o川* ー )o幼年期が終わるようです

《 二 》

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96 名前:名も無きAAのようです[] 投稿日:2014/09/25(木) 19:13:10 ID:S8s5N.lo0
     《 ※ 》



「もはや彼女は使い物にならん」

「後二十年――せめて十年は保つものと思っていたが」

「器ではなかったということだろう。幸い世継ぎには恵まれた。
 それで良しとしようではないか」

「その世継ぎのことだが、誰に面倒を見させるつもりだ?」

「ヒートでよかろう。あれとて素直の家に生まれた娘、
 その程度の役割ならば任せても差し支えはあるまい」

「私は反対だ。太梵を感じられぬ者が教育など笑止千万。
 杉浦から乳母(めのと)を招き入れた方がまだましというもの。
 それにあれの娘のこともある。良からぬ影響を与えかねん」

「知障の娘か……。あれもよくよく面倒を持ち込む」

97 名前:名も無きAAのようです[] 投稿日:2014/09/25(木) 19:15:19 ID:S8s5N.lo0
「そのことだが、異常が判明した以上、
 あれの娘を素直に置いておく必要はないと私は考えている」

「相真へ送るのか?」

「いや、そのまま太梵へ還す。幼く無垢な今の内ならば、まだ間に合うはずだ」

「異議はない。むしろ遅すぎたくらいだろう」

「然り。あれも娘が消えれば、自らの役目に専心できるというもの」

「なれば」

「うむ」

「ギコ殿、構いませぬな」

「素直の意のままに……」

99 名前:名も無きAAのようです[] 投稿日:2014/09/25(木) 19:17:20 ID:S8s5N.lo0
これは夢だ。私の夢。限りなく現実に即した私の悪夢。
腹を痛めて生んだ子が目の前で連れ去られていくのを、
止めることもせずただ呆然と眺めているだけの悪夢。

私は彼らを止められない。
出来損ないの素直である私には、そんな発言権など与えられていない。
私にできることはただ自らを呪うことと、届きもしない謝罪を繰り返すことだけ。

ごめんね。
ごめんね。
こんなお母さんでごめんね。

強く生んであげられなくてごめんね。
出来損ないでごめんね。
姉様じゃなくてごめんね。


――姉様?
どうしたの、姉様。
眩しくてよく見えないよ。

笑っているの?
泣いているの?
どうして、私の子を抱いているの?

100 名前:名も無きAAのようです[] 投稿日:2014/09/25(木) 19:19:24 ID:S8s5N.lo0
「――――」

聞こえない、聞こえないよ姉様。
何も聞こえない、わからないよ。

「――――――」

いやだ、置いていかないでよ姉様。

怖いよ。
暗いよ。

何も見えないんだ、何も聞こえないんだ、何もわからないんだ。

お願いだよ、姉様。
私を独りにしないで。
私からその子を取り上げないで。

姉様、姉様。姉様!

くるう――!



.

102 名前:名も無きAAのようです[] 投稿日:2014/09/25(木) 19:23:28 ID:S8s5N.lo0





――お前も、置いていかれたの?
そっか。似た者同士だね。

心配しなくていいんだよ。
私はお前の母親じゃないけれど、
きっと、
お前の母親になってみせるから。

姉様に、なってみせるから――




.

103 名前:名も無きAAのようです[] 投稿日:2014/09/25(木) 19:25:30 ID:S8s5N.lo0
     《 二 》



まるでミノタウロスの迷宮だ。
その役目は外部からの刺激を防ぐ防御壁であったのか、
取り込んだ者を二度とは出さない伏魔殿であったのか。

呑み込まれたのは誰か。

光差さぬ地下の底。
複雑に曲がりくねった廊下を歩みながら、キュートは思った。

ここは相真大学病院旧閉鎖棟。いまや破棄された時代の遺物。
素直クールの先導の下、その最奥へと向かっている。

薄暗く足下も覚束ないこの道を、素直クールは迷いなく進んでいく。
被案内者をまるで考慮する様子のないその歩調には、ついていくだけで精一杯だった。

足音だけがこだまする。
現実感のない光景。

104 名前:名も無きAAのようです[] 投稿日:2014/09/25(木) 19:27:32 ID:S8s5N.lo0
空気の淀みのせいだろうか。平衡感覚がおかしい。
まっすぐに歩くのが容易ではなくなってくる。
心なしか身体が重く、地面に沈み込んでいるような錯覚に陥る。

