忌談百刑

第6話 互い違いの婚約者≪オルタネイト・ウェディング≫

155 名前:語り部 ◆B9UIodRsAE[] 投稿日:2017/07/13(木) 17:29:19 ID:yaQAk/JE0
【第6話 互い違いの婚約者≪オルタネイト・ウェディング≫】

"川 ゚ -゚)"





――私も、中学時代の友人の話をしようか。


渡辺、という女の子の話だ。

渡辺はおっとりしていて、学友内でも一定の人気というか、
その人畜無害な感じが皆から"安心する"と評判だった。

ただ、彼女の身体には一つの問題があった。


"小児腎不全"


渡辺は、生まれた時から腎臓の働きがほぼ0に近かったんだ。
片方の腎臓は生きているけど、もう片方は死んでいる。

皆、腎臓の働きは知ってるよな?



(´・ω・`)「血液中の老廃物を濾し取って、尿を生成するんだっけ?」



そうだ。

じゃあ、それが出来ない人間はどうやって生きていけばいい?



ξ゚听)ξ「――人工透析」



正解だ。

渡辺は、毎週三回、拝成市立病院人工透析センターに行って
3〜4時間以上の人工透析を受けなくては、尿毒症で死んでしまう体だった。

156 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/07/13(木) 17:29:54 ID:yaQAk/JE0
人工透析は、腕に"シャント"と言われる、まぁ血管を透析機器に接続しやすくするための機構を体の中に作る。
動脈と静脈を交差させ、静脈を太く成長させることで、管を通りやすくするんだ。

でもな、それを続けていくと、"シャント瘤"っていってな、腕の下に極太の節足動物でも飼ってるみたいに腫れあがるんだ。
渡辺はそれを見られるのが本当に嫌だったみたいで、いつも真っ白なアームカバーで腕を覆っていた。



渡辺にとって、人工透析は苦痛の時間だった。



自身の体内に管を通すときはもちろん痛いし、その後の拘束時間のせいで友人と遊ぶ事も習い事をすることも部活動に勤しむ事も出来なかった。

病院の清潔な純白なベッドに寝転びながら、毛細管現象を利用した人工透析用の管に自分の血液が吸い上げられていくのを見ると、
自身が精巧に人間を摸した機械か何かで、まるで部品の交換でもされてるような気分になる。

さらに言えば、透析患者なんて、大体が年配の方だ。

しかも小児患者なんて珍しいのか、それとも長い透析生活に飽き飽きしているのか、
ズケズケと長々と話しかけてくる。

これから一生人工透析をしていく苦痛だとか、いくつになると、体にどんな不能が起こるのか、
そういう気が滅入るような話を嬉々として渡辺に語ってくるのだそうだ。



それはある意味で親切の表れなのだろうが、渡辺にとっては緩慢な死刑宣告に聞こえた。

157 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/07/13(木) 17:30:36 ID:yaQAk/JE0



――そんな彼女の地獄の放課後に、転機が訪れたのは、中二の冬の事だった。



自身の通う、人工透析センターに自分と同じくらいの男の子が通院してくるようになったんだ。
珍しい小児腎不全の患者同士という事もあって、二人はすぐに仲良くなった。


その子も、腎臓が片方機能していなかった。


病院側も気を利かせてくれて、ベッドを隣同士にしてくれたり、通院日を合わせてくれたりした。
もちろん保護者側の了承も得て、"励まし合う事が何よりの希望になります"なんて言いながら、二人を一緒にしてくれた。

また、保護者同士も、先の見えない子供の透析の苦しみを共有できる相手を見つけて、
いつの間にか仲良くなったようだった。




男の子の名前は"タカラ"といった。


学校のお昼休みに、渡辺はその子の話を良くしてくれたから、私も覚えてしまったよ。

"タカラ"君は、良く笑う子だったらしい。

自分のシャントに管を通すときも、看護婦さん相手にたわいのない話をして、良く笑い、笑わせていた。
自分の身体の中に異物を通し、あまつさえ血液を一時的に抜くんだ。

痛くないはずがないのに、それでも、明るさを一辺も曇らせず、渡辺とお話してくれた。

158 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/07/13(木) 17:31:19 ID:yaQAk/JE0

渡辺は、"タカラ"君を尊敬していた。

こんなにも辛い、神からの理不尽な罰としか思えない、拷問に等しいような目に遭っても、
自分を律して、清く、明るく振る舞う姿を見て、自分もああいう風に生きていきたいなんて密かに思ったりしていた。



