忌談百刑

第15話 後天性吸血脳髄≪ダンピール・ヘッズ≫

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614 名前:語り部 ◆B9UIodRsAE[] 投稿日:2017/07/20(木) 02:02:21 ID:BPLQmJLc0

【第15話 後天性吸血脳髄≪ダンピール・ヘッズ≫】

"川 ゚ -゚)"







――では、御静聴いただこうか?



皆は、"吸血鬼"っていると思うか?



(´・ω・`)「え? それは現実にってこと?」



ξ゚听)ξ「うーん……そういう伝承上の化け物って現代だとなんかの病気に置き換えられる事が殆どよね」



その通りだ。

例えば、吸血鬼は、"光に弱い"、"水を嫌う"、"鏡に映らない"なんて言う特徴が伝わっているが、
それは全て、"光に過敏に反応する"とも言い換えられる。
そして、この症状を発現する病気で、吸血鬼伝承と密接に関係している病がある。


(´・ω・`)「――狂犬病、かな?」


流石だな。

狂犬病は、光に敏感に反応し、キラキラという反射を嫌い、怯えるという症状を引き起こす。
更にはせん妄状態に陥り、唸り、暴れ、人に噛みつくと言った暴力的行為や、
何かにとりつかれたような痙攣など、中世の人間から見たら、正に"化け物"になった様に思えただろうな。



私が今から話すのは、私たちの高校に現れた、一匹の"吸血鬼の話だ"

615 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/07/20(木) 02:02:50 ID:BPLQmJLc0


――高校一年の冬至近く。


私はこの市の総合病院の医院長である叔父の家に来ていた。

叔父の家はそこいらの図書館よりも蔵書、特に医学系の専門書や歴史書が多く、
私は合鍵も貰っていたので、ちょくちょく寄っては、気に入った本を拝借していた。


叔父夫婦には奥さんの不妊が原因で子供がなく、
なのでかは分からないが、私が訪問することを心待ちにさえしている様子だった。



そんな訳で、その日も、一段と上等なソファのある叔父の書斎で、医学の歴史書を読んでいた。



叔父は病院から帰宅した直後だったらしく、何時ものようにコーヒーと葉巻を携えて、
机の上のPCとにらめっこしていた。何でも医院長といえど所詮は中間管理職らしく、
カルテよりも事務書類を眺めている時間の方が長いと嘆いていた。


すると、ふと何かを思い出したように、PCから目を話すと、
『そういえば、』と言って、此方を向いた。

616 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/07/20(木) 02:03:37 ID:BPLQmJLc0

『クーちゃんの学校って拝成だろ?』


「そうだけど?」


『最近、あの学校の生徒だっていう子が、何人か親に連れられて診療に来てるみたいでさ、
 それが全員共通して"貧血"なんだよね。何でも、学校内でちょっと異常なダイエットが流行ってるみたいなんだけど。 
 クーちゃん何か知らない?』


そう尋ねられたのだが、生憎私はそもそも友人が多い方ではない上に、
正直食べてもあまり太らない方なので、ダイエット情報とも無縁のため、思い当たる節は無かった。


ξ゚听)ξ「……私より喰うのに、私より体重軽いもんね」


('A`) 「女の汚いとこ出かかってんぞ」


( ^ω^)「女の子はちょっと肉付きがいい方が好みだお」


(´・ω・`)「誰も聞いてないよ」


……ちなみに私はEカップだが?


ξ゚听)ξ「いいから続けなさいよ」



すまない。


ともかく、何も知らないという旨を叔父に告げると、叔父は顎の下に手を当てて、何やら考え込んでしまった。
どうやら、その"異常な"ダイエット方法というのが、大変叔父の"お気に召している"らしい。
叔父は何かに興味を持つと、決まって顎の下に手を置いて、難しい顔をするのだ。

一見すると不機嫌そうに眉間にしわを寄せているように見えるのだが、もう長い付き合いなので私にはそれが分かった。

ややあって、叔父は顎の下から手を離すと、もう一度こちらに顔を向けて、話し始める。

617 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/07/20(木) 02:04:48 ID:BPLQmJLc0

――みんなは、"瀉血"って知ってるか?



