忌談百刑

第16話 害虫駆除系女子

685 名前:語り部 ◆B9UIodRsAE[] 投稿日:2017/07/20(木) 22:36:17 ID:BPLQmJLc0

【第16話 害虫駆除系女子】

"ξ゚听)ξ"




――じゃあ、四週目、始めるわ。


みんな、"ヤモリ"くらい知ってるわよね?


( ^ω^)「爬虫類のだお?」

('A`) 「両生類じゃなかったっけ?」


そうね、恐らく両生類の方は"イモリ"の方を言っているんだと思うわ。

小型の爬虫類で、虫なんかを食べて生きてるらしいわ。
昔の日本では、良く家の壁に引っ付いてたから、"家守"なんて言って家内安全のシンボルとして扱われることもあったの。
その原因の一端には、夜、家の灯りに惹かれてやってきた害虫なんかをもしゃもしゃ食べてくれたからと言われているわ。

そして、生物としての一番の特徴は、その"何処にでも貼り付ける"という能力よ。

ツルツルのガラス板さえ、彼らにとっては、ボルダリングの壁みたいなもんで、するする登っていくの。
ヤモリの指は、薄い板状の鱗で覆われてて、ある種の"フラクタル構造"になっているの。


( ^ω^)「フラクタル?」

川 ゚ -゚)「簡単に言うと、"どこまで拡大しても、同じ図形が続く、入れ子構造"みたいなものだ」


生物学上では"趾下薄板"て言われるんだけどね。

その指のと物体とが接すると、その板状の鱗の向き一方向に変化させることで物体と指との間に"弱い力"を発生させるの。

それっぽい方の名称を使うなら"ファンデルワールス力"とも言うわ。
分子って、基本的に安定した形を求めて、ひかれあう性質を持っているわ。
ヤモリの指の表面も、分子レベルに細かくて、壁とか天井とかの分子との間に、この引かれ合う性質を発生さてる吸着しているんですって。

吸盤とか、粘液で張り付いてる訳じゃないのね。


このお話は、そんな"ヤモリ"に襲われた、一人の少年のお話よ。

687 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/07/20(木) 22:36:45 ID:BPLQmJLc0



――私が、中学2年生だった頃のお話。




ある日、私が学校に行くと、その時友人だった岡崎さん、
――みんなからは"岡ちゃん"って呼ばれてた子なんだけど――の席が、他の女子たちに囲まれているの。
どうやら、岡ちゃんが泣いていて、それを他の女子が慰めているらしかったわ。

私も結構岡ちゃんと仲が良くて、何度か彼女に家に遊びに行ったこともあったから、
その輪に加わって、話を聞いてみたの。



すると、岡ちゃんは、しゃくり上げながらも話してくれたわ。

688 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/07/20(木) 22:37:20 ID:BPLQmJLc0



切っ掛けは、昨日の出来事だった。

岡ちゃんの家は、犬を飼っていたの。茶色いミニチュアプードルで、岡ちゃんはとても大切にしていたわ。
そもそも私とも、その"犬好き"きっかけで仲良くなったし。ほら、わたしんちにも"ビーグル"がいるから。

それで昨日、そのプードルをお散歩に連れて行ったんですって。

拝成の西にある公園を通って、美符市の方まで歩いていく。
そして県境の拝成山の麓くらいで引き返すのが、彼女たちのお決まりの散歩コースだったの。



でもね、昨日は、その道に、"横堀君"たちがたむろしていたんですって。
ブーンたちは知ってるでしょ? あの"拝北中のゴキブリ"って言われてた、アイツよ。

横堀君は今時珍しい"不良"ってやつで、特に酷かったのが、その"ピアス"
耳だけじゃなくて、確か当時は、右目のまぶたと鼻にもつけてた気がするわ。
それから、平気で万引きやカツアゲもするから、全校生徒どころか、街中から警戒されていたわ。

そうね、"誰からも好かれないブサイクな浦飯幽助の第一話、死ぬ前"みたいな感じ。


( ^ω^)「ツンの例えはいつも分かるようで分からないお」

('A`) 「ピンポイントでマニアックなんだよな」


うっさいわ。

689 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/07/20(木) 22:37:46 ID:BPLQmJLc0

ともかく岡ちゃんは、その横堀君たちに目を付けられたくなくて、踵を返したの。
でも、そんな岡ちゃんの後姿を、彼は目ざとく見つけたわ。


『オイ、お前、岡崎だろ?』


そう背中に響くような低い声が聞こえた時、岡ちゃんは一目散に駆けだしたの。

プードルも必死になってついてきたわ。
岡ちゃん陸上部のエースだったから、足の短いミニチュアプードルの方が、ついていくの大変だったでしょうね。
そうして、やたらめったら走っているうちに、何時もだったらそこまでいかないはずの拝成山沿いの住宅街まで来てしまったわ。



