( ・∀・)午前2時11分、君に会いに行くようです

2 名前:名も無きAAのようです[sage] 投稿日:2015/08/09(日) 22:21:04 ID:rJU1q38w0


ぼくはたまに空を見上げながら、この世界がどこまで本物なのか考える事がある。


( ・∀・)午前2時11分、君に会いに行くようです

3 名前:名も無きAAのようです[sage] 投稿日:2015/08/09(日) 22:22:21 ID:rJU1q38w0
目を覚ますとすぐに自分が寝落ちてしまった事に気がついた。
ベッドの上でのそりと身体を起こす。服は帰宅時のままなのが寝落ちてしまった何よりの証拠だろう。
蛍光灯も消しておらず、何時間も眠るだけのぼくを無駄に照らしていたようだった。
やはり充電されていなかった情報端末をたぐり寄せる。とうに日付を跨いでいて、いよいよ後悔する。
着替えるべきだし風呂にも入るべきだ。ろくに夕食も取っていないので腹だって減っている。
何から着手しようか最適な順序立てを寝起きの頭のなかでなんとか整理してから、勢い良くベッドから飛び出した。

結論からすればこのままコンビニエンス・ストアに出かけて夕食を買い、帰宅してからシャワーを浴びるという筋書きだ。
チノパンに情報端末を差し込んで部屋を出る。ドアが閉じられると蛍光灯への電気の供給が絶たれドアにはロックがかかる。
最近は家主が眠ると自動的に蛍光灯を切る節電システムが一般的になりつつあるらしいが、ぼくは部屋を真っ暗にしてから眠る主義なのだ。

住んでいるアパートを出て静かな深夜の街を歩く。どこにでもある街並み。こんな夜遅くには本当に静かな住宅地だ。
幹線道路から少し離れているのですれ違う人はまずいないし、動いている車にも出くわさない。
設置されている街灯は深夜帯には感応式に切り替わるので歩いていると進路の先へ次々にぽうっと灯る。
まるでエスコートされているような気分だ。ぼくが歩いた後には街灯は順に消えていく。
コンビニエンス・ストアまで歩いて7分ほど。店内に入ると客は誰も居ないし店員もレジに立っていない。
おおかた休憩室でゲームでもやっているのだろう。無駄に明るい宣伝アナウンスを聞きながらぼくは適当に弁当を取る。
ついでにセールで値段が下がっていた缶コーヒーも手に取る。レジですいません、と声をかけるとおずおずとバイト店員が出てきた。

ぼくはあまりカフェ・インが身体に効かない。それなのでこんな深夜帯でも缶コーヒーを飲んだりする。
逆に本当に眠い時に眠気覚ましのドリンクを飲んでいても全く効果が無いのだ。これは総合的に見れば欠点の方だと思う。
指紋認証で会計を済ませる。店を出てさっそく缶コーヒーを開けた。カシュッと心地良い音が静かな駐車場に響く。
静寂に包まれた夜の街を、缶コーヒーを飲みながら歩くのは好きだ。
車でも買う日が来ればそれこそ缶コーヒーを持って夜の街を流してみたりするだろう。

4 名前:名も無きAAのようです[sage] 投稿日:2015/08/09(日) 22:24:10 ID:rJU1q38w0
帰りも感応式の街灯が行く先を照らしてくれる。それを辿ってぼくは歩く。
ぼくの住む街は丘陵地に位置しているので坂が多い。帰りはひたすら上り坂だ。
なんとなく途中にある公園に寄る。ここも灯りは感応式でぼくを見つけて自らを灯す。
木製のベンチに座って缶コーヒーを傾ける。ちょうど公園からは開けた景色が見える。
一昔前までは住宅地に設置された街灯の軍団が見渡せたはずだ。
しかし今は感応式のものに取り替えられたため、見下ろせる街に灯りは殆ど見つけられない。
節電がしきりに叫ばれる現在では仕方のない事ではある。
出歩く者がいなければ今や深夜帯の住宅街はこうして暗闇が普通なのだ。

ふとカシオの腕時計に目をやる。午前2時11分。随分遅くなってしまったし、明日も出たい講義はある。
そろそろ帰ろうと腰を上げた時だった。

(゚、゚トソン

隣に女性がいた。いつの間にかいた。
全く気がつかなかった。物音立てず隣に座っていた。

( ・∀・)「…え」

あまりに驚いたもので、間抜けな声が出てしまった。しかし本当に唐突に彼女は現れたのだ。
公園に入口は一つしかない。そもそも公園の外の街灯は感応式で、人が通れば分かるはずなのだ。
それなのに、ぼくは女性が隣に座るまで全く気がつけなかった。

( ・∀・)「あの、いつここに?」

変な声を出してしまったし、取り繕うように訊いてみる。すると彼女はゆっくりとぼくを見て、

(゚、゚トソン「…さぁ」

とだけ言った。冷静に考えてみればふざけた回答だが、ぼくはその彼女のミステリアスな魅力を感じ取ってしまった。
興味を持ってしまったのだ。

( ・∀・)「すごい、全然気がつかなかったよ」

(゚、゚トソン「そう」

5 名前:名も無きAAのようです[sage] 投稿日:2015/08/09(日) 22:25:56 ID:rJU1q38w0
( ・∀・)「この辺りの人なの?」

(゚、゚トソン「ええ」

( ・∀・)「名前は? ぼくはモララー」

(゚、゚トソン「私は、トソン」

( ・∀・)「トソン」

綺麗な響きだ。それに名前だけでなく、彼女自身もなかなか美しい。
灯りに照らされる彼女の横顔を盗み見る。透き通るような肌がぼくの目を奪う。
歳はぼくと近いように思える。ぼくと同じ大学生ぐらいではないだろうか。

( ・∀・)「こんな時間に何をしていたの」

(゚、゚トソン「特には、何も。 私はいつもここにいるので」

この公園が好きなのだろうか。確かにぼく景色が開けたこの公園は気に入っていて、コンビニ帰りに時折立ち寄っている。
しかし彼女を見たのは初めてだ。

( ・∀・)「ここ、いい場所だね」

(゚、゚トソン「ええ」

彼女の言葉は少ない。急に話しかけて図々しいと思われただろうか、と一瞬不安になるが、

(゚、゚トソン「貴方はどうしてここに来たの」

彼女は言葉を紡ぐ。彼女から話しかけてきたのは純粋に嬉しい事であった。

( ・∀・)「コンビニに行って、その帰り。 今日は帰ってからそのまま寝ちゃってて、夕食も食べてなかったんだ」

(゚、゚トソン「そのまま眠ってしまったの」

6 名前:名も無きAAのようです[sage] 投稿日:2015/08/09(日) 22:28:21 ID:rJU1q38w0
( -∀-)「かなり疲れていたんだ。 居酒屋のバイトをしているんだけど、帰りが遅くなる時があって」

(゚、゚トソン「大変そうね」

( ・∀・)「大変なんだよ、居酒屋のバイトって。 働いているのは殆どバイトだし」

(゚、゚トソン「社員の方はいないの」

( ・∀・)「社員はごく僅か、それも入社数年の若い人達ばかりだ。急に店長を任されたりするんだよ。
      店長が休むには店長クラスに働けるバイトを育てなくてはならない。だから月に二十八日も出勤する社員もいるぐらいだ」

(゚、゚トソン「それは酷い」

( ・∀・)「ブラック企業ってあるだろう、チェーンの居酒屋なんて大体はそれに該当するよ」

(゚、゚トソン「情報としては知っているわ。 ブラック企業」

ブラック企業という言葉は2000年代後半から一般に認知され始めた。
その後2010年代前半からはブラック企業のアルバイト版であるブラック・バイトという言葉も誕生している。
ぼくのアルバイト先はこれに値するものだ。

(゚、゚トソン「どうしてそんな辛いバイトを続けているの」

( -∀-)「うーん、やっぱり効率良く稼げるんだよね。 ぼくは大学生なんだけど、やっぱり色々かかるんだよ。
      学費も親に出してもらっているけど、それだって本当は申し訳ないと思うし」

(゚、゚トソン「親思いなのね」

( ・∀・)「そうなのかな。 ぼくとしては甘えている奴が多いと思うんだ。
      学費も出してもらって、仕送りもしてもらって、それを当然と捉える奴が本当に多い」

(゚、゚トソン「大学まで行かせてくれるのだから、感謝すべきだと」

( ・∀・)「そう、言ってしまえばそうなんだ。 親だって子供を大学まで進ませる義理はないのだから」

そこからぼくは持論を展開する。普段このような話をする者などいないからだ。
大学生はまさしく今を楽しんでいる。きちんと将来を見据えている者も多いが、今現在を全力で楽しんでいる者が多すぎるのだ。
ぼくだって大学は楽しいと思うし、何なら高校までの学生生活とは比べ物にならないほど楽しいと感じる。
しかしその先の将来のために進学した大学なのだ。最下層に大前提として横たわるそれを忘れてはならない。
人付き合いとアルコールに大学在学中の全てを浪費しては意味が無いのだ。

( ・∀・)「あ、ゴメンね、自分の話ばかり」

7 名前:名も無きAAのようです[sage] 投稿日:2015/08/09(日) 22:30:42 ID:rJU1q38w0
日頃感じていた事を長々と喋ってしまいぼくは謝る。
しかし彼女は嫌な顔一つしない。
きっと聞き上手なのだ。

(゚、゚トソン「ううん、いいの」

( ・∀・)「そういえば君は、何をしているの? 大学生?」

(゚、゚トソン「私は、何も」

何も、というのは無職という事だろうか。最近では死語に近いが家事手伝いと呼ぶべきだろうか。
しかし彼女から受ける印象は聡明さだ。学校にいれば礼儀正しく優秀な成績を収めるであろう、そういう印象を受ける。
何か理由があるのだろうか、しかしそこはさすがに訊くのを躊躇われる。

( ・∀・)「良くこの公園には来るの」

(゚、゚トソン「いつもいるよ」

( ・∀・)「いつも?」

彼女を見る。ええ、と彼女は頷く。

(゚、゚トソン「いつもここにいる」

( ・∀・)「そっか」

本当に不思議な女性だ。

( ・∀・)「じゃあまた話せるといいね」

返事がない。もう一度彼女の方を見る。そこには誰もいない。

( ・∀・)「えっ」

立ち上がって周囲を見渡す。深夜の公園には自分一人しかいない。
公園の外の感応式の街灯も反応せず沈黙を保っている。公園を出ていった訳ではない。
消えてしまった。忽然と、音もなく消えてしまった。現れた時と同じように。

