ドッペルくん

Part3

92 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/08/26(土) 23:13:18 ID:7oeOYwLk0

 とうとうこの時が来てしまった。
 それはぼくが思っていたよりずっと早くて、自分の認識の甘さに腹が立った。

 朝食代わりのウイダーインゼリーを飲みながら三日ぶりに点けたテレビに、一昨日見たばかりの顔が映っている。

 姓は宇津田。名は独男。

 昨夜、Y市のナイトクラブにて高岡を殺害した容疑で指名手配。
 こうして実名が公開されるまでにかかった時間は一日にも満たない。
 異例の速さだ。
 理由としては稀に見る残忍な犯行によるところが大きいだろう。
 ニュースでは刺殺としか語られていなかったが、Y市のまちBBSを検索するとその話題でもちきりだった。

93 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/08/26(土) 23:15:36 ID:7oeOYwLk0

 犯人は被害者の同級生。
 顔面を焼かれ、全身の皮を刃物で綺麗に剥かれて、皮の部分は便器に突っ込まれていた。

 そんなアホな、とぼくは溜息を吐いた。
 目眩がする。

 場所はクラブだ。恐らく昨夜も大勢の人で賑わっていたことだろう。

 トイレが犯行があったとしても、人間の全身の皮を剥ぐまでの間にトイレを利用する者がいなかったとは考えにくい。
 その間の利用者を全員殺したとなればこの犯行も頷けるが、調べる限り被害者は高岡だけだ。

 それに近しい犯行があったとしても、掲示板に書かれていることは誇張されたものだろう。

 ツイッターを見る。
 フォローしているのは大学で知り合った人間ばかりだが、多分ツンのアカウントから遡ればすぐに中学の同級生に辿り着くだろう。

94 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/08/26(土) 23:16:15 ID:7oeOYwLk0

 だがツンの直近のツイートを見て、情報収集の手はぴたりと止まった。
 Y市のクラブに行くという旨のツイートに数件のリプライがついている。

 最初の二件はそれを羨む声だったが、残りは事件の報せを受けて彼女の身を案じるものだった。

 少し悩んだが、ツンに電話することにした。

 歯を磨いて、身支度を整えて、ようやく電話をかける決心がついた。
 数回の着信音。
 ワンコールごとに、掌が汗で滲む。

 「……もしもし」

95 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/08/26(土) 23:17:14 ID:7oeOYwLk0

 六回目の呼び出し音の後にツンの声。
 第一声を聞いただけで、消沈していることが窺える。
 その声を聞いた途端、ぼくは何を言えばいいのか分からなくなった。

 「大丈夫かお?」

 「……へーき」

 辛かった。怖かった。とでも言われればまだ何か言いようがあるのに、
 それだけ言って黙り込むものだから、沈黙だけが重なる。

 「宇津田がいたわ」

 「クラブに?」

 「……うん」

 「……何か、話した?」

 「いや……」

96 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/08/26(土) 23:18:34 ID:7oeOYwLk0

 口籠る。その理由が判然としなかったから、多分ぼくには言いづらいことを話したのだろうと思ったが、
 直後の言葉を聞いて、理由は分かった。

 「多分あいつが高岡くんを殺した後になるのかな……そこでぶつかったわ。呼んだけどそのまま行っちゃったから」

 「そうかお」

 「復讐、よね」

 ぼくらにとって高岡は糞以下の蛆虫だが、ツンにとってはクラスメイトの一人。
 彼の死を、実際に自分で口にするのは憚られるのだろう。

 それでも、ぼくの前でそのような態度を取るその無神経さに、腹が立った。
 身勝手であることは重々承知の上で、ぼくは彼女が胸を痛めていること自体に憤っていた。
 無神経なのは、どっちの方?

 ――言うまでもない。

97 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/08/26(土) 23:19:50 ID:7oeOYwLk0

 「あんた、何か知ってるんでしょ? 宇津田と会ったって言ってたわよね」

 「……」

 「諸本くんも行方不明なんだって。どうせそれも知ってたんでしょ?」

 「なんとか言ってよ。黙ってたらあんたも同罪よ。ねえってば」

 「同罪だったらなんだってんだお」

 自分で認識する自分の声が明確な怒気を孕んでいることに、驚いた。

 「中学時代の仲良しな同級生を守りたい。危機から助け出したい。
 ご立派だよ。あくびが出るくらい立派だよ。
 でもぼくたちからしたらあんな奴等、死んでしまった方がいいんだ。
 あのクラスの人間は一人残らず、無残に死んでしまった方がいいと思ってる。
 それが悪いことだって自覚はしてるよ。ぼくも、多分、独男も……
 そういうことは全部解った上で生きてるんだ。だから、だからさ……
 ぼくたちの知らないところで後ろ指を指して、今まで通り粗末な玩具みたいに見下して笑っててくれよ……
 ぼくたちを、毛ほどに残ったぼくたちの自意識を、これ以上脅かさないでくれよ」