あの拝成山奥の住宅街って不気味なのよね。

なんていうか、スラム街一歩手前っていうか。

多分、元々あの辺から徐々に開けた場所に開拓されて、そのうちそっちが主流になっていったんだろうけど、
なんていうか、古くてぼろい日本家屋がいっぱい並んでて、しかもそのうちの大半が空き家の、
プチゴーストタウンみたいになってるの。


錆きった塗炭の屋根だとか、ボロボロに朽ちた竹垣だとか、割れた窓を新聞紙とガムテで補修した跡とか。

そういう気が滅入るような陰鬱さがその地区全体を覆っていて、
今では大多数の人が、県外に出て行って、その土地の管理だけしているっていうそんな場所。

690 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/07/20(木) 22:38:20 ID:BPLQmJLc0

あぁ、もう、今日は嫌な事が続くなぁ。

岡ちゃんはそう思って、早く家に帰ってしまおうと踵を返したわ。
でもね、その時、不意に緩めてしまったリードを引きずって、そのプードルが走り出したの。
きゃいんきゃいんと吠えながら、怒ってるのか、怖がっているのか分からないけど、普通じゃない様子で、住宅街の奥へと走っていく。

岡ちゃんも、慌てて、待ちなさいッ! って呼びかけながら追いかけたわ。


奥に行くにつれて、どんどん街の空気が重くなっていく。

腐った生ごみが、誰にも処理されずに、軒先に放置されているみたいな匂いまでしてきたわ。

やけに大きいカラスの鳴き声とか、もうだいぶ陽が沈んで真っ赤になった空と、黒く影を伸ばす家々のコントラスト。
そういったものが彼女の恐怖心を煽っていく。


今、通り過ぎた家のカーテンの隙間から、誰かがこっちを見ていた気がする。

今、横切った電柱の陰に、子供がいて、こっちを見上げていた気がする。

ほら、あの家の二階から、私を指差して、見えない誰かに何かを伝えている。


そんな被害妄想がどんどんと鎌首を持ち上げて、彼女を精神衰弱に陥らせるの。

691 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/07/20(木) 22:38:42 ID:BPLQmJLc0

やがて、プードルは、急に方向を転換し、ある家の中に入っていく。

岡ちゃんは絶対にそれだけは止めたかったから、プードルの首から伸びるリードに飛びついたんだけど、その手は空を切ったわ。

その家は、岡ちゃんでも知っていたの。だから焦ったのだわ。

692 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/07/20(木) 22:39:20 ID:BPLQmJLc0



――通常"ヤモリの家"



皆もこの街に住んでるなら、噂くらい聞いたことがあるんじゃない?



戦前、この家には、仲のいい夫婦と、それから兄弟が一家で暮らしていたの。

家の敷地にある土倉の壁には、良く"ヤモリ"が張り付いていて、子供たちがそれを捕まえて、父親に見せると、
"その子は我が家を守ってくれる家守さまだから、元の場所に返しなさい"と言ったらしいわ。

どうやら父親の出は仏教系だったらしくて、そういう生き物とかを大切にする人だったらしいのだけど、
その中でも、一番ヤモリを気に入っていたらしいの。

家でいいことがあると、何でも"ヤモリサマ"がいらっしゃるお陰だ、と。

でも、奥さんはそうでもなかったみたい。
自分が頑張って産んだ子供ですら、"ヤモリサマ"のお蔭にされてしまったのでは、立つ瀬がないわよね。


でも、そんな迷信に囚われながらも幸せだった家庭も、第二次世界大戦で一気に崩れ去るわ。


まず、国家総動員法で物資が国に徴収される中で、兄が結核にかかってしまう。

当然満足な治療を受けられるはずもなく、毎日血反吐を吐きながら、まだ17歳という命が燃え尽きそうになっていたの。
それから、弟が、徴兵されたわ。サイパンだかマレーだかに飛ばされて、そのまま帰ってこなかった。

それでも、父親は、毎日"ヤモリサマ"がいらっしゃるからって、奥さんと兄を励まし続けたんだけど、
ついに、終戦と同時に、兄は死んで、弟の戦死を伝える電報が届いたわ。


更に、父親は、闇市で米を購入した帰り道に、暴漢に襲われて、殺されたの。

693 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/07/20(木) 22:39:51 ID:BPLQmJLc0