足下に目を凝らす。しっかり上半身とつながっている自らの脚を頼りに、無言で歩を進める。
ただ歩く。歩く。歩き続け、歩き続け、そして、キュートはふと、そのことに気がついた。

o川*゚ぺ)o「素直クール……?」

いつの間にか、素直クールの姿が消えていた。
足音も聞こえない。しんとして無音。
急速に、心臓が跳ね回り始めた。

キュートは歩きだした。その歩調は次第に速まり、しまいには駆けだしていた。
並んだ鉄柵が次々と後方へ通り過ぎていく。
溶けるように視界が歪曲する。歪曲する世界を駆ける。

自分が何故走っているのかもわからなくなっていたが、止まることもできなかった。
意思とは無関係に身体が動いているようだった。

105 名前:名も無きAAのようです[] 投稿日:2014/09/25(木) 19:29:33 ID:S8s5N.lo0
と、その時。視界の端に、何かが飛び込んできた。
同時に、転んだ。
転んでキュートは止まった。

倒れた身体を起こすと、目の前には整然と並んでいる独居房の、そのうちのひとつが広がっていた。
だが、何か違和感がある。他の部屋とは、何かが決定的に違う気がする。

生唾を呑み込む。

キュートは知らぬ間に、鉄柵に顔を寄せていた。
引き寄せられるようにして、薄暗い房の、その闇に隠れた深奥へと目を凝らした。

そして、それを見た。

.

106 名前:名も無きAAのようです[] 投稿日:2014/09/25(木) 19:31:34 ID:S8s5N.lo0


 あのこじゃないあのこじゃないあのこじゃないあのこじゃないあのこじゃないあのこじゃないあのこじゃないあのこじゃないあのこじゃないあのこじゃ
   ないあのこじゃないあのこじゃないあのこじゃないあのこじゃないあのこじゃないあのこじゃないあのこじゃないあのこ
       じゃないあのこじゃないあのこじゃないあのこじゃないあのこじゃないあのこじゃないあのこじゃないあのこじゃないあのこじゃないあのこじゃないあのこじゃない
あのこじゃないあのこじゃないあのこじゃないあのこじゃないあのこじゃないあのこじゃないあのこじゃないあのこじゃないあのこじゃな
   いあのこじゃないあのこじゃないあのこじゃないあのこじゃないあのこじゃないあのこじゃないあのこじゃない
 あのこじゃないあのこじゃないあのこじゃないあのこじゃないあのこじゃないあのこじゃないあのこじゃないあのこじゃないあのこじゃないあの
              こじゃないあのこじゃないあのこじゃないあのこじゃないあのこじゃないあのこじゃないあのこじゃないあのこじゃないあ
     のこじゃないあのこじゃないあのこじゃないあのこじゃないあのこじゃないあのこじゃないあのこじゃないあのこじゃないあのこじゃな
  いあのこじゃないあのこじゃないあのこじゃないあのこじゃないあのこじゃないあのこじゃないあのこじゃないあのこじゃないあのこじゃないあのこじゃ
ないあのこじゃないあのこじゃないあのこじゃないあのこじゃないあのこじゃないあのこじゃないあのこじゃないあのこじゃない
      あのこじゃないあのこじゃないあのこじゃないあのこじゃないあのこじゃないあのこじゃないあのこじゃないあのこじゃないあのこじゃな
   いあのこじゃないあのこじゃないあのこじゃないあのこじゃないあのこじゃないあのこじゃないあのこじゃないあのこじゃ
 ないあのこじゃないあのこじゃないあのこじゃないあのこじゃないあのこじゃないあのこじゃないあのこじゃないあのこじゃないあのこじゃないあのこじゃないあのこじゃないあ
          のこじゃないあのこじゃないあのこじゃないあのこじゃないあのこじゃないあのこじゃないあのこじ
    ゃないあのこじゃないあのこじゃないあのこじゃないあのこじゃないあのこじゃないあのこじゃないあのこじゃないあのこじゃないあのこじゃない
  あのこじゃないあのこじゃないあのこじゃないあのこじゃないあのこじゃないあのこじゃないあのこじゃないあのこじゃないあの
こじゃないあのこじゃないあのこじゃないあのこじゃないあのこじゃないあのこじゃないあのこじゃないあのこじゃないあのこじゃないあのこじ
        ゃないあのこじゃないあのこじゃないあのこじゃないあのこじゃないあのこじゃないあのこじゃないあのこじゃないあのこ
   じゃないあのこじゃないあのこじゃないあのこじゃないあのこじゃないあのこじゃないあのこじゃないあのこじゃないあのこじゃないあのこじゃないあのこ
じゃないあのこじゃないあのこじゃないあのこじゃないあのこじゃないあのこじゃないあのこじゃないあのこじゃないあのこじゃない