その尊敬が恋愛感情に変わるのに、そう時間はかからなかった。

二人の話題の中心は、"腎移植"と"食べ物"だった。

小児腎不全は、"腎移植"によって治療が可能だ。

何処かの誰かが死んだときに、ドナーとして体の一部が身体機能不全患者に提供されることがある。
当然渡辺も、"タカラ"君も、両親は"腎不全"の移植の順番待ちに登録している状況だった。

二人は、自分の身体の中に、他人の一部が接続されることに関して、しきりに議論した。
それは、自分というパーソナルが、一部とはいえ他人に置き換えられる行為であり、
ある意味では人工透析の機械を体内に埋め込むことと同義で、ほんとうの完治とは言えないとか、

もし仮に、その提供された腎臓が、とんでもない犯罪者の物だったら、
それを自身の体内に取り込むことで精神の変調をきたすのではないかとか、

半分怪談染みたような、哲学じみたような、そんな話を良くベッドの上でしていた。



"食べ物"の話も大いに盛り上がる。

腎不全の患者は、特に先天性の小児腎不全の場合は、本当に小さい頃から厳しい食事制限を受けている事が多い。
彼女らにとって、"未知の味覚"があまりにも多かった。

学友たちが、教室の隅で駅前のカフェとか、新発売のお菓子とか、そういう話をしているのが耳に入ると、いっとう惨めな気持ちになる。

そして、その子たちが、ハッ、と渡辺の存在に気づき、バツの悪そうな顔で『ごめんね』なんて手刀を切るみたいなポーズをすると
もうこの世から消え去ってしまいたくなる。



そういう感覚の共有が出来ることも、渡辺にとっては唯一無二のパートナーを見つけたようで救いだった。

159 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/07/13(木) 17:31:46 ID:yaQAk/JE0

二人は、一方が食べた事があり、一方が食べたことないものの味覚の擦り合わせをゲーム感覚で楽しんでいた。





『渡辺さんは、シオカラって食べたことある?』

『え〜? なんかイカのやつ?』

『そうそう、超生臭いの』

『それは治っても食べないかも〜』

『でも、大人になってお酒とか飲むとき、ぴったりなんだって』

『そういうのって、オジさん臭いお酒飲むときでしょ? 私はワインとかしか飲まないも〜ん』

『ははっ! 随分気取ったお姉さんになりそうだな、渡辺さんは』

『こう、クラッカーにクリームチーズとか乗せたやつしか食べませ〜ん』

『うわー、お嬢様だぁ』

『そしたら、"タカラ"君を執事として雇ってあ〜げよっ!』

『はいはい、感謝感謝』

『あ〜、絶対思ってないしぃ〜』

『ハハハ』





――幸せだった。

160 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/07/13(木) 17:32:21 ID:yaQAk/JE0
己の不幸を呪い続けた14年間。その乾き切ってひび割れ始めていた不毛の大地に、初めて花が咲いたような気分だった。

だからかもしれない。その幸福の中に永遠に浸り続けたいという、
今まで運命に虐げられたものが抱いた、ほんの小さな、でも己の存在を丸ごとかけた願い。





『――だから、私が死んでも、私をずっと"タカラ"君の側に置いてね』

『――それって、どういう……』

『私は、"タカラ"君のお嬢様なんだから、ずっと一緒にいたいよ……』

『……僕も、渡辺さんの側を離れたくないよ』

『うん、ずっと一緒にいようよ』

『"死が二人を別つまで"?』

『"死してなお、共に生きよう"かな』

『……うん』




















――そうして、"タカラ"君は死んだよ。

161 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/07/13(木) 17:33:01 ID:yaQAk/JE0

医療ミス――いや、"タカラ"君自身が、自分でシャントから管を数ミリだけ引っこ抜いた様なそんな不自然な死に方だった。


血管から緩慢に染みだした血液が、やがてベッドの下に大きな水たまりを作るまで誰もそのことに気が付かなかった。
本来なら血圧低下に伴ってなるはずのブザー音にも、誰も気が付かなかった。




