熱風と喪失のようです

556 名前:名も無きAAのようです[] 投稿日:2015/08/16(日) 19:52:03 ID:qKaoudW20

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557 名前:名も無きAAのようです[] 投稿日:2015/08/16(日) 19:53:17 ID:qKaoudW20

誰かが君の肩に優しく手を置いたような、そんな温かさを感じる。
それが幻覚や夢の類であることは、うっすらと気付いていた。

やがて君は、ゆっくりと瞼を開く。

見渡す限り、どこまでもほうじ茶だった。
どこまでも続く黄金色の海面と、雲一つない空が辺り一帯の風景と成していた。

君の素足を膝まで濡らすお茶の水面が、穏やかな波のようにわずかに揺れている。

「……えっ?」

理解の岸辺からあまりに遠く、全てが混乱していた。
悲鳴めいた甲高い声を、自分の喉が鳴らしたことに驚く。

どこかへ向かうには勝手が分からず、泳ぐには浅すぎる。
どうすることも出来ず君は、その場にしゃがみこむ。

ワンピースのすそが一瞬水の上で踊り、やがて沈んでゆく。

558 名前:名も無きAAのようです[] 投稿日:2015/08/16(日) 19:55:00 ID:qKaoudW20

君は両手で目の前の液体をすくい、顔を近づける。
恐る恐る口元に当てると、海は確かにほうじ茶の味がした。

冷たいほうじ茶の感覚を、目をつぶって追いかける。
香ばしさと微かな苦味がやがて胃にたどり着き、ゆっくりと体のなかに溶けていった。

透き通ったほうじ茶の海の真ん中に一人。
何かを区別する壁もなく、微かな波の立つ音以外は何も聞こえない。

「……」

理解出来ない世界を、君は少しずつ飲み込んでゆく。
飲みきれないほどのお茶もあるし、しばらく飢え死にはしないな、なんて君はぼんやり考えていた。

559 名前:名も無きAAのようです[] 投稿日:2015/08/16(日) 19:55:41 ID:qKaoudW20
 
 
 
 
    熱風と喪失のようです



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560 名前:名も無きAAのようです[] 投稿日:2015/08/16(日) 19:57:16 ID:qKaoudW20

しゃがんだままの姿勢で君は、ほうじ茶の浅い海の底に手を触れた。
地面はつるつるとなめらかで、まるで自分がコップの底にでもいるような気がした。

意識して深呼吸をすると、お茶の香りが鼻を抜ける。
いったいなぜこんなことになったのだろうと、君は考える。

(そうだ、ベランダに座ってた)

(……)

(熱風が過ぎていったんだ……)

ここにいる少し前のことを、次第に思い出してゆく。

仕事がお休みの日、君はしばしばベランダに座っている。
一畳も無い狭いベランダにピクニックシートを広げ、ただ座っている。

視界は壁に遮られ、エアコンの室外機くらいしか見るものはない。
本を読んだり、壁と屋根の隙間の僅かな空を眺めて過ごすのが生活の一部だった。

561 名前:名も無きAAのようです[] 投稿日:2015/08/16(日) 19:58:37 ID:qKaoudW20

lw´‐ _‐ノv「ずいぶん急いでますね、ホライゾンさん」

遥か頭上の雲を、吹き抜ける風が動かしてゆく。
時折通る風に名前を付けて呼びかけるのが、君の最近の戯れだった。

lw´‐ _‐ノv「ツンさんは先に行ったみたい」

lw´‐ _‐ノv「えっ? 西の方だったかなー」

lw´‐ _‐ノv「いえいえ」

lw´‐ _‐ノv「……」

やがて君は雲にも風にも飽き、物思いにふける。
昨日見た映画の切れ端が浮かんでは消え、混じり合った映像が新しい絵を描く。

君は、人が進化するお話しが好きだ。

昨日の映画の中で学者は新人類の到来を語り、別の映画の主人公は意思の力で物事を変える。
君はそういうお話しを好み、延々と繰り返し見てきた。

何故なのだろう、君は考える。

562 名前:名も無きAAのようです[] 投稿日:2015/08/16(日) 20:00:21 ID:qKaoudW20

lw´‐ _‐ノv(どうして進化に惹かれるんだろう?)

lw´‐ _‐ノv(……)