一気に大切な人を三人も失った奥さんは、ついに狂ってしまったわ。

そして、その怒りの矛先は、全て"ヤモリサマ"に向けられた。




私達は、お前を大切にしたのに、お前は私達を救ってくれなかった。

救わぬ神は、悪しき神である。それこそがいらぬ神である。

神を罰せよ。守らぬ守り神を、血祭りに上げよってね。




彼女は、家じゅうひっかきまわして、十数匹のヤモリを捕まえると、
自分の家の壁に、釘で次々に打ち付けていったわ。

ヤモリの眼って、猫みたいに瞳が縦長なんだけど、その二つの眼球に釘を打ち込んで、
壁に並べていったの。

694 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/07/20(木) 22:40:22 ID:BPLQmJLc0

街の皆は、その異様な光景に、ある意味恐怖して、ある意味同情したの。
息子の戦死をきっかけに、精神喪失ってパターンはその当時結構あったみたいね。

でも、彼女は家じゅうのヤモリだけじゃ飽き足らず、今度は街中のヤモリを見つけては、
自分の自宅に磔にしたわ。そうして、壁一面が、すべてヤモリで埋め尽くされた時、彼女も自殺したの。



でも、その死に方がおかしいかったらしいわ。



自身の右手と太い釘で、左手、右足、左足を、壁の高い位置で打ち付けて、最後に、口に咥えた釘を、自分の右手にめり込ませた後に、
何度も何度も頭を打ち付けて、自分を自分で磔にして死んだらしいの。まるで、壁にへばり付くヤモリみたいに。




しかも、死因は、"餓死"。



少なくとも、その状態で、10日は生きたらしいわ。






それからあの家は、県外に住む親戚が管理しているらしいけど、
完全放置で、半分朽ちかかっても、そのままって訳。




だから、"ヤモリの家"なんですって。

695 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/07/20(木) 22:41:12 ID:BPLQmJLc0

そんな家に、愛犬を吸い込まれてしまった岡ちゃんは、その家の前で立ち尽くすしかなかったの。

大切な家族の一員であるプードルだったけど、それ以上に、この家に入るのは、無理。
少なくとも、一人では絶対に入れない。入りたくない。

皆ならどうする? 一人でも入れる? それとも、逃げる?



入るっていうんだったら、それは勇気のある話だとは思うけど。




その家の中から、今まで聞いたことのないような愛犬の咆哮と、
それが徐々に絞め殺されるように、がぼがぼという水の音が混ざり合って聞こえてきても、
貴方は、その家に入るっていうかしら。



岡ちゃんは、逃げたわ。

それを薄情だなんて、誰も言わなかった。
だって、多分、その話を聞いた全員、そうしたであろうから。



でね、そんな事しらない友人の一人が、今度遊びに行って、そのプードルに会わせてねって言った途端に、泣き始めたんですって。



私も、なんていうか、気の毒だけど、"じゃあ、一緒にその家に犬探しにいこうね"なんて言えなかった。


あの街に踏み込む事すら嫌なのに、更にその中でもタチの悪い噂のある化物屋敷なんて、口が裂けても行こうなんて言えなかったわ。

696 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/07/20(木) 22:41:39 ID:BPLQmJLc0

でもね、そんな時に、その話を扉の向こうで聞いていた、一人の男子が入ってきて言うの。


『だったら俺が、その犬見つけてやるよ』




――横堀君だったわ。



彼は、自分の名前が女子の輪の中から出てきたことで、思春期特有のあれで、教室に入れなかったらしいの。

でも聞けば、なんとなく自分のせいで、岡ちゃんの犬が逃げた事を知って、軽い罪悪感が湧いたみたいね。
それから、後で、彼の取り巻きの一人が言ってたんだけど、実は横堀君、岡ちゃんの事が好きだったらしいの。


聞けば幼稚園が一緒で、その頃からずっと片思いしてたんですって。
あの日、岡ちゃんに声をかけたのも、相手が一人だったから、送ってやろうと思ったとかなんとか。

私達は、"拝北のゴキブリ"から飛び出したそんな言葉に口を開けたまま何にも言えなかったの。
岡ちゃんも、泣き顔を、困ったような、怯えたような顔に変えて、曖昧に視線を外したわ。

横堀君はそれを見ると、"ッチ!"と舌打ちをして、まだ朝の会も始まる前だというのに、教室から出て行ってしまったわ。



それきり、彼は、教室に戻ってこなかったの。














――永遠にね。

697 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/07/20(木) 22:42:13 ID:BPLQmJLc0