それもそのはず。その時、渡辺が病院の階段から落ちて、彼女もまた死にかけていたから。



病院内は混迷を極めていた。



人工透析室の近くの階段の下で、左腕を滅茶苦茶に骨折した渡辺を看護婦が発見して悲鳴を上げ、
他の医師や看護婦が集まって渡辺を手術室に運んだ。

折れた腕の骨が"シャント瘤"を傷つけ、そこに溜まっていて血液が、水風船でも割るように噴射していた。

それと同時に、ベッドの上で、眼を半開きのまま死んでいる"タカラ"君が発見される。
鳴り響くブザーの音にやっと看護婦が気付いたのは、手術室に渡辺を運び込んだ後だった。





そこに丁度、人工透析が終わるまで、近くのカフェでお茶をしていた二人の母親が帰ってきて、同時に悲鳴を上げた。

渡辺の母親は、自分が付き添っていなかったことを嘆き、"タカラ"の母親は、泣き叫びながら病院側の職務怠慢を詰った。

162 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/07/13(木) 17:33:53 ID:yaQAk/JE0

しかし、医師の方は、この事態に存外冷静に、ある一つの決断を、二人に伝えた。



"二人とも死ぬか、一方を生かすか"



無論、"タカラ"君は、もう死んでいるので、彼が生き返ることは無いだろう。

だから、ここで医師が言っているのは、正式な手続きを踏まないでの緊急移植手術。

医師は知っていた。いや、ある意味では計算だったのかもしれない。
血液型から生態的拒絶反応の有無まで、二人を丁寧に調べ上げていた。
一方が、もう一方のバックアップとして、そうやって"保険"として生きていこうとしている事に気づいていた。

輸血と、骨格の再形成と、腎臓移植を同時に行う前代未聞の大手術。

母親二人は、泣き顔のまま顔を見合わせた。

一刻の猶予も無い。決断は今するしかないのだ。
お互いの旦那に連絡を取る時間で、二人の魂は一歩、また一歩と天国への階段を着実に上る。



渡辺の母親が、"タカラ"の母親に縋る。

『お願いですッ! 娘をッ! 娘を助けてくださいッ!』

反射、"タカラ"の母親の平手が飛んだ。

『そんな簡単にッ! 息子の身体を切り開けと言うんですかッ!』

泣き崩れる渡辺の母親。それを見て、"タカラ"の母親も、覆いかぶさるようにしゃがみ込んだ。

『ごめんなさい、ごめんなさい。こんなこと、息子も望んでいない事なんて分かっているのに』

『私も、"タカラ"さんのお気持ちを考えず、あまりにも身勝手な物言いを―ー』



二人は抱き合って泣いた。

163 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/07/13(木) 17:34:25 ID:yaQAk/JE0






どれくらいそうしていたのだろうか。そんなに長くはないはずだ。
それでも、二人の母親が、覚悟を決めるには十分すぎるほどの慟哭の時間は経過していた。



『お願いします。"みゆき"ちゃんを救ってあげてください』



"タカラ"の母親が、眼を真っ赤に染め上げながらそう医師に告げた時、
"渡辺"の母親は、もう一度泣き崩れた。








.

164 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/07/13(木) 17:35:08 ID:yaQAk/JE0









――あれから半年が経った。


手術の成功率が三割、その後拒絶反応が出ない可能性も五分五分。
その確率を生き抜き、渡辺は、自室のベッドの上で目を覚ました。

ついに病院を退院し、明日から学校に通えるのだ。

自身の下腹部についたミミズのような手術痕を人差し指で、つぅー、となぞる。

ゾクゾクした。この下で"タカラ"君が生きていると思うと、口角がつりあがる。



幸せだった。


もう中学三年生で、部活動なんかは楽しめないかもしれないけど、
それでも、友達と帰り道に買い食いしたり、放課後にプリクラを撮りに行ったり、
いや、そんな事をせずとも、もう二度と、あの苦痛を、人工透析を受けずに済むと思うと、
それだけで十分幸福のさなかにいることを実感できた。


これも全て"タカラ"君のお蔭だ。


私の腹の下で、"タカラ"君が生きているからこそ、息づいていてくれるからこそ、
私は"生"を享受することが出来る。


『私たちは、"二人で一つ"よねぇ、ふふふ……』


愛おしい。愛おしい人を、自分に内包して、そうやって輝かしい日々を生きる。
グロテスクにも私と結合した臓器が、内側から私の事を抱きしめてくれているような。

165 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/07/13(木) 17:35:40 ID:yaQAk/JE0






――ただ一つの不満点のしては、"シャント瘤"が消えない事。



あまりにも長い間、人工透析をしてきたせいで、腕に出来た巨大な芋虫のようなこの"瘤"は
自身の骨折の完治まで、切除が出来ないのだという。

アームカバーは当分必要になりそうだ。

自身の"シャント瘤"を指で突きながら、そのぶよぶよの感触に舌打ちした。






.