( ^ω^)「知らんお」


(´・ω・`)「病気を治すために血を抜くっていうアレ?」


そうだ、それだ。

かなり昔からある民間療法みたいなもので、
病気の元になっている悪血≪おけつ≫を体外に排出することで健康を取り戻そうとする治療法の事だ。

昔の医師は、これを万能の治療法だと思っていた節があって、何の病気でもこれで対応しようとした。

風邪、頭痛、神経痛、胃痛、筋肉痛、本当に手あたり次第何でも瀉血で治ると信じていたらしい。


また、正直当時は医師免許なんか無かったわけで、素人同然のヤブ医者が手軽に行える医療行為という事も相まって、
世界中に爆発的に広がったんだ。

皆が知っている歴史上の偉人の中には瀉血のし過ぎで死んだ、なんて奴もいるくらいだな。

その文化は日本にもあって、例えば、乾燥して固くなったすすきの茎を、血管に刺してぐるぐる回ることで、
狐憑きが治るとも言われていたし、

先の狂犬病の話にも通ずるが、徳川五代将軍、徳川綱吉の出した"生類憐みの令"によって江戸中に野良犬が溢れた時、
それに比例するように狂犬病の発症数が激増した。

その時に有効な治療法だと言われていたのが"瀉血"なんだそうだ。これは、幕府医官の野呂元丈の≪狂犬咬傷治方≫に記されている。




ただ、現代では、それに医学的根拠がないと証明されており、
それ故、この施術を受ける場合には健康保険も効かないんだ。

618 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/07/20(木) 02:05:31 ID:BPLQmJLc0

しかしながら、この擬似医療とも言うべき"瀉血"は、未だにある分野で市民権を得ている。



それは、"美容"だ。



悪い血を抜くことによって、肌の調子が良くなり、また食欲抑制などの効果もあり体重の減量にも期待できるのだそうだ。

実際日本でも、これらの医療行為を行うクリニックは数多く有り、そこまで特殊な扱いをされている訳では無い。

個人的には、健康保険がきかない医学は全部信用しないようにしているので、利用したことが無いが、
一般的なエステクリニックでも施術することがあるほど、女性にとってはポピュラーになっているらしい。



叔父が言うには、うちの高校で流行っているダイエットというのが、正にこの"瀉血"なのだそうだ。
しかも、女子高生が独学で行っているというレベルではなく、なにか専用の器具でも出回っているのでは? というのだ。

そんな事聞いたことなかったが、いかんせん交遊関係が狭い私が、それだけで何かを断定するのは良くないと思った。


だから私は、叔父に、「調べて見ようか?」と返す。


『クーちゃんならきっとそう言ってくれると思ったよ』



叔父はそう言いながら、いつものように、机の上のお盆から、安物のキャンディーを摘むと、私に放ってよこした。


機嫌が良くなると、こうして私にキャンディーをくれるのが、叔父の癖だった。

619 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/07/20(木) 02:06:07 ID:BPLQmJLc0


――次の日から、私は調査を始めた。


狭い交友関係しか持ち合わせていないので、基本は他人を観察することで賄おうとする。


しかし、この時期は既に冬服に変わっており、例えば手首の傷から採血しているとか、
あるいは注射を使って腕の内側の正中皮静脈から血を抜いているとか、そういう痕跡が見つかりにくい。



私は早々に観察を諦め、聞き込みにシフトした。

まぁ、急に私が話しかけてきても、そこまで学校で嫌われている訳でも無いだろうし、
いっそ勇気を出して言ってみることにした。

キーワードとしては、最近はやりのダイエット、美容などだ。


正直こんなことを言うと、またツンが怒りそうだが、
私がその手の話をすると、女子生徒はなぜかすごく不機嫌な顔になるんだよな。


曰く、貴女には必要ないでしょ? とか、 それって遠回しな嫌味? とか。


これでは、"嫌われていない"から"嫌いになった"になってしまう。
私は何とか知恵を絞って、質問を変えることにした。

620 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/07/20(木) 02:06:44 ID:BPLQmJLc0

