放っていたあの鈍色の光を、きっと一生忘れないだろう。
刀身についた血は酸化して、どす黒くなっていた。
それでもなお鋭く光る切っ先に、ぼくは思わず仰け反ってしまった。
独男はそれきり暫く黙っていた。
そして、特に時間を決めていたわけでは無いのだろうけれど、空が白んできた頃に立ち上がって、この部屋を去った。
去り際、彼はこう言った。
「通報するか?」
ぼくは首を振ったけれど、彼はそのまま、振り返ることなく部屋を後にした。
-
18 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2017/08/22(火) 03:00:02 ID:0dep3B6g0
-
彼を見送る気にもなれなかったぼくは、そのまま窓のそばで、布団も敷かずに横たわった。
フローリングは固くて、冷たかった。
階下までの一人分の足音。そして車のドアを閉める音が、はっきりと聞こえた。
エンジンが嘶き、走り出して、その音が遠くなり、やがて聞こえなくなった。
ぼくはそこで深い溜息を吐いた。
やっと息が出来た。
息を止めていたわけでもないのに、何故か、そう思った。
-
19 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2017/08/22(火) 03:01:00 ID:0dep3B6g0
-
結局、堪えることが出来ずに吐いてしまった。
とは言っても昨日は朝から何も食べていなかったから、出るのは胃液のみで、それが逆に苦しい。
薄汚れた便器にしがみつきながら、胃の痙攣が収まるのをじっと待つ。
ようやく落ち着く頃、時刻は午後三時を回っていて、外の熱気は窓からじりじりと部屋を侵していた。
そして着信。
一瞬独男からだと思って身構えたけれど、画面を見て安心した。ツンからだった。
-
20 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2017/08/22(火) 03:02:01 ID:0dep3B6g0
-
「あんた今日サボり? テスト前なのによくやるわね」
「いや、ちょっと体調が悪くて……」
「あら、夏風邪? あれって馬鹿が引くものだと思ってたけど」
「ま、まぁそんなところ」
「ふうん、今ちょうど帰り道だからさ、何か買っていくわよ。何か食べたいものとかある?」
「い、いや……」
断りの返事をしようと思ったけれど、途端に心細くなった。
こういう甘え方はよくないと知りつつも、今は、誰かと話したい気分だった。
とにかく、気を紛らわせたい。
「何か冷たいものを。アイスかゼリーが食べたい」
「了解。ゼリーはいいけど、アイスは大丈夫かしら。あんたの部屋ってコンビニから遠いのよね」
電話越しのツンの声色はいつもと同じで、ぼくはそれだけで少し安心した。
-
21 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2017/08/22(火) 03:04:35 ID:0dep3B6g0
-
重たい身体を起こして、埃っぽい部屋に掃除機をかけていると、インターフォンが鳴った。
「よっ」
男勝りな、凛と弾けるような声。
化粧もいつもと同じで、少し濃い。
高校の頃のノーメイクを見慣れていたせいで、やはり艶っぽいこの顔にはまだ慣れない。
スキニーパンツにノースリーブのブラウス。
この時期の講義室に行けば十人は見つかりそうな格好だ。
ぼくはまじまじと彼女の服装を見る自分に気付いたが、既にツンは不機嫌そうに頬を膨らませていた。
-
22 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2017/08/22(火) 03:05:33 ID:0dep3B6g0
-
「なによ、結構元気そうじゃない」
「はぁ、お陰様で」
「何がお陰様よ。心配して損した」
本当に、ここまで体調を持ち直したのはツンのお陰だ。
ツンが来ることを考えて、この小汚い部屋を少しでも綺麗にしようとするうちに、不快な吐き気は収まった。
目の周りと、頭が痛いのは治らないけれど、それは多分寝不足によるものだろう。
ここ半年ほどずっと不規則な生活が続いているし、こればかりはもうどうしようもない。
-
23 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2017/08/22(火) 03:06:28 ID:0dep3B6g0