彼は、放課後、普通に学校で授業を受け終わった取り巻き二人を引き連れて、"ヤモリの家"に向かったわ。

化物がいるなんて言うのは、露ほども信じてなかったけど、なんか気狂いのホームレスがいてもおかしくないってんで、
一応の金属バットだけは装備してね。



噂の街に入って、"ヤモリの家"の前に来た頃には、もうすっかり日が暮れていた。


平屋の日本家屋のはずなのに、その家は、やけに背が高く見えたわ。

"見越し入道"や"のびあがり"なんて妖怪がいるけど、まさにそんな感じで、
見上げれば見上げるだけ、どんどん高さを増していくような威圧感があったの。


それから、敷地内に入るだけで、鼻を衝く異臭。

彼は喧嘩も良くしていたから、この匂いにはかぎ覚えがあったわ。
相手に鼻っ柱を殴られて、鼻血が出た後に、鼻腔に残る、そんな匂いだったの。


家の扉は開け放たれていて、三和土が見えたわ。

そこには、一足の靴も無く、やはり誰も住んでいない事を証明していたの。
その奥の方から、さっきの異臭がしてくるわ。



近づけば、近づくほど、濃厚な、"血"の、"死"の甘ったるい香り。


熟れ過ぎた果実が腐り落ちて、土にかえる直前のような、そこに十円玉を溶かしていくような。

698 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/07/20(木) 22:42:43 ID:BPLQmJLc0


横堀君たち三人は息を飲んだわ。

彼らの想像以上に、この屋敷は"狂気"と"悪意"を孕んでいる事が分かったから。
瞬間、悟る。多分もう、岡ちゃんのプードルは、とっくに死んでるって。
だからかしらね、取り巻きの1人はこう言った。



『横堀君、これやばいって、もう、帰らね?』



でも、横堀君は、むしろその言葉をきっかけにしたように、玄関口を跨いだの。



『マジかよ……』



もう一人が、そう零すと、仕方ないと言った風に、二人は彼の後を追ったわ。

この家も怖かったのだけど、逃げ帰った後の横堀君も、当然怖かったんだって。
一応彼、"ゴキブリ"ってあだ名の割には、喧嘩も強くて、高校生相手でも喰らいついていくしぶとさがあったんだって。

699 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/07/20(木) 22:43:08 ID:BPLQmJLc0

家の中には、ほぼ光が存在していなかったわ。

玄関から入る、敷地前の街灯の燈がせいぜいでギリギリ家の奥までは見えない感じ。

玄関からは、真っ直ぐ廊下が伸びていて、左に襖が二か所、右に一か所。それから玄関にごく近い所に、ドアが一個あったらしいわ。
恐らくそれはトイレだと思うわ。

更に一番奥には、左に四角い通路口が開いていて、そこに暖簾がかかっている。

その奥からは、月明かりなのか、薄い光が伸びてきていた。
あれは多分、台所だろう。横堀君はそう思ったの。


靴も脱がずに、三人は家に上がる。
金属バットを、それぞれが顔の横に構えて、正に"臨戦態勢"って感じで。


ギッ、ギッ、と三人の足元が鳴る。

古い床板はところどころのささくれが酷くて、素足で歩いたら物の三分で足裏が膾になりそうだった。

700 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/07/20(木) 22:43:54 ID:BPLQmJLc0


まずは、一番手前の左襖を開ける。

横堀君がバットを使って、器用にスライドさせていくの。
彼も、この家の異様さには辟易していて、とても"素手"でこの家のものに触る気にはなれなかったわ。



のちに、この判断は"正解"だったと、彼は理解する事になるのだけど。



襖を開いた先の部屋は、何の変哲もない、ただの8畳の和室だったわ。
唯一おかしい所があるとするなら、目の前の窓が、新聞紙で全て塞がれていることぐらい。
その新聞紙の向こう側から、うっすらと光が染みだしてはいるんだけど、もちろん十分というには心細すぎるくらいだったわ。

用意の良い取り巻きの1人が、懐中電灯で、暗い部屋を照らす。

それでも、何の異常も見当たらなかったわ。

懐中電灯の、まあるい光が、部屋を舐め回すようにゆっくりと動き回る。

すると、部屋の左に、ふすまがある事に気が付いたの。
多分ここは床の間で、あそこに布団でも入れていたのだろうと横堀君は思ったわ。

ただ、この家の雰囲気から言って、そういう生活に必要な道具は、大昔に全て片付けられているだろうから、
あのふすまの中は、空洞のはずだ。



ただ、その端が、10cmほど開いているのが気になった。

701 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/07/20(木) 22:44:30 ID:BPLQmJLc0


