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1 名前: ◆ClQdFJYDPw[] 投稿日:2017/08/21(月) 22:27:50 ID:nKiD0gBk0
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世界の終末。
古今東西、様々な人間が予言と予測を繰り返し、
ハズレ続けたそれは、いつしかゴシップのような娯楽に成り果てた。
いずれ来るだろう。
しかし、遠い未来のことだろう。
漠然とそう考える者。
明日にでも滅べばいい。
一人きりで死ぬのは寂しいが、
皆で終われるのならば最高だ。
薄暗く笑いながら願う者。
たった七日間で作られたこの世界に、
十人十色、様々な人間が、
傷つけ、傷つけられ、愚かな行いを繰り返しながら、
それでも愛と情を持って生きている。
しかし、神様とやらは、ようやく気づいたようだった。
厨二病患者が嬉々として語っていそうな、
馬鹿げているような事実に。
――この世界は失敗作であった、と。
だが神は慈悲深く、思慮深い。
自身の失敗を受け入れ、
被害者である世界中の生き物達へ最期の奇跡を与えてくれるほどには。
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2 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/08/21(月) 22:29:51 ID:nKiD0gBk0
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7月14日11:10:01 素直ヒート
いつもと同じ朝。
同じ空気。
変わらぬ人々。
とある研究所に所属し、
営業部として日々活動しているヒートの生活は、
昨日、一昨日と同じ行動の繰り返しだった。
ノパ听)「あっついなぁ」
さんさんと降り注ぐ太陽光は強烈で、
日焼け止めをたっぷり塗っているはずの彼女の身体ですら、
じりじりと皮膚が焼けていっているような気がした。
ノパ听)「アタシもなー。
もう少し頭が良けりゃ、
クーラーのあるところで働いてる連中と一緒に……って、
ちょっとやそこらじゃ足りないか」
誰に聞かせるでもなく、
ぶつぶつと呟きながら足を進めていく。
何処かに苛立ちをぶつけなければやってられない気温だ。
周囲の人間も女の独り言を気にかける余裕すらないらしく、
早足で目的地へ向かう者ばかり。
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3 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/08/21(月) 22:30:56 ID:nKiD0gBk0
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ノパ听)「うちのヤツラってみーんな頭おかしいくらい賢いからな……」
彼女が所属している研究所は、
新エネルギーの開発及び、
地震等自然災害対策を研究している。
胡散臭いといわれてしまうかもしれないが、
皆、知識に対する欲求が大きすぎるだけで、
それを除けば生真面目で気の良い連中だ。
ヒートは彼らの研究成果を企業に売り込み、
次の研究費を得るためのスポンサー探しに従事している。
ノパー゚)「でも、アタシがいないと始まんないしな!
今日の営業が終わったら研究所に顔出して、
あまーいアイスでも奢らせよっと」
欲求と情熱だけで研究はできない。
世の中、金だけではないというが、
金が無ければどうにもならないことの方が多いのが現実。
研究所の面々もそれを良く理解しているため、
彼女のことを下に見ることなく扱ってくれている。
近頃では、婚期が遅れている、人口維持のためにも結婚を、と、
余計なお節介を焼いてくる者もいるほどだ。
ノパ听)「――ん?」
仕事終わりを思い、
汗を拭ったところで、彼女は首を傾げることとなった。
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4 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/08/21(月) 22:31:57 ID:nKiD0gBk0
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ノパ听)「止まって、る?」
しん、とした世界。
聞こえてくるのは、自身の鼓動と身じろぎの音だけ。
車の音も、人々の声も、風の音も。
全て消えていた。
否、全てが止まっている。
ノハ;゚听)「何だ、これ」
数歩先を行くサラリーマンは
片足をわずかに浮かせた体勢のまま硬直しており、
その隣を駆け抜けようとしていたであろう少女は、
あろうことか地面からほんの少しではあるが、浮遊した状態で静止していた。
ヒートの知る物理法則が全て無視されている状態だ。
夢か、暑さによる幻覚か。
どちらかでなければ説明がつかない。
ノハ;゚听)「あれか? ふ、フラッシュモブ!」
ドッキリ番組等で見かけるようになった行為。
今、自分はカメラに撮られており、
反応を確認されているのではないか。
その願いを込めて声を張り上げる。
だが、わかっていた。
それは、ありえないことだと。