-
昨夜独男に出したお茶を出すのは少し憚られた。
台所でもたついていると、ツンは提げていたレジ袋からペットボトルのジュースを二本取り出した。
「どうせ冷蔵庫の中すっからかんなんでしょ? 飲み物くらい常備しときなさいよ」
ずけずけとものをいうタイプの彼女だが、今はこういう大きなお世話手前の親切がありがたい。
結局アイスは買って来なかったようだけれど、そこまで望むのは横柄というものだろう。
-
24 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2017/08/22(火) 03:08:34 ID:0dep3B6g0
-
それから一時間弱、大学の授業や、彼女のサークルの人間関係の愚痴を聞いた。
ぼくはそれほど授業以外の活動に積極的に参加するタイプでもなく、分かりやすく言えば学祭の日を休校日とみなすような学生なのだが、
それとは正反対の彼女にとって、大学とはいくら身体があっても足りない多忙な場所なのだろう。
ぼくも多忙といえば多忙なのだけれど、彼女とそれとは違う。
交友の少ないぼくは過去問を手に入れるのもやっとで、自覚するレベルの要領の悪さも相俟って、大学に入学してからというもの、忙しくなかった時期の方が遥かに少ない。
尤も、中学高校の頃と比べれば、上手くやっているほうだと思うけれど。
-
25 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2017/08/22(火) 03:09:54 ID:0dep3B6g0
-
ツンはぼくのそういった悩みを等しく背負う環境に身を置いているにもかかわらず、
テストや課題も難なくこなし、更に自らタスクを課すことによって、ぼくとはまったく異なる多忙の場に身を置いている。
こうしてツンの愚痴を聞くことは多々あるが、その大半は前衛的なスケジュール管理が災いしていることが多く、
また、本人もそれを重々承知しているので、ぼくとしては適当に相槌を打つしかない。
愚痴を吐く人間が求めているのは建設的な改善策ではなく、ただ話を聞いてくれるサンドバックなのだという話はよく聞くけれど、
こうして実際に自分が聞く側に回ってみると、たまったものじゃないというのが正直な感想。
-
26 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2017/08/22(火) 03:11:03 ID:0dep3B6g0
-
話の時系列はあちらこちらの飛び交い、しまいには関係の無い昔話。
独男と同様、中学からの付き合い(話すようになったのは大学に入ってからだが)であるツンから見た教室は、
ぼくがいた教室とは随分と雰囲気が違っていて、同じクラスだったこともあるのに、そのようなギャップが生まれることにぼくは少し胸が痛くなった。
ぼくは少し迷ったけれど、昨夜独男がこの部屋を訪れたことを話した。
彼がしでかしたことを伏せて。
「独男って……宇津田?」
「うん」
ツンは独男の名前を出しただけで、露骨に嫌な顔をした。
-
27 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2017/08/22(火) 03:12:47 ID:0dep3B6g0
-
不機嫌なんて生易しいものではなく、宇津田独男という存在を、
そしてその名を口にしたぼくをタブー視するような、忌々しげな表情。
「あいつの連絡先なんて知ってたんだ。意外」
「中学の時は独男しか話し相手いなかったし」
そこまで言って、ぼくはまた自分の軽薄な態度を胸の中で詰った。
ぼくら二人の地獄を知っていながら、当時何をするでもなく、完全に無関係な場所にいた彼女からすれば、
今更になってそれを想起するような言葉はタブーにだってなるだろう。
配慮が足りなかったと思う。
-
28 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2017/08/22(火) 03:13:50 ID:0dep3B6g0
-
それは本心だけれど、同時に、後ろめたさに苛まれるならばそうなればいいと、
当てつけのような独りよがりな感情があったことも、否定出来ない。
ぼくらの間に、暫し気まずい空気が流れた。
「それにしたって高校の時は全然話したりしてなかったじゃない」