答えはコンビニのようにどこにでもあり、そこにすぐさまたどり着いた君は一瞬顔を歪ませる。
ひどく簡単で、普遍的な事実だった。

速すぎてよく分からない日々のなかで、結局君は老いてゆく。
あるいは君がこうしてよくベランダで過ごすのは、少しでも時間を遅く感じたいからなのかもしれない。

自然と君はため息を吐き出していた。

lw´‐ _‐ノv「はぁ……」

lw´‐ _‐ノv「……夕ご飯何にしよう」

lw´‐ _‐ノv「スーパーにタイ米なんて置いてなかったしなあ……」

自分という存在は、今まで生きてきた過去の積み重ねだ。
目に見えぬ形でそれは降り積もり、足かせのように縛る。

そのくせ時間は一瞬で過ぎてゆき、重くなり続ける足かせをどうすることも出来ない。
君は、いっそ何もかも吹き飛んで消えてしまえばいいと思う。

その瞬間、煮えたぎるような熱風が君を襲い、目の前が真っ白になった。

563 名前:名も無きAAのようです[] 投稿日:2015/08/16(日) 20:01:43 ID:qKaoudW20


「……」

ほうじ茶の海の真ん中で、君は神の存在証明という言葉を思い出していた。

神の存在証明とは、神様がいるかいないか問いただすことではない。
神様がいることを、どう論理的に表せるかといったものだった。

自分がこんな状況にいることを、もしかして神様のせいなのではと君は考える。

「……本当にみんな」

「吹き飛んでしまったのかな」

「……」

「……えっ?」

思わず呟いた独り言は、違和感だけを残して消えていった。
自分のではなくまるで他人のような、生まれて初めて聞いた声を、君は発したような気がした。

「……」

「……あー、あー、のど、喉のテスト中」

「あいうえお、かきこけ……」

「やっぱり声が変だ……」

564 名前:名も無きAAのようです[] 投稿日:2015/08/16(日) 20:03:50 ID:qKaoudW20

君は自分の両手をじっと眺める。
本当にこれが自分の手なのか確信が持てず、どこか気持ちが悪い。

いつもと声が違うだけで、こんなにも不安になるなんて君は初めて知った。
心細さからか、君は自分の名前を口に出した。

「……素直シュール」

音域が低く、普段とは異なる自分の声。
声の異変は、他人に呼びかけられているような錯覚を起こす。

それでも君は、自分がシューと呼ばれた存在であることに変わりはないと半ば無理やり思い込む。
いつもの自分は、こんな時にどうしていただろうか。

「……教会の窓に赤い影」

「珊瑚の森を食べつくす〜」

「カニをやっつけろ〜」

「カニをやっつけろ〜!」

君はしゃがむのをやめて海の底に座り込み、足を前に伸ばして歌った。
聞き慣れない自分の声で、けれどそれすら楽しむように歌を歌った。

だんだんと気分が乗り、君はやっと普段の調子を取り戻す。
海で海の歌を歌うのは、ベランダでベランダの歌を歌うよりずっといい。

565 名前:名も無きAAのようです[] 投稿日:2015/08/16(日) 20:05:33 ID:qKaoudW20

しばらくそうして過ごしていると、背後から誰かの声が聞こえたような気がした。

「……すみませーん」

「そこの方〜」

君以外の誰かが近くにいるらしい。
こんな海の真ん中に一体誰が、と君は訝しみながら後ろを振り返る。

バシャバシャとほうじ茶を掻き分けて近づいてきたのは、パンダだった。

手のひらに乗りそうな、とても小さなパンダが泳いでこちらへと向かってくる。
ほうじ茶の水面から白黒の頭を浮かばせ、彼は真っ直ぐ君を見つめている。

(゚、゚トソン「こんにちは〜」

「こ、こんにちは……」

(゚、゚トソン「コミュニティセンターを見ませんでしたか?」

「……見てないよ」

(゚、゚;トソン「そうですか……、突然すみませんでした」

がっくりと肩を落とし、ミニチュアパンダはすぐにその場を去ろうとした。
その姿を見て君は、何も考えずに声を掛ける。

566 名前:名も無きAAのようです[] 投稿日:2015/08/16(日) 20:07:02 ID:qKaoudW20

「あの」

(゚、゚トソン「はい?」

「えっと……、そうだ」

「鏡か何か持ってない?」

(゚、゚トソン「僕の腕時計で良かったら」

(゚、゚トソン「この時計、裏面が鏡みたいに反射するんです」

「ありがとう」

手渡された腕時計は、パンダの体格に合った小さなものだった。
パンダが喋ることよりも、パンダが時間を気にすることに君は内心驚いていた。

何気なく時刻を確かめると、お昼過ぎを示している。
この時計は正確なのだろうか、ともかく針は一定のリズムで動いている。

君は手のひらの上で腕時計をひっくり返す。
時計の裏蓋に映っていたのは、君ではなく別人の姿だった。

(#゚;;-゚)

