夢想:あの光は揺蕩う。それは脆弱で、砂を握るように儚い。それでも

1 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2016/03/27(日) 05:32:45 ID:tj2YEah60






 ビー玉の中に閉じ込めたようなこの世界が、とても愛おしかったから。






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2 名前: ◆THPOzTMYUA[] 投稿日:2016/04/03(日) 21:50:54 ID:vR9f3hbA0

 日銭稼ぎに忙しいぼくが帰省するのは、実に五年ぶりのことだった。

 それは言い方を変えれば、来る日も来る日もひたすら薄汚れたゴミを振り分ける、奴隷のような日々が五年も続いたということで、この街を出る以前のぼくならば、とんと想像出来なかったことだろう。

 尻を鞭打たれながらゴミを拾うことに五年も耐えてぼくに残ったものは、奴隷であることに五年も耐えたという過去だけだった。

 仕事を辞めたことに、理由はない。厳密に言えば、果てしなく続く奴隷の日々に嫌気が差しただとか、悲鳴を上げる身体の節々の警鐘に従っただとか、"もっともらしい"理由があるのかもしれない。

 しかし、自分が仕事を辞めたことに対してそんな在り来たりな理由を誂えることが出来ないくらいに、ぼくは自分の退職という事柄に対して無関心を決め込んでいた。

3 名前: ◆THPOzTMYUA[] 投稿日:2016/04/03(日) 21:52:26 ID:vR9f3hbA0

 有り体な言葉で言えば、ぼくは病んでいるのだろう。

 構うものかと、ぼくは胸に痞えた蟠りを煙草の紫煙と共に吐き出した。
バスの中は、ぼくと同じように煙草を喫う者が吐く煙のせいで、濃い靄がかかっていて、ぼくは夢の中を泡沫となって彷徨っているような気分になった。


 座席の肘掛には無数の焦げ跡がついている。ぼくは、先人達がそうしたように、或いはかつてのぼくがそうしたように、肘掛の上で短くなった煙草を擦り潰した。

 飛び降り自殺を図る者が多出した為取り付けられた窓の格子の隙間から、外を覗く。

 薄汚れた建物。何を作っているのかも判らない工場からは、青空を塗り潰そうとする煙が吐き出され続けている。

 バスを降りたら、あの油とシンナーが混ざった、つんとする臭いがぼくの脳を刺すのだろう。

 悪くないと、思った。

4 名前: ◆THPOzTMYUA[] 投稿日:2016/04/03(日) 21:53:30 ID:vR9f3hbA0

 バスを降りて十秒ほど歩くと、ぼくはハインを見つけた。

 快活な声を上げて駆け寄ってくる彼女の姿は、五年前に見たそれと殆ど変わっておらず、ぼくは、バスがトンネルを潜った際に時を逆行してしまったのではないかと思った。

从 ^∀从「ぶううううううううん!」

 彼女が手を振るのと同じように、ぼくは手を振った。

 動きやすそうなショートパンツにくたびれたTシャツ。その上にちょこんと乗せたような彼女の頭が、赤い髪を振り乱しながら揺れている。

 擦り切れたゴム草履が砂利を蹴る音が大きくなってくる。

 光化学スモッグと溶かしたゴム糊の臭いが入り混じった汚い空気を目一杯吸い込んで、ぼくは彼女の名前を呼んだ。

 ぼくの声が耳に届くのと同時に、彼女の表情はくしゃくしゃになった。
一縷の希望すらも持てないこの街で、ぼく達はいつだってこんな風に笑い合っていたのだ。

5 名前: ◆THPOzTMYUA[] 投稿日:2016/04/03(日) 21:54:41 ID:vR9f3hbA0

 ハインと合流したぼくは、五年ぶりの故郷の空気を楽しむように、忙しなく首を回し続けていた。

 寂れたペンキ屋の壁に描かれたグラフィティ。かび臭い定食屋。閉ざされた空き店舗のシャッターに背を預け、ひしゃげた煙草を喫う物乞い。白昼堂々酔い潰れて自身の吐瀉物に顔を突っ込む爺。

 あまりにも、ぼくがこの街にいた頃と変わっていなくて、この場所だけ時が止まっているのではないかと勘繰ってしまう。
或いは、ぼくは今何らかのサイケデリックトランスを齎す薬物を摂取して、脳にこびり付いたフィルムを、涎を垂らしながら再生しているのかもしれない。