「まぁ、学校の中では」
「外では話してたの?」
「帰り道に少し話す程度、だったけどね」
「ふうん」
興味が無いわけではないが、それ以上踏み込めない。
そんな感情が、文字通り顔に書いてあるみたいだ。
-
29 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2017/08/22(火) 03:15:40 ID:0dep3B6g0
-
何か言いかけて飲み込んだ彼女の所作に、
彼女なりのパーソナルスペースの見極め方を垣間見た気がする。
無理やり会話のレールを捻じ曲げたぼくたちは、
夏休みの予定などについて、ああだこうだとお互いに難癖をつけたり、羨ましがったりした。
それはぎこちないものでは無かったけれど、昨夜のことを誰かと共有したいぼくにとっては、どこかむず痒い。
そんなぼくの思いを知ってか知らずか、ツンが切り出した。
「昨日、宇津田と何話したの?」
好奇心が上回ったか、あるいはぼくの態度がじれったかったか。
-
30 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2017/08/22(火) 03:17:06 ID:0dep3B6g0
-
彼女の感情の機微について、色んなことが考えられるけれど、
そうやって頭を使うわりに、実際に聞かれた時の心づもりは出来ていなかったようで、
ぼくは自分の心臓が一際激しく脈打つのを感じることが出来た。
打ち明けるか。否、有り得ない。
昨夜のことを自分一人で抱えていられるほど、ぼくは強くない。
それでも、誰かに吹聴するくらいならこのまま口を閉じてどこかに身を投げたほうがましだ。
百歩譲って誰かに話すにしても、当時のぼくらのことを知っている人間にだけは話したくない。
結局のところ自分がどうしたいのか、何一つ整理がついていなくて、自分自身に、落胆せざるを得ない。
-
31 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2017/08/22(火) 03:18:46 ID:0dep3B6g0
-
ツンが買ってきたサイダーをグラスになみなみ注いで、一気に飲み干した。
呑気症のような気持ち悪さをぐっと堪えて、ぼくはなんでもないような顔を取り繕って。
「世間話だお。学校辞めてからどうしてたかとか」
「へえ、で、あいつ今何してるの?」
「深くは聞かなかったけど、工場で働いてるらしいお」
まったくのでたらめだ。
「普通に食べてはいけてんのね。良かった」
「だお。あいつ、高そうな車買ってたし、それなりに上手くやってるんじゃないかな」
でたらめの嘘のの直後に、尤もらしい嘘を混じえるやり口に嫌なこなれ感が垣間見えて、自分が矮小な存在に思えた。
-
32 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2017/08/22(火) 03:19:51 ID:0dep3B6g0
-
「ああ、あと」
それを自覚していながら――
「津出は元気か? って言ってたから、変わりなくやってるって言っておいたお」
嘘に嘘を上塗りして、ぼくは素知らぬ顔をする。
「そっか」ツンは肩を竦めて。「ならいいや」
ツンは独男と同じように、唐突に立ち上がり、別れの挨拶もおざなりに部屋を去った。
「あんたってさ、嘘つく時鼻が膨らむわよね」
それが彼女の残した去り際の言葉だった。
-
33 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2017/08/22(火) 03:21:03 ID:0dep3B6g0
-
入り組んだ山道。車を走らせること約三十分。
山の中腹あたりに、駐車場がある。
そこに車を停めて、更に歩くと心霊スポットとして有名な滝があるのだが、
夏休みにも入っていないこの時期の真っ昼間。
俺以外に人はいなかった。
用があるのは滝ではなく、獣道から更に逸れた手頃な場所。
具体的に言うならば、人を埋めるための穴を掘るのに苦労しない程度に土が柔らかい場所。
適度に草木が生い茂っていれば尚良し。
-
34 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2017/08/22(火) 03:22:25 ID:0dep3B6g0
-
駐車場に停めた車のトランクを開けて、中の麻袋を台車に載せる。
