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84 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2016/08/01(月) 22:30:54 ID:iVkjKxH.0
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──【 内藤 大地 (24) 男性 】
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85 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2016/08/01(月) 22:31:30 ID:iVkjKxH.0
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ひどくつまらない人生である。
僕の生きてきた軌跡はこの一文で全てまかなえると思う。
比喩でも冗談でもなく、それほどまでに波乱も山も谷もない、そんな人生を過ごしてきた。
人並みに勉強をこなし、スポーツでもまずまずの成績。
中学・高校・大学もずーっと平々凡々と慎ましい生活を送ってきた。
まさしく市民A、もしくは通行人A。
名前もつかないが物語にも絡まない。僕が物語の登場人物なら実に似合いだろう。
でも、別に僕はこの状態に悲観しているわけでも、憤っているわけでもない。
RPGの世界に勇者が無数に溢れていないのと同じで、名前がつく人物というのは選ばれた存在の人間がなるべきものだと僕は思っている。
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86 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2016/08/01(月) 22:32:42 ID:iVkjKxH.0
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その他の有象無象はゲームならば舞台装置だが、現実世界ではその有象無象によって世の中は動かされ、そして名前を持つ人間たちを動かしているのだから。
僕はその有象無象であることに不満は持たないし、むしろ誇りを持っている。
微力ながらも世界を動かしている存在であるわけで、加えて名前のついた人々を気楽に批評したりすることができるこの立場のいかに気楽であることか。
( ^ω^)「ふぅぅ〜〜」
背もたれにグッと倒れ込み、身体を伸ばしながら溜め込んでいた息を吐き出す。
長いこと抱えていた面倒くさい案件の終わる目処がようやくついた安堵が身体を包み込む。
社内の時計を見ると、ちょうど短針が11を指す直前だった。
(;^ω^)「やばいお、残業しすぎたお」
僕は思ったより進んでいた時間に焦り、そそくさと散らばっていた書類をまとめ始めた。
明日からまた別の面倒くさい案件が始まると思うと憂鬱になりそうだが、今くらいは考えなくてもいいだろう。
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87 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2016/08/01(月) 22:33:18 ID:iVkjKxH.0
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タイムカードを切って会社を出ると多くの人々が家路に着くために駅に向かって歩いていた。
ビジネス街であるこの土地は、朝と夜に人が溢れる場所だ。
あまりこの時間まで残る事は無いのだが、夜も更けそうなこの時間でも多くの人が居るのだなと少し感心してしまった。
あまりよろしくない事ではあるのだろうが、一般市民としては仕事をこなすことが全てなのだからそれだけ仕事が溢れてるということなのだろう。
そんな歩く市民A達の波に乗りながら駅まで歩いたのだが、何やら様子がおかしい。
改札の前で皆立ち止まっている。
あぁ、これは、あれだ。
『ただいま新美府駅と当駅間におきまして、人身事故が発生した影響で全線運転を見合わせております……ただいま現場検証を……』
拡声器を持った駅員が淡々とアナウンス文を読み上げ、脇にいる駅員たちが客の対応に追われていた。
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88 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2016/08/01(月) 22:34:07 ID:iVkjKxH.0
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恒例のヤツである。
慌てて人混みから抜け出してバスプールに向かったのだが、とんでもなく長い列が出来上がっていて、それはタクシープールも変わらなかった。
( ^ω^)「どうすっかなー……」
僕は悩みに悩んだ挙句、歩いて帰ることに決めた。
ここから1駅先、距離にして3キロちょっとくらいの少し長めの距離ではあるが、普段から運動不足である僕にとっては良い運動の機会だと考える事にしたのだ。
加えてこの道は僕にとっては通いなれた道でもあった。
高校時代、実家から自転車で高校に通った時の通学路だった。
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89 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2016/08/01(月) 22:34:42 ID:iVkjKxH.0
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( ^ω^)「夢でキス、キス、キス♪」