 そんな疑心を否定してくれるものは、長旅で溜まった疲労が引き起こす倦怠感と、それを押して土を踏みしめ続ける足の痛みだけだった。

 ハインが細巻きの煙草を咥え、軍人から譲り受けた弾痕入りのオイルライターで点火してから三秒後、彼女が吐く煙がぼくの鼻腔をちくちくと刺す。
その不快感を掻き消すために、ぼくもまた同じように煙草に火をつけた。

6 名前: ◆THPOzTMYUA[] 投稿日:2016/04/03(日) 21:55:42 ID:vR9f3hbA0
( ^ω^)「何も変わってないお」

从 ゚∀从「変わらないよ」

 暫し歩いていると、耳を劈くような轟音が鳴り響いた。
上を見ると、黒塗りの戦闘機が尾で雲の線を描きながら空を泳いでいた。

从 ゚∀从「毎日毎日ご苦労なことだ。勝ちの目なんか見えやしない戦争を何年も続けてよ」

 そう言うハインの目が、五年前より少しだけ濁っているような気がした。

 ぼく達が知らないところで戦争は激化し、土地は痩せ細り、民は見えない圧力にじわじわと潰されてゆく。
そんなあらゆる世の激動から隔離され、澱んだこの街に身を置く代償として、時を止めた。

 自分自身は今より良くなることも、悪くなることもなく、しかしそれでいて時の流れだけが、彼女の存在を褪せさせる。

 それは真綿で首を絞められるような、或いはこの世で最も残酷な呪いを受けるようなもので、生きながらにして死んでいる彼女の、漠然とした悲壮感が、ぼくには痛いほどに分かった。

7 名前: ◆THPOzTMYUA[] 投稿日:2016/04/03(日) 21:56:43 ID:vR9f3hbA0

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 排気ガスが畝りを上げて、僕の頭の上を這い回る。

 ペンとノートを取り出し、目が見えない僕はそれを描き、その過程でそれを知ろうとした。

 ビー玉が降り注ぐ。

 雨はインクを拭い去り、僕はしとどに濡れた額を、熱くなるくらい擦った。

 ほんのりと熱を帯びた自分の額が、不思議なことに、目が見えない僕には見えたのだ。

 草木が芽吹き、五線譜が花開き、何処からともなく鈴の音が鳴り響いた。

 段々と近づいてくるそれに耳を澄ませている内に、僕は、僕の頭が少しずつ溶けていくのを感じることが出来た。

 塩水になった僕は五線譜を掴み、蕩けてゆく自分の腕が、如何に無力かを、笑いながら噛み締めていた。

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8 名前: ◆THPOzTMYUA[] 投稿日:2016/04/03(日) 21:57:34 ID:vR9f3hbA0
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9 名前: ◆THPOzTMYUA[] 投稿日:2016/04/03(日) 21:58:28 ID:vR9f3hbA0

('A`)「ブーン、誕生日おめでとう」

 ドクオがそう言って、何やら立派な包装に包まれた小箱を差し出してきた。
ぼくは一瞬何のことか分からず、左右にぶれる視線を定めることに必死だった。

('A`)「なにぼーっとしてるんだ。ほらこれ。お前、今日で十六歳だろ?」

 ようやっと、状況を飲み込めたぼくは、途端に気恥ずかしくなって、煙草を何度も指で叩いて灰を落とした。
フィルターを噛みちぎってしまいそうなほど強く噛み咥えた煙草を喫いながら、ぼくは恐る恐るドクオの手から小箱を受け取る。

( ^ω^)「なんだおこれは」

('A`)「知らん。そのまま盗んできたから俺も中身は見てない」

 傍らでジュークボックスを弄っていたハインが乾いた笑いを漏らしたので、ぼくもそれに倣って、同じように笑った。

 ドクオらしいと思ったし、今更彼に対して不躾な奴だと憤慨する気にもならなかった。

10 名前: ◆THPOzTMYUA[] 投稿日:2016/04/03(日) 21:59:10 ID:vR9f3hbA0

( ・∀・)「おいおい。店の中で盗品の譲渡なんかするんじゃねぇよ」

 喫茶店の店主はそう窘めながらも、ぼく達のやり取りに今更あれやこれやと首を突っ込むつもりもないのだろう。言い終わるよりも早く、グラスを拭く作業に戻っていた。

从 ゚∀从「モラさん、カツレツ作ってくれよ。俺昨日の晩から何も食ってねぇから腹減ってんだよ」

( ・∀・)「ツケを払い終わるまでお前に食い物を出すつもりはねぇよ」

从 ^∀从「じゃあ酒くれよ酒! つまみはチーズでいいからよ」

(;・∀・)「お前なぁ……」

 ハインはカウンターの上に身を乗り出し、足をばたつかせている。
こうなってしまっては酒か食べ物が出てくるまでハインは引き下がらないので、モラさんはグラスを拭く手を止めて困ったように眉間に皺を寄せた。