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5 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/08/21(月) 22:32:42 ID:nKiD0gBk0
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ひとしきり声を上げ、
周囲で硬直している人々に触れて回る。
体感としては数分。
それだけの時間をかけ、
ようやく彼女は納得のいく答えを得ることができた。
ノパ听)「……神の慈悲、か」
天を見上げる。
太陽の輝きは変わらず眩しいというのに、
感じられる熱量は先ほどよりも少ない。
冬に比べればいささか色が薄い青空も、
動きの止まった雲に彩られ、何処か寂しげだ。
ノパワ゚)「ふふ、世界の終末か」
ヒートは両腕を広げ、
胸いっぱいに空気を吸い込む。
落ち着いてみれば、何と簡単なことだったのだろうか。
全ては本能か、古来から受け継がれてきた遺伝子かがちゃんと教えてくれていた。
ノパワ゚)「何をしようかな!」
これは世界が終わる前、生きとし生けるもの全てに与えられた、
長い長い1秒間だ。
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6 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/08/21(月) 22:33:21 ID:nKiD0gBk0
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自分以外、動くモノが見えない世界は、
神様から与えられた最後のプレゼントだ。
ノパ听)「とりあえず、歩くか」
研究所に戻る、という選択肢はなかった。
そこまで社畜根性に溢れていたわけではないし、
自身が戻ったところで何もできない、とわかっていたからだ。
ならば、せっかく与えられた長い時間。
好き勝手に使わなければ勿体無いというもの。
ノパ听)「もう日焼けも気にしなくていいんだなぁ」
太陽の光を思う存分に浴びながら、
ヒートはパンプスの踵を鳴らし、歩く。
今まではシミ予防だ、アンチエイジングだと、
日光に多大なる気を使っていたのだが、
世界の終わりとなればそんなことを心配する必要はない。
小学生のように何も考えず、
刺すような日差しの下で転げまわることができるというものだ。
ノパ听)「静かだなぁ」
目的地は特に無い。
ただただ、真っ直ぐに歩く。
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7 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/08/21(月) 22:35:04 ID:nKiD0gBk0
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かつて、ヒートは陸上部に所属していた。
自身の足のみを使い、何処までも駆けてゆく。
その感覚がたまらなく好きだった。
ノパ听)「あー、あのクレープ屋、いつか行こうと思ってたのにな」
笑顔の店員と、照れくさそうな男子高校生。
どちらも時が止まっている。
ノハ;゚听)「前から狙ってたワンピースのセールしてる!
うっそー、もうちょっと早く教えてほしかった……」
ワインレッドのワンピースが展示されたショーケースは、
営業でこの辺りを通るたびにチェックしていた。
普段はスカートの類をはかない彼女なのだが、
値引きの文字が書かれたそのワンピースだけは、
いつかゲットしようと目論んでいたものだ。
ノパ听)「新しい店?
あ、ジュエリーショップか」
結婚、婚約指輪も取り扱っています、と書かれた看板に、
ヒートは小さくため息をつく。
学生時代、モテなかったわけではないけれど、
結婚を考えるほどのお付き合いをした男は今のところいない。
まだまだ先があると考えていたのだが、
世界が終わってしまうのなら、もう少し真剣に婚活をしておくべきだったか、と思ってしまう。
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8 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/08/21(月) 22:36:25 ID:nKiD0gBk0
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ノパ听)「まだ知ってる風景か」
見知った大通りを抜けたが、
広がっている風景はまだ見覚えのあるものばかり。
もう少し行けばスーパーがあるということだってわかってしまう。
ノパ听)「何処まで行けるのかわからんが、
行けるところまでは行こうか」
幸い、体力には自信がある。
問題なのは長い1秒がいつまで続いてくれるのか、という点だが、
そこに関しては悩んだところでしかたがないと割り切ることにした。
ノパ听)「鳥や犬も止まってるのか。
よし、ちょっと撫でてやろう」
散歩中のゴールデンレトリバーに近づき、
ふわふわの毛を軽く撫でてやる。
時が止まっている中でも、
生き物の体温や柔らかさというのはしっかりと残っており、
アニマルセラピーというものの存在を再認識させてくれた。
ノハ*゚听)「マンションだったからなー!