567 名前:名も無きAAのようです[] 投稿日:2015/08/16(日) 20:08:59 ID:qKaoudW20

(#゚;;-゚)「……えっ?」

細部までは分からないが、確かに見知らぬ人間がそこにいる。
先の歌を呟くと、腕時計の鏡面に映る口元も同じように動いた。

君は声も顔も髪も失い、代わりにあるのは別の何かだった。
それともこれが、何もかも吹き飛んでしまった跡に残った自分なのだろうか。

体中から血の気が引いてゆくのが分かる。
自然と片手を海の底に付き、君はうなだれる。

(゚、゚トソン「あのう、どうかしましたか?」

(#゚;;-゚)「ううん。……思ったより日焼けしちゃってて」

君は何か別のことを考えなければと思う。
キラキラと湿るパンダの体毛をぼんやりと眺める。

568 名前:名も無きAAのようです[] 投稿日:2015/08/16(日) 20:10:17 ID:qKaoudW20

(#゚;;-゚)「……」

(#゚;;-゚)「コミュニティセンター」

(゚、゚トソン「えっ?」

(#゚;;-゚)「そこに行ってどうするの?」

(゚、゚トソン「……ビョーキを治すために、お話しを聞きに」

(#゚;;-゚)「ビョーキ?」

(゚、゚トソン「はい、この通り……」

そう言ってパンダは、君の方に背を向けた。
小さなバッグを背負っていて、彼の背中はほとんど見えない。

(#゚;;-゚)「……えーと、素敵なバックだね」

(゚、゚トソン「それじゃないですよ。もう少し下のほうです」

そう言われて視線を落とすと、水面下で揺れる彼の尻尾が目に入った。
まるで適当に作ったぬいぐるみみたいに、尻尾の色は白ではなく黒い。

(゚、゚トソン「ある日目覚めたら、尻尾が黒くなっていたんです」

(゚、゚トソン「水仙の花みたいに真っ白だったのに」

569 名前:名も無きAAのようです[] 投稿日:2015/08/16(日) 20:12:19 ID:qKaoudW20

(#゚;;-゚)「……」

(゚、゚トソン「こんなパンダ、どこにもいないですよね……」

(#゚;;-゚)「……」

(゚、゚トソン「すみません。……それで、えっと、コミュニティセンターに行けば」

(#゚;;-゚)「いいよ、私も探すの手伝う」

(゚、゚;トソン「色々なお話が聞け、……えぇ!?」

(#゚;;-゚)「困ってるパンダ君を一人で行かせたりしないよ。私の目が黒いうちはね」

君の華麗なパンダジョークに、彼はきょとんとしている。
少しして君は、もしかしてパンダ差別になるんじゃないかなと、早くも自分の言葉を後悔し始めた。

けれどすぐに彼はクスクスと笑い出し、君は安心する。

(#゚;;-゚)「私とパンダ君、合わせて目が4つ。はやく見つかるよ」

(゚、゚*トソン「……あ、ありがとう」

(#゚;;-゚)「こちらこそ、時計を貸してくれてありがとね」

570 名前:名も無きAAのようです[] 投稿日:2015/08/16(日) 20:13:47 ID:qKaoudW20

(゚、゚トソン「僕はトソンって言います。よろしくお願いします」

(#゚;;-゚)「私は……」

君は自分が誰なのだろうと、一瞬戸惑う。

外見も声もまるで別人だ。
けれど自分自身であった過去や、名前は変わらずに覚えている。

一体何を失ったのだろう。
やがて君は、過去の足かせだけがどこにもないことに気付いた。

(#゚;;-゚)「……」

(#゚;;-゚)「素直シュール」

(#゚;;-゚)「シューって呼ばれてるよ」

君は何者にでもなれる。
何故なら存在とは、未来へ向かって可能性を投げ掛け続けているのだから。

「シューさん」

「うん。早速出発しよう」

「はい、……ってそっちは僕が泳いできた方角ですよ」

571 名前:名も無きAAのようです[] 投稿日:2015/08/16(日) 20:15:18 ID:qKaoudW20
    
    
「……じゃあ、そろそろ」

「うん。……ねえ、お隣のこの名前って」

「ええ、でぃちゃんって若い娘さんがいたでしょ」

「やっぱりそうなんだ」

「最後の方は大変だったみたいよ。焼けるように痛むって」

「……ほら、もう行くよ」

「あ、待ってよー……」

くぐもった声が頭上から聞こえた気がする。
気が付いた時には、いつもの静かな闇があるだけだった。

聞こえるはずもないのに、そんな気がしたなんておかしくて、私は人知れず笑う。

(#゚;;-゚)「……」

私はゆっくりと、眠りにつくように戻ってゆく。
尻尾の黒いパンダと自分を失った女の子の待つ海へ。

彼女たちは生きているのだ、きっといつか探し物を見つけられるだろう。

シューのお話しを私はいつまでも想い、彼女たちの可能性をどこまでも信じるのだった。
誰にも見つからない壁のなかで。


おわり

572 名前:名も無きAAのようです[] 投稿日:2015/08/16(日) 20:16:02 ID:qKaoudW20

 (
   )
  i  フッ
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