 言葉は泥のように。吐き出すたびに痛くなる。
 胸が痛い。喉が痛い。目の奥が痛い。

98 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/08/26(土) 23:20:53 ID:7oeOYwLk0

 熱い砂の上を裸足で歩くように、ぼくにはどうすればこの鈍痛が消えてくれるのか解らなかった。

 「私も……」

 「……」

 「私も、死んでしまった方がいい?」

 一番聞かれたくなかったことだ。
 だが、これに答えなければぼくは今後、一生あの日々の蟠りを抱えたまま生きてゆくことになるのだろう。
 たとえ独男が埴谷を殺したとしても、クラスメイト全員が不幸になっても。

 「うん」

 ぼくははっきりと、ツンの存在ごと否定した。
 独男が復讐に走る様を止めずに黙って見ていたぼくを彼女が否定したように、
 ぼくもあの時何もしなかった、危害を加えなかったツンをはっきりと、否定した。

99 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/08/26(土) 23:21:57 ID:7oeOYwLk0

 暫く無言が続いた。
 ぼくから言うことはもう何も無くて、彼女の返答を受けてそれを決別とする。
 そのつもりでいるから、この沈黙が永遠にも等しい時間に思えた。

 ツンのことが嫌いなわけではなく、煩わしいわけではなく、
 ただ、ぼく自身があの時間を許容出来ないだけなのだ。

 あの地獄を取り巻く全てのものに何の罪もなくたって、
 ぼくにはそれを想起して、駆け抜けるような青春だったと懐かしむ術が無い。

 高校に入って、独男は髪を染めた。
 体育館の裏で煙草を吸うようになった。
 常に不機嫌そうな顔をして、近寄る人間を威圧した。
 何かから逃げているようにしか見えなかった。
 そのようにしてぼくは、本当に一人になった。

 そんな折に声をかけてくれたツンに感謝はしている。
 本当に嬉しかった。何も悪くないぼくが、許されたような気がした。

102 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/08/26(土) 23:23:47 ID:7oeOYwLk0







 
 ぼくの後ろで、独男が泣いているような気がした。








.

103 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/08/26(土) 23:24:32 ID:7oeOYwLk0

 見ないようにする権利がぼくにはあった。
 それでも、淋しげにものを言う独男の背中から目を逸らすことが出来なかった。

 鎖か、呪いのようなもの。
 その呪縛を振り払うことが出来るものは自分の意志以外に無いから、誰からも共感を得られないのだ。 
 暗闇の中、朧げに浮かび上がる独男はぼくと同じ顔をしていた。

 何から何まで瓜二つなのに、ぼくは独男ではないし、独男はぼくではない。
 絶対に交わらぬもの。

104 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/08/26(土) 23:25:31 ID:7oeOYwLk0

 互いに足取り重く進む永劫。

 ゆえにそこに救いはなく平行。

 胸の中湛えた抵抗。

 色褪せた脳内の映像。

 どこまで行っても不幸だった。
 何事もない平穏な日々が傷を癒やすことなんてない。
 一度でも幸福を感じたことがあるからこそ身に沁みる不幸。

 そんな詭弁はくそくらえだ。
 ぼくたちは徹底的に虐げられていた。
 泥に塗れた道の中で差し込んだ光。

105 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/08/26(土) 23:26:44 ID:7oeOYwLk0

 それを阻むものを切り捨てることになったとして、
 足を止める道理にはならない。

 横道に逸れるという選択肢が残されていない。
 その道を塞いでしまったのは他ならぬこのぼくだから、ぼくは、行くよ。

 今までありがとう。

 君が見せてくれた可能性は、本当に眩しくて、貴いものだった。



 「……そっか」


.