11 名前: ◆THPOzTMYUA[] 投稿日:2016/04/03(日) 21:59:52 ID:vR9f3hbA0

('A`)「おい、開けてみろよ。何が入ってるんだ?」

 ジンジャーエールの瓶でテーブルの角を小突きながら、ドクオが催促する。
ぼくは包装紙を引きちぎり、手の中でくしゃくしゃに丸め、露わになった木箱の蓋を開いた。

( ^ω^)「ビー玉だお」

 箱の中に敷き詰められた鮮やかな色彩の、一欠片を指でつまみ取り、ドクオにも見えるように掲げる。

 その球体の中には、海が閉じ込められていた。窓から差し込む陽の光を帯びて、海は静かに揺蕩う。
煌めきに充ち満ちたその世界は、ぼくの指先から伸びる小さな影と混ざり合う。
ビー玉の世界と、ぼくらの世界との境界線は、指先で包み込んでやると更に薄くなった。

 じいっと見据えていると、ぼく自身がその世界に溶け込んでしまいそうな、焦燥感にも似た筆舌に尽くしがたい感情が芽生えてくる。

('A`)「おい、顔色が悪いぞ。大丈夫か?」

 ぼくは意図せず呼吸を止めて見入ってしまっていたようで、ドクオに呼びかけられて、短く息を吐いた。
黴臭い空気が頭の中の箱を満たす。心臓の鼓動が、何故か澄んで聞こえた。

12 名前: ◆THPOzTMYUA[] 投稿日:2016/04/03(日) 22:00:36 ID:vR9f3hbA0

('A`)「盗んだものでああだこうだ言うつもりは無かったが、すまんな。ガラクタを押し付けちまった」

( ^ω^)「そんなことないお。凄く気に入ったお」

 それはありふれた常套句などではなく、本心だった。

 ビー玉の色彩が気に入ったのは勿論のことで、なりよりも、ぶっきらぼうで何を考えているのかよく分からなくて、何年もの付き合いとは裏腹に、未だに適切な距離を測りかねる。或いは白昼夢のように朧げなドクオが、自発的に自分に何かをしてくれたという事実が、ぼくには嬉しかった。

('A`)「まぁいいや。代わりにほら……メシ、奢るぜ」

从 ゚∀从「うっひょお! 太っ腹だなぁ! じゃあ――」

(;'A`)「お前じゃねぇんだよ!」

 ハインに肩から抱きつかれ、椅子から転げ落ちるドクオを眺めながら、ぼくは煙草を喫う。

 幸せとは何ぞやと、そんな抽象的な問いに対する答えが、この視界に広がる光景なのだと、ぼくは、信じて止まなかった。

13 名前: ◆THPOzTMYUA[] 投稿日:2016/04/03(日) 22:01:15 ID:vR9f3hbA0
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14 名前: ◆THPOzTMYUA[] 投稿日:2016/04/03(日) 22:01:52 ID:4564RFO20
从 ゚∀从「ほらブーン、着いたぜ」

 と、ハインが言わずとも分かっている。
店のドアを開くと、五年前と変わらぬ黴臭さが、鼻腔を突いた。
来客を知らせるベルの音も、それを聞いてなおこちらに背を向けてグラスを拭く店主の背中も、うっすらと埃が積もったテーブルも、全てが懐かしい。

( ^ω^)「モラさん」

 五年前、ぼくはどんな調子で彼を呼んでいただろうか。
全てがあの時と同じなのに、ぼくだけが変わってしまったような気がして、必死に記憶を手繰り寄せて作った声は少し上擦ってしまった。

( ・∀・)