それは、"他人の噂"だ。

人間は、こういうコトになると饒舌になるものだ。
特に恋愛や、他人の失敗談などは、口に戸板を立てることは難しいだろう。

そして、女子だけでなく、男子にも聞き込みの範囲を広げてみる。



すると、ある一人の女生徒が浮かんだんだ。

621 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/07/20(木) 02:07:19 ID:BPLQmJLc0



――隣のクラスの"能年はるか"。みんなは"ノーちゃん"って呼んでるようだった。


能年は、大阪から引っ越してくると同時に、この高校に入学した関西生まれの女の子だという。
明るくて、元気で、何かとクラスを引っ張っていくパワフルな魅力のある子だったのだが、一つだけ欠点があった。



それは、顔中にニキビ跡があって、真っ赤なイボで覆われていたんだ。



まぁ、そんなニキビの赤ら顔、クラスに一人二人いるもんだとは思うが、
女の子である事と、それから、その程度もかなり酷かったらしく、本人は気にしていない風だったけど、
鏡をあまり見たがらなかったり、高い美顔クリームがポーチの中に入っていたりと、本当は凄くコンプレックスだったようだ。



ところが、夏休みに入る手前くらいから、彼女のニキビ跡が薄くなっていった。

顔からも赤みが引いて、ピンクに、ピンクから白にと、つるんと剥いたゆで卵のような美肌に変わったらしい。

当然クラスの女子は、そんな魔法みたいな能年の変身ぶりをほっとかなかったんだが、
能年自身は、『毎日洗顔してたら治った』と言って、その姿勢を崩さなかった。


しかし、夏休みが終わり、10月の体育祭の練習が始まると、明らかに能年の体調はおかしくなっていった。
数m走っただけで息切れしたり、大縄跳びで10回も跳ねると急にばたんと倒れたり、
明らかに貧血の様相を呈してきた。その度に彼女は『大丈夫です、保健室で休ませてください』と言って、
誰の支えもないまま、体全体を引きずるようにして、保健室に向かうのだそうだ。



最近は、学校も休みがちで、今日もクラスにはいないらしい。

622 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/07/20(木) 02:07:42 ID:BPLQmJLc0

私は、何となく私の胸ばかり見ている気がする男子生徒に礼を言うと、保健室に行ってみることにした。
そんなに複数回保健室に運ばれているなら、保険医の先生が何かを知っているかもしれないと思ったんだ。

623 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/07/20(木) 02:08:08 ID:BPLQmJLc0

放課後、私はさっそく保健室を尋ねた。



「失礼します」



そう言って扉を開けると、ふんわりと、焙煎したての珈琲の香りがした。
その匂いのする方へ顔を向けると、窓に背を向けるように配置された机に、白衣の男性が座っていた。


保険医のオサム先生だ。


オサム先生は、飲んでいた珈琲を、口から離すと、椅子を回して、こちらに向き直る。



『どうしました? 怪我ですか? 体調不良ですか?』



男か女か分からない、そんな声だった。



実は今まで、私は保健室に来たことがない。


自身の健康には気を使っていたし、そもそも家族が全員医療関係者なので、何かあれば、先に家族に相談するようにしていたからだ。
それ故、このオサム先生と会話したことも無く、声もこの時初めて聞いたのだ。

624 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/07/20(木) 02:08:38 ID:BPLQmJLc0

全校朝礼なんかの時には、体育館の左端の先生たちの列の中にいるのを見たことがあるが、その時も白衣だった気がする。
とにかく、そんなに目立つ、"名物先生"という訳でもなく、処置は適切で丁寧、という話くらいしか聞いたことが無い。

手足がひょろ長く、袖口から覗く手は、青白く、光沢があるように見える。
保険医にしては、前髪が長く、両目の下まで、それは伸びていた。




先の質問に対して、いきなり「能年の話を聞かせてくれ」というのはあまりにも不躾かと思い、
私は、「珈琲の香りがしたので」とだけ返した。


オサム先生は、一瞬だけ、困ったような顔をすると、
『これだけが、趣味なもので』と机の奥の棚の上の、コーヒーミルと、コーヒーメーカーを指差した。
この先生は、どうやらここで豆を挽いて、自分で淹れて飲んでいるらしい。