106 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/08/26(土) 23:27:31 ID:7oeOYwLk0

 今日が、最後の夜になる。

 当時の虐めの主犯格の最後の一人、埴谷は既婚者だ。
 家庭を持った人間が仕事以外の時間をどこで過ごすか。

 そんなこと、聞くまでもない。家だ。

 ぼくが独男ならば、確実に仕事から帰っているであろう夜中に、自宅を狙う。

 何の根拠もないけれど、独男ならそうするという確信があった。
 警察にも追われる立場だ。
 実行に移すとすれば、今日以外にない。

107 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/08/26(土) 23:29:00 ID:7oeOYwLk0

 埴谷の家を特定するのに、二時間もかからなかった。

 自宅の表で子供を抱いた写真をインスタグラムにアップしていたこと。
 そして同じ学区だったので、その通りの風景に見覚えがあったこと。

 これだけ特定出来る要素があれば、辿り着くのに苦は無い。

 だがそれは独男にとっても同じことが言える。
 きっと高岡を殺してすぐに、いやあるいは、
 高岡を殺す前から、予め埴谷の家を特定していたかもしれない。

 そう考えると、昨夜のうちに埴谷が殺されなかったことは奇跡だと言える。

108 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/08/26(土) 23:29:54 ID:7oeOYwLk0

 電車で一時間。久しぶりに帰ってきた地元の空気は褪せていた。
 感傷に浸る余裕が無い。

 最寄り駅から降りて、一歩、また一歩と進むごとに、
 自分を取り巻く空気そのものが質量を帯びて、冷たく纏わりつくような気がした。
 
 埴谷の家まであと五分ほどだろうか。

 きっと、昼間ならば遥か前方に家の構えをはっきりと視認出来ているのだろう。

 街灯が少なく、夜闇が際限なく空気に湛えられ、深く淀む。

 そんな暗がりの中だから、背後からぼくを照らすヘッドライトにすぐ気付いた。

109 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/08/26(土) 23:30:46 ID:7oeOYwLk0

 ライトを中心に、朧げに浮かび上がる車体は独男の車によく似ていた。
 いや、むしろ独男のものだとしか思えなかった。

 事あるごとにぼくたちは他人として、
 それでいてそっくりそのままな奇妙な隣人として共感を重ね続けてきた。

 その集大成とも言える共鳴の精度。
 研ぎ澄まされた刃のように鋭いそれが、針の筵となって全身を包む。

 痛い――

 全身を貫かれて、もう吐きそうだ。
 全てを、投げ出してしまいたかった。

110 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/08/26(土) 23:31:38 ID:7oeOYwLk0

 奥歯を噛み締めて、一歩前に出る。
 両手を広げて、道路の真ん中へ。

 なぁ独男、解ってるよ。
 ここまで来てしまったんだ。
 もう、止められない。止まらなくなってしまってるんだろ?

 それでもぼくは止めようと思う。
 絶対に止まらないお前を、本気で止めるつもりで――

 ライトがハイビームに切り替わる。
 クラクションの音も無い。
 エンジンの嘶きが一層激しくなる。
 衝突まで、あと何秒?

 三――
 二――
 一――

111 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/08/26(土) 23:34:58 ID:7oeOYwLk0

 人を撥ねたのは初めてだ。
 真っ直ぐ、ブレーキを踏まずに、躊躇いなく撥ね飛ばしてやった。

 衝突の寸前、ライトに照らされて浮かび上がった奴の表情は、悲しげだった。

 本当に、ありがとう。

 こんな俺のために、自分の人生すら投げ打って、この救いようのない一連の復讐劇を止めようとしてくれて、ありがとう。

 お前が投げ打った命は、結果に何の変化も齎さない。
 エンドロールすら仄暗いことに何の変わりはなくとも、俺は、
 俺の人生の中で、お前という人間に出会えて本当に良かったと思う。

112 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/08/26(土) 23:35:51 ID:7oeOYwLk0

 埴谷の家の玄関に向かって、アクセルを踏み込む。
 ブレーキは要らない。真っ直ぐ、この身体が千切れたとしても、構うものか。
 衝撃で脳が揺れる。どこを直接打ち付けたわけでもないのに、全身に痛みが走る。

 ぶつかる寸前に開いたドアが取れてしまって、飛び出したエアバッグに押し出され、そこから車外に放り出される。

 ガソリンが漏れているかもしれない。
 二人分の悲鳴と、赤子の鳴き声が木霊する。

 どこだ。何処だ?