( ・∀・)「…なんだったんだ」

8 名前:名も無きAAのようです[sage] 投稿日:2015/08/09(日) 22:32:55 ID:rJU1q38w0
狐につままれた、そんな気分だった。ともかく彼女は姿を消してしまった。
腕時計を見る。およそ20分。夢などではない。
いつもここにいる。その言葉がぼくのなかを反復する。
首を傾げながら、缶コーヒーを飲みきってゴミ箱に放り、公園を出た。
また住んでいるアパートまで感応式街灯のエスコートが続く。


夜が明けてぼくは目を覚ます。少し遅い目覚めで、テレビをつけても朝の情報番組は既に終わっている。
講義には十分間に合う時間で、ぼくはゆっくりとベッドから這い出て洗面台へ向かう。
冷水をすくって顔を洗いながら、昨晩の不思議な女性の事を思い出した。
トソンと名乗った美しい女性。音もなくぼくの隣に現れて、音もなく消えてしまった。
夢かと思ったが、夢ではない。テーブルの上には昨晩コンビニエンス・ストアで買った弁当が食べ終わったまま置かれている。
それを45リットルのゴミ袋に放っておく。着替えてから髪を整え、情報端末と鞄を持ってアパートの部屋を出た。

最寄り駅までのルートは既に確立されていて、決まってぼくはその道で駅まで向かう。
しかし今日は気まぐれに少し迂回をして、違うルートで駅を目指そうと思う。
深夜帯には感応式になる街灯は、昼間は太陽光パネルで静かに充電を続けている。
人気のない深夜帯とは違って住宅地にも往来がある。宅配会社のトラックがぼくを追い抜いていく。
遠回りをして目的の公園に着く。昨夜の公園だ。一つしかない公園の入り口から中を覗くと数人の姿が見える。
犬の散歩途中に訪れたらしい高齢者と、柔らかい樹脂コーティングがなされたジャングル・ジムで遊ぶ親子連れだけだ。
彼女は居ない。いつもここにいる。彼女はそう言ったが、そこにはいなかった。
まぁ、いつもここにいる、とはいえ公園の主でもないので24時間いつでもいる訳がないのだ。
彼女にだって帰る家があるはずだし、まして昨日出会ったのは深夜遅い時間だった。

ぼくはそのまま駅に向かう。寄り道までして、ぼくはまた彼女に会いたいのだろうか。
たった20分ほど、なんでもないお喋りをしただけなのに。変な感じだ。

駅からは各駅停車に乗り、数駅先の大きな駅で降りる。ここから大学構内までバスが出ている。
ぼくが住んでいるアパートは一軒家ばかりの家族向け住宅地にあり、一人暮らし向けのアパートはあまり多くない。
そもそも目立たない駅なので人気の街とも程遠い。しかし大学までのアクセスが良好なのだ。
それに人気の街ではないだけあって家賃の相場も安い。大学在学中の仮暮らしではあるし、それぐらいで十分だと思う。

9 名前:名も無きAAのようです[sage] 投稿日:2015/08/09(日) 22:34:37 ID:rJU1q38w0
バスに乗って、着席を獲得して一息つく。同じキャンパスの学生を乗せてハイブリットタイプのバスは駅前ロータリーを発車する。
シートに身を任せながらぼくは窓の外をぼんやりと眺める。外の景色には様々なVirtualの看板や広告が並んでいる。
今やぼく達に情報を伝える最大のツールはVirtualだ。Virtualは街の至る所に表示されている。
道路にある案内看板も道路脇にある宣伝の看板もVirtualで占められている。メンテナンスが不要だからだ。
ぼく達国民にはVirtualを見る事の出来る特殊レンズを網膜に貼り付ける手術が義務付けられている。
それほどに日常的な生活においてVirtualは無くてはならないものになっているのだ。

しかし情報の洪水だとぼくは思うのだ。Virtualの充実による現代では与えられる情報が多いと感じる事が多い。
暴力的な量の情報が街中を支配している。管理こそされているものの視界には様々なVirtualが飛び込んでは消えていく。
2010年代後半のカー・ナビゲーション・システムの世界に飛び込んだような感じだ。
とはいえVirtualの整備は便利である事には変わりない。
初めて歩く道では矢印のVirtualが目的地まできちんとエスコートしてくれる。
一昔前では駅改札口から吊り下げられていただけの運行情報も駅舎の外に大きく貼りだされている。
道路の渋滞情報なども詳細な情報を得る事が出来る。今やカー・ナビゲーション・システムなど不要だ。
学校での授業でも生徒一人一人にVirtualで同じものを間近で見せる事が出来る。

更に視覚のみに有効であったVirtualは遂に触覚まで与えられるようになった。
Virtualを見る事が出来る特殊レンズの他に手術が義務付けられているのは頭に埋め込まれる制御装置だ。
極めて精密な制御装置であるマイクロチップが微弱な電流を脳に流してVirtualに手触りを与える。
例えばVirtualの林檎があるとする。精巧な3次元コンピューター・グラフィックスは真っ赤な瑞々しい林檎を再現している。
従来はそれまでであったが、この制御装置によって林檎のつるりとした手触りまで再現しているのだ。
触覚まで得たVirtualはもはや本物と遜色ないものなのである。

しかしたまに不安になるのだ。ぼくはたまに空を見上げながら、この世界がどこまで本物なのか考える事がある。
触覚すら得たVirtualはもはや本物と区別するのは難しい。
この世界にはあらゆる場所にVirtualという情報が付加されている。
網膜に貼られた特殊レンズと頭の中のマイクロチップが、一体どこまでぼく達に本物の世界を見せているのかと、考えてしまうのだ。
でもそれは、考え出しても仕方のない事である。

10 名前:名も無きAAのようです[sage] 投稿日:2015/08/09(日) 22:37:07 ID:rJU1q38w0
ハイブリットタイプのバスが大学構内に入っていく。自然豊かな丘陵地のなかにあるのでバスが構内にまで達しているのは非常に便利だ。
学生情報を持つぼくが構内に入った事でぼくに関する学部の講義の情報などがウインドウにまとめられ飛び込んでくる。
そもそも一人ひとりが見ているVirtualの世界は異なる。Virtualの広告にしても最適化されているのだ。
中年男性に化粧品の広告を表示するのも高齢者に新作ゲーム発売の広告を表示するのも最適ではない。
国民全員に割り振られたマイナンバーには個人の情報が登録されている。そこから最適かつ必要なVirtualの情報を表示しているのだ。
例えばぼくは二十歳、一人暮らし、大学生だ。表示される広告はファッション関連や流行りのJ-POPなどが多い。
深夜帯の人気のない住宅地で煌々と街灯を灯すのも、買うはずもない購買層に商品の広告を打つのも効率が悪い。
駅に入ってから運転見合わせの一報を得るのも、校舎に入ってから休講の情報を得るのも遅い。
より効率の良い社会が目指されているのだ。Virtualの充実による効率的な社会。
それが今の世界の姿である。


大学で講義を受け、夜はアルバイトをする、それがぼくの生活スタイルだ。
ぼくのアルバイト先の居酒屋はいつも大学構内行きバスへ乗り換える大きな駅の近くにある。
この自然豊かな丘陵地には複数の都市に跨る巨大ニュータウンが広がっていて、この駅は巨大ニュータウンの顔とも言える駅だ。
ただ一軒家ばかりが並ぶ中規模のニュータウンとは規模が違い駅前にはビルが建ち並んでいてもはや都市と表現する事も出来る。
ぼくの働く居酒屋はその駅前にある雑居ビルのなかに入居している。金曜日などは仕事帰りの客でごった返すほどだ。
幸い今日は木曜日でそれほど忙しくはなかった。それでも遅くまでのシフトはどうしても疲れてしまう。
大学に進学して一人暮らしを始めた頃は頑張って自炊などしたものだが、次第に回数は減っていった。
疲れて帰ってきてそこから自炊して片付けるというのは恐ろしく億劫なのだ。
帰宅も決まって遅いのでコンビニエンス・ストアで弁当を買うのが日課になってきている。

アパートに着き、ドアに指を押し当ててロックを解錠する。現在時刻から判別して自動的に蛍光灯が光る。
極薄型テレビの電源を投入して弁当を電子レンジに放る。記されたタグを読み込んで指示された時間での加熱が始まった。
今日の弁当は1600ワットなら50秒、500ワットなら4分20秒と印刷されている。
一人暮らしを始める時に親戚から譲ってもらった電子レンジは700ワットなので、自動的に計算してくれる。
時間。電子レンジに表示された数字を見てぼくは気づく。
そういえば昨夜彼女に会った時は深夜だった。

( ・∀・)「2時11分…」

腕時計から目を離すと、彼女がベンチに座っていた。
ふと腕時計を見ただけだったのに、妙に脳裏に焼き付いている。
午前2時11分。彼女はその時間に突然現れた。音もなく。
またその時間にあの公園にいれば、彼女は現れるのかもしれない。

11 名前:名も無きAAのようです[sage] 投稿日:2015/08/09(日) 22:38:24 ID:rJU1q38w0
遅い時間ではある。だが明日も朝は早くなくても良い。ものは試しだ。
弁当を食べ、今度はきちんと45リットルのゴミ袋に放って、風呂に入る。
机に向かって勉強をして、頃合いを見て出かける準備をする。

きっとぼくは彼女のミステリアスな雰囲気に魅入られてしまったのだ。
また会ってみたい、話してみたいと考えている。
実際にこんな深夜にまたあの公園を訪れようとしている。

アパートの部屋を出て寝静まった住宅地を歩く。今夜も感応式の街灯が進む先を次々と照らしてくれる。
上空には不審者に気を付けるよう注意喚起のVirtualが浮かんでいる。
事件が起きたり不審者情報が発信されるとこうして注意喚起のVirtualが対象地域に放たれるのだ。

公園に着くとやはり人影はない。こんな深夜ならば当然だろう。
住宅地の中の目立たない公園で、若者がたむろする事も滅多にない。
入り口にある自販機で缶コーヒーを買い、昨夜と同じ木製のベンチに座る。
隣は勿論空いている。彼女が現れた場所。消えた場所。念のため触れてみるが、やはり普通のベンチだ。
ぼくが通ってから一定時間が経過したので道路に設置された感応式の街灯が消灯する。
公園に設置された照明はぼくを感知して絶えず照らし続ける。