飼えなかったものなー!」
他人様の犬を撫で回す女、というのは、
傍から見れば通報案件だろう。
しかし、今のヒートに怖いものはない。
時が止まっている中、
自分以外の目など存在していないのだから。
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9 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/08/21(月) 22:37:56 ID:nKiD0gBk0
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ノハ*゚听)「ふう、満足した。
ありがとうね、ワンちゃん」
満足のゆくまで撫で回したヒートは、
最後に優しく頭を叩いてから立ち上がる。
ノハ*゚听)「人目がないってサイッコー!」
改めて自分以外に動いている人間が見えない、という利点に気づき、
ヒートは両腕を高々と上げた。
いい歳だから、社会人だから、ルールだから、と、
知らず知らずのうちに押し殺していた欲望が今、
自分だけの世界、という状況下で爆発してゆく。
ノハ*゚听)「こんなもの、いーらないっ!」
上がったテンションのまま叫ぶと同時に、
彼女は肩から提げていたショルダーバックを放り投げる。
ノハ*゚听)「あんなもの持ってたら、
遠くまで行けないもんねー!」
軽くなった肩をまわしながら、
再び彼女は足を前へ踏み出す。
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10 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/08/21(月) 22:39:20 ID:nKiD0gBk0
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やや後方にて、鞄の落ちる音が聞こえた。
中には手帳やスマートフォンといった仕事道具から、
化粧ポーチや財布といった私物まで、様々な物が入っている。
地面に落ちたそれらは、大切なものであったはずだ。
しかし、その「大切」というのは、
明日があるからこそのものでしかなかった。
ノパ听)「さて、見知らぬ場所へレッツ、ゴー!」
身軽になったのは体だけではない。
未だ、かすかに縛られていた心が自由になったのだ。
ノハ*゚听)「あのくっもはなっぜ〜わったしをまってるの〜」
外聞を気にしなくてもいいというのは気楽なもので、
ヒートは勢いよく腕を振り、懐かしの歌を口ずさむほど上機嫌だった。
ノパ听)「世界はひろぉい!」
唐突に叫び、彼女は走り出す。
昔とった杵柄と言わんばかりにフォームは美しいが、
速度は過去を大きく下回る。
ノパ听)「まだまだ先がある!」
息を弾ませ、駆け足から早足に。
そして徒歩に変わっていってもなお、彼女の足が完全に止まることはない。
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11 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/08/21(月) 22:41:00 ID:nKiD0gBk0
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ノパ听)「こんな広い世界を歩いて回った人間がいるなんて、
今、改めてその凄さを認識するな!」
衛星もネットも車もない。
現代科学の無い時代に、
歩みによって正確な地図が作られたなど、
到底信じられない気持ちで一杯だ。
長い1秒が始まってからそれなりに時間が経っているが、
ヒートはようやく、ここは何処だろう、と思える場所までやってきたところだ。
先は長く、果てしない。
自分の住んでいる土地ですら、
あまりに広大で、地図を作るのに難儀することだろう。
ノパ听)「先人に負けないよう、
アタシも頑張るとするか!」
残された時間が如何ほどかはわからないが、
今の彼女にとって、
歩みを進めることよりも大切なことは存在していない。
目的はない。
強いていうのであれば、
手段こそが目的だ。
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12 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/08/21(月) 22:42:21 ID:nKiD0gBk0
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歩く。
駆ける。
また歩く。
時々は空を見て、
周囲の様子に悪戯気な笑みを浮かべ、
流れを止めた水に感動を覚える。
ノパ听)「普段はあまり行かない方向に来たのは正解だったな」
コツコツとアスファルトを叩いていたパンプスも、
今ではさくさくと土を削る音を作り出すのに尽力していた。
大勢の人々に溢れていた場所から、
どれだけ離れてきたのだろうか。
周囲には木々があり、花があり、水がある。
暑苦しいアスファルトはすっかり消え、
地面と石畳が混在した道になっていた。