 予めバックシートのポケットに忍ばせておいた包丁に手を伸ばし、握りを確かめる。
 胸と脇腹がひどく痛むが、やってやれないことはない。

113 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/08/26(土) 23:37:00 ID:7oeOYwLk0

 「宇津田か」

 階段らしきスペースから降りてくる人影。
 声を聞いただけで、それが誰かは解った。
 埴谷だ――

 「俺のところにも来ると思ってたよ。いやむしろ、待っていた」

 「……随分と余裕だな」

 シャツの胸ポケットには煙草。衝撃で吹き飛んでいなかったようだ。
 一本だけ吸う。ハイライトの中に混じったくしゃくしゃのガンジャ。

 ガソリンに引火しようと知ったこっちゃない。
 今更、死ぬのは怖くない。

114 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/08/26(土) 23:37:58 ID:7oeOYwLk0

 「今わの際に、何か言いたいことはあるか?」

 包丁を突きつけて、埴谷の言葉を待つ。

 「悪かった」

 埴谷の口から漏れた言葉に、俺は頭が真っ白になった。
 大麻をやっている時特有の鋭敏な感覚をもってしても、何も感じることが出来なかった。

 「馬鹿なことをやったと思ってる。お前の気が済むなら、俺を殺せばいい。
 好きなようにしてくれればいいさ。そんなことをしても俺がやったことがチャラになるとは思わねえけどな」

 「ほう……」

 むざむざと差し出された首を切り落とすことに抵抗は無い。

 だが、何かが引っかかる。
 高校を中退して、阿漕な生業に手を染めたがゆえの防衛本能なのかもしれない。

115 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/08/26(土) 23:39:31 ID:7oeOYwLk0

 近づくなと、俺の頭の中で警鐘が鳴り響いていた。

 「えらく聞き分けがいいんだな。理由を聞こうか」

 「そんな大層なもんじゃない。家庭を持てば、価値観が変わる。それだけの話だ」

 「……家庭?」

 「ああ」

 「……ふざけんなよ。家庭を持って丸くなったから、蛆虫みてえな奴が真人間になったってのかよ! ああ!?」

 「その通りだ。その通りなんだよ。
 お前には信じられないかもしれないけどな、ガキが産まれた瞬間から、
 なっちまったんだよ。むしがよすぎるよな。俺もそう思う。だけど、これは事実なんだ」

 「やめろ! やめろ! やめろ! 
 聞きたくねえ! 聞きたくねえ! 
 出鱈目なレッテルを貼って毎日毎日俺たちをこき下ろしたその口で、そんなこと言うんじゃねえよ! 
 じゃあ何か? 自分を殺す代わりに、家族だけは見逃してくれとでも言うつもりかよ! 
 通さねえ、絶対そんな出鱈目な要求通さねえからな!」

116 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/08/26(土) 23:40:59 ID:7oeOYwLk0

 もう刃が鼻先に刺さるんじゃないかってくらい詰め寄った。
 直前の警鐘なんて、どこかに吹き飛んでしまっていた。

 埴谷はそれでも、抵抗せず、ただ静かに両手を上げて、そのまま床に膝をついた。
 見上げることもせず、その視線のまま、真っ直ぐ俺の膝あたりを見つめている。
 やるせなかった。今すぐ車が爆発して、全てを焼き払ってくれればいいのに、そう思った。

 「……頼む。嫁とガキだけは、見逃してやってくれ。あいつらはお前のことなんか知らねえんだ」

 「言うな! もう何も喋るな!」

 「……お前がそれを望むんなら、黙ってる。だから――」

 「うるせえええええええええええ!!」

 力任せに包丁を肩に突き刺し、間を置かずに引き抜いた。
 埴谷は正座の姿勢のまま、悲鳴一つ上げずに目を瞑り、痛みに耐えている。

117 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/08/26(土) 23:41:55 ID:7oeOYwLk0

 「ぶっ殺してやる! お前を殺した後に、全員ぶっ殺してやる! 
 ガキをずたずたに引き裂いて、ガキの腸で嫁の首を締めながら犯してやるよ! 
 出来ねえと思ってんだろ! いじめられっ子の俺にはそんなこと出来ねえと思ってるから、
 今更のこのこと顔を出して薄っぺらい謝罪なんか並べ立てられるんだろ!」

 「…………」

 「なんとか言えよクソッタレ!」

 包丁を握りしめて、思い切り振り上げた両手が軽い。
 そのまま天井まで突き破ってしまいそうだった。

 伸び切った腕。そしてそのまま、振り下ろす。
 自由落下のように埴谷の頭に落ちる包丁の刃が、途中で止まった。

118 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/08/26(土) 23:42:29 ID:7oeOYwLk0




















.