この道はある意味、僕にとっては思い出を辿るような楽しい道のりなのだ。
あの自販機。
あの交差点。
あの生け垣。
全てが僕にとってのまさしく青春の一部分であったし、輝く思い出の欠片だ。
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90 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2016/08/01(月) 22:35:19 ID:iVkjKxH.0
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( ^ω^)「〜♪」
そう言えば。
歩いている最中、久々にある人物のことを思い出した。
そいつは、いつだって捻くれていた。
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91 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2016/08/01(月) 22:35:56 ID:iVkjKxH.0
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('A`)「……」
いつも大体窓際で分厚い本を読んでいるのがドクオだった。
栄養失調かと思うくらいやつれた顔と枯れ木のような身体。
そしてダボダボの制服の肩にはフケがいつも積もっていた。
そんな彼についていたあだ名がドクオ。
頭を掻いてフケを無意識に撒き散らしている姿が毒の粉を撒いているように見えたから。
そんな彼は同じ部活を共にした仲間で、僕の友達だ。
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92 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2016/08/01(月) 22:36:31 ID:iVkjKxH.0
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( ^ω^)「もうちょっとディティールを……」
絵、特にマンガを書くことが好きだった僕は、
ひどく真面目な顧問がいる美術部を選ばずにこの文芸部を選んだ。
もちろん『文』芸部なので小説や詩を書くことが中心の部活動ではあったのだが、
同人誌的なノリの感覚で、皆そこまでガチガチな人たちでは無かった。
なので僕は漫画を書かせてもらっていたし、それに挿絵を書く事の出来る僕はなんだかんだで重宝されていたのだった。
ウチの部活はいい意味で『緩い』部活であり、先輩も顧問もいい人ばかりだった。
クラスでイジりというより最早イジメに近いような扱いを受けていたドクオもここにいる時だけは馴染んでいて、生き生きとしていたのをよく覚えている。
(*'A`)「梶井基次郎の檸檬はこの時期に読みたくなりますよね」
時々テンションが上がりすぎて、少し浮いていた時も皆彼と上手くやっていた。
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93 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2016/08/01(月) 22:37:06 ID:iVkjKxH.0
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よくよく考えれば彼こそが文芸部員の本来あるべき姿なのかもしれない。
純粋な意味で文学を愛し、読み解き、文章に落とし込んでいたドクオは、
どちらかと言えばライトノベルやSFを愛する部員たちとは少し変わった存在だったのだろう。
そんな彼と僕は数少ない男子文芸部員として、入部当初からよく話したりつるんだりしていた。
( ^ω^)「あーやっぱケツのラインが美学だお」
('A`)「いやいや、この文はそういった官能的な感覚に委ねているワケでは無く……」
変わり者ではあったが、彼は心底真面目であった。
非常に真面目すぎたがために、彼は変人に見える事が多くあった。
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94 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2016/08/01(月) 22:40:05 ID:iVkjKxH.0
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例えば僕は生まれてこの方お腹が引っ込んだ事のない、ポッチャリ体型である。
ざっくり言えばデブだ。
それについて他者から嫌味半分、からかい半分の冗談に近い暴言をよく言われるのだ。
俗に言うイジリである。
そんな感じで僕はよく自分の身体について揶揄され、からかわれる事が常である。
この部活でも例外ではなく、先輩から飛び出たお腹について真っ先にいじられた。
そのいじりに対して僕の返答は、いつも苦笑混じりの半笑いだった。
(#'A`)「それは酷いんじゃないですか! 身体的特徴をバカにするなんて!」
しかし、脇で聞いていたドクオがその僕に投げられた言葉に対して酷く怒りを見せたのだ。
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95 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2016/08/01(月) 22:40:40 ID:iVkjKxH.0
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このように普通笑って流すような揶揄する冗談でも、
彼にとっては自分に対する侮辱としか捉えることが出来ない、そういう人間なのである。
そして時折、彼のスイッチが入れられると異常なまでに怒り狂う彼の姿を見かけるのだった。