人間一人分の大きさの麻袋を無理に載せたものだから、両端が地面に擦れる。
人に見られれば当然不味いのだが、どの道俺が警察に捕まるのは時間の問題なので、一周回って落ち着いていた。
自分でも不気味なくらいに。
台車を押し、凹凸の激しい獣道を歩く。時折台車ごと身体を持っていかれそうになる。
運動など、この二十年間ろくにした試しがないので、この夏の暑さも相俟って、本当に倒れてしまいそうだ。
今更社会的な立場を失う恐怖などないが、山の中で倒れているのを発見され、そのまま御用となってはあまりに間抜け過ぎるだろう。
それにどうせ法の元に裁かれるのならば、やりたいことを全てやり終えてからがいい。
「暑いな……」
不意に口から零れた。
-
35 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2017/08/22(火) 03:23:54 ID:0dep3B6g0
-
散々虐げられても、後ろ指を指されても、どれだけ孤立して胸を痛めようと、初めて人を殺した瞬間すらも、生きた心地がしなかった。
それが今更になって、こんな何の変哲もない夏の暑さに、自分が生きている実感を見出すとは、皮肉な話だ。
獣道から逸れて二十分ほど歩いて、ようやく御誂え向きな場所を見つけた。
麻袋の紐を解き、中身を地面に転がす。
血に塗れた顔面。半開きの目と口が間抜けだ。
生前のこいつからは考えられない表情だ。
致命傷となった首の切り傷から噴き出した血は既に固まって、
どす黒い血で固められたこいつの顔が、人間には見えなかった。
尤も、既に人間ではないのだが……
-
36 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2017/08/22(火) 03:24:56 ID:0dep3B6g0
-
「なあ諸本」
この肉塊の生前の個体を表す名前を呼び、俺は黒く染まった死体の胸ぐらを掴む。
「お前さ、自分が死ぬかもしれないなんて、微塵も考えたことなかったろ。そんな顔してるぜ」
今更死体に何を言っても、返ってくる答えなどないというのに。
それを知りつつも、俺は諸本に語りかけるのを止められなかった。
「俺は中学三年間、毎日毎日お前らに殺されるんじゃないかって、本気で思ってたよ」
物言わぬな亡骸の顔面に、一発。
あの時一発も返せなかった拳を捩じ込む。
-
37 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2017/08/22(火) 03:26:05 ID:0dep3B6g0
-
拳骨が肉にめり込む感触。殴打音。飛び散る血。
「こんなもんだったんだな。抵抗出来ない奴の顔面を思い切りぶん殴るのって」
全てが、不愉快だ。
「お前らは、なんであんなに楽しそうに、こんな胸糞悪いことが出来たんだ! 答えろ!」
諸本は、何も答えない。
一瞬で、自分の頭に血が昇るのが解った。
それを自覚しつつも、衝動のような怒りが止められない。
怒り狂う自分と、それを見下す自分が同時に、俺の中にいる。
気付くと俺は、昨夜こいつを刺したナイフを取り出して、ひたすら顔面を刺し続けていた。
-
38 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2017/08/22(火) 03:26:53 ID:0dep3B6g0
-
「答えろよ! 答えろっつってんだろうが!」
何度も何度も突き刺して、刀身から柄を介して掌に伝わる感触は不愉快。
目に映るもの、感じるものの全てが癇に障る。
怒りを止められる気がしない。最早、止める気も無かった。
刺せば刺すだけ、自分が沼に沈んでゆくような気がした。
もう片足どころじゃない。どっぷりと腰まで浸かってしまっている。
足掻けば足掻くだけ沈むのが早いなら、いっそ何も考えず、衝動のまま振る舞う方が楽だ。
もっと、黒く塗りつぶせ。もっと黒く――
黒く――
-
39 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2017/08/22(火) 03:29:24 ID:0dep3B6g0
-
━━━━━━━━━━━━━━
━━━━━━━━
━━━━━
「なあ俺たちさ……生きてる価値あんのかな」
全身を熱を持って、関節の節々が痛む。
特に脇腹の痛みが酷い。もしかしたら、折れているのかもしれない。