166 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/07/13(木) 17:36:45 ID:yaQAk/JE0



――それからまたしばらくして、腕に埋め込まれたボルトを外す手術をする日がやってきた。


あれから、渡辺は奇妙な腕の痛みに悩まされていた。

始めは、骨折した部分が、超回復でより強く、太く成長したから、筋肉を、神経を圧迫しているのだと思った。
そういうものを学術本で読んだことがあったのだ。

しかし、それにしては、痛みが部分的すぎる。

より具体的に言えば、"シャント瘤"の真下辺りにしこりがあるような気がして、そこが内側から押し上げられるように痛むのだ。
ボルトが変な風に骨と癒着してしまって、内部でひん曲がってしまったのであろうか。

しかし、ボルトさえ取り除いてしまえば、そう思いながら、渡辺の意識は麻酔によって黒く染まっていった。








――渡辺の腕を切り開いて、医者は絶句した。

まるまると太った"シャント瘤"の中に、"人間の指"を発見したのだ。

丁度、子供の人差し指くらいのそれを、ピンセットで慎重に摘まみあげる。

周囲の肉と薄く張り付いていたそれが、周りの筋繊維をぷちぷちと引きはがしながら粘性の高い血液の糸を引いて離れる。

何度見ても、人の指なのだ。しかも、血色の良い、先ほどまで、しっかりと血の通っていたような。
爪も先ほどまで伸びていたような痕跡がある。



あまりにも不気味はそれは、渡辺の母親にだけ存在を告げられた。

未だ移植後で不安定な精神状態の渡辺を、これ以上いらない心労をに浸すことを良しとしなかったからだ。
手術自体は無事に終え、渡辺の腕も、以前のように駆動するようになった。

167 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/07/13(木) 17:37:23 ID:yaQAk/JE0






――ある日の放課後。


私は、渡辺と志望校に向けた勉強を図書室でしていた。




お互い得意科目と不得意科目がズレていたから、都合が良かったのだ。
かれこれこの勉強会を続けて一ヶ月ほどになる。

渡辺の腕には、未だにアームカバーが装着されていた。
まだ"シャント瘤"の切除手術は行っていないらしい。

先月骨折した際に入れていたボルトを外したばかりだと行っていたから、
同時に幾つも同じ個所に手術をするのは部分的負担が大きすぎるのだろうと納得していた。

しかし、奇妙なのは、反対の腕、右腕にもアームカバーを付けている事だった。
渡辺に尋ねると、『ノートの文字が擦れて滲まない様に』なんて事務員さんが着けてるアレみたいな事を言っていた。

また、退院当初には無かったニキビが増えてるのも気になっていた。

まぁ、腎臓移植後で食事制限が無くなったので、好きなだけ脂っこいもので食べているのかと思ったが
それにしては体型が変わらないので、不思議に思う。

そのニキビも、顔中に大量に、という訳では無く
顎の下あたりに大きいものが二つほど、と注視しなければ目立つものではないので、
まぁ、遅れてきた思春期特有のものだろうと、深く考えることはしなかった。

168 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/07/13(木) 17:37:58 ID:yaQAk/JE0
しかし、こうやって向き合って勉強をしていると、
特に難しい問題にあたった時など、渡辺はしきりにそのニキビ付近を掻き毟るので
得も言われぬ不快感からか、ついつい目がいってしまう。



『うぅ〜、因数分解なんて大人になっても使わないよぉ〜』



渡辺は英語と国語は抜群に出来たが、数学が苦手だったので、時折数字に悪態をついた。
そして、そういいながらガリガリとニキビを掻くのだ。



『はぁ』



そう溜息を吐いて、渡辺は、自分の顎の下に手をやった。
丁度居眠りする時に、自分の頭を支える時みたいに。小休憩に入るつもりだったのだろう。







しかし、その時、嫌な音がした。

169 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/07/13(木) 17:38:27 ID:yaQAk/JE0









                 ぶちゅんっ。














.

