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1 名前: ◆O2V9kNkHyw 投稿日:2016/04/03(日) 22:02:34 ID:VPVGlNwc0
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人の多い時間帯を避ける目的で乗る電車をニ本早めた。
大きく時間が変わったわけでもないのに車内は信じられない程空いている。
上機嫌で席に座る。
走行音を除けば実に静かだ。
人の多い場によくある独特な騒がしさがない。
他にいる客はたった四人。
皆、他人を気にせず各々に目を向けたいものに没頭している。
スマートフォンを眺める青年。新聞を眺める初老の男性。
そして、眠っているのか無防備に目を閉じているOL風の女性。
一通り見まわして、女性に目を止めた。
無作法ではあるが顔をまじまじと見てしまう。
地味ではあるが整った顔をしていた。個人的に好ましい顔立ちだ。
美人と言うのはいい。
出会うだけで得をした心地になる。
もしかしたら彼女はこの時間の常連なのかもしれない。
そう思い私は明日もこの電車に乗ると心に決めた。
右目に少々の違和感を感じたが、軽く瞼を擦るとすぐに消える。
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2 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2016/04/03(日) 22:04:12 ID:VPVGlNwc0
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人の多い時間をさける目的で電車を二本早めて二日目。
大きく時間が変わったわけでもないのにやはり車内は空いている。
上機嫌で席に座る。鞄を足元に置き、文庫本を取り出してから、さりげなく周囲を見た。
昨日とは少し顔ぶれが違うが大よそ同じだ。
そして私の目は、昨日のあの女性に再び見つける。
やはりこの電車の常連らしい。
となればしばらくこの時間に通勤してもよいだろう。
早起きは少し辛いが、ちょっとした楽しみになる。
そう考えて、女性から意識と、視線を戻そうとして、私は顔を抑えた。
右目に僅かな痛み。そして大きな違和感。
掌で押さえているため今は問題ないが、視野が歪んでいた気がする。
左の目は手に持った文庫本を見ていたのに、右目は先ほどの女性を見続けていたのだ。
そして、それは恐らく今も続いている。
戸惑う。大いに戸惑う。
いくら頭を振っても、右目は女性を見つめ続けている。
顔を完全に背ければ、ぐるりと頭蓋内を覗きこむように、女性を視野に捉えようとする。
右目が私の意志通りに動かない。
不快感が頭蓋の中に納まり切らなくなったころに、丁度駅に着く。
目的の駅では無かったが、私は鞄を持って飛び降りた。
ホームに降り、トイレを目指す。
その間も右目はぐりぐりと女性を視野にとらえようとし続けた。
痛みと不快感が絶えず続き、粘度の高い汗が全身から吹き出した
駆けこんだトイレで便器を抱えひとしきり嘔吐を済ませてやっと、右目は私の意志通りに物をみるようになる。
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3 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2016/04/03(日) 22:06:46 ID:VPVGlNwc0
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人の多い時間をさける目的で電車を二本早めて三日目。
私はホームで電車を待っている。
時間にはあと五分程余裕があった。
昨日の朝のことを考えていた。
右目が勝手に動き出し、あの女性を見続けた事態についてである。
私なりの結論はもう出している。
今日この時間にここにいるのは、それを確かめるためでもあった。
音がする。
件の列車がホームへ進入してきた。
私はそれを見ている。両目で見ている。
しかし、車両が止まり切る直前、右目に痛みが走った。
僅かではあるが、左目と焦点がずれている。
別の場所を見ようとして、右目が言うことを聞かないことを確信した。
右の瞼を咄嗟に閉じる。
眼球がその中で、早く開けろとばかりに暴れている。
既に気分が悪く吐き気を覚えるが我慢だ。
何食わぬ顔で席に座る。
薄く右の瞼を開く。
右目は視神経を引き千切る勢いで回転。
目を瞑る彼女の姿を捉えると、そこから一ミリも動かなくなる。
やはりだ。嘆息が漏れた。こんなことがあっていいのだろうか。
この右目はあの女性に恋をしているのだ。