本当に静かなものだ。音は非常に少ない。遠くの幹線道路を行き来する車の音が時折聞こえてくる程度だ。
風が吹くと木々がざわざわと揺れる。自然豊かな丘陵地のニュータウンだが公園には特に木々が多い。
ぼくはカシオの腕時計を見る。2時11分まであと一分を切った。相変わらず状況は変わらない。
公園にはぼく以外には誰もいない。公園に接する道路の感応式街灯も反応していない。
秒針が時を駆ける。着実に時を刻む。円を描き、上昇し、遂に頂上へ達する。
午前2時11分。ぼくはカシオの腕時計から目を離す。隣を見る。彼女はいる。

( ・∀・)「やぁ」

本当に彼女はまた現れた。音もなく。唐突に。
道路の感応式街灯を見る。やはり反応せず沈黙を保っている。

(゚、゚トソン「えっと、モララー」

( ・∀・)「そう、モララー。 また会えたね」

彼女はぼくの名前を覚えてくれていた。嬉しい事だ。

(゚、゚トソン「どうしたの、今日も帰りが遅かったの」

12 名前:名も無きAAのようです[sage] 投稿日:2015/08/09(日) 22:42:42 ID:rJU1q38w0
( ・∀・)「まぁ遅かったかな。 昨日ほどではないけれど」

(゚、゚トソン「ならどうして」

どうしてだろうね。ぼく自身よく分からない。

( ・∀・)「多分ね、また君と話してみたいと思ったんだ」

(゚、゚トソン「私と」

彼女は少し面食らった様子だった。どうして、と首を傾げる。

(゚、゚トソン「不思議な人」

不思議なのは君の方だ。

( ・∀・)「どうやってこの公園に来たの」

(゚、゚トソン「私はずっとここにいるわ」

( ・∀・)「ずっと」

昨夜と同じ。ずっとここにいる。
しかし彼女は忽然と消えてしまったし、昼間にはいなかった。

( ・∀・)「昨夜、突然消えてしまったじゃないか。 びっくりして」

(゚、゚トソン「あぁ、それはごめんなさい」

素直に彼女は謝罪する。しかしそれはぼくが望んだ展開ではない。彼女を責めるつもりは毛頭ないのだ。

( ・∀・)「でも、また会えたしね」

まるで再会を待ち侘びていた恋人のようではいか。言ってしまってからぼくはそれに気づく。
しかしぼくの心の覆った不安とは裏腹に

(゚、゚トソン「私も嬉しい」

と言って彼女は笑ってみせるのだった。

(゚、゚トソン「でも、大丈夫なの、こんなに夜遅くに」

( ・∀・)「平気さ、明日も講義は遅いんだ」

13 名前:名も無きAAのようです[sage] 投稿日:2015/08/09(日) 22:44:27 ID:rJU1q38w0
(゚、゚トソン「大学生だものね、楽しい?」

( ・∀・)「勿論楽しいよ。 試験だったりレポートだったり常に何かに追われてる感じはするけど、やはり楽しい」

彼女は同年代に見えるがどうやら無職らしい。ならば大学には行った事がなかったのだろうか。

(゚、゚トソン「いいなぁ」

( ・∀・)「君はいつも何をしているの」

(゚、゚トソン「いつも」

彼女はそこで言葉をいったん区切り、考える。

(゚、゚トソン「色々な事を考えている」

( ・∀・)「色々な事?」

(゚、゚トソン「それぐらいしか、する事がなくて」

( ・∀・)「誰かと遊びに行ったりとかは?」

ううん、と彼女は寂しそうに首を振る。どうしてそんな顔をするのだろう。

(゚、゚トソン「私にはそれが出来ない」

( ・∀・)「どうして」

(゚、゚トソン「私はいつもここにいるから」

また、その言葉。しかしやはり悲しそうな顔で彼女は言う。

(゚、゚トソン「ここにしか、いられないから」

14 名前:名も無きAAのようです[sage] 投稿日:2015/08/09(日) 22:45:54 ID:rJU1q38w0
( ・∀・)「え…」

ぼくは考える。儚げな彼女を見ながら考える。
いや、頭の片隅にはあったのだ。もしかして、という可能性の一つとして既に存在していた答えなのだ。
まさか。しかし、まさか。それはあまりにも非現実的で、非科学的だ。

( ・∀・)「その、君はさ」

けれどそうでもなければ説明のしようがない。
ぼくは恐る恐る、その予想を口にする。

( ・∀・)「幽霊なの?」

どんな反応をするだろうか。
突拍子もない事を、と笑われてしまうだろうか。
そっと隣に座る彼女を見る。
彼女はまた寂しそうに笑い、うん、と頷く。

(゚、゚トソン「ごめんね」

( ・∀・)「いや、謝らなくていいんだ。 ちょっとびっくりしただけだよ」

ぼくは妙に冷静ではあった。幽霊など、本来は笑い飛ばしてしまう程度のものだ。
あまりにも非科学的過ぎる上に、漫画や伝え話で色のついたイメージが確立してしまっている。
それを本気で信じている者がいれば嘲笑の対象となるだろう。それほどに馬鹿馬鹿しい話なのだ。

しかし、ぼくの目の前にいる彼女は紛れもなく本物だ。彼女は幽霊なのだ。

( ・∀・)「急に現れて、急に消えてしまったから」

そう、それは彼女が普通の人間ではない事を何よりも証拠づけている。
音もなく彼女は出現し、消滅した。こっそり公園を抜け出したとしても、道路の感応式街灯が感知するはずだ。
人間や物体を透明にする光学迷彩技術は残念ながら実用化されていない。その点も考えられない。
ありえないのだ。説明出来ないのだ。そう確信せざるを得ない状況が揃っているのだ。
私は幽霊ですと言われて本来は信じるはずもないが、彼女の場合は、確かにと頷くほかない。

(゚、゚トソン「それは、仕方のない事なの」

( ・∀・)「どういう事?」

15 名前:名も無きAAのようです[sage] 投稿日:2015/08/09(日) 22:49:22 ID:rJU1q38w0
(゚、゚トソン「20分しかいられないの」

( ・∀・)「20分」

(゚、゚トソン「午前2時11分から、20分。 それが私でいられる時間」

なんと短いのだろう。たった20分だ。
そうだ。昨夜も20分で彼女は消えてしまったではないか。

( ・∀・)「その20分だけ、なの」

(゚、゚トソン「一日に、この20分だけ」

( ・∀・)「それ以外は」

(゚、゚トソン「意識の海みたいなところを漂流している。 ずっと」

( ・∀・)「そうなって、長いの」

(-、-トソン「もう何年か、何十年かも分からなくなってしまって」

困ってしまうよね、そう言ってまた彼女は微笑む。

(゚、゚トソン「だから嬉しかったの」

( ・∀・)「嬉しかった?」

(゚、゚トソン「人と話すのが、すごく久しぶりで。 こんなにも楽しいんだなぁって」

あぁ、そうか。彼女の話を要約すれば彼女が姿を現す事が出来るのは午前2時11分からの20分だ。
そんな時間の公園になどまず人は訪れない。せっかく出現出来たのに彼女は誰にも気づかれないのだ。

( ・∀・)「君は寂しかったの」

(゚、゚トソン「うん、寂しいよ、一人は」

そりゃあそうだろう。ずっと一人なのだ。誰にも気づかれる訳でもなく、認識される訳でもなく。
自我だけは保って、永久に似た時間を一人で過ごしてきたのだろう。

( ・∀・)「20分の間に、どこかに行ったりしないの」

また彼女が静かに首を振る。

(゚、゚トソン「私はこの公園から出られないの」

16 名前:名も無きAAのようです[sage] 投稿日:2015/08/09(日) 22:51:32 ID:rJU1q38w0
( ・∀・)「そんな」

(゚、゚トソン「何度か試したけれど、入り口から外には出られないの。 弾かれてしまう」

まるでいわゆる地縛霊だ。公園というフィールドだけに縛られている。
そこから出る事が出来ないのだ。

( ・∀・)「じゃあ君はこの公園でずっと」

(゚、゚トソン「そう」

それでは、あんまりだ。
一体彼女が何をしたというのか。どうしてこんな仕打ちを受けなければならないのか。
何故こんな運命を強いられているのだろう。

(゚、゚トソン「もう、随分と慣れてしまったよ」

ぼくの気持ちを察したのか自嘲気味に彼女は言う。

( ・∀・)「そんな、でも君はずっと一人なんでしょう」

(゚、゚トソン「仕方ないよ。 こんな時間にこんな場所にはまず誰も来ないもの」

ぼくがたまたま寝落ちて、たまたま深夜に出掛けて、たまたまこの公園に立ち寄って、
一日に20分しか存在出来ない彼女と出会ったのは限りなく偶然だと言えるだろう。
彼女はこの環境で長らく誰とも会う機会がなかったのだ。偶然にも彼女と出会ったぼくは、彼女に惹かれ、またこの公園に会いに来た。

(゚、゚トソン「ありがとう、モララー」

( ・∀・)「そんな、感謝されるような事は」

(゚、゚トソン「ううん、話してくれるだけで良かった。 今日もまた来てくれて、嬉しかった」

17 名前:名も無きAAのようです[sage] 投稿日:2015/08/09(日) 22:54:06 ID:rJU1q38w0
( ・∀・)「あ、明日も来るよ」

彼女は微笑む。ぼくも笑う。

( ・∀・)「必ず明日も来る。 明後日も来る。 君さえ嫌じゃなければ」

(゚、゚トソン「うん、嬉しい」

( ・∀・)「君が寂しくないように」

彼女が消える。ふっと消える。音もなく消える。
今度はぼくの目の前で確実に消える。空間ごと切り取られたように消える。世界から彼女だけ弾き出されたように消える。

( ・∀・)「寂しくないように…するから…」

最後まで言えなかった言葉を呟く。カシオの腕時計を見ると、ちょうど20分が経過していた。
20分、なんと短いのだろう。改めてそれを痛感させられる。

ぼくは明日も来る。彼女の話し相手になる。寂しくないように。
平凡なぼくに出来るのは、それぐらいだ。


意識の海。午前2時11分からの20分のみ存在出来る彼女は普段はそこを漂流していると言っていた。
果たしてそこはどんな場所なのだろう。意識の海。夢の中で、微睡みの中で、はっきりとしない中途半端な世界だろうか。
そこをずっと彼女は漂流しているのだ。起きているのか眠っているのかも分からない状態で。
永久にも似た時間をそこで過ごしているのだ。
どんな場所だろう。どんな世界だろう。そこでアラームが意識を遮断する。