そして、ちょいちょいと手招きすると、おそらく診察用であろう椅子に、私を座らせた。

『お好きですか、珈琲』言いながら、先生は薬品棚の一角からカップとソーサーを取り出す。

正直珈琲はそんなに好きではなかったし、薬品棚にしまわれたカップで飲むのも嫌だったが、
今後この人から話を聞き出すことを考えると、そちらの方が得策だと判断し、
こちらも「父が良く飲んでますので」と、どちらとも取れるような返事をしておいた。

625 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/07/20(木) 02:09:26 ID:BPLQmJLc0

先生は、珈琲を淹れながら、こんなことを聞いてくる。


『君はあんまり香水とか制汗剤とか付けない子ですか?』

「――はい?」

『あぁ、ごめんごめん。けっこうつけてる子って今多くて、そういう子は珈琲の香りを楽しめないから』

「あまり、そう言ったものは好みません」

『そうみたいですぇ』


先生は、そう言いながら私に近い机の端に、淹れたての珈琲と、スティックシュガーの入ったペン立て、それからミルクを二個置いた。

こうなってしまっては、もう飲まなきゃいけない雰囲気になってしまっているし、
何よりもオサム先生が前髪の下から、ニコニコとこちらを見てくるので、飲まずにはいられない状況だった。



仕方なく、私はシュガー一本とミルク一個を入れて、珈琲に口をつけた。

苦い。私の感想はそれだけだ。しかし、そんな事おくびにも出さず、「美味しいです」とだけ告げた。


彼は、『良かった』とだけ言うと、自分のカップを、保健室備え付けの洗面所で洗い始めた。

あの洗面所は、生徒の傷口を洗ったり、眼に入った異物を洗い流したり、治療に使った器具を洗浄するためのものだと思うのだが、
全く気にしていないらしい。少し首を伸ばしてみてみると、なるほど、珈琲のステイン成分が、白い陶器の洗面台を若干黄色く染めていた。

626 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/07/20(木) 02:09:49 ID:BPLQmJLc0


その後ろ姿に、私はそもそもの目的である質問を投げかけた。


「あの、能年さんを、御存知ですか」


一瞬、先生の動きが止まる。しかし、すぐに動き出し、言葉を続けた。


『知ってますよ。つい最近まで一週間に三回は保健室に来てましたから』

「そんなにですか?」

『最近は学校ごとお休みしているみたいですけど。何でも重度の貧血持ちだかで』

「……それだけですか?」

『……というと?』

「なんていうか、彼女の体に、傷跡とかってありませんでしたか?」

『傷跡……?』

「なんていうか、こう……」


これ以上の言葉に詰まってしまった。いい質問が思いつかない。

ここで"瀉血"というキーワードを引いてしまうと、それは彼女のプライバシーの部分でもある訳で、
それをやすやすと教えるようなリテラシーの低い保険医はいないだろうと思ったからだ。

627 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/07/20(木) 02:10:18 ID:BPLQmJLc0

オサム先生は、薬品棚にカップをしまいながら『んー?』と首を捻っている。
どうやら、"傷跡"のワードで検索をかけてくれているようだ。


『もしかして、能年さん"イジメ"とかにあってたりしますか?』


急に、思いがけない言葉が飛び出してくる。

傷跡、という言葉と、学校という環境から先生たちが考えるワードとしては、
まぁ検索数が多い言葉なのかもしれない。

しかし、先の男子生徒の話だと、そういった類のものまでは出てこなかった。
もし仮にイジメを受けていたとしたら、あの軽薄そうな男子生徒から飛び出してこないはずはない。
だとすると、そこまでの事態ではなく、あくまで"彼女個人"の問題として扱った方がいいだろう。


「いえ、そういう事実は聞いたことがありません」


私は努めて冷静に返す。それに対してオサム先生も、椅子に座り直して言う。


『うーん。もしイジメだとしたら、それこそ、あんまり女生徒の方言うのは気が引けますが、
 "保険医の診察できない位置"に打撲傷や裂傷を負わせるんじゃないですかね?
 裏を返すと、パッと見でそういった傷なんかは無かったと思いますよ?』


存外話の出来る先生だ。私の知りたいことを端的に教えてくれる。

傷跡、というワードから、イジメという可能性を一番に考慮したうえで、
更に、"隠された傷跡"まで視野に入れて考えるなど、普段私たちと密接に関係している担任でも難しいだろう。