.

107 名前:名も無きAAのようです[] 投稿日:2014/09/25(木) 19:33:11 ID:S8s5N.lo0
o川; へ )o「……うっ」

吐き気を堪える。
独居房の奥、打ちっ放しのコンクリート壁に埋め尽くされていたものは、呪詛めいた文言の羅列であった。
その色は鈍にくすんだ赤。鉄錆の鼻をつく臭いが、ここまで漂ってきそうな程の。

ここは危険だ。すぐに離れた方がいい。
頭の中で、警告を発している自分がいる。

だが。

キュートは、その言葉に従えなかった。
赤鈍の呪言から目を離すことができず、知らず、鉄柵に手を伸ばしかけていた。

その腕を、誰かが、つかんだ。

108 名前:名も無きAAのようです[] 投稿日:2014/09/25(木) 19:34:25 ID:S8s5N.lo0
川 ゚ -゚)「気が移ります。不用意に触れないように」

o川;゚ぺ)o「素直、クール……」

キュートの腕をつかんだのは、素直クールだった。
彼女は倒れていたキュートを引っ張り上げると、何事もなかったかのように再び歩き始めた。

キュートはその後を追おうとして、その前に一度、独居房を振り返った。
だがそこには、何の変哲もない空間が広がっているだけだった。
文言の羅列も、あの呪的な引力も、跡形もなく消え失せていた。

夢――?

足音が離れていく。
キュートは首を振り、今度こそ置いていかれないよう早足で先導者の後を追った。


.

109 名前:名も無きAAのようです[] 投稿日:2014/09/25(木) 19:36:26 ID:S8s5N.lo0
          ※



どれだけ歩いただろうか。
わざと複雑な道を選んでいるのではないかと勘ぐってしまう程、
素直クールの進み方は無軌道かつ難解だった。

時間の感覚が失せ、いい加減疲れが膝にまで達した頃、唐突に素直クールが静止した。
陰の中で、何かが動いた。それは徐々にこちらへと近づき、
次第にその輪郭がはっきりとしてきた。背の高い、大人の男性がそこにいた。
  _
( ゚∀゚)「遅かったじゃないですか」