電子音。無機質。連続。遮断する。覚醒する。

意識がはっきりとして、ぼくはアラームを止める。Virtualによる起床アラームは本人の脳波を観測している。
完全に覚醒しなければアラームは再び鳴り始めるのだ。鬱陶しいとは思うが二度寝防止には強い味方である。
このシステムが導入されてから車の居眠り運転による事故はほぼ撲滅された。

ぼくは夢を見ていたのだ。意識の海。本当にそこはどんな場所だろう。

幽霊というのは、現世に恨みや強い思い残しがあって死後に留まる魂みたいなものだ。
古より諸説あるし、色々な種類がある。前世紀では幽霊を取り扱った作品が多く見受けられた。
しかしVirtualの充実した情報社会では、もはやそれらは過去の遺産に過ぎない。
そもそもそういう言い伝えは人の恐怖心より産み出されるものだ。
大昔は国の至るところに街灯はなく夜は暗かった。恐怖心が芽生えて当然だ。
恐怖心により感じたもの、説明の難しい現象などを古くから幽霊の仕業、妖怪の仕業だと責任転嫁してきた。
そうやって見えないもののせいにして安心させるのだ。見えないもののせいにして教育させるのだ。

18 名前:名も無きAAのようです[sage] 投稿日:2015/08/09(日) 22:55:15 ID:rJU1q38w0
そういうオカルトの類は一部のマニアにしか受けなくなった。ならば廃れて当然である。
ぼくも幼少時からそんなものを信じなかったし、周囲の人間も信じている者は到底いなかった。
それ故に幽霊を名乗る女性と関わるなど、今の状況は異常であった。しかし同時に彼女が嘘をついているとは思えなかった。
彼女も現世に何か強い思い残しがあったのだろうか。訊いてみたいが、訊いて良いのかは分からない。

彼女はあの公園から出られないという事は地縛霊のカテゴリに属すると思う。
あの公園に強い思い残しがあったりするのかもしれない。例えばあの公園で殺されたりとか。
それにしても午前2時11分から20分だけ出現する、というのは理解しかねる。
毎日その時間から、きっかり20分である。まるで制約がかけられているかのようだ。
そんなスタイルの幽霊が存在するだろうか。いや、元々非現実的だとすら思っていたので、分かりはしない。
何だかゲームの隠しキャラみたいだ。普段は姿を現さず、指定された時間に一定時間のみ出現する隠しキャラ。

机の上に置いたカシオ腕時計を装着する。今では腕時計はファッションの役割が強い。
何故ならVirtualとして視界に時計を表示出来るのだ。テレビに表示される数字のみで構成されたデジタル時計みたいなものだ。
より正確で、より素早く時間が見られる。デザインや色など何百もの組み合わせがありバリエーションにも富んでいて設定している人は多いだろう。
勿論任意の設定となるので表示しない人もいる。ぼくもずっと時計が表示されていると鬱陶しいので非表示設定だ。
それに本当は腕時計も情報端末も携帯しなくても構いはしないのだ。
国民一人一人には指紋や口座番号などのデータが登録されている。
手ぶらで出掛けても指紋で決済は出来るし家のロックも解錠出来る。
究極の効率的な社会を目指した結果が今なのだろう。

腕時計から目を離す。大学に行き、アルバイトをこなし、彼女に会いに行こう。

都心部からは離れているため通勤ラッシュとは無縁の列車に乗る。
昔は中吊り広告と言って天井から紙の広告を吊り下げていたという。
また今世紀はじめにはディスプレイを埋め込んで広告を表示させていた。
今では車内は最低限の装飾に抑えられ、代わりにVirtualの広告が表示されている。
駅の到着案内も乗り換え案内も駅に近づけばVirtualが表示される。
外国人観光客ならば母国の言語で表示されるよう調整される。
指示すれば乗車列車のこの先の各駅の到着予定時刻も見られる。
そんな列車から窓の外に目をやる。等間隔でVirtualの広告が過ぎ去っていく。

19 名前:名も無きAAのようです[sage] 投稿日:2015/08/09(日) 22:58:04 ID:rJU1q38w0
情報の混濁。世界には情報が溢れている。そんな情報社会で幽霊など、他人に話しても信じてもらえないだろう。
考えようによっては幽霊も情報の一つだ。しかし管理されていない情報は本来存在を許されない。
情報は基本的に管理されている。個人が発信する情報も、企業が広告として発信する情報も管理されている。
違反した広告が出されれば監査から即座に停止命令が出るし、個人が犯罪に繋がる情報を発信すればたちまち警告を受ける。
いくら個人の呟いた何の変哲もない情報ですらマイナンバーのログに蓄積されていく。警察の捜査となればそれらの閲覧は許可される。
情報はそうやって常に管理されているのだ。そうしなければ情報は無法地帯になってしまう。

だが、幽霊が情報の一つだとすればそれは管理された情報とは言えないだろう。
そこまで考えて、ぼくはま待てよと思い直す。逆に幽霊が管理された情報だとしたら。
誰かに設定され、管理されていたとしたら。

列車が乗り換え駅に着く。Virtualが駅名と乗り換え案内を掲げる。
考えてしても正答には辿り着かないだろう。そもそも正答があるのかも怪しいのだ。
とにかくぼくは会いに行く。それしか出来ないのだから。


金曜日というのは居酒屋で働く者としては週最大の山場だ。
言うまでもなく社会人の多くは土曜日、日曜日が休みであり金曜日はまさしく解放される日だ。
翌日の勤務など気にする事なく寄り道が出来るので金曜日の夜の居酒屋はとても繁盛する。
とにかく忙しい。何度オーダーを取り、品物を運んだのか数えきれないほどだ。
仕事が終わって家路につく頃には疲労困憊といった具合だった。

なんとか家に帰る。鞄を放り、ベッドに座る。一息ついて天井を見上げた。
Virtualのウインドウを呼び出してテレビの電源を投入する。切り替えてエアコンも起動させる。
今日は冷える。もう冬が近いのだろう。温かい風が送られて緩やかに室温が上がっていく。
Virtualのグラフがそれを教えてくれる。それを指で弾いてぼくはベッドに寝転がった。

20 名前:名も無きAAのようです[sage] 投稿日:2015/08/09(日) 23:00:19 ID:rJU1q38w0
彼女は、寒くないだろうか。これから本格的に冬が来る。
それなのに彼女はあの深夜の冷えきった公園で過ごすのだ。
防寒具など持ってはいない。これまでどうやって冬を過ごしてきたのだろう。
もう何度目かの冬になるはずだ。彼女は自分でも忘れてしまうぐらいにあの公園に囚われているのだ。
そもそも幽霊に暑い寒いという感覚があるのかも定かではない。感覚そのものがあるのだろうか。
それに触れられるのかも分からない。

そう、彼女に触れられるのかも分からないのだ。

前世紀の幽霊を取り扱った作品では触れられずすり抜けてしまうものが多かった気がする。
逆に死んだ恋人が幽霊となって再び主人公の前に現れる作品も多かった。そういうラブ・ストーリーの幽霊は触れ合える。
しかしそれらは全て架空の物語であるのだ。ノン・フィクションの幽霊など初めてなのだ。

彼女には触れられるだろうか。触れ合う事が出来るだろうか。

意識が戻りぼくはベッドから飛び上がる。自動オフ機能のない蛍光灯が点いたまま。
エアコンは目標温度に到達して室温を保つ事に専念している。
眠っていた。
眠ってしまっていた。
慌ててつけっ放しのカシオの腕時計を見る。
午前2時をとうに過ぎている。
情報端末を掴んで部屋を飛び出す。
階段を駆け下りて人気のない道路を走る。
眠っていた感応式の街灯が次々と進路の先を照らす。
真っ暗な街の一角が明るく照らされる。
空気は澄んで冷えているのに、汗ばんでくる。
真っ暗な公園に飛び込む。
ぼくを感知して照明が起動する。
深夜の来訪者によって明るく照らされた公園。
奥の木製ベンチには、やはり彼女がいた。

(゚、゚トソン「モララー」

ぼくの姿を見つけ安堵したように彼女が立ち上がる。良かった、間に合った。改めて時計を見ると2時11分を少し過ぎたぐらいだった。

(; ・∀・)「ごめん、間に合って良かった」

21 名前:名も無きAAのようです[sage] 投稿日:2015/08/09(日) 23:04:16 ID:rJU1q38w0
(゚、゚トソン「昨日も一昨日もこのベンチにいたから、今日はいなくて驚いちゃった」

必ず明日も来ると約束したのだ。危なかった。さっそく誓いを破ってしまうところであった。
息を整えながら、ぼくはベンチの方へ歩いていく。

(゚、゚トソン「走ってきたの」

( ・∀・)「あぁ、また寝落ちていて。 慌てて走ってきた」

(゚、゚トソン「ごめんね」

( ・∀・)「いいんだ、君は気にしなくて」

一日に20分しか世界にいられない彼女が謝る事ではない。

(゚、゚トソン「せっかくだし、ブランコにでも乗ろうか」

( ・∀・)「ブランコか、いつ以来だろうな」

公園には遊具がいくつもあって、定番のブランコも設置されている。
金属の部分は安全のため樹脂のコーティングがなされている。ジャングル・ジムも同様だ。
ブランコに座り勢いをつけて地を蹴る。弧を描いて風を切る。

( ・∀・)「子供の頃を思い出すなぁ」

(゚、゚トソン「やっぱりこうして遊んだの」

( ・∀・)「勿論さ、実家の近くに公園があって小さい頃はよく連れて行ってもらったよ」

(゚、゚トソン「そうなんだ、いいね」

( ・∀・)「君はあまり公園には行かなかったの」

(゚、゚トソン「ううん、私には殆ど記憶がないから」

そっか、とだけ言ってぼくは口をつむぐ。
彼女には前世の記憶がないのだ。覚えていないのだ。
自分がどうして死に至り、幽霊となってしまったか分からないのだ。
記憶もなく理由も分からずこの公園に長い間囚われているのだ。
誰かと心を通わせる訳でもなく孤独に過ごしてきたのだ。
そんな彼女に何と言えばいいのだろう。どう声をかければその傷は癒えるのだろう。