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4 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2016/04/03(日) 22:08:38 ID:VPVGlNwc0
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人の多い時間をさける目的で電車を二本早めて四日目。
大きく時間が変わったわけでもないのにやはり車内は空いている。
いつも通り席に座る。
何食わぬ顔をする。しかし既に右目は暴れている。
私は席に座り、右の瞼だけを開けた。
右目は待ってましたとばかりに女性を視野の中心におき、微動だにしなくなる。
昨日得た確信はやはり間違いない。
右目はあの女性に惚れたのだ。
片目だけに一目惚れ……正確には二度目からなので二目惚れか。紛らわしい。
なんとも奇妙な話である。しかし事実だ。
本当に、右目が勝手に動くのだ。
幸い相手はいつも目を閉じているので、右目には好きなだけ彼女を眺めさせてやれた。
朝のこの少しの時間だけを右目の好きにさせてやればよいのだ。
そうすればそれ以外の時間は私に従順になってくれる。
当初は非常に困惑したがそれがわかればまだ落ち着きようがある。
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5 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2016/04/03(日) 22:09:55 ID:VPVGlNwc0
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人の多い時間をさける目的で電車を二本早めてしばらくが経った。
いつも通り車内は空いている。
最早指定席となった場所に座る。かの女性もいつもの席にいる。
文庫本に目を落とすふりをして、左目を閉じ、右目を薄く開ける。
右目は俯く私の顔にありながらも、真っ直ぐに女性を見つめる。
少年のような恋だ。叶えてやりたいと思うが、いったいどう声をかければ良いというのか。
「私の右目があなたに恋をしたようなのでお付き合いいただけますか?」とでも言えと言うのか?
目どころか頭がおかしい奴ではないか。叶えてやるどころか電車の同乗すら避けられかねない。
それは私にとっても歓迎できない事態だ。
やはり、しばらくは眺めさせるだけの恋に甘んじて貰おう。
いくらか時を経れば見慣れて恋心も収まってくるはずだ。
それにしてもこの右目、女性の顔ばかり見ている。
一目惚れ……失敬、二目惚れなのだから、その外見を愛でるのは当然ではあるのだがもう少し他を見ようとは思わないのか。
彼女の美しさは顔立ちだけにはとどまらないのだ。
体の線は流麗。膝の上に揃えた手は白くきめ細やかで美しい。
いつも静かに座っているだけだが、時々姿勢を直す動作には、内面の清楚さがにじみ出ているようだった。
勿体ない、というのは無礼だが、それでも顔にしか興味が無いというのはあまりにの浅さはか。
所詮眼球の恋ということか。
「面食いめ」と胸中で毒づきながらも、私も右目と共にぼんやりと女性を眺めて過ごした。
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6 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2016/04/03(日) 22:11:31 ID:VPVGlNwc0
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そのように比較的上手く右目と付き合っていた私だったが、徐々に恐怖心を覚え始めるようになった。
認識が甘かったのを認めざるを得ない。
暫くすれば冷めるだろうと考えていた右目の恋はどんどん熱烈になって行ったのだ。
それに伴い、右目の暴走は厄介さを増してゆく。
今までのように所かまわず勝手に女性を見ようとするならばまだしも、
なんと驚くことに右目が私の体を支配しようとし始めたのだ。
とある日、いつものように座席に身を預け、右目の好きにさせていると唐突に私は立ち上がった。
私にそんな意志はなかった。少し眠りかけていたくらいで、立ったことすらも夢見心地だったのだ。
偶然電車が揺れ倒れたことで私は目を覚まし、すぐ席に座り直したが、もしあのまま居眠りを続けていたらどうなったのか。
考えるだけでも恐ろしい。
通常眼球がどのような求愛行動をとるのか動物辞典にも医学書にも載っていなかった。
もし右目が私の体を使ってかの女性になにか狼藉を働いたら……?