 振り返り、ぼくと目を合わせたモラさんは、大きな目を更に丸く見開き、やがて顔をしわくちゃにして弾けるような笑顔を浮かべた。

( ・∀・)「ブーン? ブーンなのか!?」

 ええ、と、ぼくはまごつきながら返事をする。

( ・∀・)「おお……久しぶりだな! 五年ぶりか? ふっと消えたと思ったら、一度も手紙だって寄越しやしねぇからよ……死んじまったのかと思ったぜ」

15 名前: ◆THPOzTMYUA[] 投稿日:2016/04/03(日) 22:02:28 ID:4564RFO20

( ^ω^)「その節は、心配をお掛けしましたお」

( ・∀・)「いい! いいんだよ! 俺はお前がこうしてまた顔を出してくれたことが嬉しいんだ。何だってそんな他人行儀なんだ。ほら、こっちに来てはやく座れ。飯を食いながら話をしようじゃないか」

 言うや否や、モラさんはフライパンを火にかけてベーコンの塊を薄くスライスし始めた。

从 ゚∀从「ちぇっ。ひでぇ舞い上がりようだな。俺が出戻りしたらおんなじようにもてなしてくれんのか?」

と、悪態を吐きながら、ハインも柔和な笑みを浮かべていた。
ハインと同じく、モラさんだって何も変わってはいない。
彼は五年前と変わらず、商売人気質でいながらとても面倒見のいい、ぼく達のお兄さんだった。

16 名前: ◆THPOzTMYUA[] 投稿日:2016/04/03(日) 22:03:15 ID:4564RFO20

 ベーコンと目玉焼きを挟んだだけのサンドイッチを齧りながら、ぼく達は昔話に華を咲かせていた。

 ハインが軍人から食料をかっぱらって追い回された話。
ギコがそれを一撃で伸して追い払った話。
ショボンが酔っ払って自分の服に火をつけた挙句、この店で暴れ狂って小火騒ぎになった話。

 ぼくがギコと喧嘩になって滅茶苦茶に殴られ、気を失ったまま貨物列車に轢き殺されかけた話をしている時、ぼくはバツが悪くて、苦笑いをとり繕いながらひたすらサンドイッチを齧っていた。

从 ゚∀从「そんなブーンがこんなに立派になってよ。襟付きのシャツなんか着ちゃって、金持ちの坊ちゃんみたいだ」

 何だかこそばゆかった。それは隣に座るハインの赤毛が、微かに鼻先を擽るからではなかった。

(;^ω^)「やめてお」

( ・∀・)「照れんなって。確かにお前は立派だよ。ハインはこの通りふらふらほっつき歩いてばかりだし、ギコもショボンも仕事したりしなかったりだ」

( -∀-)「なのにお前ってやつは、なんのあてもねえのに出ていってよ。それでも、五年もきっちり外で飯食って生きてんだ。偉いよ」

( ^ω^)「…………」

17 名前: ◆THPOzTMYUA[] 投稿日:2016/04/03(日) 22:04:05 ID:4564RFO20
( ^ω^)「モラさんまで、やめてお」

( ・∀・)「なんだもじもじしやがって。面白いやつだな。で、どうなんだ? 外で女でも出来たんか?」

(;^ω^)「そんなタマじゃないお……」

 モラさんは下卑た笑みを絶やさず、鋭い視線をぼくの首筋辺りに刺してくる。

 気を逸らすように、ぼくは時計に目を移した。
店に入ってからもう一時間も経っていたらしい。

 三分ほど残っていたサンドイッチを一呑みにして、水で流しこんだ。

( ^ω^)「ハイン」

从 ゚∀从「お? おお、なんだ、もうこんなに時間経ってたのか」

( ・∀・)「なんだ、もう行っちまうのか?」

( ^ω^)「また来るお。お代は……」

( ・∀・)「やめろよ。お前、五年ぶりに顔出してくれた弟分から金なんか取れるかってんだ。またすぐ出て行っちまうのか?」

18 名前: ◆THPOzTMYUA[] 投稿日:2016/04/03(日) 22:04:52 ID:4564RFO20

( ^ω^)「暫くは居ると思うお」

( ・∀・)「そうかそうか! じゃあ今度は皆で来いよ! この店貸切にしてよ、飲んだり騒いだりしようぜ。楽しみだなぁ」

 ええ、皆で。

 二つ返事をして、ぼくはスラックスのポケットから綿の巾着袋を取り出した。

 外での日銭稼ぎ仲間が、地元に帰る際に置き土産として渡してきたものだ。
手先が不器用ながら、細々とした針仕事が好きな奴だった(彼についてこれ以上語るに吝かではないが、面白いこともないだろうから割愛する)。