川 ゚ -゚)「ご苦労様です、長岡医師。彼は?」
  _
( ゚∀゚)「変わりありませんよ、まったく。うんざりするくらいね」

川 ゚ -゚)「そうですか」

簡素な返事の直後、素直クールは精緻な動作で反転した。
姿勢のよい背中が視界に映る。
  _
( ゚∀゚)「お会いにならないんで?」

川 ゚ -゚)「必要ないでしょう」

110 名前:名も無きAAのようです[] 投稿日:2014/09/25(木) 19:38:20 ID:S8s5N.lo0
言うが早いか、素直クールはすでに歩き出していた。
枯れ木のような姿が陰に呑まれてさらに細く薄くなっていく。
やがて足音だけが彼女の痕跡となり、程なくしてそれも闇の向こうへと消え去った。

o川*゚ぺ)o「……負けませんから」

キュートの口から自然と言葉がこぼれた。
それは素直クールへの宣戦布告でもあり、自身を励起させる勇気づけとも言えた。
キュートはじっと、怪老の消えた先をにらみつけた。
  _
( ゚∀゚)「内藤キュート」

自分の名を呼ばれ、キュートは我に返った。
壁を背に寄りかかった男性が、こちらを見ている。
長岡と呼ばれた男性だ。彼は親指を立て、奥の方を指していた。
  _
( ゚∀゚)「杉浦しぃに会いに来たんだろ。ぼーっとしてないで、
     実際に見てくればいい。直に自分の眼で、あれがどんなものかを」

それだけ言うと長岡は腕を組み、眼を閉じた。
まずは会え、それまで話すことはない、という意思表示だろうか。
促されるまでもなく、それが目的でここまで来たのだ。いまさら躊躇うこともない。

111 名前:名も無きAAのようです[] 投稿日:2014/09/25(木) 19:40:13 ID:S8s5N.lo0
しかし、長岡の物言いには些か気になるところがあった。

あれ。

物か何かを指し示すかのような、突き放した言い方。
少なくとも、医師が患者に向けて使う言葉ではない。

杉浦しぃとは、どんな人物なのか。

キュートは壁を背に寄りかかる長岡の前を通り、
奥の間、相真大学病院旧閉鎖棟のその最深部へと足を踏み入れた。

人の臓器を貪り喰らう狂気の精神科医。
コレクションと称して死体をホルマリン漬けにする幼児性愛者。
カリスマ的殺人者、ヘルター・スケルター。
ピエロの絵画師キラー・クラウン。
あるいは言葉も正体も失って、常時よだれを垂れ流すようになってしまった何者か。

依頼を受けることを決めてから、キュートは杉浦しぃの人物像をいくつも思い浮かべていた。
こんな場所に隔離される患者とは、いったいどんな人物なのだろうかと。
陣内院長が”危険”だと言った人物。
キュートの思考も、自然とその言葉に誘導されたイメージを生み出していた。

だが、現実の彼は、そのどの想像にも当てはまらない姿でキュートの前に現れた。

112 名前:名も無きAAのようです[] 投稿日:2014/09/25(木) 19:41:48 ID:S8s5N.lo0
o川*゚ぺ)o「……女の子?」

眠るように安らかな表情をした女の子が、暗がりの部屋の中心に座っていた。
いや、違う。よく見ると丸みの少ない骨格などから、どことなく男性的なところも見受けられる。

これが彼――杉浦しぃなのだろうか。

彼は冷たく剥き出しになったコンクリートの上にも関わらず、
本当に眠っているようで、まるで動き出す気配はない。
キュートは恐る恐る近づいてみた。

長くて綺麗な睫毛。中学生くらいだろうか。肌もきめ細かく瑞々しい。
そばで見れば見るだけ、整った顔立ちをしているのがわかる。
そっと手を伸ばしてみる。

113 名前:名も無きAAのようです[] 投稿日:2014/09/25(木) 19:43:38 ID:S8s5N.lo0
  _
( ゚∀゚)「それが杉浦しぃだ」