いや、本質的には関わりの薄い"保険医"という立場だからこそ、
色眼鏡無しで状況を適切に判断しているのかもしれない。

628 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/07/20(木) 02:11:05 ID:BPLQmJLc0

私が感心していると、でも、と先生は付け加える。


『採血の痕はありましたねぇ』


その言葉に、私は思わず立ち上がってしまった。


「どういう事ですッ!?」


『え、いや、と、当然じゃないですか? 貧血で倒れて早退までしてるんだから、親御さんが心配して病院に連れていく。
 そうしたら、そこで必ず採血されるでしょう? 血液中の成分に異常があって貧血を引き起こしてるかもしれないんですから』



……そうだ。


そんな事当たり前じゃないか。思わず求めていたものと近い言葉が出てきたので、勢いよく反応してしまった。
私はスカートの裾を押さえて椅子に座り直すと、申し訳ないです、と伝えた。



『君は能年さんのお友達なんですね、そこまで心配して』



本当は叔父からの調査依頼で、半分以上は興味本位だったんだが、敢えて否定せず頷く。

私はこの場所でもうこれ以上引き出せる情報も無いだろうと、先生に珈琲の礼を伝えると、
自分も、カップとソーサーを、先ほどの先生と同じように、洗面所で洗った。

629 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/07/20(木) 02:11:25 ID:BPLQmJLc0


『やっとくからいいのに』


先生はそう言ってくれたが、一応の礼儀は通しておきたかったので、そこは洗わせてもらった。
洗い終わって顔を上げると、目の前に真っ白い壁が広がる。ここは洗面所と違って、黄ばんでいないようだ。

薬品棚は勝手に生徒が触れてはならない決まりなので、洗ったカップは先生に手渡し、
御馳走さま、と告げて保健室を後にする。




その背中に先生は、『またおいで』と言った後に、
『あぁっ! やっぱり今のは無しで、なるべく健康で、怪我の無いように。保健室なんて、来ない方がいいんだから』と付け加えた。




私はなんだかその不器用なやさしさに苦笑してしまって、振り返って一礼をしてから、退室した。

630 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/07/20(木) 02:12:03 ID:BPLQmJLc0

それから幾日かあって、その日の私は"諸事情"から、猛烈に体調が悪かった。

この日の度に、"女"として生まれてきたことを、つくづく公開する。
何にも悪い事をしていないのに、頭の中には"ごめんなさい"がリフレインする。


すれ違った顔見知りの生徒から『クーさん目つきわっるっ!!』といわれるくらいには
不機嫌で、不愉快な日だったのを覚えているよ。





その日の午後一の授業は、2組合同の体育だった。

体育祭が終わった後にすぐマラソン大会という鬼畜の所業としか思えない行事スケジュールをこなすために、
本日は、トラックを延々と走るという持久走のはずだった。

当然そんな事を本日行ったら、"中身"が全部出てしまうと思った私は、
素直に体調不良の為の見学を体育教師に申し込んだ。


体育教師も、私のあまりの目つきの悪さにたじろぎながら、見学を許可してくれた。


私は、下っ腹の辺りを押さえながら、校庭の隅っこに生えた銀杏の木の木陰に入って座った。

何人かの生徒が、苦痛に歪んだ顔で、何が楽しいか分からないと言った苦悶を浮かべながら、
時折こちらを睨んでくる。



私はそれを意に介さずに、ぼけーっと"雲の形が何に見えるかゲーム"で暇をつぶそうといた。

631 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/07/20(木) 02:12:25 ID:BPLQmJLc0





すると、私の隣に、女生徒が腰かけた。




小柄で、肌は雪のように白く――いや、それも通り越して、むしろ青白く、
死人のように生気の失せた虚ろな目をした顔をしていた。


胸元に縫い付けられた名札を見ると、そこには"能年はるか"の文字が、
今の彼女には似つかわしくない、元気いっぱいの太字で書かれていた。



肩口まで伸ばした髪の毛は艶が無くバサバサで、でもその割には肌がおしろいでもしたように
キメ細かく、妙に瑞々しいかった。

632 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/07/20(木) 02:12:54 ID:BPLQmJLc0