 不恰好な形ながらも、巾着はとても丈夫で、元々真っ白だった生地が黄ばんでしまうほどに酷使した今となっても、破れるどころかほつれてすらいない。

 ぼくの大切な宝の一つだ。
その巾着の中に仕舞ってある、これまた大事な宝の一粒を掴み、ぼくはモラさんに手渡した。

( ・∀・)「…………」

 モラさんは、ぼくが渡した深緑色のビー玉のビー玉をじっと見つめていた。
そして、一瞬だけ眉を顰めた。
厄を擦りつけられたような怪訝な表情だった。少なくともぼくには、そのように見えた。

19 名前: ◆THPOzTMYUA[] 投稿日:2016/04/03(日) 22:05:27 ID:4564RFO20

( ・∀・)「お前、これ……」

( ^ω^)「モラさん、何も言わずに受け取ってほしいお」

 表情こそ変わっていないものの、モラさんの指先が微かに震えていた。

 ぼくは、ぼくは――――間違ったことを、しているのかもしれない。

( ^ω^)「ぼくの宝物を」

 ハインの赤毛が揺れている。
視界の端でそれを捉えながらも、ぼくはじいっとモラさんの目を見つめた。
モラさんの視線が泳ごうとも、ぼくは決して目を逸らさなかった。

 ぴんと張り詰めた空間の中で、時計の針が動く音だけが、浮き彫りになる。
ぼくには、それが規則的に階段を昇る足音に聞こえた。

 誰が? 何処に向かう階段を?

( ・∀・)「……ああ、ありがとうな。ブーン」

 ――――判らなかった。

20 名前: ◆THPOzTMYUA[] 投稿日:2016/04/03(日) 22:06:07 ID:4564RFO20

 モラさんの店を後にして、ぼくとハインは"アジト"へと向かった。
ハイン曰く、ショボンはそこで待っているとのことらしい。

 あの場所を、アジトなどと大仰な呼び方をするには、ぼくもハインも些か歳を取りすぎているような気がして、少し気恥ずかしい。
言ってしまえば、子供の秘密基地の延長のようなものだ。

从 ^∀从「ひっさしぶりだなぁ。最後にアジトに寄ったのは半年前くらいだっけか」

( ^ω^)「むしろ半年前に立ち寄ってたことにびっくりだお。ぼくが出ていく頃には誰も近寄ってなかったみたいだし」

从 ゚∀从「ショボンのやつがな、まめに整備してくれてたんだよ。そうじゃなかったらとっくに寂れてるだろうなぁ。たまに思い出に浸りたい時なんかに、ふらっと立ち寄ってみるんだ」

( ^ω^)「ハインにもそんな時があるのかお?」

从 ゚∀从「ばっきゃろぉ、あるに決まってんだろ。お前こそ、いつものっぺりしてよ。物思いに耽ったりすることなんかあんのかぁ?」

21 名前: ◆THPOzTMYUA[] 投稿日:2016/04/03(日) 22:06:58 ID:4564RFO20

 ぼくはその問いに、間を置かずに答えることが出来なかった。

 ハインからしてみれば、どうということもない些細な疑問、いや、疑問とすら呼べない程度の些事なのかもしれない。

 けれど、直前まで何も言わずに街を出て行った負い目と、外にいる間、ハインらの事を"殆ど思い返すことがなかった"負い目が、些細な問いを皮切りにどっと押し寄せてきた。

( ^ω^)「外に出てからは本当に忙しくて、正直思い出に浸る余裕はなかったお」

 ぼくにだって思い出に浸ることくらいある――

 そんな、誰にでも吐ける嘘さえも吐くことが出来なかった。

 グラスいっぱいに湛えた水が、ほんの一滴を注いでしまったがゆえに溢れ返ってしまうように――
これ以上負い目を重ねることで、徐々に込み上げてくる自分でも"よく判らない"感情が、零れてしまいそうだったから。

从 ^∀从「なんだよそれ。じゃあ俺らのこともすっかり忘れてたってか? ひっでぇなぁもう」

22 名前: ◆THPOzTMYUA[] 投稿日:2016/04/03(日) 22:07:38 ID:4564RFO20

 からからと笑いながら、ハインはほんの少しだけぼくの胸を抉った。

 なんて無神経なやつなんだと、自分に、ハインに、怒鳴ってやりたかった。
あてがないからこそ沸き上がる筋違いな感情、否、これを衝動とでも言えば、幾分か腑に落ちる気がする。
それを、石を飲み込むように、飲み下す。