『オイ、あそこ照らせ』


横堀君は、懐中電灯を持つ子にそういうと、あのふすまの隙間を指差したわ。
それに従うように、彼は隙間に光を向ける。

奥から闇が染みだしてきそうな細長い深淵に光が差し込んで、少しだけ中が見えたわ。
そこには、茶色い、毛むくじゃらの、生き物の、後ろ足が見えたの。


『横堀さん……アレ……』


確かに、あれは、丁度"プードルの後ろ足"に見える。

でもピクリとも動かない。寝ている、といった感じじゃあない。
"生命"そのものを、あの足からは、感じなかった。



それから、なんか"違和感"があるのよ。



そこから見える、後ろ足が、なんだか"透けている"のね。
それは、例えば、その犬の後ろ足だけが幽霊となって、そこにいる、とかじゃなくて、


なんていうか、そうね、"クリア"なの。

昔の携帯ゲームに、中の基盤が見えるクリアカラーってあったでしょ? あんな感じだったんだって。

懐中電灯の光を、その足は透過しているように見える。



首筋から、冷たい汗が、背骨の上を走ったわ。

702 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/07/20(木) 22:45:11 ID:BPLQmJLc0

横堀君たちは、また擦り足で、ゆっくりと、そのふすまに近づいていくわ。
そして、目の前までやってきて、またバットでふすまを開いたの。


――懐中電灯の光の海を、ホコリのプランクトンたちが泳ぎ出す。


何年も清掃していない家独特の、あの木と塵の混ざった匂いがして。



果たして、岡ちゃんのプードルは、そこにいた。



ちゃんと、全身がそこにあって、幽霊でもなかったわ。


『横堀君、こいつ?』


1人がそう聞く。でも、横堀君は何も答えない。

横顔を盗み見ると、眉間にしわを寄せて、何かを睨むような、考え込むような表情をしていたそうよ。
それは、さっき感じた違和感が、まだぬぐい切れていないような……。

未だ動かないそのプードルは、多分もう死んでいる。それは三人には痛いほど伝わってきていた。
既に命が尽きて、肉となったその"元生命体"……。

703 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/07/20(木) 22:46:45 ID:BPLQmJLc0

そこまで考えて、横堀君は、ハッと気付いたの。

この犬の死骸からは、"肉"の感じがしない。
なんでだろう、酷く脆くて、危うい、そういものだという事が、肌にひしひしと伝わってくる。


『コレ、死んでるけど、一応、岡崎ンとこ持ってく?』


取り巻きが、そう言いながら、プードルを持ち上げようとする――。


『待てッ!』


横堀君が言うよりも早く、彼は、そのプードルに、触れた。



途端、そのプードルが、



             ――ぐしゃん。



                      "へこんだ"の。



手応えも何にもなく、その背中に当たる部分が、彼の手のひらの形に。
そのまま、押入れの床の固い感触が、伝わってくる。


『うわぁああぁあああああッ!?!?!?!?』


彼は叫びながら、慌てて腕を引っ込めた。

その指には、プードルの巻き毛が絡みついていただけで、異常は無かったけど、
ただその感触と光景だけは、確かに"異常性"を示していた。

704 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/07/20(木) 22:47:14 ID:BPLQmJLc0

『貸せ』


横堀君は、懐中電灯を、取り巻きの手からもぎ取ったわ。
そして、その背中を大きく湾曲させたプードルを照らす。
それで、やっと、その違和感に気が付いたわ。


体が、毛に覆われているから分からなかったけど、そのプードルは、"皮だけ"なのよ。


まるで綿を詰める前のはく製みたいに、そこにプードルの"型"だけを残して、中身は何処かへ行ってしまった。

それはそう、丁度、爬虫類が"脱皮"でもしたように。


だから、その毛の下の薄い皮膚が、光を透過していたのね。

でも、押入れの中も、木造だったから、色の違いが顕著ではなかった。
だから気付くのに遅れたの。


三人は絶句する。


この異様な犬の死にざまに、もはや岡ちゃんの犬がどうのこうのという前に、自分たちの命の危険を感じたわ。

それでも、何故かしら、横堀君は、バットで、その犬のへこんだ背中をぐいぐいと押し始める。
取り巻き二人はその横堀君の異様な姿に、言葉が出なかった。

705 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/07/20(木) 22:47:49 ID:BPLQmJLc0