コイツが、あの"貧血少女"か。



今日は珍しく登校してきたらしい。
しかし、というか、やはり、というか、運動できる体力は無いらしく、私と同じく見学にしてもらったのだろう。



だが、これはまたとないチャンスだ。

この少女に尋ねれば、この学校に蔓延っている"瀉血ダイエット"の事が何か分かるかもしれない。

その行為の実体が何かつかめれば、少なくとも、そういう行為に対する警鐘を、叔父を通じて学校側に鳴らすことが出来るし、
何よりそういう"誤った方向に歪んでしまった医療"というものを安易に広めている人間がいると思うと、
私としても、そういった許されざる行為を止める一端になりたいという気持ちもあった。



「君も、体調不良か?」



そう言って、彼女の方を見る。



すると、彼女の首が、江戸時代のからくり人形みたいに、
ギ、ギ、ギ、とゆっくりとこちらを向いた。

633 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/07/20(木) 02:13:30 ID:BPLQmJLc0



――横顔からでは分からなかったが、正面からみる彼女の顔は、"干からびていた"



肌に艶がない訳では無い。水気が無い訳では無い。
しかし、絶望的なまでに"生きる"という意思が枯渇しているように見えた。

眼窩は落ち窪み、光彩を調節する筋力すらないのか、瞳孔が拡散していた。
異常なまでに大きな黒目には、何の光も宿っていない。





それに、大変に失礼な話なのだが、鼻毛が飛び出ているんだよ。何本も。
肌ばかりが綺麗で、しかしそれ以外の"美"というものは全て捨て去ったかのような無気力な顔。





思わず、少しばかり仰け反ってしまった。

顔の作りは決して悪くないのに、本当に長い間放っておいた"呪いの人形"みたいなソレに、
私は軽い戦慄を覚えていた。

634 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/07/20(木) 02:14:02 ID:BPLQmJLc0

先の私の質問に、彼女は答えない。
眼球ばかりが上下左右に動かされ、私の全身を舐めるように観察しているようだった。

私はその威圧感に気圧されぬように、もう一度背筋を伸ばして、彼女に相対した。


「その、見学だから、体調が悪いのかと……」


もう一度質問をする。

すると、今度は、ぴったりと閉じられた薄い唇を開くために、顎の関節を、ガ、ガ、ガ、と鳴らしながら、
一言だけ、『具合、悪いねん』と返してきた。



その言葉を聞いて、あらためて、彼女が"大阪人"なのだと知った。

私はせっかく始まったコミュニケィションを途切れさせないように、会話を続けた。


「私は、隣のクラスの素直クールというんだ」


『……知っとる』




意外な事に、私は彼女を知らなかったのに、彼女は私の事を知っていたんだ。

635 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/07/20(木) 02:14:56 ID:BPLQmJLc0

『……いつも、見とったで。綺麗な女≪ヒト≫やなぁって――』


にちゃぁ。彼女はそう言って笑った。

その歪められた口の中から、歯槽膿漏特有の、すえた匂いが放たれる。
もう幾日も歯を磨いていないようだ。歯にはたくさんの歯垢がこびり付いていた。

思わず顔をしかめそうになったが、それも耐える。



「そ、そうかな?」


『うらやましいなぁ思うとったで……いいなぁ、生まれつき綺麗なんは』


「君だって、肌がすっごくきれいじゃないか」


『……これはな、ちゃうねん』


「――ちがう、とは?」


『これはな、"ズル"してもろたんや。ウチのんちゃうねん』


「どういうことなんだ?」


『……なんでそんなこと聞くん? まだ可愛くなりたいん? "あの子"らみたいに』


『あんなぁ、"あの子"らも、ウチよりも全然可愛いのに、可愛くなりたいいいよるねん』


『せやからなぁ、ウチ教えたってん。そのうち、ウチみたいにボロボロんなんのに』


『ケヒッ……ケヒヒッ……』

636 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/07/20(木) 02:15:31 ID:BPLQmJLc0