( ^ω^)「その分、こうして帰ってきてみると色々感慨深いお」

 調子のいいやつめ、と、ハインは軽く笑い飛ばした。
ぼくはそれきり、口を開かなかった。

 陰った路地を抜けて、疎らに立ち並ぶ家々を通り過ぎる。
廃棄物の影響で靄がかかった空気が、幾分かましになった、そんな穏やかな居住地の一角。
焼けて、雨風に曝され、ぐずぐずに崩れた木材の山を、ぼくは見つけた。

 ここも、五年前と何一つ変わっていなかった。

23 名前: ◆THPOzTMYUA[] 投稿日:2016/04/03(日) 22:08:34 ID:4564RFO20

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 止まってしまった歯車が、ぎぃぎぃと音を立てる。

 動いてもいないのに調子外れな音色を奏でるそれを、ぼくは、描くことが出来なかった。

 目が見えないぼくは、微塵の役にも立たない自分の視覚を呪った。

 暖炉に焼べられた蒔が煌々と燃える。
光はやがて天に届くだろう。
せめて、ぼくの指先だけでも、この光と共に運ばれればいいのに。

 掌に収まる小さな歯車は、笑っていた。

 嵐がやってくる。ここはもうもたないだろう――

 歯車がそう言う。

 ぼくは、聴いたこともない讃美歌を、震える声で歌った。

 歯車は、それすらも嘲るように、ぎぃぎぃと笑っていた。

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24 名前: ◆THPOzTMYUA[] 投稿日:2016/04/03(日) 22:09:22 ID:4564RFO20
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25 名前: ◆THPOzTMYUA[] 投稿日:2016/04/03(日) 22:10:03 ID:4564RFO20

 夏だというのに少し肌寒いアジトで、ぼくはうたた寝していた。

 吐瀉物を撒き散らす音で目を覚ましたぼくは、この十七年間の人生の中で最悪な目覚めを噛み締めつつ、ソファの肘掛から頭を起こす。

 どれくらい寝ていたのだろうか。やけに頭が痛むのは、意識を手放す直前に飲んでいた酒のせいかもしれない。
徐々に意識が覚醒し、視界の靄が晴れてくると同時に、眠る前の記憶が断片的に脳内に焦げを落とす。
どうやら、うたた寝という認識から改めなければいけないらしい。

(;´・ω・`)「おろっ、おろろろろろろろっ……」

 間抜けな嗚咽と共に、吐瀉物が床に落ちて弾ける音が響く。
次に飛び込んできたのは、つんと鼻を刺す刺激臭だ。
ぼくは堪らず噎せ返った。
嫌味を込めて舌打ちをし、身体を起こす。
吐瀉物の音がした方に視線を移すと、案の定ショボンが蹲っていた。
その傍らで、ハインは彼の背中をさすっていた。

26 名前: ◆THPOzTMYUA[] 投稿日:2016/04/03(日) 22:11:09 ID:4564RFO20

( ^ω^)「煙草、煙草をくれお。もう何十回目だお? げろの匂いが染み付いて取れなくなってしまうお!」

 投げ散らかすように放った自分の声が、酷くざらついていることに気付く。
何度か咳払いをしていると、放物線を描いて飛んでき煙草のケースが、膝の上に落ちた。

('A`)「喧しい。お前までぎゃあぎゃあ言うな。怒鳴り声が頭に響くんだ」

 声がした方へと振り向くと、壁に背を預けたドクオがだらりと座り込んで缶詰の蓋を開けていた。

 部屋の照明は頼りなく、薄暗い。
部屋の隅にぼんやりと浮かぶ気怠げなドクオの顔は、気味の悪い爬虫類を思わせる。


 ちろちろと舌を出して、その手に持った缶詰の中身を舐めれば、ぼくは彼が蛇の仲間だと言われても信じて疑わないだろう。

27 名前: ◆THPOzTMYUA[] 投稿日:2016/04/03(日) 22:11:49 ID:4564RFO20

( ^ω^)「ったく、吐くなら飲まないでほしいお。折角の酒もこうべえべえと吐かれてしまったら報われないお」

('A`)「小言は具合が良くなってからにしてやれ。流石に可哀想だ」

 テーブルに手を伸ばしマッチを手に取る。
廃棄された木材で作った粗末なものなので、ささくれが酷い。
指先に痺れるような痛みが走ったが、今はそんなことに気を回すよりもまず煙草が喫いたかった。