背後から聞こえてきた声に、反射的に手が引っ込んだ。
長岡医師がすぐそばに立っていた。キュートの気づかないうちに部屋に入ってきていたらしい。
悪いことをしていたわけでもないのに、妙にたじろぐ自分がいる。

o川*゚ぺ)o「あの、彼は……彼は、何で寝ているんですか?」

キュートは内心の同様を気取られないよう、とっさに思いついた質問を投げかけていた。
  _
( ゚∀゚)「生物なら寝るのが自然だろう」

素っ気ない返しである。
キュートは間を埋めるために、なおも質問を続ける。

o川*゚ぺ)o「いえ、そういうことではなく、何もこんなところでなくてもいいのではないかと思いまして。
      ここはその、埃っぽいですし、衛生面の配慮も行き届いているようには見えませんから」
  _
( ゚∀゚)「必要ないだろう、これには」

114 名前:名も無きAAのようです[] 投稿日:2014/09/25(木) 19:45:12 ID:S8s5N.lo0
切り捨てるような物言い。
そして、まただった。
また、物を指すような”これ”呼ばわり。
しかも今回は、眠っているとはいえ本人の前でだ。

o川*゚ぺ)o「あなたは自分の患者にもそんな物言いをするんですか?」

キュートはうちに芽生えた反感を、皮肉気にそのまま口にした。
口にしてから、初対面の、しかも目上の人に対し、あまりにも無礼だったかと後悔する。
だが、いまさら撤回するわけにもいかなかった。

しかし長岡はキュートの発言に不快感を表す様子もなく、
むしろ呆れるような、哀れむような視線でこちらを見下ろしてきた。
  _
( ゚∀゚)「お前、これについて何も説明されていないのか?」

長岡の口調には、同情的な響きが含まれていた。
キュートは急に恥ずかしさを覚えた。
自分の無知を、子どもっぽいミスを指摘されたようで、何も言い返せなくなる。
  _
( ゚∀゚)「こいつはな、ここに運び込まれてからずっと、こうして眠ってるんだよ」

長岡は押し黙ったキュートを気にする様子もなく、ぶっきらぼうにそれだけ言い捨てた。
だがキュートには、長岡の言わんとしているところがわからず、視線を落としたまま眉をひそめる。

115 名前:名も無きAAのようです[] 投稿日:2014/09/25(木) 19:46:44 ID:S8s5N.lo0
o川*゚ぺ)o「ずっとって……いつからなんですか?」
  _
( ゚∀゚)「一年だ」

o川;゚ぺ)o「……一年?」
  _
( ゚∀゚)「正確には一年と二ヶ月か。一年余、これはこの格好のまま、ぴくりとも動かず座り続けてきたんだよ」

キュートは顔を上げ、話す長岡に視線を合わせた。
一年間眠り続けている?
かついでいるのだろうか。しかし、冗談を言っているようには見えない。

o川*゚ぺ)o「それはその……植物状態、ということですか。深い昏睡に陥っていると」
  _
( ゚∀゚)「確かに自力移動や摂食が不可能な点は、植物状態の症状と酷似している部分もある。
     しかしこれは、排泄をしない。点滴も必要としない。外部から栄養を摂取することなく、
     完全にこのままの姿を保っている。植物状態とは根本で異なっている。

     髪も爪も伸びず垢も出ず、検査では異常が見られないのに光にも音にも無反応。
     嗅覚や触覚が働いているのかも定かではない。だが――」

長岡の鋭い目が、さらに細く鋭利に切れる。
  _
( ゚∀゚)「これは生きている」

116 名前:名も無きAAのようです[] 投稿日:2014/09/25(木) 19:48:16 ID:S8s5N.lo0
長岡は真剣だった。嘘や偽りは感じられない。
第一私を騙して、この人に何の得があるのかとキュートは思う。