――間違いない。コイツだ。



コイツが、この学校に、"瀉血"を広めた犯人に違いない。

だが、"真犯人"は別にいるとも、彼女の様子をみて思った。彼女は純粋なのだ。あまりにも。

私はそう確信すると、より慎重に事を運ぼうとした。




しかし、それよりも早く、彼女は体中の関節をボギボギと鳴らしながら立ち上がった。


『でも、教えんよぉ……あんたみたいな、べっぴんさんには、おしえたらんねん』


そういうや否や、関節を無茶無茶に振り回して、一気に走り去った。

さっきまでの死ぬ間際の病人のような様子からは考えられない、獣のような疾走。
腕はこいのぼりのように風に靡いて、ガラガラと音を立てている。



私も、急いで立ち上がり、後を追った。

何故か、とんでもなく嫌な予感がしていたんだ。

蝋燭が燃え尽きる前に、一瞬だけその炎を大きくするような、

そういう"終わる間際の輝き"を彼女の瞳に見たからだ。




走り出した私の背中に、体育教師の"仮病"というワードを含んだ言葉が飛んできたが、
気にせずに、だいぶ小さくなってしまった、気狂いの影を追った。

637 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/07/20(木) 02:15:59 ID:BPLQmJLc0



彼女は校門から構内へと靴のまま上がると、その脇の階段を一心不乱に上り始める。

彼女が一歩一歩階段を踏みしめるたびに、ぱきん、という何か硬質なものを折る音がする。
その度に彼女の体が一瞬沈み、また体勢を立て直しながら階段を昇っていく。



――骨が、折れているのか。



その一歩一歩で、彼女の骨の何処かが砕け、それでも彼女は止まらないのだ。



異常、としか言いようのない現実を目の当たりにして、足がすくんだが、
それでも、私はその背中を追いかけた。

これが、もし、まだ、"現代医学"で救えるものだとしたら、
それは私の"血脈"に賭けて、救わねばならないと、そう思っていた。

638 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/07/20(木) 02:16:40 ID:BPLQmJLc0



苦しくないはずがない、痛くないはずがない。




それはニキビで苦しんでいた時も同じはずだ。

鏡を見るたびに心が痛む。

誰かのヒソヒソ声がするたびに、自分の顔面を布で覆って隠して逃げたくなる。




同じなんだよ。




私も同じなんだと、そう伝えたかった。


お前は私をキレイを言ったけど、本当は違うんだと。


その呪われた"笑顔"を見せて、悲しみが共有できればと、そう思って、私は階段を踏んだ。

639 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/07/20(木) 02:17:20 ID:BPLQmJLc0

私たちは屋上に飛び出た。


しかし、彼女はついに、そこで力尽きた。


ありとあらゆる関節が、"本来曲がってはいけない方向"に曲げられている。
それでもなお、彼女は、その屋上の端へ、"フェンスの向こう側"へ行こうとしている。



笑っているのか、泣いているのか、彼女の這いずった後には、水が痕を残した。



「能年さん。教えてほしい。君をそんな風にした人間がいるはずだ」


「何時だってそうなんだ。か弱い少女は、自分の力じゃ変身できないんだ」


「シンデレラは、魔法使いに姿を変えてもらって初めて、生まれ変われたんだ」


「なぁ、君を、そんな風に変えてしまった"悪魔"は、誰なんだ」






私は、なるべく、優しく、彼女に語り掛けた。

一陣の風が、私の長い髪を空気に溶かそうとする。



その風は、震えるほど冷たくて、冬の到来を告げていた。

640 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/07/20(木) 02:17:58 ID:BPLQmJLc0

能年は、倒れ伏したまま私の言葉に、耳を傾けているようだった。

そして、今度こそ、本当に、泣いているようだった。




『……"あの人"を、悪魔だなんて、言わんといて』


『ウチなぁ……こんなにされても"あの人"が好きなんや』


『ウチにとっての、"シンデレラの魔法使い"は"あの人"やねん』


『ウチを、一瞬でも、"お姫様"に変えてくれたんや……』


『もう、"お姫様"どころか、"化けもん"みたいになってもぅたけど……』


『それでも、"あの人"の、"せ ん せ い"のために、何かしてあげたかった』


『血ぃがいるって言われて、何人か、"綺麗になれる"ゆうたら、ホイホイついてきて』


『"先生"は、ウチをほめてくれたねん。"大好きだよ"って……』

641 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/07/20(木) 02:18:50 ID:BPLQmJLc0