 ドクオはフォークを缶詰に突き刺し、啜るような口運びで中身を食べている。大方、中身は鰯の油漬けだろう。
よくもまぁこんな酷い臭いが充満する中で、生臭い飯を食う気になるなと思った。

从 ゚∀从「ほら、水飲め水。あとお前、暫く酒飲むなよ。こっちまでもらいゲロしそうだ」

(´;ω;`)「うっ……うっ……さむい、さむい……」

28 名前: ◆THPOzTMYUA[] 投稿日:2016/04/03(日) 22:12:32 ID:4564RFO20

 ショボンは下戸であるのにペースが速く、こうして集まって酒を飲むといつもこうだった。
そのくせ、一度吐いて具合が良くなると、半端な頭痛を紛らわせるように更に酒に手をつける。
そうしてやがて、このように全身を震わせながら地べたに這い蹲ることになるのだ。

(;´・ω・`)「ブーンがさぁ……ブーンがいけないんだ……」

 歯をがちがちと震わせながら、ショボンが睨み付けてくる。
喉から無理矢理絞り出したような呪詛の言葉に、ぼくは面食らった。
それはぼくが煙草に火をつけたのとほぼ同時で、思わず咥えていた煙草を落としそうになる。

( ^ω^)「……何のことだお」

 ぼくはどうかしているらしい。
起き抜けで機嫌が悪いのは自分でも分かっている。
けれども、何故ぼくはショボンに詰め寄り、胸倉を掴んでいるのだろう。

 頭の中の冷静な部分が、衝動的に沸いた怒りがぼくの身体を動かすのを、冷ややかに見下ろしていた。

29 名前: ◆THPOzTMYUA[] 投稿日:2016/04/03(日) 22:13:24 ID:4564RFO20

(´;ω;`)「殴るなら殴れよ! お前が……! お前がハインを……っ!」

( ^ω^)「ぼくがハインをどうしたんだお?」

 努めて落ち着き払った声を出す。
ぼくの肩の真横で、ハインが深く溜息を吐いていた。
きっと、平静ではないショボンよりも、彼女から話を聞いた方が腑に落ちる答えを聞けそうだ。

 けれど、そんな合理性を一切無視して、ぼくはショボンの口からその答えを聞きたかった。
そして、取るに足らない答えが返ってきたら、乾いた吐瀉物がこびりついたこの頬を思い切り殴り飛ばしてやろうと思っている。

(´;ω;`)「ハインは! ハインはなぁ! お前の――」

 金切り声のような耳障りな声は、鈍い殴打音に遮られた。
ショボンの襟首がぼくの手から離れ、煙草の灰が落ちた。

从# ゚∀从「っざけんじゃねぇよ!!」

30 名前: ◆THPOzTMYUA[] 投稿日:2016/04/03(日) 22:14:50 ID:4564RFO20

 ハインが肩を怒らせながら伸ばした腕、固く握った拳を見て、彼女がショボンを殴り飛ばしたのだと理解した。

 ショボンは赤子のように泣き?っている。
このまま放っておいたらひきつけでも起こしてしまいそうだなと思った。

('A`)「ちっ……ほらショボ、立て」

 食べかけの缶詰をテーブルに置き、ドクオは蹲るショボンを乱暴に抱え起こした。
ぼくは手を貸すでもなく、殴り飛ばしたハインの様子を窺うでもなく、ぼうっとその光景を眺めている。

('A`)「なぁブーン」

( ^ω^)「なんだお」

('A`)「俺さ、たまにお前を見てると、すごく羨ましく思えることがあるんだ」

 意味が分からない、と返すと、ドクオは下卑た笑みを漏らして、ぼくに背を向けた。

( )「気にすんな。俺も酔いが回ってるみたいだ」

 煙草がフィルターまで燃え尽き、指先が熱い。
床にフィルターがぐしゃぐしゃになるまで擦り付けて、手に何も残らなくなるとぼくは途端に不安になった。

 ズボンのポケットに手を突っ込むと、指先が硬い球体に触れて、自然と大きな溜息が漏れた。

31 名前: ◆THPOzTMYUA[] 投稿日:2016/04/03(日) 22:15:29 ID:4564RFO20
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