もちろん自分の事を悪く言われているのだから、怒ることは当然の権利だ。
しかし彼にとってこの世の中は生きにくいんじゃないか。そう思ってしまう。
でもそんな彼が羨ましく見える時も少しだけあった。
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96 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2016/08/01(月) 22:41:16 ID:iVkjKxH.0
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( ^ω^)
万年ニヤケ顔である僕はいつだって周りにいい顔をして生きてきた。
棘を持たず、自分の顔みたいに真ん丸な心で接して生きてきた。
それで良かったのだ。
誰とも敵対せず、円満で傷つかない事が正解であると思っていたし、そうあることが僕にとっては最善な生き方だった。
だからこそ彼のように自分の怒りの感情、負の気持ちをしっかり表明できる姿にはある種の憧れのようなものも感じていたし、
反面教師としようという戒めも僕に与えてくれた。
彼の純粋さとストレートな表現は、多様な意味で心を貫くものがあった。
たまに見せる異常な暴力性はある種アクセントであったかもしれない。
彼は万人に好かれる人間では無かったはずだ。
少なくとも、私の学生時代の記憶では私以外に彼とよく接していたのはあと一人しか知らない。
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97 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2016/08/01(月) 22:41:57 ID:iVkjKxH.0
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川 ゚ -゚)
今でも思い出せる。
織られた絹のように滑らかに光る漆黒の肩まで伸ばした髪と、切れ長の瞳と長いまつげ。
すっと通った鼻筋に、程よい厚みを持ち潤いを持った唇。
そして透き通るような、ある種病的なまでに白い肌。
私が見た中で、最も美しく、最も腐った人間だった。
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98 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2016/08/01(月) 22:42:37 ID:iVkjKxH.0
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───
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最初に彼女を見た時、失礼ながら私は何故こんな部活にいるんだろうと思ってしまった。
学生時代を過ごした経験がある方は何となく想像できると思うが、
見た目でおおよその学生生活の立ち位置というのは決まってくる。
所謂スクールカーストというやつだ。
間違いなく彼女は上の方に存在するべき人間であるはずである。
何故こんなカースト底辺(先輩方には申し訳ないが)の部活に入ってきたのか理解することが出来ず、
加えて彼女が積極的に話しているのがあのドクオであった事も更に理解に苦しむことの一つであった。
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99 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2016/08/01(月) 22:43:12 ID:iVkjKxH.0
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川 ゚ -゚)「臓器や筋骨は身体的な成長と共に大きさを増し、その面積や機能を高めていく。もちろん例外的な障害もあるがね」
川 ゚ -゚)「だが精神面はどうだろうか」
川 ゚ -゚)「思春期や年齢を重ねるにつれて感情や思考も成長していく」
川 ゚ -゚)「しかし感受性や記憶といった部分に関して言えば成長というよりは体験が必要であると私は考える」
川 ゚ -゚)「……これは口では表しにくい。自分が自分である事、成し遂げることによって自己のアイデンティティを形成していくのだ」
川 ゚ -゚)「あまりに概念的、そして主観的な感想だ」
川 ゚ -゚)「だが、もしも全てを他者の存在に依存することで自らの人格を保っている人間がいるとしたら」
川 ゚ -゚)「それは人間では無く、最早中身の無い抜け殻ではないかと私は思うのだよ」
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100 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2016/08/01(月) 22:44:27 ID:iVkjKxH.0
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たまに交わすこのようなえらく小難しい会話が聞こえてくる事がしばしばあった。
そのため僕は彼女のイメージが全くつかめず、更に頭は混沌の極みに堕ちていった。
('A`)「なるほど、君は面白い事を言うね」
('A`)「要するに他人の褌で気取る人間には内面は存在せず、満たされるはずの自己による成功体験などによる承認欲求が空洞のままである」
('A`)「すなわち俗に言う『中身の無い人間』とはこの事を指すべきであると、そういう事だね?」
川 ゚ -゚)「うむ、まぁ、おおよそ」
('A`)「仮にそう言う人間を、そうだな……『ウィッカーマン』と呼ぼう」
川 ゚ -゚)「『ウィッカーマン』?」