そもそも烏滸がましい事かもしれないのだ。
彼女が寂しくないように、そう思ってこの深夜の公園を訪れてはいるが、見方を変えればぼくの自己満足ではある。
数日前まで赤の他人だったぼくの言葉に重みなんてないだろう。

(゚、゚トソン「気にしないで」

彼女の言葉にぼくは顔を上げる。彼女は笑って風に揺られている。

22 名前:名も無きAAのようです[sage] 投稿日:2015/08/09(日) 23:07:20 ID:rJU1q38w0
(゚、゚トソン「仕方ないよ」

割りきってしまっているのだ。諦めてしまっているのだ。
しかしそれを咎める事は出来ない。記憶のない彼女の過ごした長い時間を考えると何も言えはしない。
自身のルーツを探る事などとうにやめてしまっているのだろう。知るすべがない。
この公園から出られず、一日に20分しかいられず、ずっと意識の海を漂流している彼女だ。

(゚、゚トソン「それにモララーが来てくれるから、今が楽しい」

( ・∀・)「そう言ってもらえると、ぼくも嬉しいよ」

ぼくの行動が決して一人よがりのものではないと分かっただけで、喜んでしまう。
ブランコに乗って風に揺られながら、彼女と話をする。
彼女に記憶がないのならばぼくが色々な話をしよう。
記憶がなく取り戻せないという事は彼女の過去はもはや失われたも同然だ。
過去がない。しかし未来はある。幽霊という不確実な彼女がいつまで存在出来るかは分からないが、少なからず未来はあるはずだ。

( ・∀・)「それにしても今日は寒いね」

(゚、゚トソン「そうなんだ…私には分からないから」

( ・∀・)「暑いとか寒いとか、感じないの」

(゚、゚トソン「うん、全く」

それならば深夜の公園で寒さに凍える事はない。そこは安心する。
幽霊なのでどうしても法則性など見られないだろうが、そういうものなのだと納得させる。
それに彼女の服装は会った時から変わらない。白のシャツにニットを重ね、チェック柄のグリーンのスカートをはいている。
この格好で、ずっとこの公園にいたのだろう。そして毎日午前2時11分から20分だけ世界に舞い降りる。

彼女は実体を持つのだろうか。彼女に触れられるのだろうか。寝落ちてしまう前に考えていた疑問が蘇る。
しかし彼女は現にブランコに乗っている。樹脂コーティングがなされた金属チェーンを掴んで風に揺られている。
実体を持っているのだ。触れられるのだ。暑さも寒さも感じないものの、きちんと触れられるのだ。

( ・∀・)「君は、実体があるんだね」

(゚、゚トソン「どういう事?」

23 名前:名も無きAAのようです[sage] 投稿日:2015/08/09(日) 23:10:09 ID:rJU1q38w0
( ・∀・)「幽霊って浮いていたり透けていたりして、触れられないイメージがあったから」

(゚、゚トソン「あぁ、なるほど」

彼女は足をついて、ブランコの動きを止める。そして白い手を差し出した。

(゚、゚トソン「ちゃんと、触れられるよ」

彼女の手を取る。本当だ、きちんと触れる。細い指。滑らかな肌触り。実体がある。
不確実な彼女の存在の証明だ。たとえ幽霊でも、一日に20分しかいられなくても、彼女は確実に存在している。
ここにいる。こうして触れられる。彼女は存在する。

(-、-トソン「あんまり触られると、恥ずかしいかな」

(; ・∀・)「あっ、ごめん」

つい夢中で触りすぎた。慌ててぱっと手を離す。

(; -∀-)「本当にごめん」

(゚、゚トソン「私も誰かに触れられた事なんてなかったから」

彼女ははにかむ。可愛らしい反応だと思う。この時間が続けばいいのに。
しかし現実は無情で、20分という限られた時間はあっという間に駆け抜けていってしまう。
ぼくはカシオの腕時計を見る。もう間もなく別れの時間が来てしまう。

(゚、゚トソン「もう、時間?」

( ・∀・)「うん、あと1分」

(゚、゚トソン「そっか、早いね」

( ・∀・)「そうだね」

(゚、゚トソン「一人だった時も20分なんてすぐだったのに、モララーと話していると本当に一瞬のよう」

名残惜しそうに彼女はブランコを降りる。
また意識の海へ行ってしまう。
引き止めたいけれど、ぼくにはどうする事も出来ない。

24 名前:名も無きAAのようです[sage] 投稿日:2015/08/09(日) 23:13:30 ID:rJU1q38w0
(゚、゚トソン「じゃあ、また明日ね」

( ・∀・)「うん、明日は寝ないから」

ふふ、と彼女は笑う。

(゚、゚トソン「待ってる」

彼女が消える。代わりに静寂がやってくる。
ぼくは見送る事しか出来ない。


彼女は記憶が残っていないけれど、やはりあの公園に何年も留まっているのだから、何かしらの思い残しはあるのだろう。
しかし彼女はあの公園から出られないのだし、一日に20分しか存在出来ないのだし、自分のルーツを探すのは困難だ。
ぼくが手伝っても難しいだろう。それにあの何の変哲もない公園に何かヒントが隠されているようには思えない。
彼女はうんざりするほどの長い時間を誇張して何十年と表現したのかもしれないが、あの公園にそれほど長い歴史はないのだ。
あの公園はまだ数年前に新設されたものだ。Virtualを呼び出して登録情報を確認したところ、そう書かれていた。
それでは彼女は公園が出来てすぐにあの公園に幽霊として囚われ始めたという事になる。
地縛霊という類のものは、そこで殺されたり、何か大きな恨みを持つ事象が発生した場所に囚われている幽霊を称する。
もしかすると、彼女にとってあの公園はあまり因果関係のない場所なのかもしれない。
どうして彼女はあの公園に囚われているのだろう。

土曜日である。ぼくは各駅停車に乗り、新百合ヶ丘で急行に乗り換える。
終点の新宿に着いて改札を出ると人の多さに息が詰まりそうになってしまう。
よく台風が来るとテレビ・ニュースに映る大きな出口から甲州街道を下っていく。
高層ビルが聳え立つ摩天楼にはVirtualが幾つも浮いている。
ルミネの前で信号待ちをしている人は空に浮かぶVirtualを見上げたり、手元で操作していた。
ぼく達が見ている世界は一人ひとり違う。表示されるVirtualの内容が異なる。同じ世界を見てはいないのだ。

ちょうど都庁の上を、公共広告をディスプレイに表示した飛行船が飛んでいく。そのように見える。
きっとあの飛行船そのものがVirtualだろう。見えれば十分なのだから、実際に燃料を使ってまで飛ばす必要はない。
そうやって様々なものが知らないうちにVirtualに変換されている。
制御装置である頭の中のマイクロチップが感触まで与えるので区別がつきにくい。

25 名前:名も無きAAのようです[sage] 投稿日:2015/08/09(日) 23:14:39 ID:rJU1q38w0
でもぼくはそこまでVirtualに頼りきりの生活は好きではない。
家電本体や壁に埋め込まれたスイッチまで動かずに手元であらゆる操作が出来るし、極めて便利ではある。
指先で呼び出したウインドウからインターネットへ接続出来る、究極のユビキタス社会だ。
我が国で開催された二度目のオリンピックを契機に国内の至る所に公衆無線LANが張り巡らされている。
強固なセキュリティに守られ常にインターネットに接続しているのだ。

ぼくが不安に感じてしまうのはどこまでVirtualに任せて良いのかという点だ。
そのうち何をするにしてもVirtualでウインドウを呼び出せば叶ってしまう気がしてならないのだ。
世界は着実に便利になっていく。未来は確実に便利になっている。決して悪い事ではないのに妙に落ち着かない。
まるで新しいものを受け入れられない頑固者の老人ではないか。

数多くのビルのなかから目的の雑居ビルを見つけエレベーターに乗り込む。
入居しているのは今では殆ど見られなくなってしまった漫画喫茶だ。
受付を済ませて奥へと進む。フロア全てが漫画喫茶となっていて奥行きがある。
薄暗い照明のフロアには多くの漫画本や小説本が収められている。
もはや残存する漫画喫茶はかつての文化を楽しむのが目的とされるのでシステムなどは殆ど進化していない。

漫画喫茶が少なくなってしまったのは勿論、紙媒体がほぼデジタル化されてしまったからだ。
毎日発行される新聞から週刊の雑誌、漫画本や小説本に至るまで基本的にデジタルでの発行に切り替えられた。
かつての紙媒体での提供は限りある資源の無駄遣いにほかならないし、デジタルでの提供はあらゆる面で便利で効率が良い。
Virtualで新聞も雑誌も読む事が出来る。ウインドウを調節して自分で好みのサイズで楽しめる。
更に目で弾く動きをするとページをめくる事が出来る。音楽データ再生の曲送りの要領と同じだ。
学校で使う教科書や参考書、辞書に至るまでデジタル化されているのでもはや指でページをめくるという動作を忘れてしまった者もいるだろう。
学生も国語辞典や英和辞典など全てVirtualで呼び出すのが基本で、昔のように重たい辞書を持ち歩くような苦行を強いられる事もない。

26 名前:名も無きAAのようです[sage] 投稿日:2015/08/09(日) 23:15:56 ID:rJU1q38w0
何故わざわざ旧時代文化の象徴である漫画喫茶に来たかといえば、ぼくは紙の本が好きなのだ。
重たいし、収集するとかさばるけれど、どうしても紙の本が好きなのである。ページをめくる感覚が良いのだ。
デジタル書籍の指や目でページを弾くのとは違う、紙のページをめくる感覚。これこそ本を読んでいると実感させる。
親しい者に話しても面倒なだけだろうと笑われてしまうが、それでも紙の本の魅力は捨てがたい。
しかし現実問題として一人暮らしのアパートに紙の本は部屋の容量を圧迫するだけで、邪魔になってしまう。
過去に集めた紙の本は全部実家に置いてきてしまった。Virtualで読んではいるが紙がたまに恋しくなるのである。