ノパ听)「綺麗な水……」
自然が多いとはいえ、
括りとしては都会に入るだろう場所だというのに、
時間が進んでいる間であれば流れていたであろう水は透明に澄んでいた。
魚の姿は見えないが、
川の底にある石ころはよく見える。
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13 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/08/21(月) 22:44:13 ID:nKiD0gBk0
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ノパ听)「そうだ!」
思いつくと同時にヒートは足を止め、
柔らかな足を包み込んでくれていたパンプスを脱ぎ捨てる。
ノパ )「……ちょっとだけ、誰もいないし」
一瞬だけためらったが、
周囲にいる生物が全て静止していることを確認し、
スラックスに手をかけた。
ノハ> )「えいっ!」
掛け声と共に彼女はスラックスを下ろす。
通常時であれば痴女として通報されてしかるべき行為だが、
この場にそれを行う者はいない。
下半身の肌色と桃色を見せ付ける形となった彼女は、
すぐさまストッキングを脱ぎ捨て、
再びスラックスに足を通す。
ノパ听)「よし、後は裾を折って……」
膝下あたりまで折れば、
短パンスタイルの出来上がりだ。
脱ぎたてのストッキングは景観を壊すゴミとなってもらう。
鞄を捨ててしまったため、
持ち歩くことができないのだから仕方のないことだ、とヒートは心中で言い訳をする。
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14 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/08/21(月) 22:45:32 ID:nKiD0gBk0
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ノパ听)「おぉ、冷たい……」
流れの止まった川に足を浸せば、
ひんやりとした感覚がじんわりと足に付きまとう。
流れはすっかり止まっているというのに、
水桶やプールに溜められた水とは明らかに違う感覚がした。
ノハ*゚听)「このまま上流まで行くのもいいな」
ヒートが足を動かせば、
水はざぶざぶと音をたてる。
殆どの音が消えてしまった中で聞く水の音は、
とても心地が良く、いつまでも聞いていられそうだ。
ノハ;゚听)「水の中って結構、滑るんだな。
気をつけないと……。
浅い川でも死ぬときは死ぬらしいし」
どのみち長くない命。
つまらない死に方をするよりかは、
世界の終わりとやらを向かえて死ぬほうが有意義だろう。
ノパ听)「それにしても気持ち良いな。
この感覚を知らないまま死ぬところだったと思うと、
短くも長いこの時間を与えてくれた神に感謝せねば」
もしも、時間が止まることなく世界の終末を知ったならば。
こんな風にのんびりと歩くことはできなかっただろう。
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15 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/08/21(月) 22:46:38 ID:nKiD0gBk0
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周囲に流され、感情は連鎖し、
暴動と混乱の渦に巻き込まれ、
恐怖と絶望に満ちて終わりを迎えたに違いない。
一人っきりであるからこそ、
気持ちを整理することができ、
自身の正直な欲と向き合うことができた。
ノパ听)「もしかすると、この辺りは夏になれば蛍が見れたりしたのだろうか」
綺麗な水がなければ生きていけないと言われているあの虫も、
この場所でならばきっとのびのびと生を謳歌することができただろう。
求愛のために光り輝く彼らの姿を一度しっかりと見ておけばよかった。
小さな後悔がヒートの中に生まれる。
都会で生まれ、育った彼女は、
その光景を見ることを初めから諦めてしまっていたのだ。
ノハ;--)「灯台下暗し……!」
しっかりと情報収集をしていれば、
すぐにだって気づけたはずだというのに。
せっかくの情報社会も、
求める側の人間が下手ではどうにもならない。
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16 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/08/21(月) 22:47:31 ID:nKiD0gBk0
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ノパ听)「しかぁし! アタシは後悔を引きずらない!」
気合を入れるかのような雄たけびと共に、
彼女は水の中をひた走る。
足元に気をつけて、と思った矢先ではあったが、
それをつっこむ者もいないのでどうでもいいことだった。
ノハ*゚听)「ない未来にも! 戻れぬ過去にも!