170 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/07/13(木) 17:39:23 ID:yaQAk/JE0

渡辺は驚いたような、痛みに耐えるような、犬のパグみたいに顔をしかめた。

指の隙間から、少量の血液が混じった、カスタードクリームみたいな膿がドロッと這い出てきた。

慌てた様子で、ごめん、なんていいながら、自分のポケットからティッシュを取り出そうとした時、
カツン、という音と共に、机の上に膿に塗れた小さな欠片が転がった。



私は、それを、見た。





――歯だった。






人間の、犬歯が、黄色い粘液に塗れて、机の上に、転がっている。




(;'A`) 「いぃ〜〜」



『あ』


渡辺の口から、発声練習の時のような、感情のこもっていない声が漏れた。

素早くその歯をティッシュで包むと、『ごめん今日はもう帰るね』そう早口で言って
さっさと荷物をまとめて帰ってしまった。




拭き残した机の上の膿からは、台所の三角コーナーみたいな匂いがした。

171 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/07/13(木) 17:40:30 ID:yaQAk/JE0






それから、渡辺は学校に来なくなった。

周りのみんなは、まだ体調が万全じゃなかったんだとか、
受験のストレスで体を壊したとか、そんな事を口々に予想しあっていたが、私にはそうは思えなかった。

あの時の膿の匂いが、まだ私の鼻の粘膜にこびり付いている。


あの匂いからは、不穏な、澱みのようなものを感じた。






.

172 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/07/13(木) 17:41:26 ID:yaQAk/JE0




帰りの会で、志望校を記入する用紙が配られた。

担任から、出来れば渡辺の家に届けてほしいと言われて、私は了承した。

何かしらの口実を作って渡辺の家を訪問しようと思っていたので、実に好都合だった。




渡辺の母親は、快く私を迎えてくれたよ。
どうやら学校に復帰以来、家に友人が来たのは初めてらしい。
どこか消毒液の匂いが漂う家に招き入れられて、今現在渡辺が部屋から出たがらないという話を母親に聞かされた。

理由は決して言わず、もう一週間近く、部屋の前に置かれたご飯だけをいつのまにか食べて生活しているのだと。



私は、失礼を承知で質問した。


「その……排泄などは……どうしているのですか?」


そこで、母親は、なぜ今まで気が付かなかったのか、という顔をした。

渡辺の母親は専業主婦なので、基本は家にいる。
料理の食材なども、生協から宅配で届くので、基本家にいるのだという。
しかし、彼女がここ一週間トイレに行ったことは一度も確認していないらしい。

無論、家族が寝静まった深夜に、という事も考えられるが、
母親は眠りが浅い方で、そういう物音がしたら、多分気が付くはずであると言っていた。

もしや、部屋の中で排泄しているのでは、と疑問が沸き上がったが、
同じような疑問を抱いたであろう母親から『でも、お部屋の前が臭いとか、そういうことは全くないの』という言葉に否定された。



ともかく、一度渡辺に会わない事には答えが出ないだろうと、
私は母親の許可を取って、渡辺の部屋に行ってみることにしたのだ。

173 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/07/13(木) 17:42:13 ID:yaQAk/JE0

渡辺の部屋のドアには"MIYUKI"と書かれたプレートがぶら下がっている。

女の子らしいポップなデザインのそれが、今の状況と妙にアンバランスな気分にさせた。




Knock,Knock




しんとした廊下に、その音が響く。


「渡辺、私だ。素直だ。先生にプリントを届けるように言われた。志望校を記入するものだ」



『……クーちゃん?』




弱弱しい声だった。しわがれた老婆の声のようにも聞こえる。



『ごめんね、プリントはお母さんに渡しておいて……』



それ以上は語ることはないという拒絶の空気が、ドア一枚隔てていても十分伝わってきた。

元々母親の前にさえ姿を見せないのだ、いわんや友人"ごとき"に心を開く訳も無し。

174 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/07/13(木) 17:43:24 ID:yaQAk/JE0

私は早々に諦めて、踵を返した。
プライバシーに無理矢理指を突っ込んでほじくり返す趣味も無い。

しかし、引き留めたのは、渡辺の方だった。


『――クーちゃんって、不思議な話とか、信じてくれるんだよね?』


――私は以前、私に起こったいくつかの不可解な出来事を渡辺に話したことがあった。



ξ゚听)ξ「それって、さっきの"ピエロの話"とか?」



そうだ。

勉強の息抜きのつもりで、他愛のない、ちょっとした暇つぶしがらの話。
渡辺は存外リアクションが可愛いので、ついついからかいたくなって、怖い話をしたくなるのだ。



「……ああ、私もそういう出来事に遭遇することが多いからな」



『……入って』



――ガチャリ。



部屋にかけられていたであろう鍵が開く音がした。

念のため、入るぞ、と言葉をかけてから、私は扉を開いた。

175 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/07/13(木) 17:44:20 ID:yaQAk/JE0