『コレ、見ろよ』


横堀君が犬の死体を懐中電灯で照らす。

その背中、毛を掻き分けた下の皮膚には、確かに"スリット"があったわ。
着ぐるみを脱着するときに必要な、あの隙間に似たものが。


『ひぃぃいいいいいッ!!!』


既に限界を超えていた取り巻き二人は、もう明日横堀君にぼこぼこにされること覚悟で、
部屋を飛び出して、家の外に走り去ったわ。

これ以上この家にいたら自分も"ああいう風"になってしまうと、全身が警鐘を鳴らしていたの。

当然横堀君は、その二つの背中に怒号を浴びせながら、追いかけようとしたんだけど、床の破損個所に気が付かなくて、
その穴に脚を取られて、思わずつんのめったわ。

そのまま向かいの襖をつき壊して、更にその奥の壁に叩きつけられるように体勢を崩してしまった。

べたんっ! 彼は壁にへばり付くような格好になってしまった。


『糞がッ!』悪態をつきながら、彼はその壁から、体を引き離そうとする。











――でも、離れないの。

706 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/07/20(木) 22:48:19 ID:BPLQmJLc0

壁に付けてしまった、両掌と、左頬が、そこから離れようとしない。

まるで壁に皮膚を吸われているように、ピタッと張り付いてしまったのね。
その格好は、まるでそう、丁度"ヤモリ"の様に。



『んだよコレ! ざっけんなッ! オイッ! お前らッ!』



彼は足で壁に突っ張って自身を引き剥がそうとするんだけど、全然ダメなの。

とり落とした懐中電灯の光の丸が、自分の斜め下を照らしている。

その照らされた壁は、なんていうか吐き気を催すほど"生命"だった。


この壁は、家は、丁度生物の皮膚で全てが、"貼られている"ようだった。

フローリング貼り、じゃなくて、皮膚貼り、ね。

しかも、その生物の皮膚の中でも、下劣で、邪悪で、一度獲物を捕らえたら離さないような。

707 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/07/20(木) 22:48:55 ID:BPLQmJLc0

彼はもう自棄になって、滅茶苦茶にくっついた手と頬を引き離そうとしたわ。
でも、その時、ベリ、っていう音と共に、自身の手首から先に痛みを感じたの。



――手のひらが、剥がれようとしている。



そして、その手の肉と、皮膚の隙間から、薄く血が、垂れていく。


凍った金属に、素手で触ってはいけないのは知ってるわよね。
皮膚が張り付いて、剥がれてしまうから。

丁度そんな感じで、彼の手のひらは、肉と皮膚が乖離してしまったんだわ。



『た、助けてくれぇええええええええええええええええッ!!!!』



彼は叫んだ。

自力での脱出は不可能だと思ったの。

いえ、自分の両掌と、頬の皮を犠牲にすればいい事は分かっていたわ。
でも、それだけの度胸が、彼には無かったのね。



だから、一縷の望みをかけて、助けを叫んだ。叫んでしまったのね。








そんな事をすれば、"ヤツ"に居場所がバレてしまうというのに。

708 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/07/20(木) 22:49:22 ID:BPLQmJLc0


ズッ……、ズッ……。



背後から、何かを引きずるような、何かが這いずるような音がする。

でも、決して、床のような"低い位置"からではない。
もっと高い、そう、それは、丁度、"天井"くらいのところから。



何かが、ゆっくりと、近づいてくる。



彼は左頬を壁にくっつけているから、上どころか、右しか向けないの。

この部屋の、右っかわの、何にもない、ただの壁しか見れない。

目の下端には、懐中電灯のまあるい明かり。彼の視界はそれだけだわ。

709 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/07/20(木) 22:50:03 ID:BPLQmJLc0


やがて、その這いずる音に、呼吸音が混ざり始める。

く、る、る、という喉を鳴らす音。蛙か何かが、なわばりの主張の為に出す、あのゆっくりとした低い鳴き声に似ていた。
その音が、この部屋の入り口の天井から、徐々に自分の真上へと、移動して。



『ざっけんなッ!! オイッ! テメェッ!!! ぶっ殺すぞッ!! あ゛ぁ゛ッ!?』



精一杯の強がりの咆哮も、既に"人の心"を何十年も前に置き去りにしてきた"ソレ"には意味をなさないというのに。

そして、自分でも気づくの。これは"威嚇"ではなく、"怯え"の鳴き声だ。
弱い犬がきゃんきゃん吼える時の、"捕食者"に襲われる"被捕食者"出す、あの弱り切ったそれだ。