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101 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2016/08/01(月) 22:45:03 ID:iVkjKxH.0
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('A`)「大きな編み細工で出来た像の事さ、古代ガリアで信仰されていたドルイド教の儀式で使われる」
('A`)「それ自体はスッカラカンで、正しくハリボテの大きな像なんだが……その空洞に何を入れると思う?」
川 ゚ -゚)「ふむ」
川 ゚ -゚)「古代宗教の儀式に用いられる祭具……」
川 ゚ -゚)「……家畜、あるいは……人間」
('A`)「ご名答」
('A`)「それ自体は編み人形である『ウィッカーマン』は中身を他人で満たす事によって祭具としての価値が生まれる」
('A`)「他者によって満たされて意味が発生すると言う意味では、クーが規定する中身が空洞の人間」
('A`)「それは間違いなく『ウィッカーマン』に近しい存在であると思うわけだ」
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102 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2016/08/01(月) 22:45:38 ID:iVkjKxH.0
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川 ゚ -゚)「延々と中に詰め込む人間を探し続ける事になると?」
('A`)「その通りだよ」
('A`)「燃やすことなく、延々と生贄となる人間を詰め込んでいくんだ」
('A`)「ある意味焼き払うより残酷かもしれないね」
川 ゚ -゚)「……焼き払い、『ウィッカーマン』となる要素自体を解消しないと延々に続く事になると、君はそう言いたいわけだな?」
('A`)「あるいは」
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103 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2016/08/01(月) 22:46:21 ID:iVkjKxH.0
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一体何故こんな所で、一体何故彼とこんな会話をしているんだろうか。
そのうち私の疑問は恐れや理解できない苦しみより、興味の対象へと変化していった。
とうとうある日、私はその膨らむ興味が抑えられなくなった。
ドクオから勧められたのであろう書籍を、パラパラと窓際でめくっていた彼女に思い切って問いかけてみた事があった。
その時のやり取りが未だに忘れる事が出来ない。
( ^ω^)「……何読んでるんだお?」
川 ゚ -゚)「ん……梶井基次郎の全集」
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104 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2016/08/01(月) 22:46:56 ID:iVkjKxH.0
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そういってページをめくる手を止めない彼女であったが、中身を読んでいるという感じでは無く、
ただ暇を持て余している時の手遊びのようであった。
( ^ω^)「あぁ、梶井基次郎かお」
僕は恥ずかしながら読んだことが無いため、僕も適当な相槌で濁す。
川 ゚ -゚)「うん、ドクオに読んでみろって言われてな」
( ^ω^)「いいのはあったかお?」
川 ゚ -゚)「いや……全然」
僕は思わずズッコケそうになる。
読み終わったから適当に本で遊んでいたわけじゃないのか??
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105 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2016/08/01(月) 22:47:42 ID:iVkjKxH.0
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川 ゚ -゚)「私にとって現代文学は難し過ぎてね」
川 ゚ -゚)「大衆小説くらい砕けた文章なら読む気も起きるんだが、如何せん文学になると途端に言い回しが煩雑になるだろう?」
川 ゚ -゚)「だから私は読まないんだ」
(;^ω^)「……じゃあ何でその本を借りたんだお?」
川 ゚ -゚)「彼が勧めて来たから、それだけだ」
彼女は捲るために開いていた本をパタンと鳴らして閉じた。
僕は理解できなかった。では何故?
何故あんな偏屈な奴とあんな偏屈な会話をしているのだ?
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106 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2016/08/01(月) 22:48:17 ID:iVkjKxH.0
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( ^ω^)「でも感想とか聞かれたりしないのかお? 普通貸したら……」
川 ゚ -゚)「適当な感想を述べると彼が適当な持論を述べてくれるからな」
川 ゚ -゚)「私はそれに相槌を打つだけで終わりさ」
( ^ω^)「……随分酷い話だお」
川 ゚ -゚)「何故?」
( ^ω^)「彼は、君が少なくとも自分の話を聞いてくれる同好の士だと思って書籍を貸しているわけだお?