119 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/08/26(土) 23:43:56 ID:7oeOYwLk0


 「もう、どうしたらいいか解らなかったんだ」

 目の奥から溢れる、堰き止めようのないもの。
 それがぼろぼろと頬を伝う。焼けるように熱い。

 背中に感じる温み。
 うなじをくすぐる吐息。
 がっしりと、力強く握られた二の腕。

 背後から俺を止める者が誰か。

 俺はその暖かさだけで、実感することが出来た。

120 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/08/26(土) 23:44:49 ID:7oeOYwLk0

 「解るよ」

 「こんな糞みたいな人生で、出来ることが自分勝手な八つ当たりだったとしても、
 こいつらにだけは解らせてやりたかった」

 「……自分の頭の中を何気なく通り過ぎてゆく選択が、人の心の中で一生残ることを」

 「自分を正当化する気なんて更々無かったよ。
 大義名分なんて欲しくない。かといって復讐することで全ての気が晴れるなんて思ってもないさ」

 「うん、うん」

 「ただ、幸せになりたかった」

121 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/08/26(土) 23:45:50 ID:7oeOYwLk0

 足元の埴谷が、懐に手を突っ込むのが見えた。
 覗く鈍色の刃。それを認識しながらも、手元の力は抜けて、指から包丁がすり抜けた。

 ああ、こんなもんだ。
 俺の人生って、こんなもんだったんだ。
 最初から、解ってた。

 腹部を一突き、痛みまで鮮明で、
 一瞬で持って行かれそうになった意識の糸を無理やり手繰り寄せる。

 背中に寄りかかっていた内藤の身体が崩れ落ちて、足元に転がる。

 代わりに立ち上がる埴谷。


 力が入らない身体。

122 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/08/26(土) 23:47:06 ID:7oeOYwLk0

 痛みが全身に伝染して、震える膝。こみ上げる吐き気。

 倒れ込んだ床は、暖かかった。
 俺は産まれて初めて、自分の血の温もりを知った。
 自分に、血が通っていることを思い出した。

 視線の先に、苦しそうで、それでいてどこか安らかな表情を浮かべる内藤の顔。

 無理やり首を擡げると、鼻息荒く見下ろす埴谷の顔。
 俺は最後の最後に、あの時怖くて言えなかったことを――




 「くたばれ。畜生共」




.

123 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/08/26(土) 23:48:26 ID:7oeOYwLk0






 ただ、それだけ言う勇気があれば、俺はきっと自分の人生を違えることは無かっただろう。



 不条理な暴力に中指を立てる意志さえあればよかったのに。



 一度も泣かないなんて上っ面だけの意思表示で誤魔化して、ずっと、ずっと――







.

124 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/08/26(土) 23:50:35 ID:7oeOYwLk0

 最後まで、俺を見捨てないでいてくれてありがとう。
 お前の未来に、華々しい光があればいいのにと、心の底から思うよ。

 なあ、俺の首に刃が深々と突き刺さった後、お前はどうしてる?
 俺と一緒に、殺されてしまうだろうか。
 今の埴谷はきっと頭に血が昇っているから、充分有り得るかもしれないな。

 ……それだけは嫌だな。

 俺とお前は他人だけど、俺は、お前は俺だとはっきり言えるんだ。

 決して交わらない俺たちだけれど、
 どこまで行っても他人な俺たちだけど、

 ずっと一緒だったんだ。

125 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/08/26(土) 23:52:04 ID:7oeOYwLk0

 鏡合わせみたいに、同じように苦しんだ。

 馬鹿をやって、虚しくもなった。

 そんなお前、俺だからさ、最後くらい、いいよな。

 こんなになって、俺はようやく正解が解ったんだ。





 
 最期に願う、自分の幸せ。
 だって、お前は俺の、


 友達だから。




 どうか内藤。精一杯生き――

126 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/08/26(土) 23:53:10 ID:7oeOYwLk0


























.

127 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/08/26(土) 23:53:49 ID:7oeOYwLk0













.

128 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/08/26(土) 23:54:12 ID:7oeOYwLk0




.

129 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/08/26(土) 23:57:07 ID:7oeOYwLk0



 深夜一時。眠れない夜だった。

 ぼくは――









【ended happily!】



.

inserted by FC2 system