ベッドの上に、渡辺はいた。

毛布を頭から被っていたし、カーテンも閉め切られていたから、その姿は殆ど"何かの塊"としか言いようがなかった。

部屋の中は、家の中に漂っていた消毒液の匂いがより強い臭気で漂っていて、
"過剰な清潔"を演出していた。


「渡辺」

声をかける。渡辺は動かない。

カーテンがふわりと揺れた。窓は開けてあるのだろうか。

そうやって作られた隙間から、既に落ちかけた夕日が、グロテスクな赤さをもって、部屋に差し込んでくる。
そして、毛布にぽっかりと空いた穴から、渡辺の相貌を照らした。








――顔中に、いもむしが張り付いている。






赤と黄色のまだらのいもむしが、彼女の顔の下で、蠢いているように見えた。



『クーちゃん、私、呪われちゃったぁ』



そう言って、渡辺は野球ボールのように腫れあがったまぶたを、一段と垂れ下げた。

176 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/07/13(木) 17:45:02 ID:yaQAk/JE0




――あの日。

あの移植手術の日。

渡辺は、"タカラ"君よりも、少し遅れて透析室に入った。
"タカラ"君はベッドの上で眠っていた。

珍しく他の患者は1人もいなかった。

綺麗な顔だと思った。安らかな。それこそ、もう、死んでしまっているような。



その時、本当に、一度もそんな事考えた事なんてないのに、一つの邪念が生まれた。


それと同時に、食べたことのないあれやこれやの味や、高校生になって、放課後友人と遊ぶ少し大人になった自分が
まるで蜃気楼のように彼のベッドの上に現れて、そして、ドロドロに腐って消えていった。

渡辺は、透析の準備をしている看護婦さんに、トイレに行くので、終わったら呼びに行きますと告げた。
看護婦は、『あら、じゃあナーススティションにいるから、お願いね』とだけ言うと、部屋を出て行った。

震える指で、"タカラ"君に触れる。
生き物の、熱を感じる。生きているのだ。
不完全な体で、それでもなお、醜く生にしがみ付いて、私たちは生きている。

永遠に羽化することのない、蛹のように、体の内部だけをドロドロに溶かしたまま
人として形作られることのない肉の造形を内包して、生き続けるのだ。



『"タカラ"君』


名前を呼ぶ。

愛おしいと思う。私たちは、"1人なのだ"と。
元々一つだった魂が、何かの弾みで二つに分かれてしまったのだ。
そうやって、魂の入れ物である"腎臓"が片方ずつ生き、片方ずつ死んだのだと。

だから、今からやろうとしている行為は、むしろ"修復"なのだ。
あるべき姿に戻る事なのだ。とても理にかなった、善い行いなのだと。

177 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/07/13(木) 17:45:49 ID:yaQAk/JE0

彼のシャントから伸びる管を、摘んでみる。
これが、まさしく彼の"生命線"となっている。
彼の命を、今私が摘まみ上げている。
彼を、自分の物にしている。


背徳感。ゾクゾクする。


そのまま、熱に浮かされる、夢遊病患者のように、
少し、本当に、ほんの少しだけ、その管をシャントから引き抜いた。
血に塗れたその管から、じんわりと血が染みだす。

彼の命が流れ出ていく。

でもね、"タカラ"君。私はね、そんな悪い女じゃないよ。



確率は、"二分の一"。



渡辺は、透析室近くの階段から、"ワザと"左手が下になるように、飛び降りた。
ぐしゃんと、自身の尺骨と橈骨が砕けて、シャント瘤に溜まった血液が噴出するのを感じた。
全身に高圧電流のように縦横無尽に走る激痛のさなか、渡辺は微笑んだ。








"死してなお、共に――"






.