それなのに読むわけでもなく、ただ持っているだけなんて……」
川 ゚ ー゚)「おいおい、勘弁してくれよ。押し付けられているのはこっちなんだぞ」
川 ゚ -゚)「それなのに私が加害者みたいな言われようなのは心外だな」
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107 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2016/08/01(月) 22:48:57 ID:iVkjKxH.0
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( ^ω^)「じゃあ何故ドクオと会話なんてするんだお?」
( ^ω^)「趣味が合うわけでもない、会話も少なくとも一方通行、良い印象は与えないであろう外見」
( ^ω^)「しかもあんな複雑で抽象的な会話」
( ^ω^)「正直言って君が何故ドクオと絡んでいるのか理解に苦しむお」
彼女はふぅと一息はいてこちらを見つめてくる。
こぼした息の中には、呆れと嘲笑が込められているように思えた。
川 ゚ ー゚)「君はドクオの恋人か何かかい?」
( ^ω^)「茶化さないでほしいお」
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108 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2016/08/01(月) 22:49:33 ID:iVkjKxH.0
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川 ゚ -゚)「……例えば」
( ^ω^)「?」
川 ゚ -゚)「川の中に鉄の斧を投げ込んだら、何も聞かれず金の斧になって返ってくる湖があったら君はどうする?」
( ^ω^)「何を言ってるんだお?」
川 ゚ -゚)「茶化さないで答えて欲しいな」
( ^ω^)「……そりゃありったけの鉄の斧を投げ込んで金の斧に変えるお」
川 ゚ -゚)「ありったけ?」
( ^ω^)「ありったけだお」
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109 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2016/08/01(月) 22:50:07 ID:iVkjKxH.0
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僕の答えを聞いたクーはまた大きく息を吐いた。
今度は明らかに僕を馬鹿にして呆れた感じのため息だった。
川 ゚ -゚)「君は愚かだな」
( ^ω^)「は?」
川 ゚ -゚)「全てを金に変えてしまったら仕事が出来ないだろう」
( ^ω^)「でも変えたものを金に変えれば仕事をする必要なんて……」
川 ゚ -゚)「いつ尽きるか分からない、そして本物かも分からないうちに全てを捧げるなんてアホのすることだ」
( ^ω^)「……後出しジャンケンは卑怯だお?」
川 ゚ -゚)「後出しでも何でも無いよ、一般的な考えさ」
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110 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2016/08/01(月) 22:50:44 ID:iVkjKxH.0
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川 ゚ -゚)「『もしかしたら池の中で鉄の斧を回収して偽物を配り利益を得ているのかもしれない』
『鉄の斧が一つも無くなった途端に金の斧を出さなくなるかもしれない』」
川 ゚ -゚)「そんなリスクを考えて保険を残しておくのは基本だろう」
( ^ω^)「詭弁が過ぎるお、だって」
川 ゚ -゚)「少なくとも私はそういう考えのもとで動いている」
僕の言葉を遮って、彼女は話を続ける。
川 ゚ -゚)「与えてくれる相手はいつまで与えてくれるか分からない、ならば慎重な立ち回りをしなくてはいけない」
川 ゚ -゚)「私が求めるものの代わりに何か些細なことを要求されるなら、少し余力を残してそれをこなすことだ」
( ^ω^)「それがドクオと話す理由なのかお?」
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111 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2016/08/01(月) 22:51:25 ID:iVkjKxH.0
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川 ゚ -゚)「彼は私に対して全てを捧げてくれる」
_,
( ^ω^)「……はぁ?」
川 ゚ -゚)「もし今、私が君に3万円ほどくれと言ったら迷わず渡してくれるかい?」
(;^ω^)「馬鹿言うなお、そんな金も貸す意味も無いお」
( ^ω^)「……まさかドクオから金をムシっているのかお」
川 ゚ -゚)「まさか」
川 ゚ -゚)「そんなものよりもっと尊いものさ」
( ^ω^)「そんな高尚なものを彼が持っているとは思えないお」
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112 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2016/08/01(月) 22:52:08 ID:iVkjKxH.0
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川 ゚ -゚)「人の感情は金で買えると思うかい?」
( ^ω^)「表層的な意味であれば」
川 ゚ -゚)「そう、心は物的なモノで得ることは出来ない」
川 ゚ -゚)「それを深層まで得るために与えるものは同じか、それと同等で無ければならないんだよ」
川 ゚ -゚)「彼は交流を深めるうちに中々たどり着くことの出来ない奥底まで私に晒してくれた」
川 ゚ -゚)「その深い場所で彼はやりとりをしている『気分』になっているのさ、私は大したものを彼に与えてなんかいないのに」