今日はなんとなく、幽霊を取り扱った作品を中心に気になったものを読む。
前世紀までそういう類のものは多く見られたが情報社会の充実と共にフェードアウトしていった。
それ故に古い作品ばかりだ。昔は映画をはじめ漫画や小説など様々な形で世に出されている。
どうしてもラブ・ストーリーが多い。幽霊となって再会、悲願の成就、悲しい別れ。
色々あるし、それらを読んでぼくも色々考えてしまう。

やはり彼女には何か思い残しがあったのではないだろうか。
何かを誰かに伝えたくて。誰かに何か強い恨みがあって。
ぼくはあの公園で偶然会ったに過ぎない。生前の彼女とは関わりがない。

それに、どの作品も大体幽霊は最後に消えてしまう。
幽霊とは有限の存在である事が多い。永久に居座る幽霊はあまり見ない。
不確実で仮の姿であるのだ。だからいずれ消えてしまう運命にある。
どの作品もまるでルールが徹底されているかのごとく、そういう結末を辿る。

27 名前:名も無きAAのようです[sage] 投稿日:2015/08/09(日) 23:17:27 ID:rJU1q38w0
果たして、彼女はどうなのだろう。
作品における幽霊はフィクションだ。彼女はノン・フィクションだ。枠に当てはめる事など出来ない。
しかしそう考えたとしても、彼女がいつか消えてしまうのではないかという不安は拭い切れない。
彼女はあの公園に囚われてもう数年か数十年かも分からないと言った。
しかしそれがいつまでも続くという保証はないし、明日にでも消えてしまうという可能性だってある。
とにかく彼女は不確実な存在だ。幽霊なのだから。何の保証もないのだ。

ぼくは読んでいた漫画本を閉じる。今日も、会えるだろうか。
午前2時11分、彼女は世界に舞い降りるだろうか。それすらも、確証はないのだ。


今日は念のためアラームを設定しておいた。保険みたいなものだ。
アルバイトから帰って、シャワーを浴びて、ベッドに座る。
今日も冷える。暖房を設定していなければ、この部屋も随分と寒いだろう。
冷房嫌いの老人が真夏の自室で熱中症になる事案が頻発してからは、一定温度を越えると自動的に冷房が起動するシステムも導入されているそうだ。
消費税20パーセント導入と同時に我が国はより手厚い福祉社会へと舵を切った。平均寿命は更に伸び続けている。

Virtualを見る事の出来る特殊レンズを網膜に貼り付ける手術と制御装置であるマイクロチップを頭の中に埋め込む手術は国民全員の必須事項だ。
例外は全く認められていない。また手術における国民の負担はゼロだ。しかし当然それは高齢者にも義務付けられている。
導入当初は根強い反対運動が起きたがもっとも今の高齢者に属する人達は当時四十代過ぎで、今や反対意見は殆ど聞かれない。
それにこれらの手術は記憶もないほどの幼少期に行われる。
だからぼく達はVirtualのない世界を見た事がない。

28 名前:名も無きAAのようです[sage] 投稿日:2015/08/09(日) 23:18:30 ID:rJU1q38w0
余裕を持ってアパートを出る。感応式に切り替えられた街灯が今夜もエスコートしてくれる。
自販機に指を押し当てて缶コーヒーを買う。もう長い事小銭に触れていないな、と気づく。
国民一人ひとりに付与されるマイナンバーには指紋と口座番号が登録されている。
指一本であらゆる決済が出来る。よっぽど時代の流れに逆らおうとする老舗でない限り、どこででも指一本で買い物が出来る。
硬貨はおろか紙幣もあまり触っていない。銀行もそろそろ役割を終えつつある。

デジタル化されつつある世界を全く信頼していない人は今でも紙幣を大量に保管しているそうだ。
ある程度の価値は維持されるという事で金や貴金属を持っている人もいるという。
それはすなわちいつかデジタル社会が崩壊した時に、電子のマネーなど何の役にも立たないという不安だろう。
更にそれはデジタル化された紙媒体にも同じ事が言える。もしデジタル化された書籍などのデータが全て失われてしまったら。
そのために現代でも紙媒体での発行を続ける業者も存在する。進みゆくデジタル社会への不安を持つ者達だ。
しかしそれらに怯えてばかりでは現代の社会は成り立たない。デジタル社会、情報社会への信頼で今の発展は成り立っている。
それに今のシステムがあっさり崩れてしまうほど脆弱なものとは思えないのだ。現にたっぷり恩恵を受けて生活しているのだ。
効率の良い社会。常に世界と繋がっているユビキタス社会。全て国民の信頼で成り立っている。

冷たくなった手を温かい缶コーヒーでほぐしながら、木製のベンチに座る。
Virtualに温度があればいいのに。冬には熱を帯びた温かいVirtualなどあれば便利だ。
いつか開発される事を願う。そうすればぼくはノーベル賞を授与したいと思う。

カシオの腕時計を見る。間もなく午前2時11分。今日はぬかりなく。

(゚、゚トソン「モララー」

彼女はやはり音もなく現れた。出現した。時間限定の降臨。
ちゃんとまた会えた。

(゚、゚トソン「今日は大丈夫だったね」

29 名前:名も無きAAのようです[sage] 投稿日:2015/08/09(日) 23:21:14 ID:rJU1q38w0
( ・∀・)「あぁ、今日は土曜日だったから」

(゚、゚トソン「あ、土曜日なんだ。 曜日感覚がなくて」

( ・∀・)「そうだよね」

彼女にとってまさしく世界の全てである午前2時11分からの20分はただの静かな深夜だ。
月曜日でも土曜日でも関係なくただの静かな夜でしかない。

(゚、゚トソン「そっか、休みだったんだ。 何をして過ごしたの」

( ・∀・)「漫画喫茶に行ってたよ」

(゚、゚トソン「へぇ、漫画喫茶」

( ・∀・)「ぼくは紙の本が好きでね、よく漫画喫茶に行くんだ。 店の数は随分減ってしまったけど」

(゚、゚トソン「紙の方が良いの」

( ・∀・)「ページをめくる感覚が好きなんだよ。 古いって皆には言われるけれど」

(゚、゚トソン「それって古い事なの」

( -∀-)「きっと古いんだと思う。 今はデジタルで楽に読めるし、収納場所にも困らないし。 だから不便で非効率的なんだろうな」

(゚、゚トソン「そういうものなんだ」

( ・∀・)「ぼくはどちらかといえばそういう傾向が強いのかもね。 時代の流れに対応出来ない老人とまではいかないけど」

(゚、゚トソン「何かあるの」

( ・∀・)「例えば情報端末なんか持たなくてもVirtualで全て操作出来るし、インターネットにもアクセス出来る。
      腕時計もVirtualで表示させられるし、もはやファッションとしての要素が強い。 でも着けていたいんだよね」

(゚、゚トソン「私は、人それぞれだと思うな」

( ・∀・)「そうかな」

(゚、゚トソン「そうだよ」

彼女に肯定してもられると、嬉しい。それだけで十分だ。

( ・∀・)「そう、漫画喫茶で幽霊を題材にした作品を読んでいたんだ」

30 名前:名も無きAAのようです[sage] 投稿日:2015/08/09(日) 23:23:19 ID:rJU1q38w0
(゚、゚トソン「幽霊を題材に」

( ・∀・)「数十年前までそういう作品は多かったんだ。 ラブ・ストーリーが多いけれど」

(゚、゚トソン「ラブ・ストーリーが多いんだ。 どういうお話なの」

( ・∀・)「例えば事故で死んでしまった者が幽霊となって舞い戻り、恋人と再会する話だったり」

彼女の様子を伺う。彼女には少し不躾な内容だが、反応を見る。

(゚、゚トソン「へぇ、そういうものがあるんだ」

とごく普通の反応をした。そしてぼくの顔を見て

(゚、゚トソン「あぁ、もしかしたら私もそういうのがあったのかもね」

と繋いだ。自分の事を例えに出したのに、どこか他人行儀だった。
もうとっくの昔に自分のルーツを探す事を諦めてしまっているからだろうか。
もう過去の事だと気にしないようにしているのだろうか。

( ・∀・)「でも、記憶がないのだから仕方ないよ」

ぼくは取り繕う。本当だよね、と彼女も相槌を打つ。

(゚、゚トソン「そういう作品の幽霊ってどうなるの」

えっ、とぼくは答えに詰まる。彼女は首を傾げる。
そんなもの、決っている。最後には消えてしまうのだ。
いかないでくれと懇願しても、消えていなくなってしまうのだ。
言いたくない。そんな残酷な事は彼女に言いたくない。

( ・∀・)「ハッピー・エンドだよ」

31 名前:名も無きAAのようです[sage] 投稿日:2015/08/09(日) 23:24:59 ID:rJU1q38w0
(゚、゚トソン「そう、ハッピー・エンド。 良かった」

彼女は笑う。ぼくは罪悪感に苛まされる。

( ・∀・)「うん、そうでしょう」

ハッピー・エンド。彼女にとってハッピー・エンドとはなんだろう。ぼくにとってハッピー・エンドとはなんだろう。
幽霊のハッピー・エンドとはなんだろう。生き返る事だろうか。しかし遺体は火葬されて現実世界に残るのは遺骨のみだ。
思い残しを果たす事だろうか。例えば、届けられなかった想いを伝えて。願っていた復讐を叶えて。
やはりそこに定義なんてものはない。正解も不正解もない。曖昧だ。

(゚、゚トソン「でも、読書っていいなぁ」

( ・∀・)「うん、君には本が似合うと思う」

(゚、゚トソン「どんな本が好きなの」

( ・∀・)「うーん、色々あるけど…」

(゚、゚トソン「じゃあ、お気に入りとか」

( ・∀・)「お気に入りか」

ぼくは情報端末を取り出す。そこで彼女に見えるなら大きいものが良いだろうと思い留まって、情報端末をしまいVirtualのウインドウを呼び出す。
マイナンバーの履歴にはぼくの購入したデジタル書籍が仕舞われている。無限に近い本棚だ。
そこからまさしくお気に入りといえる作品を引っ張りだす。ウインドウを大きくして彼女の手元に持っていく。
個々の見ているVirtualは異なる。しかしこうして共有する事も出来るし、データのやり取りも可能だ。

( ・∀・)「これがお気に入りで」

そこまで言いかけてぼくは気づく。これはVirtualのウインドウだ。
当然ながらVirtualを見る事の出来る特殊レンズの手術を経ていなければならない。
彼女にVirtualは見えるだろうか。

(゚、゚トソン「へぇ」

彼女はVirtualのウインドウに触れ、指でなぞった。
見えるのだ。触れられるのだ。
彼女はプロローグを読む。読み終わって、面白そうと頷いた。

32 名前:名も無きAAのようです[sage] 投稿日:2015/08/09(日) 23:26:37 ID:rJU1q38w0
幽霊でも、Virtualを視認出来るし、触れられる。
もしかしたら彼女はきちんと特殊レンズとマイクロチップの手術を受けていて、亡くなって幽霊となった後もそれらは維持されているのではないだろうか。
いや、でも国民の情報は余さず全員マイナンバーに登録されている。勿論死んでしまえばそう更新される。
死者に対して広告は発行されない。無意味だからだ。
彼女のマイナンバーには死亡の烙印が押されているはずだ。
もはやインターネット世界にアクセスする権利を剥奪されている。

Virtualを見て、触れる事が出来るのは、マイナンバーに登録情報がある者に限られる。
すなわち死者はそれに該当しない。本来、生きている者のみが可能なのだ。

ぼくは混乱する。分からなくなる。

彼女は本当に、幽霊なのか?