けれど。

だからといって、そう簡単に信じられることでも……。
キュートは視線を地べたに座るしぃに向けた。

杉浦しぃ。
穏やかな深閑に佇む少女のような少年。私の未来を左右する人物。

未分化な性を感じさせるその顔には、やわらかな笑みが浮かんでいるようにも見える。
まるで楽園の夢でも見ているかのように。

こんなにもかわいいのに。
  _
( ゚∀゚)「もういいだろう、ここじゃコーヒーも落ち着いて飲めん。
     向こうに管理室がある、移動するぞ」

そう言って、長岡はこの場から離れ始めた。
しかしキュートはすぐには彼の後を追わず、
未遂に終わった彼との接触を今度こそ果たそうと、何の気なしに手を伸ばした。

ふわりとしたほほに指先が触れた。

117 名前:名も無きAAのようです[] 投稿日:2014/09/25(木) 19:49:48 ID:S8s5N.lo0




『すまない、許してくれ、すまない――』『そんな、約束と違う!』『いくらです?』
『仕方なかったんだ――』『いやだいやだいやだ!』『たっぷり愛してあげるからね――』
『死』『おいしそう――』『殺さないで!』『腐ってる――』『眩しい』
『神とひとつに――』『神』『神様』『神様!』

『助けて』


『』

『』

『』





『おやすみなさい』


.

118 名前:名も無きAAのようです[] 投稿日:2014/09/25(木) 19:51:20 ID:S8s5N.lo0
――尻餅をついていた。
何かが見えた――気がする。

一瞬のことで、よくはわからなかったが。
  _
( ゚∀゚)「どうした?」

o川*゚ぺ)o「……いえ、何でも」

いぶかしむような長岡の声が聞こえてくる。
すぐに平気であることを返事するも、キュートはしばらく動けずにいた。

目の前の杉浦しぃは神秘的なほどに何の変化もないまま、
やわらかな笑みを湛えて静止していた。


.

119 名前:名も無きAAのようです[] 投稿日:2014/09/25(木) 19:53:17 ID:S8s5N.lo0
          ※



o川* へ )o「……すみません、よく聞こえませんでした。
      もう一度言ってもらっていいですか?」

狭く複雑で重苦しい空気の漂う旧閉鎖棟のなか、
唯一管理室だけは広々とした人の生活するスペースが確保されていた。
奥には仮眠室やシャワールームなども設置されている。

必要な電気も通っているようで、長岡はそこでコーヒーを沸かせていた。
そしてふたつ分のマグカップにその濃く黒い液体を注ぎ、
そのうちのひとつをキュートの席に置いた。

長岡は椅子に座り、自身のカップを傾けた。
キュートの両手に収まったもうひとつのカップはというと、
その量をまったく減らさないまま、振動で細かな波紋をいくつも作り出している。

o川* へ )o「……あなた、素直クールの依頼で来たんですよね?」
  _
( ゚∀゚)「その通りだ」

o川* へ )o「ここに患者がいるからと……」
  _
( ゚∀゚)「ああ」

o川#゚ぺ)o「……じゃあ、何でですか。何で!
      杉浦しぃの治療に一切関与しないと!!」

120 名前:名も無きAAのようです[] 投稿日:2014/09/25(木) 19:54:41 ID:S8s5N.lo0
キュートは立ち上がり、感情のままテーブルを叩いていた。
バランスを崩したカップが左右にゆれ、硬質な音を鳴らしている。

しかし長岡は、尚もすまし顔でカップを傾けていた。
空になったカップを見つめ、二秒も三秒もかけてからテーブルに置き、
そのままの姿勢で視線だけキュートへ向けてきた。
  _
( ゚∀゚)「内藤キュート、俺を誰だか知っているか?

o川#゚ぺ)o「……ハインのお兄さん、ですよね」

長岡ジョルジュ――ハインの口から何度も聞かされていた兄貴、お兄さんのこと。
会うのは初めてだったが、その人相は概ね想像していた通りと言える。が、しかし。
  _
( ゚∀゚)「そうだ。そして昨年研修期間を終えたばかりのペーペーでもある。これがどう意味かわかるか」

o川#゚ぺ)o「わかりませんが」

自然と返事がぶっきらぼうになる。
  _
( ゚∀゚)「期待されていないってことだよ、まったくな。
     お偉い先生方が一年以上うんうんうなって何ともならなかったものを、
     ただの一学生と医師成り立ての若造にどうにかできるものでもない。
     そう理解した上での体裁作りに利用されているだけ、それだけなんだよ、
     俺たちがここにいる理由はな」