"ソレ"は徐々に、天井から、今横堀君が張り付いている壁に移動してくる。

上の方から、頭を逆さにして、降りてくる。


彼の視界の、上の方から、"ソレ"の髪の毛の先端が、ゆっくり降りてきて、彼の目の前で揺れる。


真っ暗な中に、なおも真っ黒いそのつややかな髪の中には、犬の形をした"肉"が、絡まっていた。
それが強い臭気を放っていて、鼻先数センチのところに、明確な"死"をぶら下げる。



ゆっくりと、その死骸が目の前を通り過ぎ、そして、ついに、"ソレ"の顔が下りてきた。

710 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/07/20(木) 22:50:38 ID:BPLQmJLc0


『あ、あぁ……ああ……』


横堀君は、叫ぶ事すら出来なかった。
叫んだら最後、内臓まで全部吐き出して死んでしまうと思ったから。




――ソイツは、まさしく、"ヤモリ"だった。



人間の顔の造形から、眼球だけを、無理やりこめかみ付近までズラしたように飛び出した、その瞳は縦長で。

灰色の中に、黒いスリットが入った、大きなガラス玉の様だ。


まぶたがないその瞳を、口の先端から飛び出した、鈍いピンク色の舌で、ベロンと舐める。
ワイパーで車のフロントガラスを拭く様に、丹念に、何度も、眼球を、べろべろと。


その相貌の底から伸びる腕の先について手のひらは、人間の物とは思えないほど大きくて、
指先には更に巨大な"タコ"のようなものがあって、しっかりと壁と吸着している。



体には、何も纏っておらず、その代わりに、うっすらと鱗のようなものが生えており、

懐中電灯の光を、艶めかしく反射している。その肉体はすべらかな丸みを帯びていて、

この化け物は、"女"であると悟る。

711 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/07/20(木) 22:51:00 ID:BPLQmJLc0



ここは、この家は、コイツの住処なのだ。



そして、俺は今、この部屋に、愚かにも侵入した"害虫"。



"ヤモリ"は、害虫を喰うから、"家守"なのだ。



.

712 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/07/20(木) 22:51:31 ID:BPLQmJLc0

体が震える。それは、これから屠殺される豚が、ひきつけを起こすのに似ていた。

彼はもう、自身の手のひらとほほの事を考えずに、ぐいぐいと壁と己の皮膚を引き剥がそうとした。
両掌の皮は指の根元まで皮膚が剥がれて、ぼとぼと、と暗闇の中にその臭気だけを残して、暗闇の底に消えていく。


そして、頬にも、少しずつ、亀裂が入っていく。


痛み。鋭い。針が先端についた、お好み焼き用のヘラを、そこに挿入されている様な。



また彼は獣のような絶叫を上げる。痛みにも、恐怖にも、耐えるために。

頬の隙間から流れた、更に粘着質の血液が、顎先を伝って彼の靴に落ちる。
そのせいでお気に入りのスニーカーの爪先まで血の感触を感じる。

雨の日に水たまりに入ってしまった時のような、ぐっしょりとした感触が、
自身の血液の喪失を、もの悲しくも伝えてくる。


呼吸が荒い。痛みと、行為で体力が無くなってきている。


そんな俺を、奴は見ている。その夜行性の、暗闇の中でも良く見えるであろう瞳で。
俺の、あがきを、さも愉悦、と言った様に観察していやがる。

涙があふれた。今から死にゆくものが流す。血潮よりも温かい、"死"の香りがする濃い涙。



それが顎先の血液と混ざって、半透明な雫が滴った時、"ヤモリ女"は動いた。

713 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/07/20(木) 22:52:20 ID:BPLQmJLc0

さかさまに壁にへばり付いたまま、その右手を、横堀君の顔面に伸ばし、手のひらで覆ったの。


『ん゛ん゛んんんんんんんんんんんんんんんッッッッ!!!!』


口も鼻も封じられて、呼吸が出来なくなる。

コイツは、俺を窒息死させようとしているのか。
窒息死は、一番苦しい死に方だという。こいつは俺に、そんな苦しい死に方を――。





でも、"ソレ"は、そんなに"優しくなかった"。





ヤモリ女のてのひらは、壁と同じようにぴったりと隙間なく彼の顔面を包み込む。

そして、彼は、その手のひらが、徐々に、自分から"離れていく"気がしたの。
ゆっくりと、でも確実に、引力に引かれるように。













――まさか。








まさかまさかまさかまさかまさかまさかまさかまさかまさか。

714 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/07/20(木) 22:52:56 ID:BPLQmJLc0