178 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/07/13(木) 17:46:54 ID:yaQAk/JE0



『そうやって、私が生きて、彼が死んだの』

渡辺は泣いていた。涙こそ零していなかったが、私にはそう見えた。
いや、零していたのは、膿だ。

まぶたに出来た膿が、破けて、そこから、人間の"鼻"が、べちょりと、眼の下に垂れた

渡辺が、うっとおしそうに顔面のいもむしに触れるたびに、それは炸裂し、
赤と黄色の粘液を放出しながら、人間のパーツを吐き出す。



あるいは"耳"、あるいは"指"、あるいは"唇"、あるいは"奥歯"



ぼろぼろ、どろどろと、渡辺の顔面が、"他人"に――

――いや、"タカラ"君に埋め尽くされていく。





『これは、呪いなの』



『だって"死んでも、共に、生きていく"んですもの』

179 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/07/13(木) 17:47:40 ID:yaQAk/JE0





びしゃり。





また、"タカラ"君のどこかが、床に落ちた。





「渡辺」


私は、消毒液に混ざる、膿のすえた匂いに顔をしかめながら、こう尋ねた。




「お前、今幸せか?」




渡辺は、もう半分以上無くなった眉を、力なく垂れ下げ、本当に困った、みたいな顔をして、言った。










『――もう、分かんなくなっちゃった』

180 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/07/13(木) 17:48:45 ID:yaQAk/JE0

――あれから、また数日経って、渡辺が死んだことを担任に告げられた。

腎臓移植の拒絶反応が今頃出て、合併症で死んだとの事だったが、私はそんなものではない事を知っていた。






私は、叔父に尋ねた。


「で、渡辺はどんな風に死んだんだ?」



白衣の叔父は、医院長室の上等な椅子に深々と腰かけながら、さも愉快と言った風に笑った。


『丁度な、こう、後ろから人に抱きかかえられるようにして死んでいたよ。
でもな、その抱きかかえてるやつは"皮膚の下"にいたんだ』


『彼女の皮は伸び切って、ところどころ破けて、その"皮膚の下の彼"を許容し切れずにいた』


『移植した腎臓から、動脈を逆流するように、培養された人体のパーツが運ばれて、血管の中に"彼"を作り出したみたいだね。
豚の体内で、人間の臓器を培養するなんて実験がもう実用段階に入っているのは知っていたけど、まさか人体でも起こり得るとは。
いや、豚よりも人間で人間を培養したほうが適当か――』




「そう」



私はそれだけ言うと、叔父の机の上の安物のキャンディを一つ取り、包みを開いて頬張った。

こんなものさえ口にするのが命がけだったころの二人の方が、幸せだったのではないだろうか。



それとも、私には推し量れないところで、二人は幸福だったのであろうか。

181 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/07/13(木) 17:49:31 ID:yaQAk/JE0












                       『"死が二人を別つまで"?』



                     『"死してなお、共に生きよう"かな』



















【互い違いの婚約者≪オルタネイト・ウェディング≫ 了】

182 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/07/13(木) 17:50:50 ID:yaQAk/JE0
【幕間】






( ^ω^)「はぁ〜、エッグいのぉ〜」

川 ゚ -゚)「だから言ったろ、エッグいのぶち込むって」

ξ゚听)ξ「クーの家が医者一家って知ってたけど」

(´・ω・`)「なんか怪しいマッドサイエンティストみたいなキャラ出てきたし」

川 ゚ -゚)「あとあとの話でも生かせそうな良い設定だろう?」

( ^ω^)「でも全力キモい話だったお」

(´・ω・`)「ツンのとは違ったいやらしさがあるね」

ξ゚听)ξ「愛憎入り乱れた雰囲気が、乙女心を刺激してくるわ」

('A`) 「こんなきったない乙女心、おれは嫌」

川 ゚ -゚)「でも、正直"題"が連続して人体関連だったから、ちょっと雰囲気似てしまったな」

ξ゚听)ξ「そう? そんなに気にならなかったわよ」

川 ゚ -゚)「ふむ、まぁ百個も怖い話をしてれば、似た話も出てくるか」

(´・ω・`)9m「その辺はツッコまないようにッ!」 ビシィッ

ξ゚听)ξ「――誰に言ってんのよ」

(´・ω・`)「そりゃ"刑務官"殿にさ」

ξ゚听)ξ「はーぁ、嫌んなるわね」

( ^ω^)「そう言わずに、次の"題"貰うお」

('A`) 「>>190でいいか?」

川 ゚ -゚)「良いと思うぞ」

ξ゚听)ξ「さぁ、次の"解"を求めましょう」

190 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2017/07/13(木) 19:40:55 ID:eWoTLYQw0
お題は「かぎかっこ」で

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