121 名前:名も無きAAのようです[] 投稿日:2014/09/25(木) 19:56:12 ID:S8s5N.lo0
o川#゚ぺ)o「私は違うんですよ!」
  _
( ゚∀゚)「事情は聞いてるがね、素直クールはお前さんに何の期待もしていないよ。
     今回のことはうまく諦めさせるための口実ってところか」

この男がどんな腹積もりでここに来たのかは定かでないし、興味もない。
しかしキュートにとって今回のことは、未来を左右する人生の山場なのである。
ダメで元々程度の気持ちであれば、そもそもこんな所には来ていない。

ゆえに、はいそうですかと簡単に折れることはできない。
そうやすやすと屈するわけにはいかない。

o川#゚ぺ)o「あの子は治ります。快復したいと思っているはずです!」
  _
( ゚∀゚)「ほう、根拠は」

o川#゚ぺ)o「かわいいからです!」

何を言われようが表情を崩さなかった長岡も、さすがに面食らっていた。
とにかく言い返してやれという勢い任せに口から出たでまかせだったが、さすがにこれは、何というか。
キュートは椅子に座り、マグカップに口を付けた。……苦くて飲めないのだが。

122 名前:名も無きAAのようです[] 投稿日:2014/09/25(木) 19:57:48 ID:S8s5N.lo0
  _
( ゚∀゚)「恒常性という言葉は学んでいるな」

長岡がとうとつに切り出した。
先程までとは異なり、どこか威圧的な空気を醸している。

o川;゚ぺ)o「何を、とつぜん――」
  _
( ゚∀゚)「学んでいるな」

迫力に呑まれ、うなずく。

o川;゚ぺ)o「恒常性――ホメオスタシス。生物がその基本状態を保とうとする性質、ですよね」
  _
( ゚∀゚)「そうだ。この機能が働いているからこそ傷を負いウイルスに感染しても、
     自然治癒力が働いて元の身体へと快復することができる。

     よく医者は患者の治ろうとする意思を手助けしているだけという言を使うが、
     それはまさにこの恒常性の働きを言い表している。
     例外はあれど、我々の仕事はこの機能の線上で行われていると言っても差し支えはない。しかしだ」

長岡がこちらを向いた。いや違う。
その視線はキュートを越え暗闇の向こう、旧閉鎖棟のその最深を穿っている。
キュートもつられて、闇の先で佇むものを凝視する。

123 名前:名も無きAAのようです[] 投稿日:2014/09/25(木) 19:59:02 ID:S8s5N.lo0
  _
( ゚∀゚)「おまえ、あれを見てどう思った」

o川;゚ぺ)o「何って、かわいい――」
  _
( ゚∀゚)「それはもういい」

即座に切り捨てられてしまった。本気だったのだけれど。
仕方なく、キュートはもう一度彼のことを考える。
あのやわらかな肌。安らかな寝顔。

o川*゚ぺ)o「……眠っているようでした。静かに」
  _
( ゚∀゚)「苦しんでいるように見えたか?」

o川*゚ぺ)o「いえ……」
  _
( ゚∀゚)「検査の結果、自律神経系、内分泌系、免疫系に異常はなかったと報告されているのは知っているか」

o川*゚ぺ)o「いえ……」
  _
( ゚∀゚)「ホメオスタシスの三角形という言葉は知っているな」

o川*゚ぺ)o「……ええ」

124 名前:名も無きAAのようです[] 投稿日:2014/09/25(木) 19:59:47 ID:S8s5N.lo0
少しずつ、長岡が何を言いたいのかキュートにもわかってきた。
病気というのは、病原体そのものが人体に悪影響を与えるもの以外にも、
人体内部で起こる抗体反応によって痛みや苦しさを起こすものも多い。
風邪の発熱現象などはその典型的な例だろう。