(゚、゚トソン「モララーはさ」

彼女の声にぼくは我に返る。

(゚、゚トソン「今の世界は好き?」

突拍子もない質問に面食らう。彼女はぼくの顔を見て、答えを待っている。
どうして急にそんな事を訊くのか。

( ・∀・)「分からない、分からないけど」

(゚、゚トソン「分からないけど?」

( -∀-)「時折すごく不安にはなるんだ。 この世界はどこまで本物なのかって。
      記憶もないほど幼い頃に決まって特殊レンズとマイクロチップの手術をするから、ぼく達はVirtualのない世界を見た事がない。
      今のVirtualはリアルだし、感触すらある。 もしかしたらぼく達が本物だと思っていたものすらVirtualなんじゃないかって」

(゚、゚トソン「…そう」

33 名前:名も無きAAのようです[sage] 投稿日:2015/08/09(日) 23:28:00 ID:rJU1q38w0
彼女はどこか寂しそうに、言う。

(゚、゚トソン「本物の、世界」

( ・∀・)「あぁ…」

興味を引いたのだろうか。あまり他人から理解される事のない、ぼくの漠然とした不安を。

(゚、゚トソン「モララーは、見たい? 本物の世界」

( ・∀・)「え?」

(゚、゚トソン「本物の、世か

彼女が消える。慌てて腕時計を見る。20分が経過している。
ぼくは暫くそのまま木製のベンチに座っていた。
分からない事だらけだった。


一つ、不意に新たな疑念が浮かぶ。
目を覚まして洗面台で顔を洗いながら、ぼくの思考はまた昨夜の彼女へと向かっていた。
もしかすると、トソンはVirtualだったりするのだろうか。そんな事をぼくは考えついていた。

既に人を模したVirtualは街中で多く見られる。目的を持って配備されているのだ。
銀行の案内係や工事現場での交通誘導などは今や人件費の掛からないVirtualが担っている。
あくまでもVirtualなので力仕事は出来ないが、立っているだけで良い仕事ならVirtualでも可能だ。
更に人工知能技術の開発が進み人型Virtualはそれを搭載しているので様々な事案に対処出来るようになっている。
24時間の稼働が可能で疲労も感じず文句も言わずストライキも起こさないVirtualは人件費削減の大きな一手とされている。
しかしVirtualに業務を委託する事への反対の声は根強い。当然仕事を奪われてしまうためだ。
ただでさえVirtual技術の進歩と競い合うように進化してきたロボット技術も着実に人間の仕事を食い始めている。
既に工場の流れ作業の多くはロボットが受け持っているし、あと数年もすれば自立して人工知能も積んだロボットが実用化されるらしい。
あのドラえもんが本当に現実化する日はそう遠くないと言われている。技術の進歩は留まる事を知らないのだ。世論など置いてきぼりなのである。

34 名前:名も無きAAのようです[sage] 投稿日:2015/08/09(日) 23:28:59 ID:rJU1q38w0
現代における最大の問題はエネルギー問題だ。世界は列強が限りあるエネルギーを食い合う争いをずっと続けている。
新しいエネルギーの開発などが各国で熱心に行われているが困窮するエネルギー問題を一気に解決に導くような逆転劇は見られない。
慢性的かつ深刻なエネルギー不足は時間をかけて人々に節約の意識を植え付けた。コンパクトで効率の良い社会こそ理想たる形なのである。
Virtual技術の進化もロボット技術の進歩も反対意見などに阻まれる事なく進んでいく。
いつだって社会にはいつの間にか流れが出来上がって突き進んでいくものだ。

ぼくが彼女をVirtualではないかと考えたのは、単に辻褄が合うからである。
彼女は自分を幽霊だと言った。しかしやはりどうしても幽霊というのは非科学的で非現実的だ。
それに彼女は記憶を失っている。ならば冷静になって考えてみれば彼女が自身の記憶を失ってしまったVirtualであるとしても納得出来る。

何よりあの公園から出られないという点と、午前2時11分から20分しか出現出来ないという点だ。
公園に縛られているという点は地縛霊であるとすれば一応の説明はつくが、後者は違う。
時間限定の幽霊など、幽霊をモチーフにした作品でもあまり見られなかったように思う。
仮に、彼女がVirtualであり、あの公園のみが存在出来る場所であり、時間限定で出現するよう設定されていたら。
何らかの理由で彼女は記憶を失い、自分を幽霊と錯覚して、あの公園にい続けていたとしたら。
筋は通っているのだ。ありうるのだ。おかしくはないのだ。

ただそうだとしても全ての疑問が解決する訳ではない。
彼女がVirtualだとして、どうしてあんな場所に放られているのか。
Virtualは目的があって設定されるし、きちんと管理されている。
もし彼女がVirtualならば極めてイレギュラーな存在だろう。

35 名前:名も無きAAのようです[sage] 投稿日:2015/08/09(日) 23:30:04 ID:rJU1q38w0
確かに人工知能技術の発展は著しい。中学の授業で人工知能と話す機会があったが、もはや人間そのものだった。
彼女と話している時はとても自然体であったが、人工知能ではないと言い切れる確実な証拠なんてものはない。

分からない事ばかりだ。
あとは、彼女が最後に言った、本物の世界。それが、頭の中を駆け巡る。

緊急情報受信!

突如、警告アラームが鳴り響いてぼくの思考をシャットダウンする。
緊急のVirtualが現れる。非常時の際に発行されるものだ。
一番多いのは緊急地震速報を受信した時などだ。
しかし違う。緊急地震速報ではない。ぼくはそれを開く。

それはVirtualのエラーを知らせるものだった。
訳が分からずぼくはテレビの電源を投入する。
ちょうど映ったチャンネルでは番組を急遽変更して臨時ニュースを放送していた。

現在、我が国は大規模なサイバーテロを受けているらしい。
それによりVirtualが安定しない状況にあり、エラーも起こしているのだという。
インターネット接続においても極めて深刻な障害が発生しているとアナウンサーは告げた。

試しに情報端末からインターネットへの接続を試みる。しかし繋がる気配はない。
Virtualのウインドウを呼び出して接続してみるがやはり失敗に終わる。
本当に障害が発生している。チャンネルを変えてもどの放送局も臨時のニュースを放送している。

この情報社会は強固なセキュリティによって守られているという信頼から成り立っている。
今回のサイバーテロはその信頼を根幹から覆しかねないものだ。
国民一人ひとりに割り振られたマイナンバーには指紋や口座番号、生年月日やインターネットにおけるログ全てが登録保存蓄積されている。
盤石なセキュリティにより安心して指先一つで生活を送っているのだ。

36 名前:名も無きAAのようです[sage] 投稿日:2015/08/09(日) 23:31:15 ID:rJU1q38w0
そもそもVirtualの普及はインターネットの充実から成りうるものだ。
どこからでもいつでもインターネットに接続出来るからこそVirtualが一般化したのだ。
インターネットに接続出来なければVirtualで情報を得る事は出来ない。
Virtualのコントローラーで家の中の家電を操作する事も出来ない。
マイナンバーに保存した電子書籍を読む事も出来ない。
指紋認証で買い物をする事も出来ない。

家の中でぼうっとニュースを見ているだけでは落ち着かず、ぼくはアパートの外へ出る。
街は混乱していた。世界が混乱しているのだろう。世界とコンタクトを取れないのだから。
空に流された注意喚起のVirtualが半分欠けていた。
道端に置かれていたはずのVirtualの広告も中途半端に欠けていた。
様々なVirtualは欠損していたり、半端な表示になっていたり、ひどい場合には消えてしまっていた。

ぼくは急に不安に襲われる。もし彼女がVirtualだとしたら。
彼女はどうなっているのだろう。心配になる。
会えるだろうか。世界の不安定さよりそちらの方が気がかりだ。

彼女に会いたい。


待ちに待った夜が来る。世界はまだ混乱が続いていて、インターネットの接続障害は一向に復旧する気配もない。
テレビではずっと臨時ニュースを流し落ち着いて行動して下さいと呼びかけている。
どこかで暴動でも起こっているのかもしれない。しかしインターネットがない今は情報も得られない。
個人のインターネットの接続が絶たれれば、情報はこうしてメディアから受け取るしかない。
まるで前世紀に逆戻りだ。一方通行の情報伝達しか許されないのだ。

37 名前:名も無きAAのようです[sage] 投稿日:2015/08/09(日) 23:32:45 ID:rJU1q38w0
公園まで歩くなかでぼくは気づく。
交差点に設置されていた信号機がなくなっていた。道路脇の街路樹も消えていた。
偽物のVirtualで誤魔化していたのだ。本物だと思っていたのに。
民家を彩っていた花壇もなくなっていた。Virtualだった。

公園に着く。木々が全部なくなっていた。全部見せかけの偽物だったのだ。
木製のベンチに座り、カシオの腕時計を見る。本物の腕時計を持っていて良かった。
彼女と会えるだろうか。不確実で何の保証もない彼女という存在。
本当に会えるだろうか。秒針の動きと共に不安は募る。
一つ一つ秒針が階段を駆け上がっていくと同時に心臓が高鳴る。
秒針が何周もして、遂に最終回に突入する。
変わりない一秒。平等な一秒。無機質な一秒。
ぼくの思いなんて知らず時間は進む。極めて平等にカットされた一秒を刻む。
対となる最下点から上昇する。きっかり謝らず同じ一秒を刻み続け、ゼロに達する。