自身の知識の範囲では、右目だけに審判が下るということはないだろう。
主張したところで飼い主としての責任を問われるか窓に格子の付いた病院に運ばれるかのどちらかだろう。
いよいよ、笑ってはいられなくなった。
右目の恋を応援してやろうと思いはしても、下剋上を赦す気にはなれない
どうにかせねばなるまい。どうにか。
少なくともこの私本人が奇人の汚名を被る前に。
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7 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2016/04/03(日) 22:12:44 ID:VPVGlNwc0
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人の多い時間をさける目的で電車を二本早めて大分経った。
変わらず車内は空いている。
いつも通り席に座る。
右目のお蔭で女性がいるかどうかはすぐに判明する。
よかった、今日いなければ私の目論見は失敗していた。
私は今日休暇をとり、仕事に行くためでは無く、女性に会うためこの電車に乗ったのだ。
右目に女性を監視させたまま、普段降りる駅を乗り過ごす。
見慣れぬ人が増えてきた。
私にとっては二本早いこの電車が、丁度良い時間になる駅まで来ていた。
女性がぱちりと目をあけた。
その瞬間にハッとこちらを見る。
目が合い、反射的に逸らした。
異常に思われただろうか。
目を閉じていたとはいえ、私を一度も見たことが無いということは無いはずだ。
右目に好きにさせている間にも、何度も目を開けたのを見ていたし、目が合いかけたこともある。
彼女からすれば、今この場に私が居るのがイレギュラーであるはずだ。
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8 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2016/04/03(日) 22:13:56 ID:VPVGlNwc0
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もともと降りる駅だったのか、女性は電車をあとにした。
私は右目を頼りに背中を追う。なんせ自動で見つけ出し見つめ続けるのだから楽なものである。
視野が固定されるため歩きにくくはあるが、止むをえない。
なるべく距離を取り、女性をつける。
駅を出て街場をゆく。慣れぬ土地だ。見失えば終り。
いっそすぐに声をかければよいのだが、ここにきてもまだ踏ん切りがつかない。
右目の恋をどう説明すれば、彼女に気味悪がられずに理解してもらえるのだろうか。
それなりに恋愛はしてきたが、こんなことは前例がない。
どうにかせねばと行動を起こしてはいたが、実情無策に等しかった。
('、`*川 「……あの」
(;´・_ゝ・`) 「あっ」
('、`*川 「駅からずっと、私のこと、つけてますよね……?」
油断していた。失敗だ
私は尾行していた女性に見つかり、曲がり角を利用して捕らえられてしまったのだ。
右目が勝手に追うからと、考え事に集中したのが良くなかった。
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9 名前:名無しさん 投稿日:2016/04/03(日) 22:16:27 ID:VPVGlNwc0
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(;´・_ゝ・`) 「も、申し訳ない。これにはいろいろとわけが……」
しどろもどろになり目を逸らそうとするが、当然右目は女性を見続ける。
これだけ近くで見るのははじめてだ。興奮しているのが分かる。
私は覚悟を決めた。大人しく変質者、または奇人の汚名を被ってやろう。
('、`*川 「……ッ」
(´・_ゝ・`) 「……実はですね」
('、`*川 「……もしかして、貴方の右目も?」
(´・_ゝ・`) 「えっ」
女性の言う意味が分からず間抜けな声を上げてしまう。
彼女は真剣な目のまま、私から視線を外した。
そしてそれを見た瞬間に私はまた変な声を出してしまった。
彼女の左目は全く向こうを向いているというのに、右目だけが私と見つめ合っているのだ。
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10 名前:名無しさん 投稿日:2016/04/03(日) 22:17:01 ID:VPVGlNwc0