『ん゛んーーーーーーーーーッ(ヤメロォオォォオオオオオオオオオオオオオオオオオッ)!!!』



その声にならない叫びに合わせて、ソイツはもう一度喉をく、る、る、と鳴らすと、
彼の顔面から、力づくで、皮膚を、引き剥がし始めた。

彼自身の力では、頬の皮一枚満足にいかなかったのに、容易に、自分の顔から皮膚が剥離していく。




まずはピアスの付いたままのまぶたが引き剥がされて、眼球がむき出しになる。

次は鼻がもげて、中の軟骨がずるりと下に落ちた。

唇も剥がされると、歯並びの悪い歯列が丸見えになって。





そして何より、その激痛。

ガスバーナーで顔面を炙られているんじゃないかっていうほど熱いの。
その中に、時折、鋭利な刃物で切り付けられるような鋭い痛みが混じる。



絶叫、懇願、哀願、悲痛、阿鼻叫喚。



独りで、地獄に落ちた囚人全員分の悲鳴を上げてもなお、喉の奥から悲鳴たちが這いずり出てくる。



彼は吐冩でもするように、悲鳴を漏らし続ける。

715 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/07/20(木) 22:53:34 ID:BPLQmJLc0



――べりべりべりぃッ!!



そうしてやっと、最後の一辺まではぎ取られてしまうと、
顔面の筋肉むき出しの彼が残ったわ。

ちょうど、人体模型の片側のように、全てがむき出しの。



彼は、瞼の無くなった目玉をギョロギョロとさせて、
既に枯れ果てた喉の奥から、辛うじてかすれた呼吸音をさせて生きていた。




最後に、ヤモリ女が、その彼の眼球を、自分の目玉でもそうしたように、


肉厚でぷにぷにした、その長い舌でぺろりと舐めると、



彼は意識を失ったわ。

716 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/07/20(木) 22:54:13 ID:BPLQmJLc0




――その後、やっぱり逃げたのは不味いって言うんで戻ってきた取り巻き二人が、
玄関の前に放り出されて動かなくなった、顔面の無い横堀君を発見して、
腰を抜かしながらも呼んだ救急車で、何とか一命をとり止めたらしいわ。





でも、剥がされた顔面は、二度と元には戻らない、そう医者に言われたって。




私は、その時学級委員だったから、クラス全員が折った千羽鶴片手に、彼の病室を尋ねて、
その話を聞いたわ。




彼は、一人一人の名前が書かれた千羽鶴の中から、岡ちゃんが作った一房を見つけると、
それを握り締めて、その包帯に塗れた顔に開けられた、まぶたのない二つの目から、うっすらと血の混じった涙を流した。


そして、彼のベッドの横の丸椅子の上に腰かけた私は、彼の最後のつぶやきを聞いた。






           『害虫は害虫らしく、あそこで駆除されてりゃ良かった』





.

717 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/07/20(木) 22:55:14 ID:BPLQmJLc0












          それからすぐに、彼は病院の屋上から、自分を"駆除"してしまったわ――。


















【害虫駆除系女子 了】

718 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/07/20(木) 22:56:27 ID:BPLQmJLc0


【幕間】


(´^ω^`)「んん〜〜〜〜〜〜、良い後味ぃ〜〜〜〜〜〜ッ!」

('A`) 「ショボはこういう話好き過ぎるよな」

( ^ω^)「結局話中では、横堀君の悪事がそんなに触れられてないから、ただひたすらに可哀想だお」

ξ゚听)ξ「どう? そこそこ短いと思ったんだけど」

('A`) 「まぁ、前のに比べればな」

(´・ω・`)「前のは"60分"くらい話してたんだっけ」

川 ゚ -゚)「最初のブーンのは"15分"だったのにな」

ξ゚听)ξ「"30分"以内が理想ね。長ければ長いほど、ここにいる時間も長くなる訳だし」

(´・ω・`)「でも、最初に比べると、みんな語りが板についてきて、変な"タメ"とか入れるようになったから」

('A`) 「そういう演出で少し間延びしてるだけって意見もあるぜ」

ξ゚听)ξ「……でも"60分"は長いでしょ」

川 ゚ -゚)「……すまん」

ξ゚听)ξ「あぁ、いや、別にクーを攻めてるわけじゃないのよ」

('A`) 「テンポ大事にってことだな」

( ^ω^)「そういうコトにしておくお」

(´・ω・`)「じゃあ、次の"題"は>>730でいいかな?」

( ^ω^)「僕がいきたいお!」

ξ゚听)ξ「分かったわ」


ξ゚听)ξ「それじゃ、次の"解"を求めましょう」

730 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2017/07/21(金) 11:42:15 ID:oouyWujI0
隙間

inserted by FC2 system