私は、ボロクズみたいになった彼女を抱き起した。


そのまま、ぎゅうと、抱きしめる。


何日も風呂に入っていない、そんな汗臭さと、湿った垢の臭いがしたが、そんなの気にしなかった。




「もういいんだ……それ以上、苦しまなくてもいい……」




そう言って、彼女に"笑いかけた"




彼女は、洞穴みたいな目を、更に大きく広げて、
その後、少し困ったような顔をして、でもすぐに同じように笑って、




『なんやあんたそれぇ……きっしょぃわぁ……』




と言った。

642 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/07/20(木) 02:19:51 ID:BPLQmJLc0


彼女は体操着の袖を捲って、自分の腕を私に見せた。

その腕には、紫色の円盤が、いくつもいくつも残っていた。

まるで、蛸の触手の様だ。





「――"カッピング"か」





――カッピング。

"瀉血"方法の一つ。

腕のある一定の範囲に、細い針で数か所から数十か所の穴をあける。

そこに、内部をライター等で熱した瓶を被せると、その瓶が冷えていくにつれ、膨張した内部の空気が収縮していくために
瓶を被せた部分が"吸引"される。すると、その穴をあけた部分から、血が溢れだし、瓶に溜まっていくのだ。

紫の吸盤は、その時に鬱血したものだろう。

643 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/07/20(木) 02:20:25 ID:BPLQmJLc0


『それだけやないよぉ……ありとあらゆる方法で、血ぃを抜かれたんや……』


「もう、いいよ」


『ウチなぁ、本当は謝らなあかんねん。ウチが騙した子ぉに、謝らなあかんねん……』


『でもなぁ……それも、もう無理そやんなぁ……』


『あんなぁ……素直さん……"悪い魔法使い"、倒したってなぁ……』


『その人はなぁ……』



「いいんだ、もう、分かった」



『そっかぁ……素直さんは美人さんの上に、頭もええんやねぇ……』


『うち、もっとはやく素直さんと……ともだちに……』






その言葉を最後に、彼女は言葉を止めた。



――死んではいない。気絶しただけだ。

644 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/07/20(木) 02:21:02 ID:BPLQmJLc0





でも、だとしても。








「能年さん。血を欲しがるのは、"悪い魔法使い"じゃない、"吸血鬼"なんだ」










私の中は、真っ赤に燃えていた。

過去これほどまでの感情の爆発などなかっただろう。










そうか、私は今、"怒っている"のだ。

645 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/07/20(木) 02:21:39 ID:BPLQmJLc0



"怒り"は、"悲しみ"と似ている。


目の端がチカチカして、じんわりと涙があふれてくる。

でも、それも、生成された端から蒸発していく。

私の血流は、血潮は、とっくに臨界点を超え、炉心融解の温度に達しようとしていた。




髪の毛が、ぎちぎちと捩じくれて逆立っていくのが分かる。

頭の天辺から巨大な刃物が飛び出して、そこらへんにあるものを手当たり次第に切り刻んでいく。

踏みしめる校舎の床は片っ端から砕け、近くの窓が全て粉々に吹き飛んだ。

草木は枯れ果て、水は干乾び、大地はひび割れ、物質は砂に帰った。

それでも私は歩みを止めない。



"吸血鬼"を殺さねばならない。



私の巨大な腕は、小さな小さな携帯電話を摘み上げ、ある番号にかけた。

数回のコール音にさえ、惑星を破壊しそうなほどの衝動が沸き上がる。





早く出ろ。殺すぞ。

646 名前:名無しさん[] 投稿日:2017/07/20(木) 02:22:11 ID:BPLQmJLc0


『あ、もしもし。クーちゃん? どうしたの、こんな時間に、今学校でしょ?』


「叔父さん。今すぐ拝成高校に救急車を呼んで、人数は二人、1人は屋上にいる。もう一人は到着後すぐ分かると思う」


『ちょっと、クーちゃん一体何が――』


「ごめん叔父さん、片方"死体"かもしれない」


『クールッ! ちゃんと説め――』




これでいい。


後は"道具"を揃えて、






さぁ、"吸血鬼退治"の始まりだ。

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