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('、`*川 「初めてあなたが電車に乗ってきた時には。すでにこうだったんです」
「お恥ずかしい話、顔は確かにタイプだったんですが」と付け加えつつ、女性は言った。
つまるところ、私の右目が彼女に恋をしてしまったように、彼女の右目もまた私に恋をしていたのだ。
普段から目を閉じていたのは、それを悟られないようにするためだという。
時々薄目を開けて見ていて、私の右目の視線に気づき、もしやと思っていたらしい。
だから、今回の尾行も早い段階からばれていたというわけだ。
奇妙な話である。
中々お目にかかれない話である。
私たちは実は部分的な片思いをする、両想いだったのだ。
女性の名は、伊藤といった。
私と伊藤は初めての会話の際に連絡先を交換し、ほどなくしてまた会うことになった。
似た境遇にあったお蔭で会話が弾んだ。
右目を通してお互いをよく見ていたおかげで、通常の初対面に比べれば相手のことも良く知っている。
逢瀬を重ねるうちに、私は徐々に伊藤に対し同情以上の想いを抱くようになっていた。
伊藤もそうであることを、うっすらと期待混じりに悟っていた。
('、`*川 「もしかしたら、右目が勝手に動いたのは、私たちの深層の恋の表れだったのかもしれませんね」
伊藤がそう言って微笑んだのをきっかけに、私と伊藤は交際する運びになった。
それぞれの右目が導いてくれた、奇妙な縁であった。
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11 名前:名無しさん 投稿日:2016/04/03(日) 22:17:46 ID:VPVGlNwc0
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静かで品の良いホテルの一室に私と伊藤は居た。
交際を始めて一週間がたっていた。
互いにいい大人である。言葉を交わすだけの関係をいつまでも続けられるほど純情ではない。
とはいえ、このホテルに来た目的は、私が伊藤を抱くためでは無い。
('、`*川 「私の右目は、私よりさきにあなたを好きになっていて」
(´・_ゝ・`) 「私の右目は、私よりさきに君を好きになっていた」
('、`*川 「変な話だけれど、略奪愛見たいなものでしょう」
(´・_ゝ・`) 「ああ、本当に変な話だけれど」
('、`*川 「私たちが結ばれたのは、それぞれの右目のお蔭だもの。だから……」
私は右目に体を貸して、伊藤を抱かせ。
伊藤は右目に体をかして、私に抱かれる、という話になったのだ。
異論は無かった。奇妙ではあるが、始りから奇妙だった私たちの恋には丁度いい。
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12 名前:名無しさん 投稿日:2016/04/03(日) 22:18:58 ID:VPVGlNwc0
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('、`*川 「……じゃあ」
(´・_ゝ・`) 「ああ」
意識をぼやけさせる。
眠りにつこうとする時と同じだ。
体の支配権が右目に移ったのがわかる。
夢うつつで彼の視野を共有し見ている。
頼むから、醜いケダモノみたいなまぐわいはしないでくれよ、と願う。
伊藤は色気のある惚けた顔をしている。
これが、伊藤の右目が私に寄せている好意の形なのだろう。
私の左手が、彼女の頬に触れた。
彼女の左手が、私の頬に触れる。
他人の性交を覗き見ているような背徳感だ。
向こうの伊藤も同じような心地なのだろうか、とぼんやり考える。
ずぶり、と伊藤の指が私の右目に突き刺さった。
同じく私の指も伊藤の右目に潜り込んでゆく。
鮮烈で、鈍重でもある痛みだった。
体の支配を取り戻したことに気が付いた私は、右目を抑えて蹲る。
痛い。血が出ている。混乱する頭で伊藤を見る。
伊藤も同じく蹲っている。
一体何が起きたのか、痛みに支配される脳では理解できない。
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13 名前:名無しさん 投稿日:2016/04/03(日) 22:19:21 ID:VPVGlNwc0
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しかし、すぐにわかった
ああそうかと確信した。
痛みが無ければ笑ってすらいた。
私は確かにみた。
なぜこうなったのかの理由を。
この恋の意味を。
、 、、 、 、 、
残された左目で確かにみたのだ。
血がハタハタと零れ、染みになる絨毯の上で。
愛しげに寄り添いあう、二つの眼球の姿を。
【了】