午前2時11分。ぼくは顔を上げる。

(゚:、・ソノ「…モララー」

彼女はいた。現れた。
しかし身体はところどころ欠損している。
やはり。不意に浮かんだ疑念は正解であった。
それは彼女が幽霊などではなく。
Virtualである事を証明していた。
彼女は世界に蔓延る無数の情報の一つなのだ。

38 名前:名も無きAAのようです[sage] 投稿日:2015/08/09(日) 23:34:43 ID:rJU1q38w0
( ・∀・)「君はVirtual…なの」

彼女は口をぎゅっと閉じて、俯く。
諦めたように目を閉じて、頷く。

(-:、・ソノ「ごめんなさい」

( ・∀・)「責めてはいないよ…。 でも君には自覚があったの?」

うん、と小さい声で認めてから、彼女は続ける。

(゚:、・ソノ「でも、ある意味では幽霊なの。 私は、Virtualの幽霊」

( ・∀・)「Virtualの幽霊…?」

(゚:、・ソノ「私はこの世界のバグみたいなもの」

( ・∀・)「この世界の、バグ」

(゚:、・ソノ「極めてイレギュラーな存在なの、私は」

それは分かっていた。Virtualでありながら、目的もなく野放しにされ、時間限定でしか出現出来ないなどイレギュラーそのものだ。
Virtualはそれぞれ目的を持ち役割を与えられて表示される。広告のVirtualも、案内を担当する人型のVirtualもそうだ。

(゚:、・ソノ「でも、もう長くない」

彼女は寂しそうに自分の手を見る。指が数本欠けている。
指以外にも彼女の身体は何ヶ所も欠損している。
もう長くない。その言葉にぼくは息が詰まりそうになる。

( ・∀・)「長くないって」

(゚:、・ソノ「Virtualを維持出来ないの」

大規模サイバーテロ、インターネット接続障害、Virtualのエラー。
どうして彼女が消えなければならないのだ。不条理ではないか。

39 名前:名も無きAAのようです[sage] 投稿日:2015/08/09(日) 23:36:19 ID:rJU1q38w0
(゚:、・ソノ「テロリスト達も目的は本物の世界を暴く事…最悪の場合、世界は丸裸になる」

( ・∀・)「Virtualが消えるのか?」

(゚:、・ソノ「このまま今の状態が続けばいつかは多くのVirtualが消滅する。 だけど元々不安定だった私は、すぐに消えてしまう」

交差点の信号機も道路脇の街路樹も民家の花壇も公園も木々もVirtualだった。消えてしまった。

( ・∀・)「そんな…」

(゚:、・ソノ「Virtualは、あくまでVirtual…本来は存在しないもの」

(; ・∀・)「い、嫌だ…消えないでくれ」

彼女の欠けた手を握る。きちんと触れられる。
いや、当たり前なのだ。Virtualに手触りを与える技術はとっくに確立している。
制御装置である頭の中のマイクロチップが微弱な電波を流し感覚を与えているのだ。
まるで人間の手だと錯覚しているのだ。彼女はVirtualであるのに。

(゚:、・ソノ「ごめんなさい…」

彼女が謝る必要はないのだ。彼女は悪くない。
Virtualであったのも彼女のせいではない。消えてしまうのも彼女のせいではない。

( ・∀・)「ぼくはもっと、君と話したい」

(゚:、・ソノ「私も、話したかった」

40 名前:名も無きAAのようです[sage] 投稿日:2015/08/09(日) 23:39:06 ID:rJU1q38w0
彼女の身体が蝕まれていくように、徐々に消える。
公園のVirtualだったものも消えていく。金属フェンスに見えていたものがなくなっていく。

全部消えてしまう。実はVirtualだったものが消えてしまう。偽物だったものが消えてしまう。
世界が本物の姿になっていく。本来の姿を取り戻していく。

( ・∀・)「本物の…世界…」

彼女が昨夜言った言葉が蘇る。本物の世界。
この世界がどこまで本物なのか。ぼくが時折漠然と感じた、馬鹿げているとすら思っていた不安。

( ・∀・)「Virtualがなくなった世界の事なのか?」

(゚:、・ソノ「…そう。 それが本物の世界」

ぼく達は記憶が残らないほど幼い頃に特殊レンズ装着の手術を確実に受けている。
それ故にVirtualのない世界を見た事がない。ただ、いくらVirtualといえども生活をサポートするものだ。
本来の世界に上書きするように表示されているだけだ。そう思っていた。
しかし現実は違った。本物だと思っていたものが、Virtualだった。
どこまでVirtualなのだろう。どこまで本物なのだろう。
彼女でさえも、Virtualなのに。

( ・∀・)「昨日、どうして本物の世界が見たいか、なんて言ったの」

引っかかっていたあの言葉。

(゚:、・ソノ「私はこの世界のバグと、さっき言ったよね。 その言葉通りで、私はこの情報社会のバグなの。
     誰に設定されているのかも、どうして自分が存在しているのかも、分からない」

41 名前:名も無きAAのようです[sage] 投稿日:2015/08/09(日) 23:40:45 ID:rJU1q38w0
記憶がない、というのは決して嘘ではなかった。
Virtualは目的を持っている。しかし彼女にはそれが分からない。それに存在も曖昧だ。
それでは自分を幽霊だと言っても、仕方のない事だとは思う。

(゚:、・ソノ「それでね、端的に言えば、私には本物の世界が見えている」

( ・∀・)「本物の世界…Virtualのない世界?」

(゚:、・ソノ「そう。 一切の色付けがされていない純粋な世界」

( ・∀・)「そんな事ならぼくだって出来る、Virtualの機能をオフにすれば」

ううん、と彼女は首を横に振る。

(゚:、・ソノ「それは非表示にする事が許可されているVirtualだけ」

( ・∀・)「非表にする事が許可されている…? じゃあ許可されていないVirtualは非表示に出来ないっていうのか」

(゚:、・ソノ「ここに来るまで、そういうVirtualはなかった?」

考える。すぐに思い当たる。確かにあった。
交差点の信号機は実はVirtualだった。しかしあの信号機は個人の判断で非表示には出来ないはずだ。
信号が見えなくなってしまっては事故に巻き込まれるからである。

(; -∀-)「あった…。 じゃあこの世界は…どこまで本物なんだ…」

彼女は消えてしまいそうなのに、笑ってみせる。

(゚:、・ソノ「私はね、それを見せる事が出来る」

( ・∀・)「この、特殊レンズの機能を完全に殺す事が出来る、と?」

(゚:、・ソノ「そう。 偽物ばかり見せていたその特殊レンズを」

42 名前:名も無きAAのようです[sage] 投稿日:2015/08/09(日) 23:43:40 ID:rJU1q38w0
( ・∀・)「どうして、君は…」

(゚:、・ソノ「それだけは、分かるの。 きっとそれが私に託された事なんだと思う」

公園から様々なものが消えていく。Virtualだったものが消えていく。
風に吹かれて飛んでいってしまうように、ホログラムとなって見えなくなる。

(゚:、・ソノ「モララーは、本物の世界を、見たい…?」

( -∀-)「でもそんな事をすれば、君が見えなくなってしまう」

(゚:、・ソノ「私はもうじき消えるもの…」

彼女の膝から下はもうなくなっていた。
ぼくは今にも消えそうな彼女の手を握る。

(; -∀-)「ぼくは…ぼくは、本物の世界が…見たい」

震える声で、ぼくはそれを告げる。
彼女は微笑んで、ぼくの顔に手をやり、眉間に優しく触れる。
そして静かに手を離した。

(゚:、・ソノ「少ししたら、見えるようになるはずだよ…」

そう言うと、満足そうにまた彼女は笑う。
もう半分ほど消えてしまっているのに。

(  ∀ )「何が大規模サイバーテロだ…君が消えてしまっては、何の意味もない…」

44 名前:名も無きAAのようです[sage] 投稿日:2015/08/09(日) 23:45:49 ID:rJU1q38w0
(゚:、・ソノ「仕方ないよ…いずれこういう日が来ると思っていた…。
     この世界は完璧なんかじゃない。 見せかけの、脆くて弱い世界だから…」

その前にモララーに会えて良かった、と彼女は繋ぐ。

(゚:、・ソノ「最後に、役割を果たせたんだと思う」

役割。Virtualには役割がある。彼女にも役割があった。
それが本物の世界を見せる事なのか。ぼくなんかのために。

ぼくは君がいてくれるだけで良かったのに。
でも満足そうに笑う彼女にもうそんな事は言えなかった。

( ・∀・)「トソン…」

(゚:、・ソノ「ありがとう、モララー」

世界が剥がれていく。Virtualが消失していく。
この世界を彩っていたVirtual。
ぼく達に情報を与え続けたVirtual。
暴力的な量が蔓延していたVirtual。
全て失われていく。
彼女も世界に溶けていく。

(゚ 、・ソ 「ありがと

彼女が消える。握っていたはずの手は虚空を掴む。
木製のベンチで、身動き出来ず、固まっていた。
もう彼女はいない。午前2時11分に、世界に舞い降りる事はない。

45 名前:名も無きAAのようです[sage] 投稿日:2015/08/09(日) 23:46:57 ID:rJU1q38w0
ぼくは夜が明けるまで動けずにいた。呆然と座っていた。朝陽が公園に差し込んで、夜明けに気がつく。
まるで全てが夢だったのではと、錯覚させるほどの眩い太陽。ぼくは立ち上がり、その陽射を受ける。
開けた景色がある。街を見下ろせる。朝を迎え新しい一日が始まる。

ぼくに見えるのはあらゆるVirtualのない世界。
ようやく手に入れた、本物の世界。

綺麗なはずの空の色は青などではなかった。
どんよりとした茶色をしていた。
空気は汚れていてスモッグが空を覆っていた。
切り開かれた丘陵地に木々は一切なかった。
伐採され尽くした山肌が朝陽に照らされていた。
そこにニュータウンなど存在しなかった。
ただ荒れ果てた大地が続いていた。
視界の先まで荒廃した世界が伸びていく。

ぼくは振り返る。
公園などそこにはなかった。
木製のベンチだけが佇んでいた。

Virtual。意味は、仮想。虚像。事実上の。
この世界はVirtualで着色されていた。


( ・∀・)午前2時11分、君に会いに行くようです

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