これは免疫系が正常に働いている結果だ。
免疫恒常性、侵入した外敵を排除し正常な状態を維持しようとする働き。
自律神経系や内分泌系も、役割こそ違えど人体を正常な状態に維持しようとする働きを持っている。
ホメオスタシスの三角形とは、この三つの系の総称だ。

このホメオスタシスの三角形が根本から破壊されていたり不摂生によって混乱していたりなど、
何らかの不備が生じていない以上、人体は自らの身体を元にもどそうと格闘する。
それが病気だと、正常でないと判断する限り、恒常性は働くのだ。

翻って。

長岡の言を信じるならば、杉浦しぃはホメオスタシスの三角形と呼ばれる自律神経系、
内分泌系、免疫系のどこにも異常はない。それは、つまり――。

キュートの思考がここまでたどり着いたことを推察したのか、長岡は小さく「そうだ」と肯定した。

125 名前:名も無きAAのようです[] 投稿日:2014/09/25(木) 20:01:24 ID:S8s5N.lo0
  _
( ゚∀゚)「あいつはあれで正常、いたって健康体なんだよ。
     栄養の摂取も排泄もしない、眠ったままのあの状態が。

     わかるか、あれは俺たちの分野の外にいる何かなんだ。
     病気なら手の打ちようもあるが、存在しない病を治療することはできん。

     手を出すこと自体間違ってるんだよ。
     生物学研究所か何かに連れて行った方が、よほど相応しいと俺は思う。それに――」

長岡の視線が、深奥の彼から外れた。
  _
( ゚∀゚)「俺は医師の端くれとして、正常に保たれているものを異常な方向に歪めたくはない」

長岡が見つめる先には、コンクリートの地面があるだけ。
しかし長岡の瞳には、そこに確かな何かが存在するかのように情感を伴っていた。
キュートには、そこに何があるのか読みとることはできなかった。
その代わり、キュートはその時始めて、長岡という人間の素顔を見た気れた気がした。

この人は、本当は誠実な人なのかもしれない。
この人は、正しいことを言っているのかもしれない。
ひょっとしたら、間違っているのは私なのかもしれない。

決意と緊張で覆い隠した自身への疑念が再び、
鎌首をもたげようとしているのがキュートにはわかった。

だが。

126 名前:名も無きAAのようです[] 投稿日:2014/09/25(木) 20:02:44 ID:S8s5N.lo0
o川*゚ぺ)o「それでも……それでも私は、そうは思いません」

確かに彼の発言は筋が通っている。
何事もなければ、自分勝手で子供じみている自分の行いを恥じ、説得されていたかもしれない。

しかし、と、キュートは思う。

私は見た。
一瞬のことで、何がなんだかわからなかったが。
どんな意味を持つのかもわからないが。

彼に触れたとき。
あの光景を見た。
人の暗い情念を凝縮した、悪夢のようなあの光景を。

あれが、彼にとっての何なのかはわからない。
しかしあれは、明確な異常だ。
ホメオスタシスの三角形やその他医学的な見地において、何の問題がなくとも。
彼には正常でない部分がある。

だから、私は引かない。

127 名前:名も無きAAのようです[] 投稿日:2014/09/25(木) 20:03:48 ID:S8s5N.lo0
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( ゚∀゚)「平行線だな」

長岡はコーヒーのおかわりを注いでいた。
その表情はもう、元のそれにもどっている。
これ以上は意味がないと悟ったのだろう。話し合いは終わったのだ。

両手のなかのカップをみる。
もう、波紋は生じていない。

o川*゚ぺ)o「長岡先生。私は私の思うようにやらせてもらいます。確かにこれは、私自身の問題ですから」
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( ゚∀゚)「勝手にすればいい。ただし――」

o川*゚ぺ)o「ただし?」
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( ゚∀゚)「ブラックが飲めないなら、素直にそう言ってくれ」

黒い水面が大きく波立った。
やっぱり嫌いだ、この男。


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