( ^ω^)「……もういいお、君の話を聞いていると頭が痛くなる」
川 ゚ -゚)「……それでいい、別に理解してもらおうなんて思っちゃいない」
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113 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2016/08/01(月) 22:52:53 ID:iVkjKxH.0
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川 ゚ -゚)「私が欲しい相手は『理想』なんだよ、ただの『理想』」
そういって彼女はまた手元の本をペラペラと捲る作業へ戻っていった。
僕が彼女について思い出せる記憶はこれくらいだ。
実際にはもっと有象無象の会話をいくらかしていたのだろうとは思う。
だがあまりに……あまりにこの会話の印象が強すぎて他の記憶が霞んでいる。
この歳になり改めてあの会話を思い出すと、一層彼女の異常さを感じてしまう。
小難しい言い回しで僕の問いに対する答えをボカしていたが、
要するに彼女が求めているのは『精神的な奴隷』なのだ。
それが常に存在する状態、それこそが彼女の『理想』である。
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114 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2016/08/01(月) 22:53:31 ID:iVkjKxH.0
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常に依存する先を見つけ、その寄生先の良心と奉仕という養分を吸いつくす。
そしてその宿主が死なない程度に好意と言う名の栄養を与える事で、相手が自らを突き放すまで執着し続ける存在。
あるいは突き放してもまた好機をうかがっては近寄るのかもしれないが……
いや。
最早彼女自身を必要とする、
されるために中毒症状に近い何かが彼女にあるのかもしれない。
それが彼女、『素直 空』なのだ。
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115 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2016/08/01(月) 22:54:15 ID:iVkjKxH.0
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ただ僕は思う。
その寄生先が洗脳から目覚めた時、彼女はどうなってしまうのか。
今までが上手くいっていたからと言って、
今後が保障されるなんて訳がないのは社会の誰もが知っている。
常に従わせ、与え続けさせたにも関わらず、自身に何も残らないという事に宿主が気がついてしまった時。
それは寄生虫が死ぬ時だ。
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116 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2016/08/01(月) 22:54:53 ID:iVkjKxH.0
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遠い記憶の回想をしているうちに繁華街の雑多で少々下品な明かりの中を抜け出し、
僕は住宅街近くの路地までたどり着いていた。
ここいらへんになると最早明かりは短い距離で立っている街灯の明かりくらいで、この明かりの距離も住宅街の奥になるほど離れていく。
ここまで来たらもう少しだ。
僕は疲弊し始めた脚の太ももあたりを軽く叩き、歩くスピードを早めた。
この真っ直ぐな路地を歩いていくと、そのうち右手側にコンビニが見えてくるはずだ。
そこまでたどり着いたら何か飲み物でも買おう。
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117 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2016/08/01(月) 22:55:28 ID:iVkjKxH.0
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そう思って自分に気合いを入れ直していると、向こうからこちらに走ってくる人影が見えた。
『珍しいな』というのが最初の感想だった。
住宅街の割に人通りが少ないこの路地で、しかも日付もそろそろ変わりそうなこの時間に人と出会う事は案外珍しい事だった。
しかし、何やら様子がおかしい。
息づかいが少し離れた位置にいるこちらに聴こえてくるほど荒く、
髪を乱しバタバタと走っている事すら分かるほどだ。
何か片手に大きな荷物を持っているにも関わらずである。
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118 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2016/08/01(月) 22:57:12 ID:iVkjKxH.0
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その姿は女性のシルエットであり、こちらへ近づいていくにつれてはっきりと見えてくる顔立ちも女性のそれであった。
しかし異様だったのはその顔が憔悴し、何かに酷く怯えた表情をしていたことだ。
そして僕のすぐ近くまで走ってくると、脚がもつれたように彼女は転んだ。
慌てて僕は駆け寄る。
('、`;川「ハァッ、ハァッ」
(;^ω^)「だ、大丈夫ですかお!?」
僕は未だ混乱している様子の彼女に呼びかけた。
('、`;川「……け、け、……ゲホッゲホッ」
(;^ω^)「何かあったんですかお?」
('、`;川「警察! 呼んで! 下さい!」
('、`;川「あの女の人……死んじゃう……!!」
静かな住宅街に彼女の絞り出した声が響く。
それと同時に大きくむせた彼女の背中をさすりながら、僕はスマートフォンを取り出した。