起き上がるのもままならないが、触診する気すら起きなかった。
俺と同じくらい滅多打ちにされた内藤は、壁に背を預けて、肩で息をしている。
俺と内藤の惨状で違いを挙げるとするならば、顔面を殴られているか否か。
内藤の家は母子家庭だが、一応母親がいる。
俺はというと、両親は俺がガキの頃に蒸発して、それ以来、耄碌した祖母と二人暮らしだ。
近所の気のいい爺婆の温情もあって、なんとか今まで生きてきたが、
”こういうこと”までは、ご近所さんもケアしてくれないらしい。
-
40 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2017/08/22(火) 03:30:57 ID:0dep3B6g0
-
とにかく、両親がいない俺にどんな怪我を負わせようと、
面倒くさいことにはならないというのが、あいつらの共通の見解のようだ。
常に青あざがある自分の顔面を鏡で見る度に、泣きたくなる。
「もう……いやだお。しんどいお」
内藤は俺の目も憚らずに、鼻を啜りながら泣いている。
全身が痛いし、ここまでされて何一つ仕返しも出来ない自分が惨めで情けなかったが、
俺はぎりぎりのところで踏み留まる自分を、矮小な矜持で誇っていた。
-
41 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2017/08/22(火) 03:32:12 ID:0dep3B6g0
-
俺は、俺だけはこうはならない。
どれだけ虐げられても、嬲られても、絶対に涙だけは流さない。
そしてこの三年間の地獄を生き抜いて、真っ当に生きるのだ。
そんな決意を抱いて、ひたすら虎視眈々と磨き続けていたのに、
未だに情けない世迷い言が尽きない自分に腹が立つ。
「内藤。お前、こないだの模試の点数何点だった? 三〇〇点満点のやつ」
内藤の荒い呼吸が整うまで、少し時間がかかった。
「二八〇……」
内藤の点数を聞いて、少しだけ痛みが和らいだ。
「やりぃ、俺二九一点」
「独男はやっぱり頭いいお。天才だお」
「お前もな」
模試の点数を自慢することで、ようやく保たれる尊厳。
スポーツが出来れば。女子と自然に話せたら。顔面が整っていれば。
俺たちはこんな目には遭っていなかっただろう。
-
42 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2017/08/22(火) 03:33:39 ID:0dep3B6g0
-
今更、自分に無いものを並べ立てて悔やむ気は無い。
俺たちには、最初からこれしかなかったのだ。
自慢ではないが、俺たちの家庭の収入は、この中学の生徒の親の平均収入の半分にも満たないだろう。
こうなると、いよいよ先行きは暗い。
無いもの尽くしの俺たちみたいな人間が、
平気な顔をして人を虐げる奴等を見返すには、
勉強しかないのだ。
-
43 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2017/08/22(火) 03:34:49 ID:0dep3B6g0
-
「内藤、お前さ、K高に行くだろ?」
「うん。あそこは公立だし、偏差値も高いし、そのつもりだお」
「絶対受かるぞ」
内藤にかけたその言葉は、不思議と自分の胸にも、すっと染みた。
内藤は少し間を置いて、うんと答えた。
「絶対……絶対受かる。そんで奨学金借りて、一流の大学に入って、一流の大手企業に入る。あいつらみたいな人間を、思い切り顎で使ってやるんだ」
内藤は弱々しくも、確かに頷いた。
その所作は、今にも消えてしまいそうな灯火を思わせる。が、顔は険しかった。
きっとこいつも、俺と同じだ。だから、そうでなきゃならない。
絶対にこの悔しさだけは忘れちゃならない。
-
44 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2017/08/22(火) 03:35:44 ID:0dep3B6g0
-
それなのに、西陽に照らされる内藤は今にも消えてしまいそうで、それを見ていると、
なぜか目の奥が熱くなった。
目と鼻が繋がっているみたいで、
まとめてぐちゃぐちゃで、
痛かった。
視界の先、滲んだ内藤の顔は丸めたちり紙みたいにくしゃくしゃだ。
やがて獣の鳴き声のような、内藤の間抜けな声が教室に木霊して――
俺は膝を抱え、誰にも見られないように、泣いた。