アタシは縛られたりしないんだ!」
スライディングをする要領で浅い川に滑り込む。
柔らかくなったとはいえ、強い熱量をもっている日差しによって
焼かれていた頭皮に冷ややかな水が染みこんでゆく。
顔も水で濡れ、今朝も早くから起きて施した化粧が中途半端に落ちてしまっていた。
薄めの化粧をしている彼女なので、
化け物のような風貌になることこそ避けられたものの、
決して良い見栄えとは言いがたい姿だ。
ノハ*^凵O)「化粧なんていらない!
大体からして、何でしなきゃマナー違反とか言われるんだ。
毎朝毎朝、そんなのに時間かけるなら寝てたかったんだよなー!」
水の中に座り込み、
ヒートは声を上げて笑う。
静かな世界の中、彼女の声だけが響き、広がってゆく。
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17 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/08/21(月) 22:48:05 ID:nKiD0gBk0
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ノパ听)「さあ、また歩かないと」
濡れた身体を持ち上げて、
彼女は名残惜しそうに川を出る。
上流まではまだ遠いが、
少しずつ水が深まっているので、
これ以上、徒歩で進み続けるのは危険だろう、と判断したのだ。
ノパ听)「あ、パンプス置いてきちゃった」
水辺で服の裾を絞りながらぽつりと呟く。
遥か後方にパンプスを放り出したまま、ここまできてしまった。
ノパ听)「んー、でもいっか」
どのみち、頭のてっぺんからつま先まで水浸しなのだ。
靴を履いたとしても不快感を得るだけの結果になるのは目に見えている。
ノパ听)「この辺りの地面なら裸足でも大丈夫だろ」
アスファルトと違い、
砂利はそれほど熱を溜め込まない。
小石が足の裏に食い込むことはあるだろうけれど、
進む意思を妨害することはないはずだ。
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18 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/08/21(月) 22:49:05 ID:nKiD0gBk0
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軽く服から水気を搾り取り、
さして自慢する質ではない長い髪を振り、水滴を飛ばす。
多少は水の重さから逃れられたような気もするが、
髪から頬を伝い、顎から滴っていく雫は止まらないし、
肌にぺたりと張り付く服はわずらわしい。
ノパ听)「着衣水泳の後を思い出すなぁ」
止まった世界では風も存在しておらず、
水分が蒸発していくこともない。
なのに太陽の熱だけは的確にヒートを刺すのだから、
理不尽としか言いようがないだろう。
ノパ听)「プールの後の授業は眠くて眠くて、
窓から入ってくる風の生暖かさだって、
濡れたばかりのアタシ達には丁度良い具合で」
遠い過去、というには彼女はまだ若いけれど、
それでも戻れぬ、愛おしい過去であることには違いない。
ノハ--)「風とまざる塩素の匂いのせいで、
まだ水の中にいるような不思議な感覚にさせてくれてたっけ。
それで、先生の声を子守唄にしたんだ」
セミの鳴き声。誰かが持ち込んだ風鈴の音。
黒板を叩くチョークの音とかすかに香る汗の匂い。
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19 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/08/21(月) 22:49:52 ID:nKiD0gBk0
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何気ない日常を惜しむ気持ちは確かにあって、
けれども、忙しい日々の中で忘却されていってしまう些細な思い出。
世界が終わる前に、それをもう一度蘇らせることができた。
それだけで、ここまで歩き続けてきた価値がある。
ノパ听)「アタシはどこまで行けるんだろう」
何処までも行ける気がしていた。
何にだってなれると思っていた。
あの、少年少女時代。
いつの頃からか、自分の限界を知り、
無茶をやめ、夢を捨ててしまった。
開けすぎた未来はあまりにも恐ろしくて、
自分の力では太刀打ちできない化け物のように思えてならなかったのだ。
皮肉なことだが、
世界が終わると知り、
未来が極端に狭まってしまったことで、
ヒートは無限にも似たあの、根拠のない自信と夢を取り戻しつつあった。
ノパ听)「この、小さな一歩が」
進むための足は、歩幅を大きくとる。
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20 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/08/21(月) 22:50:33 ID:nKiD0gBk0
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ノハ*゚听)「何処まで続くのかな」
鋭い石が彼女の足をわずかに傷つけた。
ノハ*^凵O)「きっと、何処までも、続くんだろうなぁ」
自然とヒートの歩みは速くなる。
心臓の高鳴りと、進みたいという意志が足に伝わり、
痛みも疲れも吹き飛ばしてくれた。
ノパ听)「小学生の頃は、タイムを縮めるために裸足で走ったっけ」
また一つ、過去が浮かび上がる。
思い出は連鎖的に再生され、
彼女の気持ちを昂ぶらせていく。
ノパ听)「男子にだって負けたことがなかった」
自慢の足は、今も同年代の子と比べて細く、
温泉や海水浴に行くたび、羨ましがられている。
ノハ*゚听)「真っ直ぐ! 真っ直ぐ走ることに関しては、
アタシは誰よりも得意で、自信があった!」
足は止まらない。
民家の脇を通り、無人販売所を過ぎ、
しばらく進めばまた都会然とした風景が見えてくる。
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21 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/08/21(月) 22:51:15 ID:nKiD0gBk0
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真っ直ぐ進んできたつもりではあったのだが、
行き止まり等があれば曲がらざるを得ず、
浸かっていた川からはずいぶんと離れてしまっていた。
ノパ听)「またアスファルトか。
裸足で歩けるかな」
不安げな言葉ではあるが、
彼女の足取りだけは迷いがない。
小石やガラス片によって傷だらけになってしまった足だが、
今更、痛み程度で座り込むわけにはいかないのだ。
ノパ听)「この辺りは知らない場所だな。
名前くらいは聞いたことがあるけど」
歩いて、歩いて。
ようやくたどり着いた場所だというのに、
雑談の中で名前くらいは聞いたことのある場所に来てしまった。
先ほどまでの道のりは見ず知らず、といった所だったので、
世界というのは狭いのか広いのか判断に悩んでしまう。
ノパ听)「美味しいコロッケ屋があるんだっけ? 確か」
ぺたり、ぺたり、とアスファルトを行く。
ヒートが通った後には水滴と、わずかな血が染み付いていた。
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22 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/08/21(月) 22:51:47 ID:nKiD0gBk0
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――そして、秒針が1つ、進む――
世界は思い出したかのようにざわめきだす。
人々の声、セミの鳴き声、車の音、足音、風の音。
正面から吹き込んできた風にヒートの髪がなびく。
水滴がぱらぱらと勢いよく地面に落ちてく。
ノパ听)「まだまだアタシは進める」
1秒が過ぎるごとに周囲の様子が変化していく。
視界の端に映っていた女性が消え、
誰もいなかったはずの場所に見知らぬ男がいる。
混乱した様子の人間が徐々に増えてゆき、
嗚咽が零れるように聞こえ、
愛を叫ぶ声が熱く空気を揺らす。
それでも、ヒートは止まらない。
嘆きも悲しみもなく、美しい希望だけを目に抱いて。
彼女は満足のゆく1秒間と、
世界が終わるまでの幾ばくかを得ることができたのだ。
足を止める理由は何処にもない。